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髪を切るとき  作者: 奏多悠香
本編
19/36

18 ぷ

「着いたよ」


 肩を優しくゆすられて目を開けた。

 目を開けるってことは、閉じてたってことで。

 あれ、私、眠ってたのか。


「あっ」


 ここが星崎さんの車の中だという事を思い出し、私はあわてて跳ね起きた。

 窓の外は真っ暗。

 えっもう夜?

 えっ。


「デパートの地下駐車場です」


 おじさまが笑みを含んだ声で教えてくれた。


「ああ、びっくりした。寝ちゃって、ごめんなさい」


 慌てて降りると、眞子と目が合った。眞子はなんだかおもしろそうな表情で私を見つめている。そんなに間抜けな顔して寝てたのかな。


「ここで気に入る靴とバッグがあるといいねー」


 私はうーん、と伸びをしながら言った。

 おじさまが車の後ろに回り込み、トランクからさっきのお店の紙袋を取り出す。


「あれ、置きっぱなしだとまずいですか」


 私が慌てて自分の荷物を取り出そうとすると、おじさまはそれを止めた。


「いやいや、靴やかばんを買うのにドレスやアクセサリーがあった方がいいから」


 へえ。靴選ぶのに服もいるんだ。


「色合いとか、靴の高さとかね。ドレスの長さとのバランスも大事だから」


 へぇー。

 ああ、だからお金持ちの人ってあんなに靴をたくさん持ってるのか。

 パーティーシューズなんて無難でシンプルなやつ一つ持ってれば他にいらないじゃんねとか思ってたけど、完璧に装おうとするとドレスと同じくらいたくさん必要になるんだね。

 奥の深いこと。

 大きな紙袋を持ってさりげなく眞子の後ろを歩いて行くおじさまは、なんだかとてもかっこいい。


「とりあえず1階の靴屋さんに行こうね」


 すいーっとエレベーターで昇り、ドアが開くと正面が目的の靴屋さんだった。

 おじさま、もしかして地下駐車場で車停めるところまで計算済みですか。

 すごいですね。

 そして私は思うのだ。


 ――この人、慣れとる。


 さっきのドレスのお店だって、VIPルームに入れてもらえるってことはこれまでに相当通ってるってことで。でもあのお店はどう見てもドレスがメインのお店で、男性物の品ぞろえがよさそうには見えなかった。タイピンとかポケットチーフくらいは売ってたかもしれないけど、隅っこにおまけみたいに置いてあるくらいだと思う。つまりこの人、これまでたくさんの女性にたくさんのドレスを買ってあげたってことか。

 うーむ。やはり只者ではないな。

 そんなことを考えながらぼんやりとおじさまの背中について歩いていたら、またしても特別室の中に案内されてしまった。さっきのお店ほどではないが、こちらも高級感あふれるゆったりとしたスペースだ。デパートの中にこんな場所があったとは。これまでその存在すら知らなかった。


「何度も着脱するのはご面倒でしょうけれど、せっかくドレスをお持ちならお召しになって靴を選ばれる方がよろしいかと」


 眞子は店員さんの声に促され、また試着室の中に消えて行った。

 むふぅ。

 靴を履いたらさらにドレスが引き立つってことか。

 さっきよりきれいになるのかぁ、眞子。

 楽しみ楽しみ。

 染み出る幸福感を隠しきれずに一人でニヤニヤしていたら、「久美子さんも履いてみたら?」と唐突に言われた。もちろん、おじさまに。

 おじさまが近くにいた店員さんに目配せをすると、店員さんがすすっと寄ってくる。


「足のサイズはいくつ?」

「えっ私はいいですよ」

「まぁまぁ、履いてみるだけ」

「えっあの……二十五です」


 消え入りそうな声でつぶやいた。

 デカいな、というおじさまの心のつぶやきが聞こえてきそうな気がした。

 しょうがないじゃん、背もデカいんだから。

 いや、おじさまは一言も発してないけど。


「ドレスの色は?」

「淡いサーモンピンク色です。パーティー用のドレスあんまりたくさん持ってないので、たぶん星崎さんも見たことあると思います」

「ああ、ごめん。あんまり普段女性の服を気にしていないから覚えてないや」


 へええええ。あんな店でいっぱい買ってあげてるのに? と言ってやりたくなったが、完璧にお世話になりっぱなしの身で何を考えているんだと自分を叱り飛ばした。

 おじさまの私生活なんて私にはこれっぽっちも関係なくて、私はひたすらにお世話になっている身なんだから。

 それにしても、どんどんお礼のハードルが上がっていくなぁ。

 いやはやギブアンドテイクって恐ろしい。


「じゃあ、いろいろ合わせやすそうなシンプルなデザインのパーティーシューズで」


 私がぐちゃぐちゃと考えている内に出されたおじさまのご要望に、店員さんは手をもみもみしそうな勢いでうなずいて店の方へ歩いて行った。

 買わないけどな。

 店員さんの背中に向かって心の中で念じておいた。

 数分後、その店員さんの手で持ってこられた靴は、それはまあヒールの高い代物だった。普段から割とヒールの高い靴を履いているが、それにしたってこれは、と思うくらいのピンヒールだ。

 こんなので歩けるのかな。骨折が治ったところなのに。

 とりあえず、おじさまに促されるまま足を入れてみた。

 あら、サイズぴったり。

 すいっと足が吸い込まれるように入っていくし、つま先が詰まるような感覚もない。骨折がやっと治った足でも不安なく履けそうなくらい。


「ほら、立ち上がってみて」


 おじさまがすっと立ち上がって当たり前のように手を差し出してくれる。

 こ、これは。

 鼻血の出そうな展開だ。

 二十代やそこらでこんなにダンディなおじさまにこんなに丁寧に扱われたら勘違いして惚れちゃうだろうなぁ。

 その手につかまってよっこらしょと立ち上がった私は、店員さんを真上から見下ろす感覚に恐縮してしまった。

 どう低く見積もっても172センチある私の身長。

 低く見積もるっていうのは、身体測定のときにばれないようにできるだけ膝を曲げ、首を縮め、背骨を詰めるという努力をして、ということ。

 皆みたいに伸びやかにぴしりと背筋を伸ばしてはかったら百七十五を超えてしまうことを、私は知っているのだ。高校生の時にこっそり保健室で試して絶望感に目の前が真っ暗になったから。

 このヒールがいったい何センチか知らないが、見たところ十センチはくだらない。

 つまり、今、私は百八十センチを軽々超えている。

 下手をすれば、百八十五の大台に乗ってしまっいる可能性すらある。

 男性の店員さんだって多分平均身長くらいはあるんだろうけど、私の高さからだと頭の右巻きのつむじがばっちりと見えてしまう。

 うう。

 巨人になった気がして背筋を丸めながらふと隣に目をやって気付いた。


「あれ、もしかして星崎さんて結構身長高いですか」

「うん。僕百八十八センチありますよ」


 あ、じゃあ今の私よりデカいんだ。

 へぇ。

 店員さんがさっと持ってきてくれた鏡に映った自分は、いつもよりちょっと背が高くて、いつもよりちょっと鼻の巣がふくらんでいた。

 隣の男性と身長がほとんど同じっていうのはバランス的に何ともあれだけど。

 私の方がでかいってこともよくあるから、ちょっとでも隣の人が自分より大きいっていうのは不思議な感覚で、そして何だかうれしかった。


「歩いてみたら。ここの靴は、歩きやすいのが売りなんだから」


 おじさまの声に押され、近くをうろうろと歩いてみる。

 ああ、なんでだろう。ピンヒールなのに、不思議と足首に負担がかかってる感じがしない。つま先も痛くない。


「いいね、いいね」


 おじさまはやたらと満足げな笑顔で言った。

 買いもしないのにそんなにおだてられても困るだけだが、褒められて嫌な気持ちはしないのでとりあえず微笑んでおく。

 秘書仕様のパンツスーツに高級なピンヒールのパーティーシューズなんて不思議な感じ。

 おじさまがあんまり褒めてくれるので、調子にのってモデルみたいなポージングまでしてみた。店員さんは苦笑しているが、おじさまは楽しそうに笑ってくれたのでよし。


「こっちも履いてみたら」


 えっいや、だって買わないのにそんな浮かれたことをしてる場合じゃないでしょう。気に入ったら買えばいいとでも思っているんでしょうが、私にはそんな余裕はありません。

 眞子のために払うお金は惜しくないけど、自分のためにこんな高級な靴を買うお金は惜しい。

 そう思って私はブンブンと首を振った。


「いえ、いいですよ。今日は眞子のために来たんですから」


 ソファーに座ってそそくさと靴を脱ぎ、自分の履きなれた靴に戻る。生暖かいそれは私の心にとてつもなく大きな安らぎをくれた。そうそう、私にはこれ。この安い靴で十分。

 と、ちょうどいいタイミングで眞子が試着室から出てきた。


「これ、どうかなぁ」


 優雅だ。これは、何ていうか、優雅としか言いようがない。

 何て事はない、至ってシンプルなパンプスなのだ。

 光沢のあるうすいゴールドの布張りの靴。

 取り立てて珍しいデザインってわけでもない、ありふれたラウンドトウ。

 なのにどの角度から見ても足が美しく見えるのは、ヒールの高さや角度が計算しつくされているからだろうか。

 ヒールのおかげで体のシルエットが縦に伸びたからか、マーメイドラインのドレスがさらに引き立っている。


「サイズや歩きやすさはどう?」


 おじさまが問う。


「サイズはぴったりだし、履き心地も最高です」


 ああ、幸せ。

 私はもう言葉にならなくて、うんうんうんと何度もうなずいた。

 靴はこれで決定でいいと思う。

 一言も発しなかったけど、私が大賛成だということは十分に伝わったらしい。


「じゃあ、これに決めちゃおうかな」


 よし、お財布の出番ですねと思ったら、おじさまがさりげなく私の前に手を差し出して、私の動きを制した。


「すみませんが、この靴に合うパーティーバッグいくつか見繕ってきてもらえますか。できればあまり奇抜でなく、長く使えるようなデザインで。眞子さん、形の希望はある?」

「できれば小ぶりなもので、クラッチタイプがいいです」


 眞子は驚くほどさらっと自分の希望を口にした。

 かしこまりました、と店員さんが姿を消す。

 ここ靴屋さんなのに、他の店からバッグまで持ってきてくれるのかい。すごいな。これもVIP待遇なんだろうな。

 Very Important Person

 うん、うん。

 間違いなく、眞子は私にとってすっごくすっごく重要な人。

 合ってる、合ってるよ。

 嬉しくてたまらない。

 ふと眞子が私の横に置かれた靴に目を留めた。


「それ、久美も買うの?」

「ああ、私は持ってるからいらないんだ。仕事で必要だからパーティーシューズは何足かあるの」

「そう」


 眞子はそう言いながら首を少し横に傾けた。


「じゃあ、私が買おうか?」


 はい?

 じゃあって。

 いらんってば。


「わたしの分久美が払ってるでしょう。だから、久美のは私が払う」


 何言ってんの、ちょっと。


「いや、いいのいいの本当に。眞子、ありがとう。その気持ちは本当に本当にうれしいんだけど、持ってるから。これはちょっと暇つぶしに持ってきてもらっただけで、私は本当にいらないから。今日は眞子デーなんだから、いいんだから」


 慌てて繰り返した。

 そんな風に気を使わせたいわけじゃない。


「そう? ならいいけど。遠慮してるわけじゃないよね?」


 違いまーす、と私は軽く返事をした。

 眞子に買わせたら靴の相場がわかってしまうじゃないか。

 今日かかった金額は、未来永劫、絶対に口を割らないと決めているんだ。

 ネットで調べたら値段なんて一発でわかってしまうのかもしれないが、眞子はきっとそれをしない。私が知らないで欲しいと思っていることをわかってるから。


「星崎さんは、退屈なさってないですか」


 眞子はあきらめたらしく、視線を移しておじさまに声を掛ける。おじさまはまぶしそうに眞子を見つめ、優しい微笑みを浮かべた。


「全然退屈してませんよ。眞子さんのきれいなドレス姿が見れて眼福です」


 おじさま、さらっと告っとるがな。


「それに久美子さんと話しているとすぐに時間が経つからねぇ」


 その言葉に、眞子が楽しげに口を開けて笑う。

 ドレスと靴だけでこんなに綺麗なんだから、ばっちりメイクして髪の毛をセットしたら、ただごとじゃない変身ぶりだろうなぁ。

 眞子の頬には赤みが差し、瞳が輝いている。

 うん、よかったよかった。笑顔がやっぱり一番。


「バッグをお持ちしました」


 店員さんが滑り込むように戻ってきて、眞子にバッグを差し出した。

 大急ぎで持ってきてくれたのだろう。

 ものすごく有名なブランドのロゴが入っているものから、私がよく知らないブランドのものまであった。

 

「ああ、私これが好き」


 眞子は迷わずそのうち一つを手に取った。

 これが好き。だなんてはっきりきっぱり迷わずに言う眞子を見たのは初めてな気がする。

 違うか、タカを好きになった時もこれくらいきっぱりしてたかな。

 眞子が手に取ったのは希望通りのクラッチバッグで、小ぶりで少し丸みを帯びたかわいらしいものだった。色は靴と同じうすいゴールド。

 これをシャンパンゴールドと呼ぶらしいことが、その後の店員さんとの会話でわかった。


「これにします」


 よっしゃああああああ。

 満足げな眞子からHPゲージを突き抜けるほどの元気をもらって、私は勢いよく立ち上がった。眞子が服を着替えるために試着室に消えるなり、またすぐに封筒から札束を抜き取った。

 靴もバッグも私の基準からすると相当にお高いが、さっきから高いものばかり見てだいぶ感覚が麻痺しているので、もう気にならなくなってきた。


「久美子さん、一本電話を入れないといけないからちょっと失礼するね」


 そう言っておじさまが部屋を出て行き、それとほとんど同時に店員さんが私の足元に置いてあった靴を回収して箱に詰め、持ち去った。

 ああ、靴よ。

 君は素晴らしかったんだよ。

 君に文句があるわけじゃないんだ。

 君につけられたその値段がね、私にはちょっとね。

 心の中で靴に言い訳をした。

 何となく名残惜しく思うのは、あの靴を履いたときの景色がやけによかったからだろうか。ダンディなおじさまが隣にいて、自分を支えてくれるあの感じ。

 やだ、私もしかしてじじ専だったのかな。




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