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髪を切るとき  作者: 奏多悠香
本編
15/36

14 騎士の勧誘

 次の日、社長から呼び出されて告げられた。三月末の高垣コーポレーションの創立記念パーティーで来季からのタカの社長就任と婚約を発表すると。

 私とタカの婚約云々は、タカには当日まで伝えないらしい。

 タカの抵抗に遭うのが面倒だからだろう。

 タカの結婚なのに。

 もう、むちゃくちゃだ。

 でも、ついに最終決戦の日が決まった。


「それで、相談っていうのは?」


 ラスボス退治に向けて本格的に動き出した私の次なる目標は、姫を守る騎士ナイトを見つけること。あくまでも騎士だ。なんたって王子はもう決まっているのだから。とすると、私はさしずめ魔法使いってとこかしら。

 そんなわけで手始めに連絡を取ったのが、今目の前にいるお上品なおじさまだった。

 騎士候補ナンバー1。

 おじさまは前回会った時と様変わりした私の髪型に度肝を抜かれた様子だったけど、何も聞いてはこなかった。とってもジェントルマンだから、女性が髪を切る理由なんて聞かない方がいいと思ったのかも。


「あの……ご相談と言いますか…実は少しお願いがありまして」

「そう。どんな?」

「三月末の高垣コーポレーションの創立記念パーティーには参加されますか」


 これは質問ではなく、確認。


「うん。参加するけど」

「同伴の女性はもうお決まりですか?」

「いいや。特には誰も」

「そこへ私の友人をお連れいただくわけにはまいりませんか」


 私がこのおじさまを選んだ一つ目の理由。

 それは、未婚で特定のパートナーがいないこと。パーティーに女性を伴って現れることもあったが、いつも違う女性だった。

 そして、パーティーでいつ会っても、丁寧で人の話にじっと耳を傾けてくれるその人柄も大きなポイント。私はただの秘書なのに、軽んじることなくレディーとして扱ってくれる。とにかくジェントルマンなのだ。


「お願いって、それだけ?」


 私はうなずいた。


「お願いしたいことは、それだけです」

「そう。その女性はパーティーには慣れているの?」

「いいえ。ですから星崎さんにエスコートをお願いできたらと。そういう華やかな場はおそらく初めてですし、遠慮がちな性格ですから」

「その子はパーティーに参加したがっているの?」

「いいえ。おそらくは嫌がると思います」

「つまり、無理矢理連れて来るってこと?」

「その通りです」

「何のために?」

「内緒…というわけにはいきませんか。事情がちょっと込み入っていまして」

「よく知らない女性を何の為かもわからずパーティーに連れて行くって、おかしくないかな。しかも本人がそこに行くことを望んでいるわけでもないんでしょう。せめて事情を教えて欲しいな。そうしないと簡単に返事はできないよ」


 やっぱり、そうだよね。


「……あの、これから言うお話、星崎さまの胸にしまっておいていただけますか?」


 このおじさまを選んだ二つ目の理由。口が堅い。

 それを私は身を以て、知っていた。

 私がタカについて社外に出て行き始めた当初、広いパーティー会場でタカを見失ってしまったことがあった。慣れないドレスを着て気が張っているし、周りは知らない人だらけ。なのに、背がデカくて無駄に覚えやすい私の姿を見てタカの秘書だとわかってしまう人が多く、向こうから話しかけてくるのだ。たぶん会ったことのある人なんだろうけど、名前が思い出せない。あなた誰ですかなんて死んでも聞けないので、わかった風を装いながら会話をする。苦痛だった。みんなが優雅に会話を楽しんでいる中、私はどうしたらいいかわからなくて半ベソをかきながらトイレに逃げ込もうとした。タカ、どこだよぉ。


『嘉喜さん? もしかして聡史くんとはぐれたの? 一人じゃ心細いでしょう』


 そう言っておじさまが声を掛けてくれた瞬間、半ベソは本格的な涙になった。人間ってのは安心すると涙が出るらしい。そいで、鼻水まで流しながら泣きだした私におじさまはポケットチーフを恵んでくれて、そっと人ごみから外れたところに匿ってくれた。おじさまのポケットチーフで鼻と涙を拭いた私は、年甲斐もなくおじさまに手を引かれてパーティー会場に戻った。そして、私を心配してヤキモキしていたタカに、おじさまはさらりと「素敵な秘書をちょっとお借りしちゃったんだ。ごめんね」と言って、私が迷子になったことも、泣いたことも、内緒にしておいてくれた。

 今なら平気で「迷子になっちゃったよアハハ。人の名前思い出せなくてヤバかった」と言えるだろうが、当時は今よりずっとずっと若くていつも気が張っていた。自分の失敗を許せなかった。だから、おじさまの気遣いはすごくありがたかった。

 それ以来私はこのおじさまに勝手に懐いて、パーティー会場で見かけるたびに寄って行って話しかけていたのだ。まぁ、二人で食事に行ったことなんてもちろんないけど。

 私はルール違反を承知で、仕事で受け取ったおじさまの名刺に書かれていた直通電話の番号に電話を掛けた。


 ――個人的なことでご相談があるのでお時間を作っていただけませんか――

 その余りにも不躾なお願いが聞き入れられる可能性なんてほとんどなかったけど、おじさまは詳しく事情を問うでもなく快諾してくれた。

 目の前のおじさまがうなずいたのを確認して話を続ける。


「高垣のことなんですが」

「高垣って、どの高垣? 社長の方? 専務の方?」

「あ、専務です」


 まぁ、社長もかなり関係あるわけですが…。

 ふうん、とおじさまは眉を上げる。


「聡史くんね」


 このおじさまは、タカを幼いころから知っている兄貴分。大手の証券会社で役員をしているバリッバリのエリート。もともとは世界的に有名な家電メーカーの創業者のひ孫なんだけど、その会社はお兄さんが継いでいる。おじさまは大学卒業後から外資系の証券会社で働き、実力で今の地位までのし上がった凄腕。


「彼の結婚のことで……」

「結婚って、君と聡史君の?」


 おじさまの言葉に私はびっくりして椅子から転げ落ちそうになるほど動揺してしまった。こんなきれいなレストランでそんな失態をおかすわけにはいかない。


「いいえ! とんでもありません! 私ではありません」

「あれ、聞いていた話と違うな」


 おじさまは肩をすくめた。

 くそっあのプレイおやじ、もうこの人に話したのか。どこまで広まってるんだ、私とタカの婚約話は。この計画が終わったらその火消しに奔走しないといけなくなるのか。


「……事情が込み入っておりまして。でも、私ではないんです」

「じゃあ、なぜ君が来るの」

「専務の恋人のことはご存じありませんか」

「篠原さんのところのお嬢さんでしょう。もう破談になったけど」


 私は思わず苦笑した。

 おじさまの言葉に対してではなく、自分に対して呆れたから。

 そういえば専務の直近の恋人はあのお嬢様だったのに、私の中ですっかり抹消してしまっていた。


「篠原さんではなく、実はそれ以前に専務とお付き合いをしていた女性がおりまして。その女性が私の大学時代からの親友なんです」

「ああ、そういえば嘉喜さんは聡史くんと大学の同窓だったね。じゃあ、その女性と聡史くんも大学で出会ったということかな」

 

 私はうなずいた。

 そして、事情を最初からひとつひとつ説明した。

 社長の反対のこと、ずっと戦ってきたこと、それでもだめで、互いの幸せのために涙を呑んで別れたこと、篠原さんとの婚約のこと、破談のこと。社長からのお願いのこと。それに乗るふりをして、裏で工作活動をしようと決意したこと。

 ふんふん、とおじさまはうなずきながら聞いてくれる。

 話し終わると、おじさまは私の目を覗き込むようにして言った。


「親の反対で結婚できない…そういう話は、我々の世界では全く珍しいことじゃない。それは嘉喜さんも知っているでしょう?」

「ええ」

「この手の話が尽きないのには理由がある。親に結婚を反対されて親の決めた人と結婚せざるを得なかった人が僕の周囲にもたくさんいる。彼らが誰も抵抗しなかったと思う? もちろん最初からあきらめていた人もいたが、精一杯抵抗した人もたくさんいる。駆け落ちをした奴もいたな。ただ事実として、大半が結局は親の決めた人と結婚している。なぜだと思う?」

「……親を捨てられなかった?」

「そうだね。それにね、結婚は二人の問題では終わらない。子供が生まれれば子育てをする。子育ては夫婦でするものだ。二人の育ってきた環境があまりにもかけ離れていると、子育て中に溝が生まれやすい。駆け落ちして子供まで生まれたのにその後戻ってきた奴もいた」


 ああ、もう聞きたくないな。この話。


「耳が痛いだろう。でもそれが現実なんだ。駆け落ちをして親を捨てれば、ずっと親を捨てたという荷を背負って生きていくことになる。親の反対を押し切って結婚しても、どこかに互いにわだかまりをかかえたまま夫婦生活をスタートすることになる。茨の道なんだよ。もちろんそれを乗り越える人もいるだろう。だが、多くの人が最後には諦めるんだ。親の決めた相手でも、相手に一定程度の好意を持つことができて、互いを尊重できるならそれでいいんじゃないか、と。どうしても恋が忘れられなければ、それは結婚の外ですればいいと」

「つまり愛人ということですか」


 おじさまは答えなかったが、目の動きでそうだ、と伝えてくる。

 私は無性に泣きたくなった。

 なんだ、このおじさん結構好きだったのに。この人まで、社長と同じようなこと言うのか。

 お互いのことが大好きな一組の男女がいます。

 結婚を互いに望んでいます。

 なのに、結婚できません。

 親が、反対するから。

 ロミオとジュリエットの時代から、恋の障害は何も変わっていないのか。


「……こうは、思いませんか」


 家柄なんて、不確かなもの。

 先祖の誰かが頑張って築き上げてくれたもの。

 どんな金持ちだって、石器時代から金持ちだったわけじゃない。江戸だか明治だか大正だか昭和だか平成だかわからないけど、どこかの時代で先祖だか自分だかが頑張って築き上げたんだ。その頑張った「最初の一人」の先祖は尊敬に値するし、それを維持する苦労だってあっただろう。

 でも、そのことで貴賤が変わるわけない。

 誰もがその頑張った「最初の一人」になりうるはず。

 私が頑張って「最初の一人」になれば、3世代くらい後にはすごい家柄になってるかもしれない。豪邸に住んで、うちわでひらひら扇がれながらトロピカルジュース飲んでるかもしれない。


「……それなのに、家柄こだわるなんて、馬鹿げているって。本人を見てふさわしくないと言うなら、わかります。価値観が合わないというのも、反対の理由としては妥当でしょう。でも、本人を一切見ず、会うこともせずにその背景にばかりこだわるのではおかしいのではないかと」


 そう言ってから、おじさまの目を見つめ、うつむいた。

 自分よりはるかに人生経験の豊富そうなこのおじさまを相手に偉そうな言葉を垂れたのがたまらなく恥ずかしかったのだ。


「そうだね。私がさっき言ったのは、あくまで一般論だよ」


 ふいに付け足されたおじさまの言葉に顔を上げる。


「でも僕はその考え方があまり好きじゃなくてね。だからこんな歳まで、独身でふらふらしてる。親の決めた人と愛のない結婚はしたくなかったからね」

「じゃあ……」

「それでもやっぱりまだわからないなあ。なんでその子をパーティーに連れて行こうとしているのか」

「一つは、専務の尻に火をつけたいというのがあります」


 なるほど、とおじさまは笑う。


「うかうかしてると連れ去られちゃうよ、というプレッシャーってことね」

「はい。それともう一つは、そこをラスボス退治の場所にしたくて」


 その日に決着をつけなければ、タカと私の婚約発表という意味不明なことになってしまう。まぁ、そんなことになったらトンズラするけど。


「ラスボスね。穏やかじゃないねぇ。ボスは誰なのかな」

「お聞きにならない方がよろしいんじゃないですか」


 まぁ、話の流れからしてバレバレだろうけど。

 おじさまは一つ小さくため息をついた。


「どうせ高垣社長でしょう。僕はあの人嫌いじゃないんだけどね」

「眞子と…私の友人と専務の結婚に反対しているだけなら、親心というのもあるでしょうし、別に敵とまでは思っていませんでした。それでも十分に憎かったですけど」

「他にも何か? あぁ、僕の口の堅さは信頼してもらって構わないよ。噂話に花を咲かすほど子供じゃないしね」


 私の顔を見て付け足す。

 私は一瞬戸惑った。話してもいいことだろうか。デリケートな問題だし。この話を不用意に広めたくなかったから、私は一人で戦うことにしたのだ。

 でも、このおじさまなら……

 それに、名前を出さなければ……

 私は覚悟を決めて息を思いっきり吸い込むと、一気に吐き出すように言った。


「私の後輩が社長の子供を妊娠しています。だけど認知はしないと言われたそうです。眞子は私生児です。社長はそれを理由に眞子と専務の結婚に反対し続けて来たのに、自分はそんなに無責任なことを。同じ職場の人間として許せないし、女性としても許せません。その上専務に向かって、好きな人がいるなら愛人にしろ、自分もそうしてきたんだ、とおっしゃったのが許せなくて。専務と私を結婚させようとしておきながら、私の親友を愛人にしろなんて、人の気持ちを何だと思っているんだと」


 後半はもう、完璧にタヌキおやじの悪口になってしまった。

 しまった、冷静に話そうと思っていたのに。


「それは……聞き捨てならないね」


 おじさまの顔色がふっと消えた。

 柔和な笑みをたたえていた顔がこわばり、瞳が鋭い光を放つ。


「高垣社長の、ビジネスパーソンとしての手腕はすばらしいものと伺っていますし、私もその通りだと思います。でも、それと私生活の問題は別です。四月に専務が新社長に就任するのを機に、社長には清算すべきことはきちんと清算していただきたいと思っています。そして、眞子と専務の結婚をみとめていただきたい。それが私の望みです」

「なるほどね」

「……お願い、できますか?」


 私は真剣な目で訴えかける。


「それで?」


 えっ? 今ので一応話終わったんだけど。

 それで? って何だろう。


「僕、それ、何も得るものないよ」


 えっ。


「ギブアンドテイクが基本でしょう」

「わ、私にできることなら何でもします」


 勢いで安請負をしてしまったが、変なことを頼まれたらどうしようと内心気が気じゃなかった。


「パーティーって確か土曜だよね? その日は仕事あるの?」

「ありません」

「じゃあ、朝からちょっと付き合ってよ」

「あ、でもその日は朝から眞子を変身させないといけないので」


 グリム童話のシンデレラみたいに魔法をかけてくれる魔女はいないから、その役は私がするのだ。


「パーティーは夜だろう? 変身に朝から夜までかかるの?」

「ドレス買ったり、バッグ買ったり、靴買ったり、エステで肌みがいたり、脱毛したり、髪セットしたりするのって時間かかるんです」

 おっと、脱毛は言わなくてもよかったかな。


「君は? その間どうするの。つきっきり?」

「はい。その予定です」

「エステの間も? 君も一緒に肌みがくの?」


 まさか。そんな金ありません。一人分で精一杯です。

 そう口に出すのがはばかられたので、それっぽい理由を口にした。


「いいえ。私は読まないといけない書類を持っていこうかなぁと思って」


 眞子の変身が楽しみでどうせ書類なんて頭に入ってこないに違いないけど。


「じゃあその日、書類の代わりに僕と時間つぶさないか」

「えっ」

「眞子さんの変身、僕も見届けたいからね。付き合うよ。僕も朝から暇なんだ」

「えっ」

「だって、楽しいじゃない。一人の女性が思いっきり変身するんでしょう? 実は、テレビの変身番組みたいなの結構好きなんだ。人間ってこうも変わるんだなぁと思って。見た目が変わると不思議と姿勢までよくなったりするでしょう。あれ、身近で見てみるのちょっと夢だったんだ」


 ――あなたくらいお金もあってダンディーなオジサマなら、その辺の女の子に声かけて変身させてあげるって言ったらついて来るでしょうに。


 と思いつつ、ありがたい申し出だったので「星崎さんがそれでいいなら」と答えておいた。

 それにしてもこれが交換条件でいいのだろうか。

 おじさまからすると全然テイクできてないと思うんだけどな。


 ――あっもしかして…


「星崎さんって、お好きな映画に『マイ・フェア・レディー』が入っていたりしませんか?」

「入ってないよ。むしろ君が好きなのかと思ったよ」

「私が好きなのはシンデレラです。だから、最終決戦の場は夜会に美しい衣装、見違うほどの大変身、と相場が決まってるんですよ」


 はじけるようなおじさまの笑顔は素敵だった。




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