第8話 前島くんと「相談」
「……はぁ」
あれから三日が経った――。
僕は一体、何をしているんだろう?
前島くんと話し合い、ゲキの世話を僕が。フレキの世話を前島くんがやることになった。
それはいい。――でも、ゲキ。どうして君はそんなに僕のことが好きなの?
僕が竜舎に近づくと、例の猫の発情した声より野太い声で僕を呼び、僕の姿を見ると大騒ぎ。
竜舎から出すと、僕の傍から離れない――僕は君に何をしてあげたっけ?
フレキの方は、とても落ち着いていて――躾も行き届いてる、って言うのかな。
優等生っぽいドラゴンなんだけど。
ゲキはどこで間違ったかなぁ?
異世界に来てまで、僕は本当に何をしたいんだろう?
本当にわからなくなってきた。
この日も。ブリュンヒルドさんたちはまた聖地へ、魔物退治に行っている。
僕が大きなため息をついたのを見て、前島くんが「大丈夫か?」と訊いてきた。
今は休憩中。
ゲキとフレキの竜舎は大きいので、掃除はとても大変だ。
その清掃作業を終え、僕らは一休みしていた。
「ねぇ、前島くん。僕らは何のために……オーディンという神様にここへ呼ばれたんだろうね?」
「さぁ…俺にはわからんが……これも修行のひとつと考えれば、腹もたたんさ」
そうか。この男――修行大好き野郎だったわ。
訊いた僕が馬鹿だった。
それなら、と。僕が一番前島くんに訊きたかったことを訊くことにした。
「前島くん、最近ミストさんとすごく…仲がいいよね」
「……そうか?」
「……その…「婚姻の儀式」……したの?」
前島くんの答えには少しだけ――間があった。
それもそうか。僕は前島くんに「ミストさんとやっちゃったの?」と、訊いているんだし。
「あぁ……した」
「そう……ブリュンヒルドさんの話を聞いた後でよく……出来たね」
前島くんは、僕の失礼な質問に「そうだな」と答えてくれた。
ブリュンヒルドさんの話は――僕にとって少なからずショックだった。
それでも僕を大事にしてくれるエイルさんには、本当に申しわけなくて。
僕はどう接していいのか、とても困る時がある。
前島くんは、そんなことを全部乗り越えて、ミストさんと結ばれたんだから――。
「あいつが俺を「運命の相手」と言ったからな。
とても真剣に本気なことがわかったから……だから俺はあいつに言ったんだ」
「なんて…?」
「俺はいずれコハルと元の世界に帰るつもりだ。一緒に来てもいいならお前を抱くと言った。そうしないと責任がとれないからな。
あいつも「それでいい。一緒についていく」と言った……だから…な」
僕は一瞬、この友人が何を考えているかわからなかった。
でも次の瞬間――こんなところが前島くんだと思い出し――笑ってしまった。
「笑うな」
「ご…ごめん。でも、そうだよね。うん……そうだ」
「だろう?運命の相手なら……俺たちの世界でもそうなるはずだ。
そういう関係になるなら、ちゃんと責任を取らなければなるまい」
「…うん」
僕は笑いを止め、小さく頷いた。
「でも……責任だけでミストさんと……?」
「……俺もあいつのことは…好きだ。そう思っている」
「何だ。僕に相談しなくたって、君はちゃんと好きな人を見つけられたじゃない」
いつも公園で君の相談に乗っていたのは――なんだったんだろうね。
そんな少しの寂しさが僕に――そんなことを言わせたのかもしれない。
「……すまない」
「別に謝る必要は」
「でも…お前はどうなんだ、コハル?」
前島くんの問いかけに、僕は黙るしかなかった。
だって僕には――君のようにちゃんと責任をとれる自信がない。
その前に、僕はエイルさんの気持ちを受け止められるだけの相手なんだろうか?
「……コハル。エイルさんの気持ちはわかっているんだ。
後はお前次第ではないのか?」
「……それ。いつも僕が君に話していたことだよね?」
「あぁ。それをお前に返すよ、コハル」
「いつもとは逆だ」
「そうだな」
それ以上前島くんに応えることが出来ず、僕は黙っていた。
僕は君のように、エイルさんに言ってあげることも、元の世界に帰って彼女を幸せにする自信が、ない。
だから僕は、そんな君の「強さ」にずっと憧れてきたんだよ――前島くん。
◆◆◆
掃除やら、餌の交換やら――驚いたんだけど、ゲキやフレキ、他のドラゴンたちのご飯って果物とか――ヤギの乳なんだよね。
「アースガルズ」から運ばれてくる、特別製のヤギの乳なんだって。
これは「ヴァルキュリア」の人たちも普段の食事で飲んだり、料理に使ったりしてる。
僕らもそうなんだけど――同じ乳をゲキたちも食事として採ってたんだね。
で、そんな世話をしている時も、ゲキは相変わらず僕にじゃれついてきて――。
一向にはかどらないまま、僕は元気な前島くんとは対照的に疲れきって「サズの館」に戻った。
前島くんは少し用事があると――部屋は隣同士なんだけど――館の中で別れた。
僕は前島くんに明日の予定を伝えることを忘れ、その後を追いかけて廊下を歩いていた。
そうして廊下の曲がり角から自分の部屋の前にいる前島くんを見つけて――なんだ。結局僕と同じ…。そう思って声をかけようとして――。そこにはミストさんも立っていて。
二人はキスをしていた――。
僕の知っている前島くんとは――違う一面を見た気がして。その場から離れた。
当たり前か。もう――お互いそういう関係なんだし。ミストさんは立派な大人の女性だし。
動揺しているのかな?でも、少し違う気がする――。
心の中がモヤモヤして――すごくイライラしていて。すごく嫌な気持ちのまま、僕はあてどもなく廊下を歩いていた。
「あれ?」
どこをどう歩いたんだろう?
廊下の突き当たり――横切るように歩いている、スクルドさんを見つけた。
聖地からいつ戻ったんだろうか?
こんな時に嫌な人に会っちゃったな。と、思ったけど、あっちは僕に気がついていないらしい。
なんか――僕はちょっとの好奇心と、このモヤモヤ、イライラの気持ちをどうにかしたくて――何でか、スクルドさんの後を付けていた。
スクルドさんは、そのまま進んだ先のテラスに出ていった。
僕は少し離れたところから、そんなスクルドさんの様子を覗う。これ――覗きだよね。
スクルドさんは薄れてきた黄色に、仄かに混じり始めた紺色が混在する空を見上げて。
「我らが主、オーディンよ。
あなたはどうして……あのような純粋で……心優しき少年たちを我らのもとに使わせたのですか?
私たちの力では足りませんか?もうあのような犠牲は……私は見たくないのです。
オーディンよ……どうか答えを」
何を言っているの――スクルドさん?
僕はスクルドさんの言っている意味がよくわからなくて――無意識に一歩近寄ろうとしていた――その時。
「それ以上は止めて……ユウ」
僕はエイルさんに声をかけられた。
「……エイルさん」
エイルさんは驚く僕に笑顔で頷いた。
「あなたを探していたら、スクルドさんの後をついていくあなたが見えて。
今、スクルドさんが言った意味が知りたいのなら、私から話すわ。
とりあえずあなたの部屋に行きましょう」
確かにここからは僕の部屋が近いのかもしれない。けど。
僕の頭の中に、さっきの前島くんとミストさんの場面が思い出された。
「……どうしたの?」
「いえ……ただ。僕の部屋は……」
「なら私の部屋へ行きましょう。それならいい?」
「……はい」
僕はエイルさんに言われて、彼女の部屋へと行くためにその場から離れた――。
その間もスクルドさんは悲しそうな顔をしたまま――ずっと空を見上げていた。