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便所飯

 便所飯。大学生ぼっちにとっての、救われた食事。一据えの座席は喧騒とは無縁で、四方を囲む壁と鍵付きの扉は、悪意と嘲笑に満ちたリア充の視線から守ってくれる。なるべく音の立たない食べ物の選択に気を遣うが、静寂と圧迫感に満ちた食事空間はむしろ心地よくさえある。大学初年度の私は、その常連であった。

 一年前、合格の二文字に浮かれに浮かれて地面から三センチ程浮いていた私を、再び地表に引き戻し、あまつさえ地中にめり込むくらいに打ち据えたのは、半期英語二コマ第二外国語四コマの計六コマにも及ぶ語学の講義であった。無論、私とて少なからざる文学への志を抱いて学部を選択したのだから、語学の学習自体はやぶさかでない。問題は人間関係の構築であった。英語は前期のみだったので、心の距離をおきつつ時々挙動不審になりながらも、まだ割り切った人づきあいができた。(とはいえグループワークが存在し私の神経は相当に削られた。)しかしながら第二外国語として履修したドイツ語は通年の必修科目であり、一年間通して週に四日も同じ人達と顔を合わせることが運命づけられていた。周囲の人間は、一年間苦楽を共にするのだから、この語学の教室で大学最初の友人を見つけるのが自然と言わんばかりに積極的に交流を深めていた。心の壁をせっせと建築して体裁を保つためだけの対応を繰り返していたら、刹那の間に友人同士となっていく同級生から取り残されることは必至であった。そして私は取り残された。受験勉強のしすぎで、人とのつきあい方をまるきり忘れ去ってしまっていたのかもしれない。心の壁の建築を中止することもできず、他者を招き入れるための扉を取り付けることさえできなかった。春先に催された語学クラスのコンパでは、目立たぬ席で烏龍茶をすするだけであった。その席での私の自己紹介を覚えている者は果たしているだろうか。もしかしたら名前すら誰も覚えていないのではないか。私の大学生活第一歩は暗澹としたものだった。

 第二歩目でも、私はつまづいた。語学のクラスで人付き合いの難しさに直面した私は、サークル選択にも億劫になっていた。体育会系の積極的すぎる勧誘に恐怖し、にこやかな文化系サークルに対してあろうはずもないドロドロの人間関係を妄想して勝手に辟易した。そうして無意味に心労を溜めているうちに、新歓の時期は過ぎ去り、結局のところ私はいずれのサークルに属することにも失敗した。この失敗は致命的であった。当世における大学では、サークルが人間関係の中核を担うものなのだと、私はしばらくしてから痛感した。

 結果として、私は盛大に孤立したのであった。講義の間は、それでも孤立が問題として立ち現れてくることは無かった。黙って座学に徹し、教授の話とレジュメの内容を頭に詰め込んでいれば、一時間半の講義時間は過ぎていく。孤立した私の最大の問題は、昼食にあった。

 春の陽光を受けてうるさいくらい青々と茂る木立を横目に、キャンパスの名物らしいスロープをのぼって初めて学食へ入ったとき、私は目眩と同時に絶望感を覚えた。此処は一人で食事をする場所ではない。同年代の他者という他者に怯えきっていた私の、学食に対する第一印象であった。テーブル席は快活な笑顔を浮かべる男女の集団で埋め尽くされており、一人で席を取るのが犯罪的行為に思われた。(学食の奥の方には一人用の席も用意されていたのだが、入学間もない当時の私が知る由もなかった。)私は何も口にすることなく、学食を後にした。大学周辺の飲食店にも、私は同様に立ち入ることができなかった。いかにも腹を空かせた男子学生の為といった風な食事処が跋扈する中に、女の私が一人で足を踏み入れることは大変難儀に思われた。

 かくして、臆病をこじらせた私が昼食をとるために選んだのが、便所飯であった。あぁ、素晴らしき便所飯。

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