ある洋食屋の風景スピンオフストーリー〈Detective Blues 迷探偵走る〉
それにしても今日はハードな一日だった。肉体的な疲労より、時間に追われる精神的な苦痛がオイラのからだに鞭を打った。疲れた身体を引きずりながらオフィスに戻る。西日が強く差す窓際のデスクでバーボンのポケット壜を煽る。セピア色に染められたオフィス、FENからはオールドファンが泣いて喜びそうなデジタルとは無縁の音が流れている。古いアメリカ映画のメインテーマだったか?そんなことを思い巡らせながらまどろんでいると、一本の電話がオイラの恍惚なひと時を切り裂いた。
「おー、シュンスケ!もう帰ってたのか。今なにしてる?似合わねえくせに、また一人でハードボイルドチックに浸ってんのか?ちょっと頼みたいことが有るんだ、あとで寄ってくれ」
「な〜んだ、オヤジさんか。もう、いい気分に浸ってたのに、ぶち壊さないでくださいよ。今日はエアコンのクリーニングが何件もあってクタクタなんすから、つまらない用事だったら明日にしてくださいよ!」
「あらっ?お前そんなこと言っていいの?俺の頼みを無下にするとあとが怖いの解ってないの⁈」
雑居ビルの二階にオフィスを構える便利屋兼自称探偵のオイラは、一階に在る洋食屋のオヤジさんには頭が上がらない。店のお客をオイラにたくさん紹介してもらっているからだ。しょうがねえ、晩飯がてらに顔出すか。
「こんばんわ〜」ドアを開けるとカウンターにはオイラのオフィスの隣にある美容室に勤めている愛しいヒロミちゃんがいるじゃないか!
「あ、探偵さんこんばんは!お疲れ様」オイラの目がハート型になっているのが自分でもわかる。
「なんだぁ、来てたの!ひとりで食事?お相手だったらオイラがいつでもするのに〜」彼女の顔を見たら、疲れなんて宇宙の果てまで吹き飛んでいった。
ここの洋食屋でランチをする仲にまで発展したオイラと彼女だが、なかなかデートにまでは到らない。それはきっと、驚愕のドラマチックな展開でふたりを結び付けようと神様が企んでいるに違いないからだ。
「オヤジさん、頼みたいことってなに?」オイラは好物のメンチカツを頬張りながら訊ねる。
「この忘れ物の持ち主を探して、その人に返して欲しいんだよ」オヤジさんは一冊の古い詩集を差し出す。
「一週間くらい前に、初めてランチを食べに来た六十歳前後のご婦人の忘れものなんだ。裏に書いてある住所に送ってあげようとしたら肝心の番地の部分が読み取れないんだよ。しかも、苗字が無くて名前だけしかかいてないんだ」
オイラもその詩集を手にとる。その地名はここからもそう遠くは無い。名前は「かおる」とだけひらがなで書いてあるが苗字は無い。
「その『かおるさん』らしき人がね、うちの美容室にも一度来てくれたことがあるの。それはここにランチを食べに来た日と一緒みたい」ヒロミちゃんも話に加わる。「そのうちに、うちの店か美容室に来ると思うんだけど、なるべく早く返してあげたいからさ」
「わかりました。暇を見て探してみますよ、詩集に書いてある大体の住所と名前でなんとかなるでしょう。報酬はランチ一週間分でどうですか?」
「よし、交渉成立だ。頼りにしてるぜ探偵さん」
簡単に引き受けてしまったが、この依頼が少々厄介だった......
なにせ、個人情報保護法とやらが幅を利かすこのご時世だ、公的な機関には頼れない。地図を片手に足で調べるしかなさそうだ。
ところが、詩集に記されていた住所の範囲は割りと広く、しかも町名や住所表記も変わっている地域が有る。おまけに苗字だけの表札もかなり多かった。いざ、行動してみると思ったより調査は進まない。調査初日は散々の結果だった。
「どうだ探偵さん、少しはめぼしい情報が掴めたか?」晩飯を食いに洋食屋に寄ると、オヤジさんから軽いジャブを受ける。
「ええ、一人該当者が居て聞いてみたんですけどね、ハズレでした」オイラは素直に本当の事を報告するしかない。
「お前も本業が有るんだからまあ、あんまり無理せず、急いでやってくれ」労われているんだか、急かされているんだか分からないジョーク半分の言葉にオイラは苦笑いをするしかなかった。
便利屋仕事の合間を縫ってだが、一軒づつ虱潰しに調べて回る。だがなかなかお目当てにヒットしない。苛立ちと、諦めと、ヤケクソが入り混じった思いで五日目を迎えた。せっかく貰った少しは探偵らしい依頼だが、今日結果が出せなかったら悔しいけれどオヤジさんにタオルを投げるしかなさそうだ。
そんな事を考えながら歩いていると大きな屋敷の表札に「高杉 薫」の名前を見つけた。少々戦意喪失気味のオイラだったが、ダメもとでインターフォンを押してみる。家の中から家主と思しき男性が出てきた。昔はかなりのイケメンだったと想像できる初老の男性だ。事情を説明して該当者の有無を確認すると意外な事実を知る事になった……
調査報告に洋食屋へ出向くと、愛しのヒロミちゃんがカウンターで食事をしている。オヤジさんは明日のランチの仕込みや、他のお客のオーダーで忙しそうだ。オイラも彼女が食べているパスタと同じものを注文し、他愛も無い世間話をしながらオヤジさんの手がすくのを待つ事にした。
しばらくして一段落したオヤジさんだが、まだ依頼については触れようとしない。
「探偵さん、例の件はどうなったの?便利屋さんの仕事をしながらだから大変でしょう。何か私で役に立つことある?」ヒロミちゃんがナイスアシストで話しを振ってくれた。
そして、オイラが知り得た事実を話そうとしたその時にドアが開き、一人の若い女性が入ってきた。
「すみません、私の母がこちらに詩集の忘れ物をしたと言うので、取りに伺ったのですが......」丁寧に包装紙で包んでおいた詩集をお店の奥さんがその女性に手渡す。
「どうもお世話様でした。本人が来れば良かったのですがチョッと風邪を拗らせまして。その上、私も色々と忙しく、今日まで伺えませんでした。母はこの詩集をいつも持ち歩き、暇さえあれば読んでおりましたが、ついうっかり忘れたようです」これは願っても無いグッドタイミングで役者が揃ったな。オイラの調査報告もわかり易く説明が出来る。
「私たち、最近こちらに引越してきたばかりなんです。母は美味しい洋食屋さんと上手な美容室を見つけたと大変喜んでおります」
「では、お母様が『かおるさん』?」ヒロミちゃんが聞くが、まだ真相を知らない皆は次に出る娘さんの言葉に首をひねる事になる。
「いいえ、詩集の名前は母ではありません。母は高橋早苗と申します。あ、申し遅れましたが、私は娘の高橋由紀と言います。その詩集は昔、母がある方に頂いたと私は聞いてます。多分、その方のお名前だと思いますが……」
さあ、やっとオイラの出番が来たようだ。
「ここからはオイラがお話しましょう。その詩集の名前から、女性ばかりをターゲットに探したので苦労しましたが、その『かおる』さん、実は男性の名前なんです。『高杉 薫』さんという方です。そして、今回の経緯をそのご本人にお話したら彼は絶句してしまいした」
「どういうこと?」皆がオイラに尋ねる。
「薫さんとお母様、つまり早苗さんは二十代の頃、とても愛し合っていた恋人同士だったそうです。しかし、彼の家は由緒ある旧家。親が決めたいいなずけが居て、無理やり二人の仲を引き裂いたそうです。薫さんは駆け落ちまで考えたそうですが、彼の母上が病弱で、そんな無茶も出来なかった様です。そして、泣く泣く別れる際にこの詩集をお母様に託したそうです。もう遠くに嫁いだと聞いていた昔の恋人が、現在ご自分が住む街の近くに居るとは思ってもいなかったと大変驚いていました」その場に居る皆はオイラと由紀さんの会話を黙って聞いている。
「母は、この地を離れて嫁ぎました。そこで私を生み、父と家族三人で幸せに暮らしておりました。昨年、父が他界し、二ヶ月前に母の実家に戻ってきたのです。私は母からその方の存在を全く聞いておりません。きっと、そちらのご家族にご迷惑が掛からないように、そして私の父への配慮の為に心の奥に封じ込めたのでしょうね。そう言えば、その詩集を頻繁に読み出したのも父が亡くなってからです」初めて知る母親の過去に由紀さんは何を想うのだろうか......
「薫さんは、ご自分の両親を裏切る事になるけれど、駆け落ちしてでもお母様と一緒になれば良かったと今でも思うことが有り、いつの時も忘れたことは無かったそうです。実は彼の奥様も数年前に亡くなりました。お子さんは授からなかったそうです。彼はあなたのお母様が望むなら、そして許してくれるのなら、一度でいい、一目でいいから会いたいと言っておりました」
オイラの調査報告は思わぬ展開でしめやかに幕を閉じた......
数日後、オイラは報酬のランチを食っていた。ヒロミちゃんも一緒だ。
「ねえ探偵さん、私ね、今回の件であなたのことを見直しちゃった。とても素敵だったよ」彼女の一言が何よりもの報酬だ。
「だけど、持ち主を探し当てた訳じゃ無いから、少し複雑な心境なんだ。それと、由紀さんの気持ちはどうなのかな。母親が、亡くなった自分の父親では無い男性に想いが傾いて行く事って......」
「由紀さんだってもう大人の女性だよ、お母さんのこれからの幸せを願っているに違い無いさ。早苗さんだってまだまだ若いんだぜ」オヤジさんの言うことも分かるけど、オイラが由紀さんの立場だったらどうだろうか。
「私、思うんだけど、早苗さんは自分の実家に戻ればいつかは薫さんと偶然にでも再会出来るって期待してたんじゃないかな......」ヒロミちゃんは遠い眼をして寂しげに言った。それは何と無く彼女の気持ちを投影している様にも見える......
「それにしても、表札だけを頼りに捜して、しかも女性だとばかり思っていた『かおる』さんの所在を探し当てるなんて、大したもんだ。いい仕事をしたよ、便利屋シュンスケ!」
オヤジさんにとって、結局これは便利屋仕事だったのか……
「カランコロン♪」初老のカップルが洋食屋のドアを開けた。ふたり共、とても穏やかな笑顔で......
ーfinー