第29話 僕とトロル、俺とフェンリル(前編)
「トリルハイム」は、トロル族という魔物が住む国だ。
フレスヴェルグという翼竜に、大きな耳を持ち、たっぷりとした腹をもつ魔物――トロルが乗っている。
異常に強い力と耐久力、持久力を誇る厄介な連中だ。
六十年前もこの魔物たちが「アルフへイム」を襲っていたという。
目的は一つ――女を得ること。
男が多いトロル族は、ある意味エルフ族とは逆なんだろう。
だが六十年前に攫ったエルフ族の女性は百人以上に登るという。このようなことを繰り返し、トロル族はその種と数を維持してきた。
だからフレスフェルグに乗るトロルたちの外見、大きさは――様々だ。
どんな理由で「ヴァルハラ」に来ているのかはわからないけど。
どんな理由だろうと――僕はこいつらを許さない。
「スクルドがっ!!」
エイルがゲキの上で叫ぶ。
通常攻撃で殲滅出来ない相手には、フレスヴェルグに乗り移り、直接切り伏せることもこいつらの場合は考えないといけない。
スクルドさんがそんな攻撃を仕掛けたが、逆に足をすくわれ、トロルに押し倒される形になっている。
「エイル。ここを頼む」
「はいっ」
エイルをゲキに残し――僕は最近ゲキの他に僕専用のワイバーンのヨルグを連れている。
このような場合に、僕が直接攻撃を仕掛けられるように。
「ヨルグっ!!」
ヨルグはすぐにゲキの隣に飛んでくる。
僕は躊躇なく飛び移ると、スクルドさん救出に向かった。
「……っ!!」
スクルドさんの鎧がバカ力で、胸当てから両足のところまで引き剥がされる。
そして顕になる白い肌に豊満な胸。
スクルドさんの両腕を掴み、両足を自分の両膝で押さえ込んだトロルが、スクルドさんの胸を舌で舐める。
「……くぅっ」
呻き声をあげてスクルドさんは抵抗するが、あまりの力に手足を拘束され、体を左右に少し攀じる程度の動きしか出来ない。
その時、トロルの動きが止まり――口から血が垂れる。
「な……?」
スクルドさんが目を見張る。
トロルの腹には背中から刺し貫かれた剣。
それは僕がトロルの背中から刺したものだ。
僕はその剣をすぐに抜くと、足でスクルドさんから離すように、思いっきり腹を蹴り飛ばす。
フレスヴェルグの背から落ちそうになるトロルに、僕は銃口を向けた。
「殲滅」
僕の口から低く――冷たい声が漏れて。
光弾はトロルごとフレスヴェルグを消滅させた。
僕はスクルドさんを抱き、ヨルグの背に飛び移る。
「無理はしないでください……スクルドさん」
その――胸は見ないように――スクルドさんを抱きしめた形で僕は耳元で囁いた。
スクルドさんが僕から離れて、僕は笑顔で安心させてあげようとして。
突然スクルドさんの唇で、僕の口は塞がれた。
「……スクルドさ…んっ!?」
すぐに離れて、恥ずかしそうに再び僕に抱きつくスクルドさん。
「……お礼だ。ありがとう、ユウ」
僕を抱きしめる手には――力が篭る。
「あの……僕から離れないでくださいね。その……ゲキに戻らないと……隠すものが……」
「相変わらず……うぶなところは変わっていないな。さっきは惚れ惚れするぐらいかっこよかったのに……」
恥ずかしさの増した僕に、笑いが止まらないスクルドさんの声が耳の近くで聞こえた。
僕はスクルドさんを抱きしめながら――辺りを見回す。
敵のようやく三分の一を倒した程度だった。
◆◆◆
――時間は数ヶ月前に遡る。
カビ臭さと獣の匂いが充満した建物内。
この匂いだけでも参ってしまいそうになる。だが――それだけではない気配がここには満ちている。
「久しぶりだが……本当に裸足で逃げ出してしまいたくなるよ」
ミーミルさんが呟いた。
そう。たぶんこの心の奥底に巣食う思いは――「恐怖」だ。
未知の空間へと足を踏み入れる「恐怖」と、ミーミルさんに聞いた「フェンリル」という狼への「畏怖」と。
「トオル……」
ミストが俺の腕を離さない。
「……信じろ」
俺の一言に、一瞬ミストの握る手が緩み――それもすぐに「うん」という声と共に、力を取り戻した。
そうだ。俺はこんなところで足踏みをしている場合じゃない。
◆◆◆
「こいつが「フェンリル」だ」
建物の最下層。と言っても、たかだが地下一階の深さだがな。
そこに「フェンリル」はいた。
俺の姿を見るなり――低く唸り――威嚇を始める黒の獣。
四本の足は太い鎖で繋がれ、ほとんど自由がきかない状態にされている。
黄金の双眸は――自分を奇異の目で見る者たちへの憎悪で満ちていた。
しかしその大きさは、俺を乗せてもまだ余裕がある程のもの。
確かに――翼をぬけば、騎乗用のワイバーンと同じ程度の体格か。
「ミーミルさん。こいつの鎖を外してやってください。
ミスト。ミーミルさんたちと一緒に安全なところまで下がってくれ」
「いきなり始める気かっ!?」
「はい」
俺は驚くミーミルさんたちへ、不敵に笑ってみせる。
「だがこいつ相手に君はどうするつもりだ」
「話し合います」
「……何?」
「だから……話すんです。他に方法が思いつかない。
「飼い慣らせ」と言ってきたのはミーミルさんですよ?そんな相手に武器を持って挑んでも仕方がありません」
「……すまなかった。私が謝る……言い方が悪かったな。
こいつをどうにかしてくれ。という意味だ。
もし飼い慣らせれば、君の力になると思ったんだが……ここまで君の肝が座っているとは思わなかった」
ミーミルさんは、俺の言葉が本気であることをわかっているようだ。
ならば――話が早い。
「では「フェンリル」の鎖を解いてください」
「まだ言う気かっ!?」
引き下がらない俺を、ミーミルさんは呆れた様子で見ている。
「あたしもトオルの傍にいて、すべてを見届けます。
大丈夫です。鎖を外してあげてください」
ミストまでも、俺の傍に立って一緒に説得にあたる。
「本当に君たちは……」
「ありがとう、ミスト」
俺の礼に、ミストはただ微笑むだけだった。
ただ――俺をじっと見つめる「フェンリル」。
もう少し待てよ。今、放してやるから。
俺は動きを封じられた巨大な狼に、そっと心の中で話しかけた――。