第52話 僕たちと「神様」
一頭のリンドブルムが、「ヴァルハラ」へと吸い込まれるように舞い降りてくる。
「ご苦労だったな、ヴァフ」
出迎えたのはミーミルさんとクヴァシルさん。
そして僕と透――エイルとミストさんに、ブリュンヒルドさんとアルヴィドさん。
「ははは。豪勢なお出迎えですな」
恐縮したように、クヴァシルさんの側近であるヴァフさんは僕らの人数を見て――苦笑いをしていた。
「しかし……こう多くの美しい方が出迎えてくださるのは……やる気が出ますな」
そんなことを言ったあと。ヴァフさんは「余計なことを言わんでいい」と、クヴァシルさんに頭を叩かれていた。
「ヘーニルには会えたのか?」
「はい。ミーミルさんのことを心配していられましたよ。
「トオルやそのお友達の邪魔をしていないかしら」と」
ミーミルさんの妹のヘーニルさんって、透からは話を聞いているけど、一体どんな感じの人なんだろう?
ってか、僕らがミーミルさんのおかげで助かっているんですが――。
これを聞いたクヴァシルさんをはじめ――透とミストさんが忍び笑いをしていて。
ミーミルさんは渋面でヴェフさんを睨みつけている。
「ミーミルさんたちに、僕らは本当に助けていただいているんですから……」
僕がこの場をなんとか取り繕う意味でも、そんなことを言ってみる。いや、本音だし。
「うむ。ユウは素直で、物事の本質を理解出来る良い子だ……」
ミーミルさんにそう褒められて。すごく複雑な気分です――はい。
と、気がつくと。エイルとブリュンヒルドさんも笑っていた。
でもミーミルさんも僕のことを「悠」と呼んでくれるようになったんだけど――。
透曰く。「コハル」とはあくまで僕の愛称で。
それを名前で呼ぶということは、「漢」として認めたということなんだろう――と。
それは嬉しい。でも――それだけ僕が頼りなく感じるってことなんだよね……。
僕がそう透に愚痴ったとき。透は笑いながら、「お前は素直だから、からかいやすいだけだ」と言い返してきた。それが余計なんだよっ!!
「「ヴァナヘイム」側の準備はすでに整っておりました。
こちらからの連絡があれば、いつでも「ウートガルズ」に攻め込むことが出来るでしょう」
「そうか。数はどれほどに? 」
「二万は固いですね。全戦力をかき集めたと、ヘグルさんが笑っておられました」
「……「ヴァナヘイム」の……ですか?」
ヴェフさんの報告を聞きながら、僕が驚いてミーミルさんに訊いてみた。
「そうだ。我らは「ウートガルズ」への「扉」を開く方法を知っておるのでな。
これには我が父に感謝せねばなるまい。
何せあの「オーディン」の側近を務めたこともあるからな……やつの「魔術」の知識を盗み「ヴァナヘイム」に伝えたのは我が父だった。
最後まで「アース神族」と「ヴァナ神族」の蟠りを無くそうと、奔走したが。
結局……それは叶わなかった。
そんな父を持つ者が「ヴァナヘイム」の「指導者」を名乗るのだから、とんでもない話だろう?
これは私の傍にいる者しか教えてはおらぬことだから、口外無用で頼むぞ」
いつもと変わらない様子で――穏やかに笑うミーミルさん。
そんな過去があったのか。
僕は「はい」と頷きながら、ミーミルさんに笑って見せた。
「うむ」
ミーミルさんも満足そうに――笑ってくれた。
「アルヴィドよ。「オーディン」からはその後、何か言ってきておるか? 」
「……いいえ、何も」
これにはアルヴィドさんは、冷静な表情を崩して笑っている。
これほど「オーディン」を否定しておいて――という感じなんだろうね。
ミーミルさんから言わせれば「使えるモノは使う」精神なんだそうで。
「こういう時こそ伝えるモノだろうに。やつも勿体ぶっておるのだろう。
そういう奴ほど使えんのだ」
怒る論点が違う気がします。ミーミルさん――。
「……いや。待てっ!!」
突然――アルヴィドさんが右手で自分の頭を抑えた。
「どうしたっ、アルヴィドっ!? 」
前かがみになったアルヴィドさんを、ブリュンヒルドさんが心配そうに覗き込んだ。
「……「オーディン」からの……「神託」が……」
そう言って前を見るアルヴィドさんの視線は――でも焦点が合ってはおらず、何か遠くのものを見つめている印象を受ける。
「あ……ああ……」
「おかしい。いつもの「神託」とは……違うっ!? 」
エイルとミストさんまで慌てだした。
呻くように体を震わせだしたアルヴィドさん。確かに普通じゃない。
『慌てるでない……』
アルヴィドさんが口を開き。でもその声は――低く――年齢を重ねた老齢の男性の少し嗄れた声音だった。
「お前は誰だっ!? 」
ミーミルさんが緊張気味に、アルヴィドさんに問うた。
『今、お前が話していただろう、「ヴァナヘイムの指導者」ミーミルよ。
私は「オーディン」だよ。久しいな、ミーミル……』
姿はアルヴィドさんなのに――驚愕とその変化に感じる畏怖の思いで――僕の肌が粟立っていく。
「これが「オーディン」。神々の王なのか」と。
「今更何用だ……ジジイめ」
ミーミルさんの言葉が容赦ない。
でもその一言のおかげで、僕たちはこの場の雰囲気に飲み込まれないで済んだ。
『相変わらずだのぉ。
私は我が子らに会いに来ただけだ』
「何が「我が子」だっ!! お前が異世界より、勝手に連れて参った人の子だろうっ!!
どれほどの苦労を背負わせれば気が済むのだ。
この子達は、お前の玩具ではないのだぞっ!! 」
僕らが呆然とする中――ミーミルさんは「オーディン」を名乗るアルヴィドさんに声を荒げて叫んでいた。
『吠えるな。お前がそう思える者たちだからこそ、私もこの者たちを「エインヘリヤル」に選んだのだ。
私の見る目は、お前と一緒だということだろうミーミル。違うか? 』
「そこは褒め言葉としておこう。だが、今更何用だ」
『……言っただろう。我が子たちに会いに来た、と。
我が子たちに「新たな力」を与えに来たのだよ……』
「オーディン」にとり憑かれているアルヴィドさんが、右手と左手を同時に動かし始める。
それは左右それぞれ違う「ルーン文字」を宙に刻み――書き終えると、僕と透へとその文字を押し出していく。
僕らの前に飛んできたこの文字は――僕らの頭の中に、「それぞれの意味」を伝えてきた。
透には――「戦う狼 (ヒルドールヴ)」と。
僕には――「目覚める者 (ヴァク)」と――。
「これは……」
僕らが呆然とその文字を見つめる中――やがて両手に収まる程の小さな光の球へと形を変えると、僕と透の体の中に吸い込まれていった。
『これが私からの「新たな力」。そなたたちの行く末は見守っているぞ。
存分に戦い、戦果をあげてくるが良い』
一方的にそう伝えて――アルヴィドさんは力尽きるように――その場に崩れた。
ブリュンヒルドさんとクヴァシルさんが、慌ててアルヴィドさんを抱える。
「……おのれ……自分の都合ばかりを押し付けおって……。
大丈夫か、トオル、ユウっ!? 」
ずっと怒っている――いや。怒ってくれているミーミルさん。
僕と透はそれぞれにミーミルさんに頷いた。
体に――何も変化はないし。
「アルヴィドさんは……? 」
僕が両腕を支えられているアルヴィドさんを見つめると、
「心配ない……このような時はいつもこうなるのだ。
だが。まさか「オーディン」自身が、直接ここへくるとは思わなかった……」
疲れきった様子のアルヴィドさん。
「……「神」自身が「寄り代」と出来るだけの力を備えているということだ。
それだけで、アルヴィドの潜在能力の大きさを伺いしれよう……。
しかし……腹が立つ……」
ミーミルさんの怒りは収まる気配がない。
「それより。俺はミーミルさんがあの「オーディン」と知り合いだったということだけで驚きですけどね……」
透が肩を竦めて――機嫌の悪いミーミルさんに言った。
「そう言うな。それは幼き頃の……私の消し去りたい記憶なのだよ」
それはいつもとまるで違う――ミーミルさんの寂しそうな――微笑みだった。
この騒ぎのあと。
「ウートガルズ」への出発は、一週間後と決まった。
◆◆◆
ウルズの意識は徐々に鮮明さを取り戻した。
それに伴い気がついたこと。
自分が寝かされていた場所――それは自室ではない――何重にも「魔術」による封印結界が施された特殊な部屋ということ。
「……謀られたか……」
自分の来ている衣服にさえ、「封印魔術」は施されている。
ただし。義手には手を出せなかったようだ。
これは外そうとする者に、その命を奪うだけの「呪術」を施していたことが功をそうしたということだろう。
「これには……ドーマルディも手を貸しているだろうな……」
用意周到な「監禁」。
スリュムだけではここまではしないだろう。
自分の実力を知っているからこそ、義手にも手を出さず、それを押さえ込むだけの「封印結界」を用意したのだ。
「ここまで早い裏切りとは……息子として育てた恩を仇で返すとは。
俗物の考えることは……いつも浅はかなものだ」
ウルズはこの状況に少しも動じることはなく――小さく嘆息しただけだった。
まぁ――この左腕さえあればなんとかなる。
それより――あの「エインヘリヤル」だけは放置出来んな。
「……どうやら……「これ」を使わんと……いけないことになりそうだな」
ウルズはそう呟いて。
自分の義手となった自分の左手を――じっと見つめた。