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髪を切るとき  作者: 奏多悠香
番外編
35/36

髪を切った女の子・後篇

〈あのう、ごめんなさい、明日のレストランってもしかして予約とかしてくださっているでしょうか〉


〈予約してあるよ。どうかした?〉


〈ごめんなさい。実はちょっと明日は都合が悪くなってしまって……〉


〈そう、じゃあキャンセルしておくね〉


〈せっかく予約してくださったのにごめんなさい。私もすごく楽しみにしてたんですけど、どうしても…この埋め合わせは今度必ず!〉


〈了解。構わないよ。仕事が忙しいのかな? 体に気を付けてね〉


 そんな平和なメールやり取りを終えてレストランの予約を取消し、一息ついた。

 それが、2週間前のこと。

 今、自分はそのメールをぼんやりと見返しながら一人部屋で酒を飲んでいる。

 おかしい。

 何かが。

 メールを送れば返信が来るし、電話を掛ければいつも通り明るい声が返ってくる。だけど、会えない。

 仕事が忙しいの一点張りで、全く会えない。

 サトが新社長に就任したり結婚したりでバタついているせいで秘書の仕事が忙しいというのはよくわかる。が、週末も全然時間が取れないと言うのは不自然ではないのか。

 苛立ちとも焦りともつかない感情を持て余したまま3日を過ごし、ついに決意した。

 会社に迎えに行こう。

 いくら忙しいとはいえ、毎日家には帰るのだ。彼女を自宅まで送り届ける道すがら、話ができればそれでいい。

 忙しいと言っている相手の下に押しかけるなんて、人生初だ。



********************



「その顔、どうしたの」


 社屋から姿を現した彼女の前に立って、腕組みをする。

 身長の高い自分が仁王立ちで腕組みなんて、相当な威圧感だろう。

 だが、同様に身長の高いこの「女の子」相手には、それほど効果はないらしい。


「ああ、バレちゃいました」


 そう言ってペロリと舌を出し、子供のように笑う。

 だがその顔には痛々しい傷跡がたくさんあって、見ているこちらが思わず顔を歪めてしまうほどだった。


「……一体何があったの?」


 彼女の話をまとめると、こういうことだった。

 食事をキャンセルしたい旨のあのメールが来た日の朝、彼女は自宅から職場に向かうために電車に乗っていた。そこで、痴漢を見つけた。遭ったのではない、見つけたのだ。ほかの女性に対して痴漢行為を行う男を。

 それで彼女はその痴漢を捕まえた。痴漢に遭っている女性が今にも泣きそうな表情をしているので黙っていられなかったそうだ。そして痴漢を駅員に引き渡そうと一緒にホームに降りたところで、突然暴れ出した痴漢に殴られた。それも、2発。驚いて地面にしゃがみ込んだ彼女に追い打ちをかけるように、蹴りが1発。

 すぐに周囲の人が取り押さえてくれたというが、遅すぎる。


「いやぁ、痛かったですよ」

「当たり前でしょう」


 へらりと笑いながらそう言う彼女に、言葉にできないもどかしい苛立ちを覚えた。彼女に対するものなのか、それとも、そのとき周囲にいた人に対するものなのか。

 結局痴漢は御用となった。彼女は目撃者兼被害者として警察に連れて行かれ、何やら長時間事情を聞かれたらしい。


「それで…最近会えなかったことと、その怪我は関係あるの?」

「だってこの顔で高級レストランで食事するわけにはいかないですよ。恥ずかしいでしょう? 星崎さんも」

「恥ずかしくなんてないよ」


 それに、高級レストランがダメだというなら別に安い居酒屋でもなんでもいい。食事なんかしなくたっていいのだ。

 なおもへらっと笑う彼女を前に、ため息交じりの声が出た。


「どうしてそんなに危ないことを」

「だってその痴漢、私より小さかったんですよ」


 長身の彼女は確かサバを(低い方に)読みまくって172センチと言っていたから、彼女より小さい男性は確かにたくさんいるだろう。

 それでも、


「……腕力は男性と女性じゃあやっぱり多くの場合、男性の方が強いんだよ。現に殴られて……」

「大したことないですよ。気持ち悪い色になっちゃいましたけど」


 顔は痣で黄色と黒が織り交ざったとんでもない色合いになっていた。

 治りかけの痣の色。

 わかってはいるけど、この色を見て平然としていられるほど人間はできてない。


「私、昔からちょこちょこ痴漢捕まえてるんですよ。だけどこんな目に遭ったことはなくて。タカにはしくじったなって笑われました」


 サト、笑ってる場合じゃないだろう。

 能天気な弟分にも腹が立つ。


「笑い事じゃないよ。心配だからやめて欲しい」

「大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないよ」

「これくらい、何とも。いや、かなり腹は立ちましたし痛かったですけど。でも、器械体操やってたんで基本的に反射神経は良いんです。今回はちょっと気を抜いてただけで。だからもう同じようなヘマはしませんよ」


 そういう問題じゃないのだが、どういえば伝わるのだろう。


「それで……どうして怪我のことを黙ってたの?」

「いやだって、間抜けじゃないですかぁ」


 てへへっと首の後ろを掻く。


「……間抜け?」


 心配をかけるから、とかではなく?


「自分から首突っ込んどいてこれはちょっと間抜けだなぁと思って」


 そうだった、マトモじゃないんだった。

 自分の心を落ちつけようと深呼吸をして、尋ねる。


「僕がここに今日来なかったら、どうするつもりだったの?」

「その、秘密にしておくつもりで。顔が治ったらお会いしようと……」


 これから先もきっと、同じことがあれば彼女はまた同じ選択をするのだろう。

 僕には知られないよう、隠そうとするのだ。

 間抜けだから、というただそれだけの理由で。

 ばかげている。

 珍しく自分は、腹を立てていた。


「あの……ごめんなさい」


 彼女が急にしおらしい表情を見せた。


「……なんで謝るの?」

「怒ってらっしゃるので……」

「なんで怒ってると思う?」

「あー、怪我をしたから?」


 そんなことで怒るはずがない。

 怪我をしたんじゃない、させられたんだ。


「違うよ。君は僕に隠そうとしてたんだ。つまり僕には、心配する権利すら与えられなかったってことだ」

「え、あの、いや、そんなことは……」

「僕は君が話してくれなければ何も知らないままだったんだよ。君が痛い思いをしたことすらね。隠されて嬉しいとでも?」

「あの……その……ごめんなさい」


 別にすべてを知っていたいと思っているわけじゃない。

 そんな幼い独占欲なんて、もうとうに捨ててしまった。

 だが――


「久美子さんには楽しい時間をもらってる」

「え?」

「一緒に食事をしたり出かけたり、すごく楽しく過ごさせてもらってる」

「あ、はい。私もです」

「だけど、本当に大切な人と一緒に過ごしたいのは、苦しい時なんだよ」

「ん?」

「大切な人が苦しんでるときは、それを分かち合いたいと思うものだ。僕は久美子さんに対してそういう感情を抱いている。久美子さんがそうじゃないというなら仕方ないが……」

「あのいえ、そんなことは……」

「じゃあ、僕と結婚してくれる?」

「は?」

「僕と、結婚してくれる?」

「はい?」

「いま、『はい』って言った?」

「いいえ」

「……断るの?」

「あの、その『いいえ』ではなくて…ええっ? ななななんで、どうして、突然……」

「でももう一応半年くらい付き合ってるし、パーティーで初めて出会ってからもうすぐ10年くらいだよ? 突然ってほどではないでしょう」

「えっ半年も付き合って? え? つきあ…? え? これ、ギブ、ギブアンドテイクが……」


 付き合っている自覚すらなかったのか。

 でももう、そんなことはどうでもいいんだ。

 マトモでない人が相手なのだから、マトモでない攻め方を。


「さすがに夫に顔の怪我を内緒にはできないだろうし。それ以前にたぶん、警察から連絡があるだろうからね。それで、返事は?」

「私でいいんですか?」

「久美子さん()いいんだよ」


 いつだって一人で突っ走ってしまうこの子にブレーキを掛ける役目を、僕が一生背負うとするか。




リクエストをいただいてから随分と時間が経ってしまいましたが…ようやく投稿できました。お楽しみいただけましたら幸いです。

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