第48話 僕たちと「利用出来るモノは使うべき」
「お帰り……ヴェルダンディ」
トリュムから開放され、西の塔に戻ったヴェルダンディの表情は、まるで無表情な人形のようで――虚ろな視線をウルズに向けるだけだった。
「陛下は優しかったか?君が大人しすぎると言われていたが……」
ヴェルダンディは答えない。
薄紅色の艶のある形の良い唇は、作り物のであるかのように開くことはない。
「少し疲れているようだね。
ここでゆっくりお休み、ヴェルダンディ……もう少しすると、カーラが友達を連れて戻ってくるからね」
初めて――ヴェルダンディの指が――微かに揺れた。
「君も嬉しいだろう……ヴェルダンディ。
君が約束してくれた日が……もう少しで訪れるんだ。
君は私の傍で、それを見届けておくれ……我が愛する妹。ヴェルダンディ……」
そう囁くウルズの表情は――嬉しそうに微笑んでいた。
無邪気な頃の――少年のように。
◆◆◆
「兄ウルズは……幼少の頃から、「エルフ族」の指導者としてその資質を期待されていた。
ウルズはその期待に応えるがごとく、成長してからも大人のエルフさえ敵わないほどの魔力とその知識を身につけ、発揮していった。
そんな時に……彼の「予言者」としての能力が目覚めたのだ」
その顔は俯き加減で――険しいまま。
スクルドさんの苦悩がそのまま現れているようだった。
「私はウルズとヴェルダンディ姉様とは歳が離れていた。
私が物心ついた時は、すでに二人の仲は睦まじいものだった。まるで本当の恋人のように……」
「愛し合っていた……ということなんですか?」
僕がスクルドさんに尋ねた。スクルドさんは悲しそうに僕を見ると――。
「……簡単に言うと「その通り」だ。
だが周りが許すはずもない。二人は周りに知られないよう接してはいたのだが……。
私たちのは母それを感じ取っていたのだろう。二人を引き離し、ウルズを次期「指導者」としての教育を施すために長老の元へと預け、母に窘められたヴェルダンディ姉様は……ウルズを忘れるためにもと、「ヴァルキュリア」の見習いとなった。
ウルズもヴェルダンディ姉様も、それぞれの道で頭角を現し……ますます周囲の期待が高まった頃だった。
ウルズに変化が現れ始めたのさ。突然「女に生まれたかった……」と言い出した。
エルフの男には、子孫繁栄のために複数の女性との関係を求められる。
ウルズのような存在には、多くの女性から関係を求められた。
彼はそれを拒絶し、指導者となるならばヴェルダンディを自分の元に置くことを、長老たちに求めたのだ。事態を重く見た長老たちが、ウルズを再教育しようと彼を塔に閉じ込めたんだ。
だがそれから二日後。ウルズの姿が消えていた。
姉ヴェルダンディがその逃亡の関与を疑われたが、証拠は見つからずにその容疑は晴れたのだが……。
後日姉様は、ウルズの塔脱出に手を貸したこと。この「アルフヘイム」から出て行ったことを私にだけ告げた。
ウルズは「「ヴァナヘイム」を探しに行く。見つけたら、必ず私たちを迎えに来る」と言い残したそうだ。
「そこには理想郷が存在し、私が神になるという予言が成就される世界なのだ。それは自分のような存在がいくべき場所だから」とも。
信じてはいなかったが、知識欲豊かな兄の見聞を広げる意味でも、いい経験になると考えてのことだったらしい。
会えなくなるのは寂しいが……他の女のモノになるぐらいなら。と、それが本音だったらしいが……」
「悪いが……君の兄と姉は考え方が相当歪んでいるぞ」
ミーミルさんが呟いた。
それは――僕の抱いた感想でもある。
「ええ。その通りです……。ですが、それは百数十年後……ヴェルダンディが「アーサー」の「ノルン」になったことで崩れたんです」
その場の誰もがスクルドさんの話に釘付けになっていた。
特に――ウルズを「父さん」と呼んでいたサクソは――。
その後スクルドさんは、初めてこの世界にやってきたアーサーさんたちを見つけ、アーサーさんとスクルドさんが互いに一目惚れをしたこと。
そのアーサーさんの「ノルン」となったヴェルダンディさんは、最初、スクルドさんを応援していたこと。
だけど――アーサーさんの優しさに触れ、ウルズのいない寂しさも相まって、ヴェルダンディさんもアーサーさんを好きになっていったこと。
スクルドさんは身を引いたけど、アーサーさんはスクルドさんを選んだこと――。
そんな時に、兄ウルズが百数十年ぶりに「アルフヘイム」に戻ってきたことが話してくれた。
「より魔術と知識を手にしたウルズが戻ってきたことに、彼を疑い、訝しむ者たちも徐々にウルズを受け入れるようになっていった。
だがウルズが戻った時が、本来現れるはずもない「トリルハイム」のトロルたちが出現することとほぼ同時期だったことに、疑いを持ったのはアーサーたちだった。
アーサーたちに相談を受け、私もアーサーの「ノルン」であったヴェルダンディ姉様にもウルズを気をつけるよう促しもしたのだが……「そんなことがあるはずがない」と怒られ、それがきっかけで姉と私の関係は悪化し始めた。
しかしウルズの行動は確かにおかしいことが増え始めて。
それに気がついたのがアーサーで……。私もアーサーの説明を受けて納得をしたのだが……。
アーサーから説明しても「スクルドに騙されている」とヴェルダンディ姉様はしばらく信じなかった。
そんなウルズの不審な行動が目立ち始め、ますます「トリルハイム」の侵入が多く報告されるようになり。私はアーサーたちの協力を得て、ウルズを問い詰め……自分の正体がバレそうになった時、ウルズは私の命を狙ったのだ……。
そしてアーサーはそれを庇い……命を落とした。
その直後に「トリルハイム」の大規模な攻撃があり、「アルフヘイム」は大打撃を受けた。
残ったルイーズやウェインたちの活躍で、どうにか退けたが……百人以上の「ヴァルキュルア」たちが攫われてしまった。
本来、「トリルハイム」のトロルたちが「アルフヘイム」に攻め込めるわけがないのだが、その空間の扉を開いたのがウルズだったと後でわかった。
それを知ったヴェルダンディ姉様は、「アーサーの仇を討つ」と「アルフヘイム」を出て行った。
私は説得をしたが、聞いてもらうこともなく、それを止めることも出来なかった……。
そしてヴェルダンディ姉様は行方不明となり。
私は二人を探すことなくこうしてここに留まり……生き恥を晒しているんだ」
はぁ――とため息をついて。
話終えたスクルドさんは、肩を大きく上下させた。
「でも……スクルドさんは、今は僕の「ノルン」であり……パートナーなんですよね?」
「悠。言ってることが矛盾しているぞ。
ついさっき、エイルさんは恋人で、「ノルン」であることを否定したんだろう?」
そ、そうなんだけど。透のツッコミは「その通り」なんだけど――。僕は自分の矛盾を指摘されて――「う」と呻き声を上げた。
「だから……確かにそうなんだけど、スクルドさんが残ってくれたおかげで、僕はこうしてスクルドさんと出会えたってことを言いたかったんだってっ!! 」
「嬉しいよ、ユウ。私は君の「ノルン」であることに誇りを持つ。
「オーディン」に選ばれたという理由じゃない。君という存在に、敬愛を抱いたから誇りに思うんだ。 エイルとは違う意味で君を愛している……という意味だよ」
うわぁぁぁぁぁっ!!!
僕の顔が一気に耳まで真っ赤になる。
エイルの顔が――完全にスクルドさんを警戒していた。
「ますますコハルハーレムだな……」
納得しないでくださいっ!! ミーミルさんっ!!
「コハルハーレム……?」
怪訝な顔で僕をみるスクルドさん。
透からその経緯を聞いて――大爆笑していた。どうせ。やっぱり笑うんじゃん――。
「ごめん、ごめん。私もその一員にしてくれるかな?」
「だめっ!! ユウは私のものなんです!! 」
僕の所有権を主張するエイル。
僕は誰のモノなんだ――ってか、誰のモノでもないんだけどな。
「あのエイルが……言うようになったなぁ」
「ユウだけは別です!! 」
感心するスクルドさんに、エイルは猛然と抗議した。
「じゃ、ユウはエイルのモノだが、私たちがコハルのモノということにすればいいのか? 」
「う……それもダメ」
スクルドさんに笑顔で突っ込まれて――エイルは悩みながら――それも否定した。
完全に僕のことはスルー状態。完全無視。
「ま……諦めろ」
透の一言。
「諦めるつもりはない。ってか嫌だ」
当たり前だっての。一体なんの話だよ、これ!!
◆◆◆
逸れまくった挙句に――ようやく、元の話題に戻る。
「アルヴィドさん。僕に迫っていた危機って……カーラのことなんですか?」
僕の質問に――アルヴィドさんは深く考え込んだ様子で口を開いた。
「違うだろうな。こんな穏便に済むはずがないだろう。
だが……これが発端と考えてよいかもしれん」
「アルヴィドさん……悠への危機とはウルズが関与していると考えていいんですか? 」
「ああ。おそらく……」
透にアルヴィドさんが頷いた。
「……カーラは……どうなんですか? もうこれには関係ないと思っても大丈夫ですか? 」
僕のこの質問には――アルヴィドさんは首を横に振った。
「コハルやスクルドには悪いが……そうはいかないだろう。
ウルドがカーラを利用していることは……おそらくこの程度では済むまいよ。
私程度では読み取れない術が施されているに違いない。カーラはそのためにここに残されているはずだからな」
これには僕以上に――スクルドさんの表情が辛そうだ。
「……なぁ、コハル。どうせなら、このまま……「この事態」を利用しないか?」
アルヴィドさんが――にやりと僕に笑ってみせる。
「……え……まさか」
「ああ。その「まさか」だ。どうせ、いつかはやらねばならないことだろうからな」
驚く僕をアルヴィドさんはジッと見つめる。
「確かに「好機」かもしれないけど……」
僕は悩んだ。
アルヴィドさんの言葉の意味はよくわかる――でも。
「どういうことだ? 」
透が僕に尋ねてきた。
「アルヴィドさんたちと話していたんだ。
「トリルハイム」との戦いを乗り切ることが出来たら……ヴェルダンディさん救出を兼ねて、ウルズを討つために「ウートガルズ」へ攻め込むつもりだったんだ。
「ヘイムダル」のみんなと僕らだけで……」
僕の答えに反応したのは――ミーミルさんだった。
「勝算はあるのか?」
「少数精鋭。それが「ヘイムダル」の強みでもあります。
大人数では目立っても、少数なら成功の確率は高いのではないか……と」
「……どこにそのカーラの母親がいるかもわからずにか?
今はサクソに訊くことも出来るが……ずいぶんと無謀なことを考えていたものだ」
「ウルズは僕が討つつもりなんです」
僕は――決意をミーミルさんに告げた。
今は透が戻ったけど――僕のその想いは変わらない。
「コハル……しばし待て。
今はカーラのことを解決せねばなるまい。それが済むまでしばらく待つんだ。
……きっと「やつ」はお前を放っては置かないだろうからな」
ミーミルさんが決意を顕にする僕に言い聞かせる。
「それは……。でもあまり先延ばしにも……」
僕が言いかけると、透が僕の顔を覗き込んだ。
「ミーミルさんの言葉に従ってくれないか……悠。
俺にもミーミルさんの考えがわかる。きっと悪いようにはしないから」
透が大胆に笑ってみせる。
考えって――?
僕の戸惑いがわかったのか、透はまだ眠っているカーラを見つめて――小さく頷いた。