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髪を切るとき  作者: 奏多悠香
本編
17/36

16 ぷ

「さぁ、着きましたよ」


 すーっと車が止まったのは、目的のブティックの正面。


「僕はちょっと車を停めてくるから先に入ってて。ああそうだ、くけ子さん」


 オイコラ。その呼び方、やめい。


「よかったら、星崎の名前を出して。僕もすぐに行くから」


 私は素直にうなずいた。

 おじさまはこのブティックの常連ってことなのかな。たぶん普通より丁寧に接客してくれるんだろう。それなら遠慮なく星崎さんの名前を使わせてもらおう。眞子にとって良さげなことはなんでもするつもりだから。

 私は一人で後部座席からさっさと降りた。おじさまは眞子のためにいったん車を降りようとしたけど、私がいいですよと言って代わりに助手席のドアを開けた。路上でもたもたするのはよくない。

 眞子はなんだか恐縮しながら車から降り、「どこへ行くの?」と聞いてくる。


「ここ」


 私がブティックを指さすと、その重厚感あふれる店構えを見て眞子は蒼白になった。


「え、久美……どういう……あの、私、そんなに持ってきてないし、今日、その、何をするかも知らなくて……」


 何も知らせていなかった私を責める口調にならないよう、慎重に言葉を選びながら自分の戸惑いを告げてくる。


「あのね、今日は私のわがままに付き合ってほしいの。お願い」

「久美のわがまま? あの、それって……」

「私のお買いものに付き合ってほしいってこと」


 眞子は一瞬眉根を寄せたが、静かにうなずいた。

 よおし。

 嘘は言ってないぞ。

 買うのは私だ。受け取るのが眞子なだけだ。

 今日のために、定期預金を五口も崩した。

 私は札束のつまったカバンをポンと一つ叩いて気合を入れた。

 一体いくらくらい持っていけばいいかわからなかったのでおじさまに聞いたら「クレジットカードにしたら?」と言われたが、私のカードのショッピング限度額は最低の十万円。これまでそれで困るようなことはなかったし、カード落とした時に泣きたくないからだ。でも十万円ではさすがに足りないようなので、今日は札束を銀行の封筒に入れて持ち歩いている。これがマネークリップならスマートさ倍増だが、そんなものは当然持ってないし、今日のために買うのはばかげてるし、財布にはそんな札束入りきらないし。

 財布にぎっちりと詰まったレシートをどければそれくらいのスペースがありそうな気もしないでもないけど。

 緊張しながらアプローチの階段を上ると、ガラス張りの扉の向こうにいたスーツの男の人が扉をぐっと内側に引いて開け、優雅にお辞儀をして私たちを迎え入れてくれた。


「いらっしゃいませ」


 ほおーう。ドアボーイですか。すごいすごい。

 心の中でひとり歓声を上げつつ、冷静な表情を保つ。

 眞子を先に入れて後からスッと入ると、滑るように店員さんが近寄ってきた。

 その服装を見て、一瞬この服装で来たことを後悔した。

 あちゃー、店員さんもパンツスーツだ。私の格好、完全に店員さんと同化しちゃう。でもまぁ、いっか。ポジションは秘書的なイメージなわけだし。


「あの、いつもお世話になっている星崎と申します。本人は後から参りますので」


 秘書モードで店員さんにそう言うと、店員さんはああ、と言ってにっこりとほほ笑んだ。


「星崎様の。伺っております。嘉喜様と、鴨志田様ですね」


 えっ。伺ってるって、何を?


「こちらへどうぞ」


 眞子が戸惑った視線を私に寄越すけど、私はただ首を横に振った。

 私も知らんがな。

 とはいえ私までうろたえている場合じゃないので、そっと眞子の背に手をあてて店員さんの方へと促した。店の奥にあるエレベーターに乗せられて、階数表示のボタンまで金ピカしているのを見て私も眞子も緊張でガチガチだ。


「コーディネーターの只野と申します。本日はご来店ありがとうございます」


 金ピカボタンを押しながら店員さんが話しかけてくる。


「あ、ええ。いいえ」


 なんだ。ええ、いいえって。自分で言いながらおかしくなってしまった。

 でも、店員さんは変な顔をするでもなくにっこりとほほ笑んでいる。


「緊張していらっしゃいます?」


 自然な笑顔。馬鹿にされているようではないな。私は案外冷静にそう判断を下した。

 そりゃあそうか、おじさまが「一見さんはお断りの雰囲気の店」を排除して残った店なのだから、とも思う。

 星崎の名前を出したからっていうのも間違いなくあるんだろうけど。


「ええ。すみません。こういうお店は初めてで」


 正直に答えた眞子の話し方はどことなく普段より優雅に見えた。こういう場所は人を少し変えてくれるのかも。いい意味での緊張というか、背筋が伸びるような、そんな感じ。


「そうですか。私も緊張しています」


 只野さんが言う。


「初めてのお客様にお会いするときはいつもそうなんです。お客様にご満足いただけるかどうかいつも不安ですから。初めてのお買い物、お楽しみくださいね。精一杯お手伝いいたしますので」


 うわぁ、いい人だよ、この人。

 一流のスタッフがいるお店は、きっと商品も一流。

 これまた一流なエレベーターが音もなく止まり、私はふっと階数表示のパネルを見て驚いた。


「7F」


 え? このブティック、七階まであった? ホームページには五階までって書いてあった気が。

 見栄を張るためではなく、眞子に恥をかかせないため、今日訪れる店のことは入念に調べて情報を頭に叩き込んであった。

 別の店と混ざっちゃったのかな。うーん。


「こちら、特別室になります」


 私の戸惑いを察したのか、只野さんが眞子を案内しながら私に話しかけてくれた。


「ほかのお客様のことを気になさらずにお買い物ができますから、どうぞごゆっくりお楽しみください」


 ほほーう。

 こんな部屋があるんですか。

 へえ。

 いわゆるVIPルームってやつですね。

 世界が違うね。

 私こんなパンツスーツでいいのかしら。

 いいか、秘書的なポジションだから。

 眞子には「一張羅で来い」と言ってあったのできちんとした服装をしているし。

 眞子の服はきっと超高級ブランド品ではないけど、サイズがきちんと合って、本人に似合っていて、清潔感がある。うんうん、きれい。


「今日はパーティー用のドレスをお探しと伺っていますので、何点かあらかじめこちらでご用意させていただきました。通常は事前にお客様のお好きな色などをお伺いしておくのですが、今回は少し急なお話でしたので色も形も幅広くご用意しています。ご用意したもののほかにも下にまだまだ商品がございますので、ご希望をお伝えいただければ下の店舗からスタッフが持ってまいります」


 ふっと自分の足音がしなくなって、ふかふかの感触にふれた。

 足元を見て驚く。

 わぁ、絨毯。毛足長い。でもホコリとか全然絡まってない。掃除、大変なんだろうなぁ。

 そんなどうでもいいことを考えながら、私は案内に従ってソファーに座った。

 うわ。油断した。

 ふかふかのソファーに体が深く沈み込み、足が浮いてしまう。

 あまりのふかふか具合に、思わず足をばたつかせてしまった。

 うそ、かっこ悪い。やめて。


「ウェルカムドリンクをお持ちしますが、お好みは? シャンパン等もご用意がありますが」


 いつの間にかそばにいたボーイさんに声を掛けられ、私はどうにかこうにか体制を立て直して言った。


「じゃあ、シャンパンで」


 頬が緩んでしまう。

 シャ・ン・パ・ン!

 私はシャンパンが大好きなのだ。

 その単語を聞いただけで小躍りしたくなるほどに。

 お高くて滅多に飲めないというのがまた大好き度を引き上げいる気もする。


「……では、私も同じものを」


 お気楽な私とは対照的に、ためらいがちな眞子。

 私に何か言いたくてしょうがないみたい。まぁ、無理もないよね。ふつう、予告なくこんな場所に連れてこられたら参ってしまう。

 そんな空気を読んでか、只野さんはボーイと共にすっと姿を消した。


「久美、これ、大丈夫なの? 星崎さんって何者なの? 特別室って……」

「星崎さんがすごい人なのは確かだけど、私も詳しくは知らないの。同盟組んだばっかりだから。きっとVIPルームは彼の計らいだと思う」

「あの、それにさっきからなんで久美は私の後ろを……私が付き添いなんじゃ……」

「あ、やっぱり気づいてた? 今日は私、秘書モードなんだ。眞子が主役。星崎さんは……なんだろう、執事?」


 ナイスミドルで物腰やわらか、仕立ての良いスーツときたら執事。そう思うのは、映画の見すぎだろうか。


「どういうこと?」


 珍しく眞子の目が三角になる。うお、ちょっと怒ってる。


「だから、私がここで買い物するの。払うのは私、着るのは眞子」


 私が言うと、眞子はすっと青ざめた。

 あっそういう反応? いや、ごめんごめん。

 私は安心させたくて微笑んだ。


「困らせたいわけじゃないの。うーん。何ていうか、十五年の友情を信じて欲しいなぁ。今日は私のわがままに付き合ってほしい。文句も戸惑いも、全部明日以降に持ち越して欲しいの」

「でも、こんなお店で買い物なんて……着ていくところもないのに……」

「着ていくところはあるよ。今日、着るの。ちなみに、この一軒じゃないから。気に入らなかったらほかにも候補あるし。何なら、全部回ってから一番気に入ったものを選んでもいい。そのために星崎さんが車で来てくれたの。移動が楽なようにって」

「久美。私そんなことしてもらえない。今から帰るわけにはいかないかもしれないけど、それなら私がお金出すし。久美にそんなことしてもらう理由は……」

「あるんだなぁ、これが」


 私はにやりと微笑んだ。


「私さぁ、元来テキトーな人間じゃない? 眞子はしっかりしてるのに。だからさ、誕生日プレゼントとか、クリスマスプレゼントとか、眞子はちゃんとくれるのに私はすっかり忘れてたりして、そのままになっちゃってるのとかあるんだよね。それで、これからもそのテキトーさはおそらく直らないわけよ。だから、これ、全部ひっくるめたプレゼント。その代わり、向こう五十年間私からの誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントは無し。一回分にまとめたと思ってもらえばOK。八十四歳の誕生日にはまたプレゼント再開するから、プレゼントが欲しかったら長生きして」


 眞子は驚いた表情で私をじっと見つめた。

 へへっどうだ。

 絶対に恐縮するに違いない眞子を説得するために、一生懸命考えた言い訳。

 眞子は何も言わず、ゆっくりと目をつぶった。

 これは眞子が考え込むときの癖。


「突然こんなことしてごめんだけど、困らせようと思ってるわけではないの」


 ちょっと声が上ずった。

 眞子はまたゆっくりと目を開け、それから穏やかな顔で微笑んだ。


「わかった。じゃあもう何も言わない。今日は久美の言うとおり、全部ありがたく受け取るね」


 やった。


「その代わり明日以降、覚悟しなさいよ」


 眞子の言葉にへーい、と気の抜けた返事をしたところで、エレベーターから降りてきた人と目が合った。こくりと頷いて見せると、おじさまは満足げに目尻を下げた。

 これが友情なんだよ、タヌキおやじ。

 聞こえてる?

 まじで、首を洗って待ってなさいよ。


「さぁて、選びますか!」




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