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髪を切るとき  作者: 奏多悠香
本編

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29 髪をひん剥いてしんぜましょう

「それでは皆様、社長の後に続いてご唱和をお願いいたします!」


 私は司会の若いおネエチャンからすらりとマイクを奪い取り、でっかい声で社長をステージに引っ立てた。


「社長、お願いいたします」


 今まで色々鬱憤がたまってたんだ。これくらいやらせてもらっても、バチは当たらないと思うな。


「誠実 誠実に行動し、和を重んじて公私の別を明らかにせよ」


 社長が蚊の鳴くような声で唱える。


『誠実 誠実に行動し、和を重んじて公私の別を明らかにせよ』


 会場中からどわっと声が上がる。本日何度も話題にのぼったおかげで注目度抜群だったためか、招待客は積極的に唱和に参加してくれている。

 よっしゃ、狙いどおり。言わずもがなだが、プログラムにこれが入ったのも、とある秘書の総務への小さな助言の賜物だ。


「奉仕 与えられた仕事に誇りと責任を持ち社会的使命を全うせよ」

『奉仕 与えられた仕事に誇りと責任を持ち社会的使命を全うせよ』


「努力 日々礼節を怠らず、品位を高め、約束を守り、信用の獲得に努めよ」

『努力 日々礼節を怠らず、品位を高め、約束を守り、信用の獲得に努めよ』


 社長のスポンジみたいにカッスカスの声に続いて社訓を唱えながらあまりの可笑しさに口元が緩んでしまう。

 タカが社訓の唱和を社長にやらせたのは絶対にわざとだな。

 会場の外で社長が私とタカを相手に叫んでいた数々の言葉が会場内に聞こえていたというのはハッタリではなかったらしく、社長を見つめる幾多の目には生温かな軽蔑が見て取れる。

 壇上で社長が社訓を唱え、会場中の人がそれを復唱する。社長には生暖かい視線と社訓の針が四方八方から突き刺さっていることになる。

 針のむしろというのは、こういうのを言うのだな。

 私はゆっくりとため息をついてからふと思い出してクラッチの中に手を入れ、スイッチを入れたままになっていたICレコーダーを切った。

 タカやら篠原父やら社長夫人やらの登場のおかげで、これを利用せずに済んでよかった。

 憎たらしい社長だが、誰かの弱みを握ってどうこうするっていうのはやっぱり気分が悪いもんだ。

 気持ちは幾分落ち着いたが体がまだ少しだけ興奮状態にあるらしく、鼓動がいつもより早い。

 それを落ちつけようと私は目を閉じて深呼吸をした。

 タカの閉宴の言葉がどこか遠いところから聞こえてくる。


「……四月から新社長になりますが、この社訓を胸に刻み、責任感を持って務めさせていただきたいと思います。皆様どうかよろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました」


 当ったり前よ。社訓を忘れてたら私がその髪ひん剥いてやるわ。

 口先で小さく悪態をついた。

 ざわっ

 会場の空気が変わったのを感じて私はあわてて目を開けた。

 えっ? 今の、口に出てた?

 しかも、さっきの社訓唱和のときに入れたマイクの電源、入りっぱなしだった?


「怖い秘書もついておりますから」


 タカが目をぐるりと回しながら呆れ顔でそうつぶやき、会場がどっと沸いた。

 最後の一言は宴を盛り上げるのには一役買ったらしく、招待客は皆笑顔で帰って行った。

 篠原父は何も言わずに深く一礼をして歩み去り、その姿が見えなくなるまで、私とタカと眞子は並んで頭を下げた。


「それで、お前。何だ、髪ひん剥くって」


 招待客の見送りが終わってロビーに戻ったところでタカにそう問われ、私はへへっ内緒っと頭を掻いた。

 別に社長の秘密をばらしたかったわけじゃないし。


「あ、私もタカに聞きたかったんだ。なんでホワイのこと知ってたの?」

「ああ、あれね。俺も内緒にしようかな」

「なんでよ」


 むっとして言うと、タカは笑った。


「いや、うそうそ。正月にさ、高校の同窓会あっただろ。久美が来なかったやつ。あれで同級生の新庄由佳里に会ったんだ」

「それがどう関係あんの」

「新庄、は旧姓。今は白雪由佳里」

「えっそれってまさか……」

「白雪さんの弟と結婚したんだってさ。すっごい偶然。それで、白雪さんのことを相談されたんだ」

「なるほど」

「で、親父を追い詰めるいい機会だから母親にも協力してもらったってわけ」

「何でそれを私に言わなかったの」

「だから、巻き込みたくなかったんだってば。勝手に先陣切りやがって」


 タカはそういいながら私の肩を軽くパンチする。私はそれを受け止めて、声を上げて笑った。眞子は二人のやり取りを楽しそうに聞いて、目を輝かせている。

 そうだよね。こんな風に気楽に三人で過ごすのなんて、本当に久しぶりだから。

 笑っていると眞子が不意に視線を動かしたので、私も無意識にその視線を追った。

 ロビーに据えられたソファーにつやつやの黒髪がうなだれているのが見えた。

 すっかり脱力した社長がそこに座っている。

 自信満々でイケてるオヤジの面影はそこにはなく、憔悴しきったその姿はパーティーが始まった時から十歳は年を取ってしまったように見える。

 その社長の元に眞子がゆっくりと近づいて行った。白い背中が何を考えているかわからないが、私とタカはそれ少し離れたところからをそっと見守ることにした。

 本当なら、一番社長に対して怒るべきは眞子なのだ。ずっと結婚に反対された挙句、今日も社長の言葉にどれだけ傷つけられたことか。

 だが、眞子の口から発せられた声はどこまでも穏やかで優しかった。


「社長。ご存じのとおり、私には父がいません。ずっと父が欲しかった。母亡き今、私の父になり得るのは、聡史さんのお父さんであるあなただけです」


 眞子はゆっくりと跪き、うなだれた社長の顔を正面からとらえる。


「社長がいらっしゃらなければ聡史さんはここにいませんから、私は社長に感謝しています」


 社長がゆっくりと顔を上げた。落ち窪んだ瞳には何の光も見えない。


「君は……」


 声がかすれている。


「君は……」


 万感の思いに言葉を詰まらせる、というやつか。このオヤジが万感というほどたくさんのことを感じているのかわからないけど、そのちっぽけで浅い胸をいっぱいにする程度には何かを感じたらしい。私がじいちゃんの話を出しても何一つ聞かなかったのに、眞子の言葉は届くんだな。

 やっぱり眞子は、不思議だ。

 穏やかなその話し方のおかげなのか、それとも人の過ちを受け容れる懐の広さのおかげなのか、なぜか眞子には誰もが気を許す。

 あれが眞子、私の自慢の親友。

 恋敵役なんかじゃなかった。

 眞子はちゃんと最初から主役だった。

 あの御嬢さんの指導係の役割を全うし、姉にしたい、引き抜きたいと思われるほどの信頼を勝ち取っていた。

 だからこそ、御嬢さんも篠原父も、眞子のために闘ってくれた。

 星崎のおじさまもそうだ。眞子のエスコート役を引き受けてくれたのは私がお願いしたからだけど、婚約発表の時に一番に拍手をしてくれたのも、あの場で最後まで眞子の傍を離れずにいてくれたのも、きっと今日一日眞子と過ごして眞子の魅力が伝わったからだ。

 かくいう私も、眞子の人柄に惚れ込んだうちの一人。

 そうやっていつの間にか皆が彼女の騎士になっていた。

 言葉にできない誇らしい気持ちで眞子を見つめていると、隣にいたタカが大股で二人に近づいて行って眞子の肩をそっと抱き寄せた。

 小さくて華奢な肩。

 あの日御嬢さんを平手打ちして震えていた肩が、今は大きな手でしっかりと支えられている。

 後ろから二人の姿を見つめ、私はようやく胸のつっかえを取り去ってほおっと息を吐き出した。

 タカと眞子はきっといい家族を作り上げるだろう。

 今すぐには無理でも、あのオヤジもきっと、じいちゃんとしてそこにちゃんと居場所を与えられる。

 関係の修復はきっと簡単じゃない。

 だけど時間はたっぷりある。

 寛大な眞子に感謝しろよ、と心の中でつぶやきながら、私は大きくうなずいた。

 ようやく長い闘いが終わった。

 魔法使いはしばらく休業だ。

 もう十年分くらいは働いたような気分だ。

 いや、そこはやっぱり、十五年分かな。




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