20 騎士の攻撃
眞子が全身ツヤピカになるまで、たっぷり3時間かかった。これでもお急ぎコースだというから、お急ぎじゃない人ってどれだけ美容に時間かけるんだろうかと驚いてしまう
ここから髪の毛のセットとネイルとメイク。
パーティーは十九時からで、会場はすぐ近く。
あと二時間か。
うん、時間は大丈夫そう。
セットをする前に軽く髪を切ってからセットをしてもらうことになっているが、眞子は先々週美容院に行ったらしいので、髪のカットにはそんなに時間はかからないだろう。同時進行でメイクとネイルをやってくれるので、逆に少し時間が余るくらいだ。
ヘアやメイクの前にドレスへとお着替え。
何度見ても眞子のドレスは素敵。
これまで日に当たったことがなさそうなほど白い白い背中がどことなく扇情的で、ついつい「げへへ」と変な声を出しそうになってしまい、あわてて口を押えた。二十五歳を超えた頃から、自分の中に時折おっさんを見つけることがあった。眞子の背中を見るとついそのおっさんが目を覚ますのだ。
眞子のドレスの色が赤系統で私のがピンクなので、隣にいると同系色で相性が良くてこれまた嬉しい。
おじさまには少し退屈な時間になってしまうけど、私はここいらでいったん化粧室を借りて化粧を直すつもりだった。寝不足でぼろぼろだった肌に無理やり乗せた化粧は、すでにほぼ跡形もなく消え去っていたから。
ところが「サービスで嘉喜様のヘアメイクやりましょうか」と美容師さんが言い出してくれたので、好意をありがたく受けることにした。
「サービス」とか「タダ」とか「おトク」とかは無論、大好物だ。
そんなわけで私は鏡の前に座って自分の顔とにらめっこし、おじさまはサロンの待合スペースのソファにゆったりと腰かけて時折こちらを見ている。
私の髪型なんて短すぎていじりようがないと思っていたけど、そこはさすがプロ。男みたいな髪型をワックスやムースを駆使してフェミニンに仕上げてくれる。
「ハリウッドのセレブの間でも最近こういう大胆なショートが流行っているんですよ」と言われた日にゃあ、びっくりして持っていた雑誌を引きちぎりそうになった。ハリウッドセレブ、恐るべしだわ。その人何かよっぽど嫌なことでもあったのかしら。
「これで大ぶりのピアスをつけたら、すごく映えますよ」
頭頂部の毛を左右に散らすようにしながら、鏡の中の私の目を覗きこんで美容師さんが言う。
そんなことを言われてもね、パーティー用の華やかなピアスなんてそんなに滅多に使うもんでもないのに、いろんな種類をそろえたりはできないんです。そして今日持ってきたピアスはだいぶ小ぶりです。
とは言えないので、曖昧に頷いて微笑んでおいた。
自前の化粧はよれによれてひどい有り様だったので、いったん落としてすっぴんに戻った。移動中車の中で寝たおかげか、朝よりクマがうすくなっている気がした。とはいえ顔の真ん中にニキビがあるのは変わらず、化粧品の油分で心なしか成長しているようにすら見える。
鏡の中の自分を見つめるのに飽きて隣をチラリと見ると、眞子の髪の毛がゆるくてシンプルなアップスタイルになっている。
そっちに顔を向けてしっかり見たくてたまらないけど、化粧をされているので下手に動けない。少しでも首を動かすと美容師さんの手で元に戻されてしまうので、うずうずしてしょうがなかった。
何とかフェミニンっぽく取り繕えた短髪に、薄ピンクのふんわりドレス。そして華やかなメイク。プロにやってもらったおかげで、想像していたよりかはずっといい出来だ。
それに何より眞子が美しく変身中なので、今日はそれだけでお腹いっぱいに幸せなのだ。
自分の仕上がりを鏡で確認しつつ、ソファに腰かけて眞子が終わるのをわくわくと待つ。
さっきまでこのソファに座っていたはずのおじさまは少し目を離した隙にどこかに消えていた。おじさまは先の先を読んだ行動をしてくるので毎度驚かされるが、さりげない気遣いにあふれ、それでいて押しつけがましくないあのアシストにはもうひれ伏すしかない。
……そう思っていたら、おじさまからひどい押し付け攻撃に遭った。
「いーりーまーせーんー」
押し問答だ。
どこからともなく帰って来たおじさまの手には大きな紙袋。その中にはあのデパートで見た靴とピアスとクラッチが入っていた。
それを何と、こともあろうか私に差し出してくるではないか。
「でももう買っちゃったから」
なんといつの間にか私の分をこっそりと買ってあったらしい。
「返品できますよ」
「できないって店員さんが言ってたもん」
嘘つき。子供みたいな嘘をついて。
靴はあの店で私が履いて歩いてみたやつで、ピアスは眞子とおそろい。ピンクゴールドの繊細なデザインで、確かにさっき美容師さんが言ってたように大ぶりでドレスには合いそうなんだけど……
「こんなことをしていただく理由がありません」
「あるんだよ。これが僕のテイクなの」
突然言われてぽかんとしてしまう。
「だから受け取ってくれないと困るんだ」
「さっきから、星崎さんそれ、ギブですよ。テイクできてません。ビジネス学び直してください。そんなギブアンドテイク聞いたことないですから」
「僕の自己満足だから、いいんだよ」
紺色のパーティーシューズを足元に置かれ、半ば強引に履き替えさせられる。
ふわふわとしていたピンクのドレスが靴のおかげで一気にしまった。
「はい、クラッチ」
眞子が買ったのより幾分大きく、光沢のあるエナメル素材の強めなクラッチ。色は靴と同じ紺。少し濃い目で、濃紺に近いかも。
待て待て待て待て。何だこれは。
「言ったでしょう。トータルコーディネート。薄い色のドレスになら紺は合わせやすいそうだよ。他のドレスでも使えるって」
確かにぴったり合いますね。
辛口な髪型に対してフェミニンすぎるドレスが、小物のおかげぴりりと締まり、浮かなくなった。
「わかりました。じゃあ、お支払いします」
もうやけっぱちだ。今日一日金銭感覚がおかしくなってきてるし、ここはもう勢いで使ってしまえばいい。泣くのは明日にしよう。クラッチの値段はわからないけど、その他は全部わかるぞ。
「いらないよ。僕が勝手に買ったのに」
「いいえ。困ります」
「君が眞子さんにしたのと同じことだよ。眞子さんに『金払う』って言われたら困るでしょう? ここは素直に受け取ってもらった方がうれしいんだよ」
「だって、こんなことしてもらう理由がありません」
このセリフ、二度目だ。
「君が気づいてないからって、理由がないとは限らない」
なんだそれ、なぞなぞか。
「ギブアンドテイクっておっしゃったのに。これではいくらお礼しても足りなくなってしまって、もう私、本当にどうしたらいいのかわかりません」
もう半べそだ。
「じゃあいいよ、今度食事に付き合ってよ」
「じゃあ、それ、私が出しますよ!」
強い口調で言う。
「化粧がさっきより濃いからど迫力だね。じゃあ、うん。ごちそうになります」
最初の一言は余計だが、とりあえず最低限の要求はのませた。
うーん。これでいいのかなぁ。本当に。
よくわかんなくなってきた。
でも、いいのかな。
「今日一日眞子さんのために尽くした久美子さんへのご褒美と思って」
なんのこっちゃ。
おじさまには誰かご褒美くれるんですか。
言いたいことは山ほどあったけど、少し考えてから、私が眞子に言ってほしい言葉を選んだ。
「お言葉に甘えて。本当にありがとうございます」
ああ、おじさまの笑顔、やっぱり素敵だわ。じじ専疑惑が自分の中で色濃くなって来て、慌てて私は眞子の方に視線を投げた。
眞子は難しい顔をして私と星崎さんの会話を聞いていた。
「結局私が一番得してるわね。私は久美に買ってもらって、久美は星崎さんに買ってもらって。この流れだと私が星崎さんにお返しをしないといけないけど、受け取ってはくださらないのでしょう?」
「そうだねぇ」
おじさんが答える。
「あ、でも今日一緒にパーティーに出てもらうからね。それだけで十分ですよ。その間にいろいろとお話を聞かせてもらえれば」
うーん、やっぱりおじさま、眞子のこと結構好きな気がするんだけど。「いろいろお話を聞かせてもらえれば」なんて、気のない相手に言う言葉じゃないと思う。
「今日ってやっぱり、パーティーに連れて行かれるんですね」
眞子が笑う。
そういえば、まだ言ってなかったな。
「あの……そのことなんだけど……」
私が言いよどんでいると、眞子は笑った。
「私が星崎さんのパートナーとして出るってことは、久美は高垣専務と、ってことでしょう? さすがに私も社員だから、高垣コーポレーションの創業記念パーティーの日程くらい把握してるわよ。久美から『誕生日のお祝いするからこの日空けといて。』って言われた時、久美はパーティーに出席しないのかなぁって不思議に思ったくらいだったんだから」
うわお、さすが眞子。わかってらっしゃいましたか。
「ごめん。何かだまし討ちみたいで」
「ううん。靴屋に連れて行かれたころにはもう、パーティーに連れて行かれるってわかってた。だけど今日一日とても気持ちよく過ごせたし、自分史上一番輝いてる自信もあるから、ちょっと見せびらかしたい気分なの。ありがとう、久美。星崎さんも。私じゃちょっと力不足ですけど、なるべくご迷惑をおかけしないようにしますから」
ああ、すっかり眞子だ。
大学時代の眞子。
出しゃばらないけど堂々としていて、裏方に徹していても存在感があって。
これが眞子だ。
朝よりずっと華やかに笑う眞子の表情に、私は心からの笑みを返す。
この華やかさは、きっと化粧のおかげだけじゃない。気持ちが輝いてるんだ。