第9話 小春くんとエイルさん
エイルさんの部屋へ着き、僕に果実のお茶を淹れてくれた。
湯気の中に、ほのかに甘い香りが漂う。
「熱いからやけどしないようにね」
「……はい」
エイルさん――まるでお母さんのよう。僕は子供扱い、だよね。
「ユウ。最近すごく落ち込んでいるように見える……。
こちらへ来て……帰りたいという気持ちが強くなっているんじゃない?」
スクルドさんの話を訊きに来たんだけど。何故かエイルさんは僕に、そんなことを言い出した。
「帰りたいです。でも前島くんと話した通り、やることをやる。それだけです……。
ただそのやるべきことが何なのか…それがわからなくて焦っているのかなぁ」
それは僕の本当の気持ちだ。
「誰かに何か言われたの?」
エイルさんは、それだけでは納得がいかないようだ。
「何も言われてないですよ。スクルドさんに言われたくらいで……」
僕はエイルさんに遠まわしに、スクルドさんの話をしてくれるように答える。
「ユウは本当にわかりやすいの。ひどく悩んでいるように見えるわ」
「僕…お子様ですからね」
自分への皮肉。でもそうなんだと思う。エイルさんにしても――前島くんにしても。
そんな僕の愛想笑いを、エイルさんは悲しそうに見つめた。
「……大好きなユウがそんな辛そうな顔をしていたら…私も辛いわ」
「僕は……エイルさんに何もしてあげられません。僕は子供だし」
すごくネガティブで、自分でも頭にくる台詞。でも本当に――そうなんだよ。
「私はそうは思わないわ。私を護ってくれた。初めての空中戦でも逃げないで戦った。
あなたはとても勇気がある人だわ。大好きな私の「運命の相手」。
私はユウと出会えたことを誇りに思う。本当に良かったと言える。
ただ……あなたの世界に連れて行ってほしいと言ったことは…わがままだったと反省してる」
また。ブリュンヒルドさんの話が僕の中で蘇る。
僕はどうしたら――エイルさんに応えてあげられるのだろう?
「僕もエイルさんが大好きです。
でも……僕は前島くんがミストさんに言ったように、自分の世界について来てくれなんて言えない。
責任を取れるかもわからない。僕は……エイルさんを大事にしたいのに、どうしていいかわからないんです」
「それが…ユウの悩みだったの?」
そんなことを急に訊かれて。僕は返答に困ってしまう――どうして僕はこうわかりやすいのだろうかと。
「……そのことで悩んでいてくれたのね。すごく……嬉しい」
え?エイルさんはそう囁いて微笑んで――ソファに座る僕を優しく抱きしめてくれた。
「エ…エイルさん?」
「相手を好きになるのに理由はいらない。私はユウが大好き。そして今は、もっと好きになった……」
僕が何かを言う前に、エイルさんは自分の唇で僕の口を塞いだ。
「……そう。隊長がそんなことをユウたちに話していたのね」
ここへ来たばかりの時とは違う――その――「大人のキス」とか言うんですか?
それを初体験した僕は勢い任せに、初日にブリュンヒルドさんが語ってくれたことを、エイルさんに話してしまった。
つくづく僕は――情けない。
「ねぇ…ユウ」
エイルさんは僕の額に、自分の額をくっつける。
「……私は確かに……姉さんを死に追いやった「エインヘリヤル」を嫌っていた。
でも今は違う。ユウに出会えて、ユウを知っていく度に好きになって。
今は少しでも離れていると、気になって仕方がない。
あなたの傍にいたくて…ずっと傍にいたくて我慢出来なくなる。
ユウが嫌じゃなかったら……そうしていい?」
「え……でも…あの」
もう――何も考えられなくなってるよっ。どうしてこんな展開になるのっ!?
「駄目?ユウは私が嫌い?」
「そ……そんなことあるわけないですよっ」
僕の勢いに、エイルさんは驚いて一度、僕から離れて――そしていつもよりもっと優しげで、嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
エイルさんはやっぱり笑顔がすごくよく似合う。僕は場違いにそんなことを思っていた。
「……よかった。なら……ずっと傍にいてもいい?」
「あ……はい」
なんか流されているような気もするけど――なんか僕もそうしていたい。
「ありがとう……ユウ」
エイルさんはまた僕を抱きしめた。
――あぁぁ。もぉぉ。どうにでもなれっ!!
だからと言って、それ以上エイルさんと何かあったわけじゃない。
何を期待したのだろう――僕は。
エイルさんは、冷めてしまったお茶を淹れ直してくれた。
「先代の「エインヘリヤル」の話は聞いた?」
「六十年前ぐらいに……三人いたって。その時は「アルフヘイム」の「ヴァルキュリア」さんたちが対応したとかなんとか。そんな感じで聞いてます」
「……そう」
エイルさんは僕の隣に座ると、カップを手に持って話し始めた。
「その時の「エインヘリヤル」は男性二人。女性が一人だったわ」
「女性も……「エインヘリヤル」になるんですか?」
「そうよ。男女関係はないの」
笑顔のエイルさん。ここに僕は、どうしても解決しないといけない疑問が湧いた。
「あの……女性は「エインヘリヤル」の場合…やっぱり「運命の相手」として「ノルン」となる「ヴァルキュリア」さんが…いるんですか?」
「えぇ、そうよ。ユウが知りたいのは……「婚姻の儀式」のことかしら?」
「あ……はい。そうです」
エイルさんは可笑しそうにくすくす笑って。僕はすごく恥ずかしい気持ちを我慢していた。
「それはない。同性同士だと「婚姻の儀式」は意味をなさないわ。
でも互いに必要と認めた「親友同士」となれると、「婚姻の儀式」と同じ意味を持ってくる。気持ちが大事になってくるのね、きっと。女性が「エインヘリヤル」の場合は、少し時間がかかるかもしれないわね」
「……そうなんですか」
なんか変だな――「エインヘリヤル」って。
「その時私は「ヴァルキュリア」になりたてで、「アルフヘイム」にいたんだけど。
直接、彼らとは行動を共にはしなかった。
でも色々話はしたわ。どんな連中なんだろうと、変な興味はあったから」
「どんな感じの人たちだったんですか?」
僕もとても興味はある。
どんな人たちが「エインヘリヤル」になるのか。
「……「かなだ」という国から来たと言っていたわ。
「だいがく」という「がっこう」に通っているとかね。三人は「こうこう」からの友達だとか。ユウやトオルと同じで…とても優しくていい人たちばかりだった。
私の姉の時とは大違いの。戦闘経験はなかったけど、この世界にいた二年の間に、目に見張るほどの成長を遂げた。
そしてその力に溺れることなく、三人とも勇ましい立派な「エインヘリヤル」になっていったの」
「……二年も。それでもその人たちは頑張っていたんですね」
「えぇ。今のユウと同じようにいろんなことに悩みながら、それでもとても頑張った。
「ミズガルズ」という違う世界から来たのに、この世界のために本当によく頑張ってくれた……」
「それが…スクルドさんと、どんな関係が?」
僕がそう尋ねると、エイルさんは形の良い眉を眉間に寄せた。
「直接彼らに関わったのが、スクルド副隊長だった。
その時は彼らを預かった「ガウド」隊という、「ヴァルキュリア」の小隊長という立場で。
彼らの「ノルン」ではなかったけど……ユウの立場でいうならブリュンヒルド隊長のような感じね」
「……その頃からすごい人だったんですね、スクルドさんって」
「そうね。でもその時は、今と違ってとても優しい人だったわ」
えぇ?想像がつかないけど――?
「スクルド副隊長は、その三人のうちの一人、「アーサー」という青年と特に仲が良かった。
お互いに一目惚れだったみたいで……副隊長とアーサーは急速に仲良くなっていった」
「……でも…そのアーサーとかいう人には「ノルン」はいなかったんですか?」
「いたの。それが問題になったのよ。
アーサーの「ノルン」になった「ヴァルキュリア」も彼を愛したわ。
でもアーサーは副隊長を愛していた。だから自分の「ノルン」とは、「婚姻の儀式」を結ばなかった」
泥沼の三角関係――というわけか。怖い世界だな。
「そしてアーサーは、戦いの途中でスクルド副隊長を護るために……命を落とした」
「……死んでしまったということですか?」
「そう……これは彼の「ノルン」となった者にとっては、もっともやってはいけない事だった。
「エインヘリヤル」を死なせてしまうことは、「ノルン」にとって、自分の死よりも恥じるべき事……とされているから」
「…何ですか、それ?」
何だよ。その馬鹿みたいな話は?
僕はじっと――責めるようにエイルさんを見てしまった。
エイルさんは苦笑し、僕を申し訳なさそうに見返した。
「私たち「ヴァルキュリア」は、「ユグドラシル」世界を治める全知全能の神「オーディン」に仕える巫女であり戦士。その命はオーディンと共にあるわ。
その「オーディン」に選ばれし誉高き勇者を死なせてしまうことは、私たちにとって「神への冒涜」にほかならない。もっともやってはいけないことなの」
「そうなのかもしれないけど……でも、僕は納得がいかないっ。
だってそれはエイルさんたちのような、「ノルン」が代わりに死ぬことかもしれないんですよね?そんなの、僕は嫌ですっ!!」
「だから……私はあなたが大好きなの。ユウ」
「エイルさん?」
エイルさんの緑色の瞳は、僕だけを映し出して――。
「あなたは私たちのような「柵」はないはずなのに。そうやって他の人のために真剣に悩んで、動いて。それはとても素晴らしいことだと思うの。違う、ユウ?」
急に話の矛先が僕に向いた。
僕はその展開にすぐについていかれない。
「え……それは」
「きっと、トオルもあなたのそういうところが気に入っていると思うわ。
それはとても勇気が必要で、とても大事なこと。そして姉の「エインヘリヤル」たちに欠けていたところ。ユウは初めから私にそれを見せてくれた。
そんなあなたが、私の「運命の相手」だということがとても嬉しかった。
アーサーもそういうところがあなたとよく似ていたわ」
「そう…なんですか?」
「えぇ。スクルド副隊長もそんなアーサーが大好きだったと思う。
それに……副隊長は今だに「ヴァルキュリア」をやっている…どういうことかわかる?」
「アーサーさんとは、何の関係もなかった……愛し合っていたのに。ということですか?」
「そう。アーサーはそんな性格をしていた。
今のあなたもそっくりね」
「……そうかなぁ?」
「だからスクルド副隊長は怖いのよ、きっと。あなたがアーサーのように、誰かを護って死に殉じてしまう事が。そして私も……それが一番怖い。
「ノルン」だからとかいうんじゃない。あなたを失いたくない。
ただ…絶対に嫌なの……あなたを失ったら、きっと私は生きてはいられない。
この気持ちがどう言う意味か……わかる?」
僕にすがるように見つめてくるエイルさん。
「……僕が…好きだから?」
「そうよ。大好きなの……だから、嫌なの」
「僕だって…エイルさんを死なせるなんて絶対に嫌です。
護りたい大事な人ですから……」
「ありがとう、ユウ。
そんな大事な人を失ったスクルド副隊長は……それから人が変わったように、自分にも他人にも厳しい性格になってしまった。でもそれは、もう自分が関わった誰かが死ぬことがないように。犠牲になることがないように。
厳しく接して、戦う術を学びとってもらおうとしている……私はそう考えているわ」
「あ……だから」
スクルドさんが神様に問いかけていたのは――そういうことだったのか。
「ユウやトオルへあんな厳しいことを言ったのは、たぶんそのせい。
自分が憎まれても、生き延びる糧になってくれれば。あの方はそれでいいと思っているのかもしれない。それはアーサーや、その「ノルン」となった者への償いの意味も込められている……そう思うの」
なんて悲しいんだよ――。「ヴァルキュリア」って――「ノルン」って。
僕の表情は自然と歪んでしまう。それに気がついたエイルさんが、僕の手を握ってきた。
「ユウ。悩んでいるあなたへ、こんな話はもっと悩ませてしまうかもしれない。
でも……今度から私にも一緒に悩ませてほしい。
あなたの傍にいたいということは、そういうことでもあるのよ」
「じゃ……僕もエイルさんに同じことを、お願いしていいですか?」
「ええ。分かち合いましょう。だから……これからは何でも話してね。お願いよ」
でもこの時。エイルさんは「エインヘリヤル」と「ノルン」の関係で、一番重要な話を僕に隠していたんだ――。
けれど、この時の僕はそれを感じ取る余裕はなく。
抱きしめてくれるエイルさんへの思いをより強くして――それを貫こうと決意して。
今度、僕からスクルドさんに話をしよう。
そして色々教えてもらおう――より強くなるために。そう考えていた。