第28話 俺とミーミルさん
結局、俺の怪我の完治には一ヶ月の時間を要した。
それでも、俺にはかかりすぎだったが――ミーミルさんたちを驚かせるには十分だったようだ。
そして――それから更に一ヶ月。
俺は「ヴァナヘイム」の状況を教えてもらいながら、ここへ来た本来の目的をミーミルさんに話すタイミングを探っていた。
◆◆◆
「ヴァナヘイム」はアルヴィドさんが押してくれた事実とは、少し違っていた。
神と人の混血。それが「ヴァナヘイム」の住人には間違いないらしいのだが。
本当は神の中にも、現在「ユウドラシル」を治める「オーディン」を王とした「アース神族」とこの世界の創世に関わった「ヴァナ神族」という二つの神の種族が存在した。
しかし「ヴァナ神族」は力で勝る「アース神族」との覇権争いに敗れ、天上界を追われた。
そして自分たちの王国「ヴァナヘイム」を作ったのだが――。
長い時間の中で「ヴァナヘイム」の神々は衰退し、人と交わりながら、その血筋を残し伝えてきたそうだ。
「アース神族」は「不老不死」になるが、「ヴァナ神族」は「不老長寿」の種族であったことも、「アース神族」に敗れた理由の一つ――になるらしい。
そして「アースガルズ」と名づけた「天上界」への復活を示唆しながら、「オーディン」たちは、「ヴァナヘイム」の住人たちに――今の「アルフヘイム」が担っている役目を以前は押し付けていたらしいのだ。
「虹の橋 (ビヴロスト)」の守護と、「ウートガルズ」や「トリルハイム」という魔物の王国との戦いなど――。
自分たちは手を汚さずに、全ての厄介事を「ヴァナ神族」に押し付けた。
少なくとも彼らはそう思い、「ヴァナヘイム」の場所を移し――「アース神族」からも他の「世界」からもその存在がわからぬようにしてきた――ということだった。
そのために、「ヴァナヘイム」は「アースガルズ」をけして良くは思っていない。
そして「アルフヘイム」に同情はしていても――共に戦う意思はないそうだ。
「アースガルズ」が関与する戦いを助ける気はない――と。
説得は簡単ではないとは思っていたが――。
こういう事情があることを俺たちは知らなかった。
ミストが言うには、「アースガルズ」がその事実を隠蔽しているのだろう。と。
だが。それでは困るのだ。
「ヴァナヘイム」とて。ミーミルさんたちだって、現状を変えたいとは願っているはずだから。
それを変えるにはどうすれば良いのか――。
この一ヶ月間は――その思案に費やされていた。
だがそれと同時に、俺の中に、この戦いに――神に対する不信感が増していたことも、余計に俺自身を悩ませていた。
◆◆◆
それでも俺は、ミストと共に形だけ残る(「アースガルズ」へ繋がらないように、「ビヴロスト」の先は、「ヴァナ神族」の祖先が壊してしまったそうだ)――「ヴァナヘイム」と他の「世界」の境にある聖地に存在する「虹の橋 (ビヴロスト)」に押し寄せる「ウートガルズ」の軍と「ヴァナヘイム」の勇士たちと戦っていた。
(ここを放っておくと、「ウートガルズ」に「ヴァナヘイム」の場所を知らせてしまうことになるらしい)
ここでは「ヴァルハラ」が護る聖地のように、魔物たちだけが数百という数で定期的に襲うのではなく――戦という形になっている。
もう数十年――戦いは繰り返され、「ヴァナヘイム」の犠牲も数知れない。
「トオルは何故、友達のところへ帰らないの?喧嘩をしているわけでもないのでしょう?」
ミーミルさんの妹で、指導者としてこの世界を治めるお兄さんの補佐役として、とても有能なヘーニルさん。
彼女はこの世界の民からもお兄さんのミーミルさん同様、尊敬され、彼女がいるからこそ、ミーミルさんは「ウートガルズ」との戦に集中出来ている。ということだ。
まだ一ヶ月程度程度だが、俺も彼女の政治の手腕は感心している。
「やるべきことがあるから」ここへ来た時、俺はミーミルさんとヘーニルさんにはそう説明したのだが。
「やりたいことがある……そうだったわね」
「……はい」
「それはこの「ヴァナヘイム」に、「ヴァルハラ」の助力をしてもらいたいから?」
俺はヘーニルさんの質問に沈黙する。
ここで下手なことを言えば、この一ヶ月の努力を無駄にすることになってしまう。
俺の傍にいたミストが、俺の顔を覗き込んだ。
「助力……ではありません」
「……あら。私はてっきりそうしてほしいのかと思っていたわ」
驚いて、口をポカンと開けているヘーニルさん。
外見はミストとさほど変わりのない年齢の女性に見える。(人の外見での判断だ。20歳前後程度に見えると考えてくれ)
だが、その控えめで落ち着いた性格。しかしそんな「見た目」で判断をすれば、とてもた痛い目に合う。そんな女性だった。
「共に戦う。そう考えています」
「……協力関係を築きたい、という意味ね」
「そうとっていただいて構いません」
「悪いけど……「ヴァナヘイム」の勇士たちと、「ヴァルキュリア」では戦力の差に相当の違いがあるのよ。それを「共に」というのは……」
「失礼なのはヘーニルさん。貴女です」
俺は彼女にそう言い返した。
ミストが驚いて俺の腕を握る。
それでも――この言葉は俺たちに失礼だ。
「俺は「アルフヘイム」にいる「ヴァルキュリア」の戦闘力は正直、わかりません。
だが「ヘイムダル」の戦士たちの個々の能力は……この「ヴァナヘイム」の勇士たちを軽く凌ぐ。俺は「アルフヘイム」のことを言っているのではない。
「ヘイムダル」の戦士たちとの「協力関係」を言っているのです。
それは俺とミストの実力を見て判断していただきたい」
そう言い切ってしまった。
考えてみれば、命の恩人に対して――あまりにも無礼な言い返しだろう。
だが。何もない俺には、そう言うしか方法がない。
「……まったく。大したものだわ、トオルは。
このままこの「ヴァナヘイム」に残って欲しいほどなのに……よほどそのお友達たちが大事なのね」
「俺の価値観をひっくり返したやつなんです。
そいつが今頑張っているからなんですよ」
俺の傍から離れない――小さな光。
それは悠がこの世界に存在し、俺を心配し続け。頑張っている証拠にほかならない。
俺がやっていける――もう一つの理由。
「わかったわ。そういうことなら、来て欲しいところがあるの」
そう言って、ヘーニルさんは歩き出した。
俺とミストは顔を見合わせて、ヘーニルさんの後をついて行った。
「ヴァナヘイム」の中央に「建つ」というより「聳える」という表現がいいだろう、「ハーヴィ城」は、天高く塔のように建つ円形の城だ。
城壁は高く――この世界を作り上げた祖先が「アース神族」の襲来に備えた名残だという。
その敷地は広大で、俺もこの城内全てをとても覚えきれない。
どこかの国程の広さを持っているだろうと思わせるほどだ。
第一、「ヴァナヘイム」の住人のほとんどが、この城内に住んでいるほどなのだ。
俺はこの「ハーヴィ城」を見るたびに――俺たちの世界に伝わる「バベルの塔」の伝説を思い出していた。
「ここよ」
ヘーニルさんが案内したのは、そんな城からほど近い――以前「くれぐれもここには近寄らないように」と、関係者の人から念を押された場所でもある。
寂れた――ビルのような四角い建物。
何の装飾も施されてはいない。
「よく来たな」
「ミーミルさん……」
この建物の傍に生えている木の影から、ミーミルさんが姿を現した。
「ヘーニルの話は聞いたか?」
「……はい」
なるほど――どうやら先ほどの話は、仕組まれたものだったらしい。
「君たちの頑張りは、十分に伝わってきた。
特にこのひと月の間で、君を助けたことなど帳消しにしてもおつりが出る程に、私たちは君たちに感謝している。ヘーニルがここに君を連れてきた……ということは、私やヘーニルの期待に応えるの覚悟を君が示したという何よりの証拠だ。
その礼というわけではないのだが……。
君にひとつの条件を出そう。
君がそれを乗り越えられたら、私は君の望みを聞き入れて良いと考えている」
「本当ですかっ!?」
俺は思わず――身を乗り出した。
「その代わり……けして楽な「条件」ではないと考えてくれ。
私たちも、余計な問題を抱えるかもしれないのだから……」
「……構いません」
「相変わらず、その覚悟は大したものだ」
ミーミルさんが嘆息した。
そのまま建物へと視線を移した。
「君に……一頭の獣を預けよう」
「けもの?」
どういう意味なのだろう?
「「魔獣」という表現が妥当な獣だ。名を「フェンリル」。狼だ」
「狼……ですか」
「そうだ。だが、大きさは「飛龍」程度はある。
ほっておけば、もっと大きくなるそうだ。伝説では「この世界の終焉を齎す」と恐れられるほどの力を持つらしい。
悠久の歴史の中で、我らの祖先の時代からこの建物の中に鎖で繋がれ、畏れられている生き物だからな」
「それを……どうしろと?」
「飼い慣らせるか?」
「ちょっ……待って……」
薄い笑みを浮かべるミーミルさんに、ミストが反論しかける。
俺はすぐにそれを制した。
「やります……やらせてください」
俺はミーミルさんをまっすぐに――見つめ返す。
「これほど脅しても……そう言うか。
だが、言ったことはけして嘘ではないぞ。本当にそう伝わっているのだ」
「何でも。そいつを乗りこなせればいいんですね?」
「簡単に言う……」
ミーミルさんは完全に呆れていた。
「……そいつに会わせてくれませんか?」
「今……か?いいだろう」
「兄さん」
ヘーニルさんがミーミルさんを嗜めるように睨みつけた。
「構いません。お願いします」
「よく言った」
ミーミルさんは、「こっちだ」と俺たちを建物の中へと誘った。
それで俺の願いが叶うのなら。どんな条件でも受けてやる。
俺は覚悟を決めていた――。