第35話 俺と奇襲
もうもうと土煙が上がる中――「ヴァナヘイム」の軍が、「ウートガルズ」軍へと向かっていく。
「ウートガルズ」軍もそれを迎え討ち、両軍は聖地――緑地地帯の中央で衝突した。
白刃が走り、矛先が体を貫き、放たれた光の矢が突き刺さり――鮮血が舞い散り、多くの命を奪いながら――戦いは殺戮の進行を始める。
「空から敵軍の「翼竜」部隊、来ますっ!!」
エーギルに、慌ててやってきた兵士の報告が入る。
「慌てるなっ!!このような事態は予想の範囲内だっ!!
魔術師たちに伝え、そのうちの半分に「結界」を張り巡らせろっ。この周囲だけで構わんっ。
「結界」の外で、空から飛来する「翼竜」に対し、「最大級」の威力を持つ「光弾」で対応させろ。
やつらの乗るリンドブルムは「光の矢」程度では、カスリ傷ひとつ負わせられんっ!!」
「はっ!!」
兵士はエーギルの前で踵を返し、控える魔術師集団にこの命令を伝えに向かった。
なんと。先ほどまでの空回りは何だったのか。
ベルゲンはエーギルの評価を改めざるを得なかった。
戦いが始まると、一変――冷静に指示を与え始めた。その知識も大したものだ。
さすがはウルズの側近だけはある――ということか。
もう少しはエーギルの副官でいた方がよいかな。ベルゲンは心の中で呟いた。
「ベルゲン。我らの「翼竜」の数は?」
「百です」
「……厳しいな。魔術師たちもそう何発も、威力のある「光弾」を撃てはしないだろう。
「結界」を張る魔術師たちの中で、「幻術」を得意とする者たちを集められるか?」
「はい。かく乱しますか?」
「そうだな。こちらの「翼竜」の数を多く見せることで、やつらを警戒させるしかあるまい。足止め程度にはなるだろう」
「その後は……いかがしますか?」
「目的は、指導者ミーミルを討つことだ。
地上の戦いに全力を注げばいい」
「……は。では、そのように」
ベルゲンはエーギルに一礼し、近くの兵にそのように指示を与え魔術師たちの元へと走らせる。
やはり――こいつは使えん。戦い方を知らないと見える。
空からの攻撃を完全に甘く見ているようだ。
今までも、この数ではないにせよ――「ヴァナヘイム」の軍は我々の軍を退け続けている。
その大きな理由のひとつは「ヴァナヘイム」の「翼竜部隊」によるもの――なのだ。
その反撃を怠れば、どれほどの損害が出ると思っているのだろうか?
結局は持てる知識も活かせぬようでは、ただの宝の持ち腐れか。
ベルゲンは――冷ややかな目で戦いの指揮をとるエーギルの様子を観察している。
だからといって、みすみすやられることを傍観しているわけにもいくまい。
空から近づく敵の姿に目を向け、ベルゲンは策を巡らせていた
◆◆◆
俺たちは空から、この軍の将であるエーギルの姿を探した。
「いたぞっ!!」
クヴァシルさんが叫んだ。
軍のほぼ中央に、ドーム状の「結界」が存在している。
空からの攻撃に備えたものだろうが、あれでは大将の位置を教えるようなものだろうに。
「将軍っ!!敵の「翼竜」の部隊が迫ってきますっ!!
その数は二百以上と思われますっ!!」
「思った以上に多いな」
クヴァシルさんが厳しい表情になる。
「心配はいらない。あれはたぶん「幻術」で多く見せているはずだ。
この軍に、あんな数の「ニーズヘッグ」を与えるものか」
俺の後ろから、リンドブルムに乗っている――サクソの声が聞こえる。
「そういうことなら……任せてっ!!」
ミストが「呪文」を唱えた。
敵のニーズヘッグたちの上に、突如、暗雲が立ちこめた。
そして豪雨が降り始める。
それは――酸性の雨。
あちこちで悲鳴が上がり、ニーズヘッグの数は異常な速さで減り――その数はあっという間に百騎程度までになる。
「……お前の言う通りだったな、サクソ!!」
「俺をなんだと思ってる!!」
「失礼した!!」
俺は不貞腐れるサクソに謝ると、ミストへと視線を向けた。
「ミスト。もうひと頑張り頼むっ!!」
「大丈夫よ。任せておいて」
頼りになるミストの笑顔に、俺は満足したように頷いてみせた。
しかし――俺が乗るフェンリル。ミストの乗るフレキの姿以外――俺たちの周りに「翼竜の姿は見えない」。
俺たちは囮役を買って出てくれているクヴァシルさんたちの「翼竜」部隊の後ろに紛れ、攻撃の機会を待った。
◆◆◆
酸性の豪雨は、地上の「ウートガルズ」軍にも損害を与えた。
「くそっ!!これ程の「魔術」を使う者がいるとはっ!!」
「エーギル様。只今、例の「戦う狼 (ヒルドールヴ)」の姿を確認したとの報告がありました」
「……そうか」
ベルゲンの報告に、エーギルは自分の認識の甘さを知ることになった。
たった百騎程度の「翼竜部隊」では、敵の同様の部隊の実力に到底及ばないばかりか――このところ戦場を駆けめぐり、「ウートガルズ」軍に大打撃を与え続けているという「戦う狼 (ヒルドールヴ)」までいるという。
空の戦いでは完全に我が軍の完敗と言わざるを得ない。
悔しいが――しかし数は自分たちの方が優っている。
魔術師たちの数も揃えたのだ――負けるはずはない。そう信じていた。
後は厄介な「戦う狼」の存在を押さえ込めば、我らに勝機があるだろう。
「光弾の攻撃を、その「戦う狼」に集中させろ」
「それでは、他の「翼竜」部隊はどうされますか?」
「この「結界」で押さえ込むしかあるまい。
「戦う狼」を討つことが出来れば、我らの士気も上がる」
「わかりました」
そんな簡単に士気が上がるだと?
ベルゲンは戦いに集中するエーギルにはわからぬよう、そっと自分の配下に何かを伝えると、魔術師たちに向かわせた。
戦いとはこうやるものなんだよ――お嬢ちゃん。
ベルゲンが心の中でそう呟き、エーギルを残念そうに見つめていた。
◆◆◆
「来るっ!!」
エーギルが叫んだ。
「魔術師たちに、先頭にいる狼に乗った黒い鎧の戦士に光弾……」
「「結界」を解けっ!!光弾の威力を上げ、それを拡散させて敵を混乱させろっ!!」
エーギルの声にベルゲンの叫ぶ声が覆いかぶさり、完全に圧倒した。
周囲の兵士たち、魔術師たちは困惑しながらも――ベルゲンの指示を優先させる。
「貴様っ……どういうつもりだっ!!」
「……失礼ながら。「ヴァナヘイム」の「翼竜」部隊の力を舐めきらておられるようでしたので。
この場は私にお任せ下さい。エーギル「殿」」
そう言ってエーギルを見るベルゲンの笑みは――完全にエーギルを見下し、蔑んでいた。
「……おのれは……その態度。許されると思うのか」
「思いますね。敵の戦力も見極められぬ愚かな将に、己の命を預ける気はありませぬ」
エーギルは態度を急変させたベルゲンの言動に、歯を食いしばった。
下らないプライドばかりを持つ愚か者は貴様だろうに――結局は邪魔な存在でしかないということか。
エーギルがひとつの決断を下す。
「……ほう。ならば、貴様の腕前……しかと見せてみよ」
「ええ。言われなくても……」
ベルゲンはエーギルを見限り――背を向け、空からの襲来に備えるよう口を開きかけた。
突如兵士たちの間から、驚愕の声が上がった。
ベルゲンの口から漏れたのは「声」ではなく――「血」――だった。
「己の命の行く末もわからぬ者に、副官の地位は務まるまい。バカめ」
騒然となる中、血で染まった剣を振り――大地に崩れ落ちたベルゲンの、その骸にエーギルは言葉を吐き捨てた。
「早急に立て直せっ!!すでに結界は間に合わぬ。光弾を拡散し弾幕をはれっ!!敵をかく乱し、「戦う狼」の姿を見つけ次第、そいつに攻撃を集中させるのだっ!!」
エーギルは結局――ベルゲンの言葉を取り込み――狼狽える兵や魔術師たちに次の攻撃の指示を与えた。
◆◆◆
「結界が解けた?」
俺たちは唖然とした。
突如、ドーム状の「結界」は姿を消し、探し求めていたこの軍の大将の姿を見つけたのだ。
しかし。それ以上敵からの攻撃もなく――俺たちは逆に警戒したが、何もなく俺たちは楽に近づくことが出来た。
「行くぞ」
「はい」
ミストに声をかけ、俺たちはクヴェシルさんたちより先行し、敵に迫る。
そんな俺たちに向けて――慌てたように光弾が放たれ始める。
だが、悠の攻撃に比べたら――なんとも情けないものだ。
避けることも訳が無い。
俺はエーギルの姿を見つけ、ただまっすぐに――光弾の攻撃を巧みに交わすフェンリルに乗り――迫って行った。
◆◆◆
「まったく……ベルゲンが余計なことをした!!敵の侵入を許してしまったではないかっ!!」
毒づきながらエーギルは――自分に迫る狼に、風の攻撃を仕掛けようと「呪文」を唱え始めた。
しかし――何を考えているのか。
黒き狼に乗る黒い鎧の戦士は、エーギルの眼前で突然方向を変え、再び上空へと舞い上がった。
「何っ!?」
エーギルは驚き、集中が解け――魔術の発動が止まってしまう。
「はっはぁっ!!狙い通りなんだよっ!!」
狼が舞い上がり、エーギルを避け――その後ろには何者もいなかったはずなのに。
エーギルの前には、リンドブルムに乗ったサクソの姿が見えていた。否。突如「出現した」。
「何故、貴様がぁっ!!?」
「遅いんだよっ!!」
リンドブルムから飛び降りながら、サクソの白刃が右から左へと真横に走る。
エーギルの胴が――一瞬で分断された――。
◆◆◆
俺の目に映ったものは、サクソが躊躇なく――エーギルの体を切り裂く場面だった。
ミストの霧の魔術で、サクソが乗るリンドブルムの姿は見えないようにされていた。
それを知ることもないエーギルは、俺がいきなり方向転換したことで――驚いて魔術の詠唱を止めたに違いない。
隙が生じたその瞬間――サクソが突然姿を現し、そのままエーギルを討った。
◆◆◆
この瞬間。勝敗は決した――。
指揮系統を失った「ウートガルズ」軍は、地上からも「ヴァナヘイム」軍に圧倒され。
あまりに呆気なく――敗走を始め、戦いは終わりを告げた。