第7話 見習いさんとドラゴン
「ユウ、トオルっ」
笑顔でエイルさんが呼んでいる。
手には桶。何なんだろう?
「ヴァルハラ」の中央にある一番大きな建物「サズの館」(館とかいうより、古いお城のような建物なんだけど、そう呼ばれているらしい)で、僕も前島くんも今は仮住まいをしている。(本来ここには、「ヘイムダル」の戦士たちの住居を兼ねた建物)
僕たちは別に「ヘイムダル」の部隊に所属しているわけではないけど、昨日スクルドさんに謹慎と言い渡されてしまったので――。
やることもなく「サズの館」の中庭で二人でこれからどうするかを話し合っていた。
そんな時、エイルさんが僕らを呼んだ。
「どうせやることないんでしょう?ちょっと手伝ってほしいの」
「はいっ」
僕と前島くんはすぐに返事をすると、エイルさんに駆け寄った。
「僕が持ちます」
「……ありがとう、ユウ」
僕はエイルさんの手から桶を受け取る。
そんなやり取りを前島くんは笑顔で見つめて――どうしたの?
「随分慣れた様子だな」
「……姉弟のようだとか思ってんだろ?わかるよ」
「いいや。恋人同士みたいだと思ってた」
前島くんのその一言で、僕の顔は一瞬で真っ赤に茹で上がる。
「相変わらず純情だな、お前は」
「僕は君のように大人じゃないんだよっ!!」
まったく本当にいくつだよ、前島っ!!
「トオル。それは違うわ」
エイルさんが真顔で前島くんに否定した。ですよねー。でも――ちょっと――寂しさを感じるのは何故?
「エイルさんがそう言うなんで意外でした」
前島くんが、肩を竦めてエイルさんを見ている。
「だって「みたい」じゃなくて、恋人同士だもの。ねぇ、ユウ」
エイルさん。僕、意識を失っていいですか?――本当に失いますよ。マジで。
倒れる前に、「そのぐらいで倒れてるんじゃない」と前島くんに怒られ、何とか意識を保った僕は、にこにこと微笑んで僕から視線をまったく視線を外す気がないエイルさんの顔を直視出来ず、ずっと俯いたまま桶を片手に歩いていた。
「で……エイルさん。どこに行くんです?」
「ゲキとフレキのところよ。二人にはこの二頭の世話をお願いしたいの」
仕事をくれるわけか。
暇を持て余していた僕たちは、エイルさんの提案に「お願いします」と二つ返事で答えた。
で、僕らがそれまで過ごしてきた二週間は何をしていたんだって?
ほとんど僕の能力の開発――まともに力を扱えるようになる訓練と、前島くんの棒術の鍛錬って感じ。
後はこの世界のお勉強、ということに費やされてきた。
そのうちの八割が、僕の力の使い方の訓練って感じかな。
だから疲れたんだって。
それでも二~三日の間隔で、実戦もあった。
「ヘイルダム」の部隊にくっついて、あの聖地での戦いに僕らも参加していたんだ。
昨日みたいな空中戦は初めてだったけど――。
本当に――ここへ来てから、戦い――修行に、戦いに――何かそんなことの繰り返しだった。
学校に行って、家帰って――ごはん食べて風呂入って。ゲームやって、宿題やって。
そんな生活が、本当に懐かしく感じる。
早く帰りたい――。
「……ユウ?」
エイルさんが俯いていた僕の顔を覗き込んでいる。
「え…あぁ。すみません」
「……元いた世界に帰りたい?」
また図星。僕ってそんなにわかりやすいのかな?
「……帰りたいですけど……まずはやらなきゃいけないことをやる。
前島くんとはそう話してます」
「……そう」
エイルさんはこの話になると、本当に寂しそうな顔をする。
「私を置いて帰っちゃうんだ……」
「……はっ!?え?……あの…」
ここまでストレートな発言は――僕、初めてなんですけど。
「恋人の私を置いて帰っちゃうんだ」
「え……あ、いや。でも……エイルさんも、僕らの世界に来ること出来るんですか?」
「出来るわ」
え?そうなの?
「じゃ……来ますか?」
「それは求婚…ってとってもいいのかな?」
あ――言質取られた?満面の笑みをたたえるエイルさんの言葉で、僕は自分がとんでもないことを口走ったことに、ようやく気がついた。
「いいじゃないか。そうすればいいだろう?そうしてしまえ」
お前は黙ってろ、前島っ。話がややこしくなるっ!!
「トオルは…ミストとはそうするつもりなんでしょう?」
エイルさんが前島くんの顔を見て、そう尋ねた。
もしかして、僕らの世界に来られるとかいう情報はミストさんから?
「まぁ……そうですね」
あっけらかんと答える前島くん。その落ち着きっぷり。君はとても十七歳には見えないほど老成してるよ、前島くん。
「私もそうしていいのよね、ユウ?」
「……はい」
僕は今にも消えてしまいそうなぐらい小さな声で、エイルさんに返事をした。
今でも――エイルさんがこんな僕のどこを、どうしてそんなに気に入ってくれたかはさっぱりわからないままだ。
◆◆◆
「やっと来たっ!!おーいっ!!」
「竜舎」と呼ばれる、騎乗用のドラゴンたちを飼育している建物の中で、一際大きな竜舎の前でミストさんと、「ヴァルキュリア」の見習いであるロタさんとヒルドルさんの三人が、僕らの到着を待っていた。
「遅いぞ」
「すまん、ミスト。これは?」
おい、前島くん。ミストさんと――もうそんな仲になっていたのか。
「トオルさんとコハルさんが手伝ってくださると、本当に助かります」
僕は「ヘイムダル」の中で、「コハル」という呼び名が定着してしまっている。
「ユウ」と呼んでくれるのは、エイルさんとブリュンヒルドさんぐらいだな。
すべては前島くんのせいなんだけど――。
で。ドラゴンたちの世話は、基本、見習いの仕事のひとつなんだとか。
でもたださえ多忙な「ヴァルキュリア」の方々。
見習いの仕事は、こうした雑務がとても多い。それなのに、先輩たちと戦闘にも出るんだから、ロタさんたちはとてもすごいのかもしれない。
「僕らでよければ……」
僕がロタさんにそう言って笑うと、ロタさんの頬がなんだか赤くなったような?
まぁ――気のせいだろう。
ロタさんとヒルドルさんは、僕らに好意的に接してくれるので、僕ら――特に僕はこの二人と話す機会が多い。
他の三人の見習いさんたちは、もう少しで正式な「ヴァルキュリア」になるらしく。
今はブリュンヒルドさんたちと戦闘に出ることが多いので、どうしてもこのロタさんたちとは会うことが多くなる。
◆◆◆
さっきから、竜舎の中から「あーうぅぅ」「おーうぅぅ」という――まるで発情した猫の声をもっと野太くしたような声が、ひっきりなしに聞こえてくる。
「……あの声って…誰?」
僕はつい前島くんに尋ねてしまう。
「俺が知っていると思うか、コハル?」
そりゃそうだ。聞く相手を間違えた。
「ロタさん……あの声はゲキかフレキ…が出してるんですか?」
「そうなんですけど。普段あんな甘えるような声を出す子達じゃないんですよ。
今日は一体どうしたのかしら?」
あれ甘える声なのぉ?
「早く竜舎から出してほしいのかもね。とにかく中に入りましょう」
エイルさんに促されて、僕らは竜舎の中に入った。
「アギャっ!!」「ギャゥギャゥっ!!」
何か――この中、すごくやかましい。どうして?
「ゲキが騒いでる……。どうしたの、ゲキ?」
騒いでいるのはゲキ一頭だけ。隣のフレキは迷惑そうにゲキを見ていた。
エイルさんが、大騒ぎをして落ち着かないゲキを宥めようと、すぐにゲキのところに駆け寄った。
「アギャァッ!!」
エイルさんを見て、ゲキは更に声を高めた。
「ゲキっ」
僕もエイルさんに倣ってゲキに近寄ってみた。
僕はそこまでゲキと仲良くはないけど――のはずだったんだけど。
「アギュワッ!!」
え?なにっ!?
ゲキは僕を見るなり興奮した様子でひと声鳴くと、木製の柵から首を伸ばして、僕へと顔を近づけた。
そして長い舌で、僕をベロぉ――っと――舐めた。
僕はあまりに強い力で吹っ飛んでしまい、この後みんなに大笑いされるハメになるんだけど――どうしてゲキがこんなことをしたのか。
エイルさんの説明では――ドラゴンはとても知能の高い生き物だから、心の優しい人とそうじゃない人を見分ける能力に優れているとか――。
でもそれあまりフォローになってないような。
だったら尚更、遊ばれている気もするんですけど――。
ゲキはそんな僕の不安をよそに、僕らが竜舎の掃除やら、何か仕事をしている間も、ご機嫌な様子で僕の近くを離れなかった。
どうしてこんなに懐かれたのか――僕にはさっぱりわからない。
◆◆◆
僕がゲキのフレンドリーさに困っている頃。
ブリュンヒルドさんたち「ヘイムダル」の部隊は、聖地に赴き、オーガの大群との戦闘を繰り広げていた。
「数は……二百はくだらんか」
「これほどの数をひと月を置かずに、繰り出してくるとは。
最近の敵の動きは、異常としか考えられられませんね」
ブリュンヒルドさんと、スクルドさんは背合わせになり、敵に囲まれながらもそんな話をしていた。
僕と前島くんがここへやってくる前。
二週間前より以前は、頻繁に戦闘はあったとしても――オーガが百単位で襲ってくるとか、「ユグドラシル」の根元に生息しているニーズヘッグが、「ヴァルハラ」まで飛んできて襲撃してくるとか。
挙げ句の果てには、「ヴァルキュリア」でも本来なら精鋭、数十人が、束になって相手をしなければ倒せないであろう、アンデットドラゴンまで借り出されてきた。なんてことは考えられなかった。
僕らはわからないけど、これまで邪悪な相手と戦ってきたブリュンヒルドさんたちにとって、敵の行動が異常としか考えられないほどの襲撃規模の拡大や、レベル違いの魔物の出現などに、相当の危機感を抱いていたみたいだ。
「ユウやトオルへ謹慎を申し付けたこと。痛かったな」
ブリュンヒルドさんが、そんな愚痴を漏らした。
「あれは必要な行為でした。私は後悔などしておりません」
対してスクルドさんは、いつもと変わらない毅然とした態度を崩さない。
「許せ。私もそう思っているよ。わざわざお前が憎まれ役を演じてくれたのだから」
「……そんなことはありません。それが副隊長である私の役目です」
オーガを確実に倒しながら、ブリュンヒルドさんとスクルドさんはそんな会話を続けていた。
聖地へやってきてから、すでに空の色は白銀から黄色へと変化している。
黄色――というよりは、黄金の輝きを含んだ一日でもっとも輝く時間帯だと、僕はエイルさんから聞いていた。
オーガの大群は「ヘイムダル」部隊の活躍でほとんど殲滅され、逃げ出したオーガへの追撃をブリュンヒルドさんは指示を出さなかった。
というより、ほとんどが疲れ果てて。そんな余力は部隊にないとブリュンヒルドさんは判断していたし――それは事実だった。
「何とか追い返すことは出来たようだな」
「……えぇ。そうですね」
ブリュンヒルドさんもスクルドさんも、肩を大きく上下させながら呼吸をしつつ、聖地の様子を見渡していた。
「スクルドには悪いが……「エインヘリヤル」の存在は、やはりとても大きなものだな。
ユウとトオルがこの二週間、どれほど頑張ってくれていたかを痛感する」
「……あの子たちはとても素直で純粋な少年たちです。本当にいい子ですよ」
スクルドさんはブリュンヒルドさんの顔を見ることなく、僕らのことをそんな風に言い表した。
「似ているのか……「彼」に?」
「えぇ、とても。不器用なぐらい優しいところも。特に……ユウが」
「そうか」
声音が悲しさを帯びたスクルドさんを、心配そうにブリュンヒルドさんが見ている。
「……やめましょう、こんな話は。もう六十年も経っていることですから」
「ではこれだけ。スクルド……君は「彼らなし」のこの状況をどう考える?」
まっすぐ自分を見つめてくるブリュンヒルドさんに、スクルドさんは一瞬言葉を失っていた。でもすぐに表情を引き締め、口を開いた。
「「副隊長」としての立場で申し上げるなら、かなり厳しいですね……敵の目的が「エインヘリヤル討伐」にあるように思えますから。これから規模が拡大するのは目に見えている。
ただ私の本音を言わせて頂ければ……彼らにこれ以上の戦闘への参加はさせたくはありません」
「……奇遇だな。私もまったくの同意見だ」
そう言って笑うブリュンヒルドさんを見て、スクルドさんは、ため息まじりに表情を緩めた。
「相変わらすお人が悪い……」
「許せよ。だが……「アルフヘイム」の仲間たちに増員を頼んだとしても、対応は難しいだろうな。
スクルド。お前の本音とはまったく逆の態度を迫られるかもしれないが……いいか?」
あえてブリュンヒルドさんは、スクルドさんにそんな許可を求める。
切迫した戦況に、スクルドさんも頷くしか方法を思いつかなかった。
「それは貴女も同じなのではありませんか?ブリュンヒルド隊長」
「あぁ、そうだ。だが、状況はそれを許してはくれないようだ。
あの二人は私が初日に無用なことを話したばっかりに、エイルたちを傷つけたくないという思いと、私たちへの配慮から、自分たちが戦闘の全面に出ることを良しとしてやってきてくれた。
また……それだけの実力を持っている。
だがそれは同時に敵には、驚異の力にほかならない。
彼らには私たちとの共闘を常とし、自分たちが表に出て戦う形を止めてもらわねばなるまい。
その説明は私から行おう」
「……待ってください、隊長。それは私の役目です」
スクルドさんがブリュンヒルドさんを制した。
「スクルド」
「私が彼らに話します。私なりのやり方で……」
ブリュンヒルドさんは嘆息し、頑固なスクルドさんの態度を苦笑した。
「……わかった」
「ありがとうございます」
スクルドさんはブリュンヒルドさんに、小さく頭を下げた。
それは僕らが知ることのない、スクルドさんたちの本当の姿でもあった。
僕らがそれを知ることは、数日あとの話になる――。