第38話 僕とアーサーさん?
「よぉ……お帰り、コハル」
ゲキとヨルグの竜舎には、ゲンヴォルさんが掃除用のブラシを持って――掃除をサボっていた。
見習いの――ロタさんたちが一人前の「ヘイムダル」の戦士となるべく訓練を行っているため、こうして交代でゲンヴォルさんたちも雑用をこなしているんだけど。
僕らが竜舎へ戻った時――どう見ても「掃除」をされている状況ではない。
大雑把で面倒なことが大嫌いな性格のゲンヴォルさんが、真面目に掃除をするとも思えない。
「ヘルヴォルは?」
エイルがゲンヴォルさんに尋ねる。
「戦闘訓練に付き合ってるよ」
と、ゲンヴォルさんは答える。
だろうなぁ――。僕は納得してしまう。
「でしょうね……」
竜舎の状態を見て――エイルも僕と同じような感想を持ったようだ。
「で。カーラはどうだった?」
「ぜーんぜん、問題ないよ」
自慢げにゲンヴォルさんに答えるカーラ。
確かに、カーラとゲキの相性などに問題はない。
僕らと初めて会ったときの――カーラのニーズヘッグの扱いからしても、問題があるとは思えないし。
「これでユウの「ノルン」に慣れるね」
「……そうだね」
嬉しそうなカーラを見ながら――僕の視線は横にいるエイルに向かう。
エイルはいつもと変わらぬ様子で、笑顔で僕とカーラを見ていた。
「で。「誓いの儀式」は済ませたのか?いくらカーラが子供だとは言え、そのぐらいは出来るだろ?コハルがウブだとは言ってもさ」
うわぁぁっ!!いつもこの人の言葉には容赦がないっ。
「ゲンヴォルさんっ!!」
頬を赤らめて慌てる僕の態度に、ゲンヴォルさんは嫌味な笑顔でケケケと頭にくる笑い声をたてている。
「ゲンヴォル……それは大事な儀式だわ。カーラが十五歳になったらと話しているのよ」
エイルが微笑みをたたえて――僕とゲンヴォルさんを見つめている。ってか、その微笑みがすごく怖いって!!
「で……ロタやヒルドルたちはどう?訓練はうまくいっている?」
「あぁ。さすがに「トリルハイム」の襲撃を戦ってきているからな。戦闘力もついてきてる。自分の力の使い方も慣れてきて……いい感じじゃないか?」
結局僕らも参加しての竜舎の掃除となる。
ゲンヴォルさんたちばかりにやらせていられないし――ゲンヴォルさんに任せていたら、ここの掃除は一週間あっても終わらないと思うな。
そんな中でエイルとゲンヴォルさんがそんな会話をしていた。
「連中も必死なんだよ。
コハルを見てるからな……みんなあいつの頑張りを見て「自分たちも」と感じているのさ。それだけあいつの頑張りはすこい。私も見習わないと思うぐらいに」
「……そうね」
ゲキとヨルグも僕らを手伝ってくれているんだけど――ただじゃれているだけというか。
そんな僕やカーラ――ドラゴンたちを見ていたゲンヴォルさんが辛そうな顔になったのを、エイルは見逃さなかった。
「……ルイーズの話。それがトオルやミストだったらいいと私は本当に思う。お前もだろ、エイル?」
「うん」
ほんの少し。二人の表情が綻んだ。みんな前島くんとミストさん、フレキに生きていて欲しいを願ってるに決まっている。
「あの後ルイーズに訊いたんだが、今まで「ヴァナヘイム」の情報はほとんど私たちに流れてくることがなかったのに……どうして突然そんなに詳しいことがわかったのかってさ」
「どうだったの?」
ここでゲンヴォルさんが不自然に――笑顔になる。
「「故意に」流された可能性が高いってことだった。
自分たちの「外の世界」に向けて流されている。という感じだと。
そのことからも、この話がトオルやミストのことじゃないかってルイーズたちも疑っているらしい」
「……それじゃ」
「私はそうじゃないかと思ってる」
エイルがゲンヴォルさんに詰め寄り――ゲンヴォルさんが笑顔を崩すことなく頷いた。
「そうなら……本当に良いのだけど」
エイルはまだ全面的に信じているわけじゃない。
でも――それが本当なら。そんな思いがエイルの心を高ぶらせる。
「ルイーズたちが来てくれたおかげで、コハルは少し落ち着いてくれたようだ。
頑張りはすごいが、無理しても仕方ないからな……すべてがこれで良い方へと向いてくれれば……」
淡い期待。それでもゲンヴォルさんはその思いを口にせずにはいられなかった。そんな様子で言葉を口にしていた。
「うん。私もそう思うわ」
エイルも小さく頷いていた。
◆◆◆
スクルドさんがゲンヴォルさんを心配して竜舎を訪れたとき。
僕らが戻っていることを確認し――そしてエイルとゲンヴォルさんの会話を耳にした。
竜舎の角から僕らに見えない位置で。
ゲンヴォルさんとエイルの話に、スクルドさんは一言。小さく呟いた。
「私も……それを願っている」
それは誰も聞いてはいなかったけれど。
スクルドさんは結局僕らに姿を見せないまま、その場を後に――しようとした。
「やっと会えたね」
俯いていたスクルドさんの目が見開かれ、はじかれるように顔を上げた。
「……どうして……」
「久しぶり。元気だった?」
僕がさっき、ヨルグに乗っている時に出会ったエルフ族の男性がそこにいた。
茶色の癖のある髪。青い瞳――でも耳は長くない。人と全く同じ耳をしている。
スクルドさんをただ嬉しそうに見つめて。
「アーサー……」
「ルイーズとウェインがここに来てくれたから。俺もここに来ることが出来たよ。
ずっと心配していたんだぞ……スクルド」
「……アー……」
スクルドさんの口から吐息が漏れ――それ以上「声」にはならなかった。
そして溢れ出る――涙。
男性――今は亡きアーサーさん――だった。
どうしてそこにいるのかはわからない。でも今、確かに「ここに」いる。
そして泣いているスクルドさんを抱きしめた。
「なんだよ。らしくないな……」
冗談めかして、笑顔で言うけれど。スクルドさんが泣き止む様子はない。
そうしてしばらく――アーサーさんはスクルドさんを抱きしめていた。
「スクルド。お願いがあるんだよ」
スクルドさんが落ち着いて頃を見計らって、アーサーさんがそんなことを言った。
「お願い?」
スクルドさんがアーサーさんへと顔を上げた。
「ユウ……彼にさっき会ったんだけど。いい子だね。彼になら大丈夫だろうと、俺の「力」を託した」
「……「スレイプニル」を……?」
「彼なら扱えるだろうと思ってね。俺もあれのおかげでここにいる。
そう言えばスクルド……君は彼の「ノルン」になったんだろう?」
「……あ、うん」
スクルドさんはそう頷いて顔を再び俯けた。
「俺は君を責めているんじゃない。そりゃ……少し嫉妬はするけれど。
だからこそ、君にお願い出来ることでもあるんだ」
「アーサー……」
普段のスクルドさんからは考えられない――潤んだ熱っぽい瞳をアーサーさんに向けて。よほどこの二人は愛し合っていた――そんな様子に見える。
「彼を……ユウとエイルを頼む。
あの二人がこの世界に果たす役割はけして小さくない。
それにトオルとミストのことも大丈夫だ。ほどなくユウとトオルは再会出来るだろう。
彼らを信じて、力を貸してあげて欲しい。これは俺の願いでもある」
「……それは……私もそう考えている」
「うん。君ならそう言ってくれると思っていた。俺も君のすぐ傍にいる。
だから……あんな無茶はしないでくれ。心配したんだぞ」
「あ」と声を上げて――スクルドさんは頬を赤らめた。
トロルとの戦闘のことを言っているとすぐに理解したようだ。
「ユウがいなかったら危なかった。頼むから、俺以外の男に肌は見せないでくれ」
これも普段のスクルドさんと思えないように、まるで少女のような仕草で恥ずかしそうにアーサーさんから顔を逸らした。
「長いこと一人にさせてすまなかった。これからは一緒にいる。
だから君は君の信じる道を信じて……俺も一緒に君を歩むから。愛してる、スクルド」
「うん。私も」
耳元で囁かれる言葉に、スクルドさんはますます顔を赤らめて。
そして顔を上げた時――もうアーサーさんの姿は――なかった。
「……アーサー……。うん。私もユウやエイルたちを信じている。
あなたの願い。私が必ず成就させるから……心配はしないで」
そう口にするスクルドさんの顔には、微かな笑みが浮かんでいた――。