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髪を切るとき  作者: 奏多悠香
本編
6/36

5 タカ

 すぐにでも担当を替えてくれるだろうと思っていたのに、何とも想定外なことにいつまで経っても担当替えの話しが出ない。

 ある日の始業前、会話に何気なく滑り込ませて探りを入れると、平然とした言葉が返ってきた。


「そういえば担当替えの件ですが」 

「ああその話ね。何度も言うけど、担当替えはないから。パーティーにも予定通り一緒に出てもらうよ。ドレス用意しとけよ。髪型変わったから前のじゃ似合わないんじゃないか」

「……え?」


 さすがにこんな短髪の男みたいな髪型の奴を秘書としては連れ回せまいと思ってこれにしたのに。なんてこった。

 それにしても、ドレス用意しろってどういうことだ。ドレスが一着いくらするか知ってるのか。新しいのなんか買うわけないだろう。この男頭でフェミニンなドレスを颯爽と着こなしてやるよ。


「まぁつまり、お前の思い通りにはならないってこと」


 涼しい顔で言う男を握った手帳で殴りつけてやりたくなった。何が私の思い通りだ。


「あぁらそうですか。最近私の思い通りにならないことが多すぎるので、ひとつくらい私のお願いを聞いてくださってもバチは当たらないと思いますがね」


 手帳の白紙のページとにらめっこしながら言い放つ。


「ほう。じゃあ、お前の思い通りっていうのを言ってみろよ」


 こいつ、挑発してきたな。

 これに乗ったら思う壺だ。

 誰が乗ってやるものか。


「生憎ですが、専務には私の願望なんて関係ありませんでしょう?」

「大いにあるね」

「へえ、そうですか」


 おっと。うっかり「へえ」とか言っちゃった。慇懃にしないと。あーむかつく。


「願望ってなんだ」


 イライラしてきた。


「たくさんありますけど。最大のは、もう叶う余地ないので大丈夫です。親友の幸せを願っていたんですけれどねぇ」

「なぁ、久美」


 その呼びかけに私は思わず立場も忘れて怒鳴り声を上げた。


「このタイミングで昔の呼び名を出してくるなんて、どういう神経してるのよ!」


 げほっげほっ。

 突然大声を出したせいで喉が驚いたらしく、私は激しくせき込んだ。 

 あーあーあーあーあー。マイクテスト、マイクテスト。

 よほどの大声だったらしく、部屋の空気が一瞬たわんだ気配があった。


「声でけぇよ」


 専務が耳を押さえて顔をしかめる。

 言われなくてもわかってるっての。

 咳払いをして喉の調子を整えてから、息を鼻から思いっきり吸い込んだ。そして口から一気に吐き出す。

 こういうときは深呼吸に限る。


「失礼いたしました」


 喉のダメージは存外大きいらしく、まだ少し声が揺れる。

 その私を見据えて、専務が口を開いた。


「すまん」


 えっ今、謝った?


「それは何に対する謝罪ですか」

「髪を切ったこととか、全部」

「なんで私が髪を切って専務が謝るんですかおかしくないですか自意識過剰ですか専務には何も関係ありませんよやめてください」


 心の動揺を隠そうと、つらつらと言い放った。

 関係大アリなのになんで自分がこうも嘘をつき通そうとしているのか、自分でもよくわからない。嫌がらせなんだから関係あるって思っといてもらったほうがいいのに。


「担当替え、してくださいよ」


 じっとりと睨みつけた。


「理由を言え」


 専務は全く動じる様子もなく、いつも通りの涼しい目をしてじっと見返してくる。


「嫌いだからです。専務が」

「嫌いな理由を言え。直す努力はしてみる。それでもだめなら担当を替える」


 私はぐっと言葉に詰まる。

 理由なんて、一つしかない。

 専務はしばらく私を見つめてから、深い深いため息をついた。

 ため息をつくと幸せが逃げるよって、眞子がいつも言ってた。

 それでもこいつの幸せは逃げていかない。

 逃げたのは、眞子の幸せだ。


「理由は特に……ありません」

「お前、これからずっとその態度を貫くつもりか。無理だろ」

「この態度がお嫌なら担当替えを」


 自分の声が震えるのがわかった。

 ああ、でもこのままでもいいのかも。このままこの気まずい感じを崩さずに専務の秘書としてそばに居続ければ、こいつはきっと私を見るたびに眞子のことを思い出す。私の短髪が視界に入るたびに、あの出来事を思い出す。いいんじゃない、結構。秘書の担当替えなんて生ぬるい。ずっと秘書で居続けるほうが、よっぽど嫌がらせになるかもしれない。


「あのなぁ、俺はお前のことを結構わかってるっていう自負がある。今はそんな態度を取ってても、それ自体がお前にとって精神的に負担になってるはずだ。誰かに嫌な態度とるのって疲れるよな。余計にイライラするだろう。お前は、そういう奴だ」


 何を知ったようなことを言ってるんだ。

 その通りだよ、馬鹿野郎。

 だけどね、


「私の精神的負担なんてあなたにはまっっっったく、関係のないことですから。至極巨大なお世話です」

「久美っ」


 唐突な鋭い声に私は思わず身を縮めた。

 だからその呼び方をやめろ、と言おうとして男の目に本気を見て取った私は小さく息を吐いた。吐きだしたい山ほどの悪態をそこへ詰め込んで逃がす。


「頼む。話がしたい」


 さっきとは打って変わって、懇願するような声色。

 だめだ、たぶん今日と言う今日は逃げきれない。こいつがこういう顔をするときは、何を言ってもダメなんだ。


「何? タカ」




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