12 国連サミット終了
議場のざわめきは続いている。
これはリレ局長の提案に賛成の者と反対の者、その両者が一定数存在するために起こっていた。
神獣が人里に出ることのなかった去年までなら、リレ局長の提案はにべもなく却下されていただろう。
だが玄武の襲来があった今、神獣の脅威に対して反撃するというリレ局長の提案は、一定の支持を得るのに十分な物だと言えた。
「確かに……神獣出現の法則性が分からない以上、玄武の襲来をきっかけに次の神獣襲来が発生する可能性はいなめない」
「だが危険だ。二十年前の対神獣戦。あの被害を忘れたとは言わせんぞ。あの戦いで、我々は数万人にも及ぶ人命を失っている」
「しかし今回の対神獣戦では、これまでになく被害を最小限に抑えられた。これは人類の力が強くなったと言ってよいのでは?」
「それに座して神獣の襲撃を待つよりも、こちらから打って出る方が人類領域における被害は少なくできる。科学兵器の力が上がっているのも事実だ。例えば空爆。M.O.A.Bのような特殊な爆弾である必要もない。安全な高度からの空爆を継続し続ければ、神獣と言えども倒すのは可能ではないのか?」
議場ではリレ局長に賛成する勢力が多数派になるように思われた。
だが――
「未開領域内を空爆だと? 貴殿は本気でそんなことを言っているのか! いや貴殿だけではない。この場にいる全員だ! 未開領域内に大規模な攻撃を行えない最大の理由。それを貴殿らは全く理解していない。異世界召喚装置。これが未開領域内に存在するはずだと言われていることを貴殿らは忘れてしまっておるのか!」
サラスタン国の大統領が声高に叫んだ。
だが、彼のその後の言葉によって、一瞬で議場は静まり変えることとなる。
「未開領域内を空爆などして召喚装置を破壊でもしてみろ! それでもし召喚が止まった日には、一体誰が責任を取ると言うのだ!」
サラスタン国大統領のこの発言によって議場は一瞬で静まり返った。
未開領域内には異世界召喚装置があるはずだと言われている。
だから、無闇に空爆などしてこれを破壊するのは危険だということ。
このこと自体にはなんの問題点も存在しない。
だが今放たれた彼の発言は、その後の言葉こそが問題だった。
――もし召喚が止まったら誰が責任を取るのか。
『止まらなかったら』ではなく、『止まったら』どうするのかと彼は言った。
この一点が、彼の発言が失言となる唯一にして最大のポイントだった。
この一言だけで、彼が現在の状況を維持したいと考えていることを容易に読み取ることが出来る。
この世界には、百年近くの長きに渡って多数の地球人達が召喚され続けている。
これは非常に大きな社会問題として、この世界で議論され続けていた。
そして人道的観点から決して放置すべき問題ではないと言うのが、この問題に対する国連の正式見解だ。
だが未開領域内は危険であり、神獣を刺激する危険性があるために、大規模な探索隊を未開領域内へと送ることは認められないと言うのが国連のスタンスである。
だがこの世界全体から見た時に、地球人が召喚され続けるというこの状況は、本当にこの世界にとって悪いことなのかという問題がある。
地球人がこの世界へと召喚されるようになって百年近く。
その百年の間に、この世界はそれまでにない速度で文明を発展させることに成功していた。
この発展は紛れもなく、召喚されて来た地球人達の力が大きいと言えるだろう。
言い換えれば、この世界は異世界召喚装置によってここまで発展することが出来たとも言えるのだ。
つまりこの世界全体から見た時に、異世界召喚装置はデメリットよりもメリットの方が大きいのではないかと言うことだ。
そうなって来ると、未開領域へと人を入れないという国連の政策に対して一つの疑惑が浮上してくる。
つまり――
『神獣がいるから召喚装置が探せない』のではなく、
『召喚装置を探したくない』理由として、
神獣を使っているのではないかという疑惑だ。
この疑惑については、サミットにおいてこれまで追及されることはなかった。
異世界召喚問題。
これはこの世界最大の問題の一つであるにも関わらず、国連があえて触れないようにしようとしていた問題だったのだ。
リレ局長のとっておきの提案は、この国連最大のタブーに土足で足を踏み入れるものだった。
議場に重い沈黙が立ち込める。
その沈黙を破ったのはセン長官だった。
「今のサセハビッチ大統領の発言は、確かに問題のあるものでした。ですが……召喚装置を破壊してしまうかも知れないという危険性。これ自体については、絶対に避けねばならないことは事実です。召喚装置が破壊された場合に何が起こるのか我々は誰も知らないのですから。召喚装置を破壊して召喚が止まるのなら、それは一定の解決にはなるかも知れません。ですがもし止まらなかった場合。我々はこの問題を解決する糸口すらも失ってしまう危険があります。
それに召喚が止まればいいというだけの問題でもありません。この世界には現在も数万人規模の被召喚者達が存在しています。彼らの内、地球への帰還を望む人の数も決して無視できる数字ではありません。地球への帰還を望む人々の為にも、異世界召喚装置は、絶対に解析できる状態で確保しなければならないのです」
セン長官の発言によって再び議場の雰囲気が変わる。
セン長官の言葉は理にかなっていた。
もし召喚装置を壊した場合、そこで何が起きるのかは誰にも分からないのだ。
だから国連が現状維持を望んでいようがいまいが、召喚装置を壊す危険のある大規模攻撃は未開領域内で行なうことは不可能だった。
議場は、再び未開領域に入るべきではないという方向に流れようとしていた。
だがここで再びリレ局長が口を開く。
「議論が白熱してるとこ申し訳ないんだけど。妾は最初から空爆しろだなんて一言も言ってないんだよね。だいたい、そんな方法で神獣を倒しても妾が楽しくないもの。妾はね、未開領域への探索隊の派遣を提案してるだけなんだよ。確かに航空支援なしで未開領域に乗り込むのに危険がないとは言わないけど、危険なのは神獣が攻めてきた場合も同じでしょ。召喚装置だって、もし見つけたら無傷で持ち帰ってあげるよ。どうかな? この提案なら否定する理由はないと思うんだけどな」
リレ局長には、初めから空爆で神獣を倒す気などはなかったのだ。
これには俺も同意だ。
やはり戦いへの思い入れの部分においては、リレ局長には共感できる部分があるように俺は思う。
未開領域へと自ら足を踏み入れ、現代兵器ではなく自分達の手で神獣を倒してまわる。
これは俺がこの世界でやりたいことでもあった。
俺は期待を込めて議論の推移を見つめる。
だが結局、リレ局長の提案が通ることはなかった。
「未開領域へ兵器の支援なしに乗り込むのはやはり危険が大きすぎます。そもそも、今後神獣が出てくると決まったわけでもないのですから。それよりも我々は今回の結果を吟味し、次の魔物災害があった際によりよく対処出来る体制を築くことにこそ重点を置くべきだ。
セン長官が先刻おっしゃっていたように、此度の対神獣戦は被害を最小限に抑えられたと言えるでしょう。これにはやはりBCP(事業継続計画)をあらかじめ準備していたことが大きいと言える。今回の神獣戦の結果を踏まえ、BCPをさらに見直すことこそ、我々が総力をあげて行うべきことだと言えるでしょう」
これが、国連の出した神獣対策の結論だった。
こうして、国連サミットの一日目は幕を閉じることとなる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
国連サミット自体は二日に渡って行われた。
だが二日目については俺はほとんど覚えていない。
俺の頭の中は、神獣対策と未開領域への探索のことでいっぱいだった。
神獣対策はこれから大きく進展するというのが国連の言い分だったが、俺に言わせればただの現状維持だ。
未開領域への探索が許可されないのも継続だ。
納得いかない思いで頭の中がいっぱいのまま、サミット期間中俺はずっと悶々としていた。
サミットの日程を全て終え、神器機関本部に戻ったところで緋月が話しかけてきた。
「薙阿津の気持ちは私にも共感できるところはある。だが私としては、召喚装置を見つけたくない連中の考えにも共感できる所はあるのだ。異世界召喚装置。その機能しだいではあるが、場合によっては、あれはこの世界におけるパンドラの箱となりえる。召喚装置の能力が、この世界と地球、双方を行き来できる物だった場合のことを薙阿津は考えたことがあるか?
召喚装置の機能によって被召喚者を地球に送り返すことが出来る場合、地球とこの世界を相互に行き来することが理論上は可能となる。だがそれは決して良いことだけとは言えないだろう。この世界に来た人間が地球へと帰れば、地球側にもこの世界の存在が知られることになる。上手くいけば、そこからこの世界と地球の交流が進み、両者がよりよい世界になることもあるかも知れない。だが最悪の場合……地球とこの世界とで世界間戦争が勃発する危険性もあると私は考えている。これは神器機関においても一部で議論されていることだ。
召喚装置が見つかった際に考えられる問題は他にもあるが、つまるところ、国連は世界が変わるのを恐れているのだよ。
この世界に問題がないとは言わないが、それでもこの世界はある程度の秩序を保っている。これは平和と言い換えてもいい。それを自らの手で壊してしまうかも知れない。そういう危険を……彼らにはおかすことができないのだ」
緋月の話は、確かに理解できないわけでもなかった。
異世界召喚装置が見つかった後に、この世界に何が起こるのか。
そんなことは俺にだって分かりゃしない。
パンドラの箱を開けた先には、緋月の言うように地球と戦争になる未来だってあるかも知れない。
だが、それでも俺は納得できなかった。
この世界には、今でも年間千人近くもの地球人達が飛ばされてきている。
そして飛ばされて来た人間の中には、少なくない数の死者も発生していると言われているのだ。
俺だって召喚された時にパンネが来てくれなかったらサケマグロの餌になっていた。
緋月については言わずもがなだ。
そしてそれ以上に、未開領域内に人が召喚された場合、その生存率は絶望的だと言われている。
毎年数百人の人間が、異世界召喚のために今もどこかで死に続けているのだ。
この数百人という数字は、この世界全体から見ればけして大きな数字ではない。
だがだからと言って、人が死ぬと分かっている問題を放置し続けていいわけがないのだ。
俺は納得いかない気持ちを抱えたまま、カーヴェルさんの家へと帰って行くのだった。
だがそれから数日後、俺は信じられないニュースを聞くことになる。
それは……リレ局長が未開領域管理局の局長を辞任し、国連非加盟国へと亡命したというものだった。