表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
髪を切るとき  作者: 奏多悠香
本編
13/36

12 ターゲット


 ――何か最近キレイになった?


 そう言われるたびに小首を傾げてはんなりと「ありがとう」。

 そうこうしている内に、専務と御嬢さんの婚約解消のニュースが社内に広まった。

 婚約解消と時を同じくして変身していく専務秘書。

 私が何も言わなくても、そこに何らかの因果関係があると睨む人がちらほら出始めた。


「ねぇ、嘉喜さんもしかして恋人できたの?」


 そういう問いに、私は敢えて曖昧に微笑むだけで答えなかった。

 専務とはもともと仕事でべったりご一緒だが、最近は人前ではなるべく専務と仲睦まじく見える感じを演出しておいた。


「専務、今日のお昼ご飯何になさいますか?ご希望があればご用意しますよ?」


 こんなこと、今まで言ったことない。

 最初はタカも「熱でもあるんじゃないか?」とか言って随分と気持ち悪がっていたが、そのうちどうやら私に彼氏ができたのだと思い込んだらしく、「彼氏ができて浮かれている三十路女には触れないでおこう」というスタンスで生暖かく見守ってくれるようになったおかげでとてもやりやすかった。

 ところがまぁ、世の中そうは甘くない。

 若き専務を狙う女性は多いのだ。

 篠原美優は綺麗で若かったし、お見合いで決まった婚約者だったから誰も手出しをしなかったが、私は違う。

 専務の周りをうろつく大して美人でもない三十路秘書に、鋭い視線が突き刺さった。

 聞えよがしに悪口を吐かれることも増えてきた。


 ――背がデカいだけで大してスタイルがいいわけでもないくせに。

 ――全然美人じゃないのに、調子のって。


 よーしよしよしよし。

 私は視線と言葉のシャワーを喜んで受け止めた。

 今なら耳元で罵詈雑言を吐かれてもたぶん笑顔でいられるだろう。

 悪口の大半は事実だし、これは私の狙いどおりだったから。

 社長の熱い視線も女性たちの鋭い視線も全部一手に引き受ける。

 タカにべったり張り付いて周りの女を牽制し、デカい態度で威嚇して周囲の悪い虫を蹴散らし、社長には縁談を持ってこさせないようにする。

 外野にお黙りいただき、その裏で本当の計画を進めようという作戦だ。

 とりあえず、視線を集めることには成功した。

 みんな、せいぜい、この替え玉に踊らされていなさいよ!本命には誰も気づいてないわ!

 平手打ち事件は忘れ去られ、今や眞子は完全にノーマーク。

 おほほほほっほほほほっほ!

 心の中は窒息しそうなほどの大爆笑だ。

 と心躍らせていたら、本当に窒息するほど息をのむことになった。

 会社帰りの駅の階段を転がり落ちたのだ。

 直前に誰かの手が背中に当たったのは間違いない。

 おぉ、コワ。

 これが眞子でなくて本当にほっとした。

 私は体がデカくて骨格もしっかりしているし、自分で言うのも何だが人並み外れた運動能力を持ってる。押されて宙に浮いていながらも体を反転させて被害を最小限に食い止めたのは、小さい時に習っていた器械体操のおかげだと思う。

 結局被害は右足の骨一本のヒビ。

 お医者さんには全治三週間と言われたが、そんなものは気合いと煮干しで縮めてやらぁ。

 しかし、痛いのなんのって。

 会社帰りだったので保険が下りたのがせめてもの救いだったが、せっかく楽しんでいた変身はすっかり元通りになってしまった。

 風呂に入ったり着替えたりで手いっぱいなので毎朝胸を「ヨセテ・アゲテ」する時間的精神的余裕なんかなく、体への負担が最小限の「のびのびリラックスブラ」に逆戻り。

 太陽礼賛のヨガも、主に足を使うポージングだったのでできなくなった。

 もちろんピンヒールもお預け。ギプスはめてくれたお医者さんに「左足ピンヒール履きたいんでギプスの高さそれに合わせてもらえませんかね」って言ったら子供をあやすように「ちょっとの間、我慢してねぇ」と言われたので、あきらめた。

 ちっ

 体の自由が利かない上にこんな妥協を強いられて、まったくもって不愉快だ。通勤も楽じゃない。

 ストレスがたまりたまって、始業前にタカの部屋でつい舌打ちをこぼした。


「お前、相当ストレスたまってんなぁ。やっぱり大変だろう、怪我」

「全然大したことないよ」


 ああ、私の口はなんでこんなに素直じゃないんだろう。私の精一杯の強がりにタカはおかしそうに笑う。


「相変わらずだなぁ。でも最近楽しそうだよな、久美」


 ええ、おかげさまで戦い方が定まって来たんでね。

 まだまだ、これは序の口なんすよ。今ちょっと裏の計画を練り練り中だから、首を洗って待っとけよ! いやまぁ、戦う相手は主に社長で、タカじゃないんだけどさ。


「あのさぁ、大変だろうし、会社の行き帰り、送ってやるよ」


 ……はい?


「車で。送ってやるって。松葉づえでひょっこらひょっこらしてんの見るとちょっとあれだからさ。それで電車乗るの大変だろ。どうせ帰り道だし、お前の家」


 何てありがたいお言葉! 汗だくで松葉づえを小脇に挟んで通勤バッグ持って動きにくいスーツって、拷問みたいに大変だったんだ。


「本当に? いいの? ありがたい!」

「おっめずらしく久美が素直」


 なんだ、人を天邪鬼の権化みたいに。いや、間違ってはないけど。


「あと、会議の書類とかも移動中はできるだけ俺が持つから、なるべく体に負担ないようにして早く治せよ。治るまでは外の仕事は俺一人でテキトーにやっとくから。どうしても必要なら白雪さんに手伝ってもらうし」


 白雪さんってのは秘書課の後輩。すごい美人でいい子なんだなぁ。

 優しいタカの言葉にうんうん、ありがとう、と返す。

 かくして私は会社の行き帰りを専務の私用カーで送り迎えしていただくこととなり、社内を歩くときもかいがいしく私のお世話をする専務の姿がたびたび目撃され、羨望のまなざしは今まで以上に突き刺さることになったのでした。もうね、計画がうまく運びすぎてコワいくらいですよ。いや、足のヒビは計画外だけどさ。これもうまく転んだし、怪我の功名ってやつだわ。

 そういや、誰なんだろ。私の背中押したやつ。見つけたら絶対復讐してやるのに。まぁ、もう見つかりっこないよね。一応警察に「背中押されたような気がします」とは言っといたものの、犯人探しはあきらめていた。だって何の手がかりもないもん。


「ねぇ、なんでタカ、あの御嬢さんと婚約解消したこと黙ってたの」


 送ってもらう車内で疑問に思っていたことをぶつけると、タカは苦笑しながら言った。


「言おうとしてもお前が聞く耳もたない感じだったし、親父が乱入してきたから言い出せずに終わったんだよ」

「で、なんで婚約解消されたの。何かしたわけ」

「いや、理由は内緒」


 ちぇっ。何だよ、面白そうなのに。タイミング的に、眞子の平手打ちが関係してんのかなぁとか思ってたけど。教えてくれないのか。

 まぁ、よかったんだけどね。

 あの御嬢さんとの婚約が解消されたからこそ私はこうして色々新たな戦い方を見いだせてるわけで。婚約関係が続いてたらたぶんちょっと前みたいに髪切ったりゴネたり拗ねたりする以上には何もできなかったと思うから。


「で、タカ、どうするつもりなの。眞子のことは」


 こいつの涼しい顔の裏でどんなことを思っているのかてんでわからない。 聞いても教えてくれないことはわかってるけど。


「久美に話すわけないだろ」


 即答だった。


「何でよ。私だからこそ、話しやすいでしょうに」

「いや、話さないよ。でも、色々考えてるところだ」


 ふーん。


「眞子のことは好きだよね?」


 一応、確認しとくことにした。


「当たり前だろ。それだけは一生変わらないよ」


 あら、答えが眞子と同じ。

 私はぷぷぷと笑った。

 この「主演かきくみこ大作戦」を開始する前に、眞子には一応「これから私タカと仲いいフリとか色々するけど、なんでもないから、気にしないでね」と言っておいたのだ。

 眞子は少し驚いたようだったけど、すぐに笑ってこう言った。

「またおかしなこと考えてるんでしょう。止めても無駄だってわかってるし、久美のことは信用してるけど、あまり無茶しないでよね。心配だから」

 十五年間の信頼関係って、こういうものだ。

 そして私の「ねぇ、眞子はタカのこと好きだよね?」という質問に、悩むことなく「それだけは一生変わらないわよ」と答えたのだった。

 やっぱりこの二人、お似合いだ。この二人のためになら、一肌でも、二肌でも脱ぎますよ!

 ……その前にとりあえずギプス脱ぎたいけどねぇ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ