第17話 僕たちとアルヴィドさんの講義
「待たせたな」
アルヴィドさんの部屋の前で、前島くんとミストさんが待っていた。
「コハルの部屋に行っていたんですよね。カーラはどうでした?」
「お前たちのことを好きだと言っていた。コハルやエイルといることが、今のあの子には良い環境らしい」
「そうですか……それは良かった」
そう言って、前島くんとミストさんは顔を見合わせた。
「で……トオル。君はいずれこのままだと、ウルズたちが攻め込んで、我々が窮地に陥るのではないか……と危惧していたな」
「はい……」
「だが、それを何とか出来るかもしれんぞ」
「カーラからの情報ですか?」
「そうだ」
アルヴィドさんは軽く笑うと、前島くんに頷いた。
アルヴィドさんの部屋の中に入り、いつもの講義が始まった。
「どうやら、「ウートガルズ」が戦いを挑んでいるのは、我々の世界、「アルフヘイム」だけではないようだ」
「と……言うと?」
「前に教えただろう?
「神」に近い種族は「エルフ族」だけではない。
「ヴァナヘイム」という、「ヴァナ神族」が住む世界が別に存在する。
ここは神が人間と交わり生まれた者たちが住む世界だ。「半神」という存在のことだな。
純粋な神ではないということで「アースガルズ」に住まうことが出来ない者たちが住み、「ヴァナ神族」と呼ばれるようになったが、その力は神々にも劣らないとされている。
歴代の「エインヘリヤル」の中で、自分たちの世界には帰らず、ここで暮らす者たちもいると伝えられてきたが……。
そこにも戦いを仕掛け、「ヴァナヘイム」から「アースガルズ」に繋がる「虹の橋 (ビヴロスト)」を手に入れようとしているようだ。
その「ヴァナ神族」と会うことが出来れば、共に戦い、「ウートガルズ」と拮抗出来るようになれるだろう」
「「ヴァナヘイム」……ですか。それはどこにあるのですか?」
「それが、長いことその場所が不明とされてきた」
「……それじゃ会うことも出来ないじゃないですか」
前島くんは、アルヴィドさんの答えに脱力しかけた。
「だが……それがこの「ヴァルハラ」の真下。「ユグドラシル」の根から幹に至る付近にあることがカーラの情報からわかった。
その「ヴァナヘイム」には、妖精の一族「ドワーフ」も技術者の知識を買われて、共に住んでいるらしい。
彼らはとても用心深い種族で、我々も滅多に出会うことはなかったのだが、これで合点がいった。彼らを目印にするのもひとつの手だろう……」
「……でも情報が少ないですね」
前島くんはアルヴィドさんほど、この話に希望が持てないようだ。
「それでもここまでわかったことは、かなりの成果だよ。
それと……もっと現実的な話をすれば、だ。「ウートガルズ」は現在内輪揉めの真っ最中らしい。
現王ウートガルザとその弟で宰相の役にあるスィアチの間で、長いこと王座を争っているらしくてな。ウルズはウートガルザ側に立ち、その参謀として重く用いられているようだ。
やつとしては、本当はすぐにでもこの「ヴァルハラ」に攻め入って、「ビヴロスト」を手に入れたいだろうに。
「ウートガルズ」の方の目処がつかなければ、早々ここへは攻め入っては来られまい。
おそらく今までもそうだったのだろうな……。
ここに来るとしても、先日姿を見せた「ディックエルフ」連中だろう」
アルヴィドさんの話に、前島くんは終始怪訝な表情を崩さない。
どうもイマイチ――納得がいっていない様子が窺えた。
「どうした。わからないことでもあるのか?」
「ここへ来てから不思議に思っていたんですが……。この「ヴァルハラ」は「ビヴロスト」を守護する重要拠点でもある。
なのに……精鋭とは言え、たった九人の「ヴァルキュリア」だけで護り戦う。
場所からも、簡単にここを攻略出来ないこともあるでしょうが。
あまりに手薄で、俺が指導者なら、心配でもっと警護の人数を増やします。
それに過去にも「エインヘリヤル」を受け入れたようですし。
百三十年前のことだけじゃない。どうしてこの場所が、それほど多くの「エインヘリヤル」を受け入れることになっているのですか?」
前島くんの質問に――アルヴィドさんは嬉しそうに目を細めて「いい質問だ」と答えた。
「この程度が我々の実力だと思うか?」
「え?」
「君らしくもないな。私たちの実力がこの程度で、カーラの言ったことを縋るようにすべて鵜呑みにしているか……と聞いている」
「それは……俺も気になっていました。いくらスクルドさんの姪だとしても……六十年前もウルズを受け入れたがために、「アーサーさんの悲劇」は起こっているんでしょう?
それに……縋るようにとは思っていませんが、歴戦の戦士たちを前に「この程度が私たちの実力か?」とは……それほど弱いとは考えてなんていません。それはみなさんに失礼な話だ。
だが、それが圧倒的な軍勢の前に通用するかと言われれば、「違う」と俺は答えるしかない。
カーラの話にしても……信ぴょう性は高いと判断出来るが、そのすべてを信じるほど、アルヴィドさんたちがお人好しなんて思えませんから」
前島くんの答えに、アルヴィドさんはただ微笑んだ。
前島くんとしては――その微笑みは、困惑を更に加速させるだけだっただろうな。
「ここは「神」がおられる世界だ。
今見ているものだけが、すべてだ……と君は考えてはいないだろうな?
君が前に私に言っただろう。君やコハルが使う力にしても、「ユグドラシル」という世界樹にしても、まるで「何でもアリ」の世界だ……と。
そう。その通りなんだよ、トオル」
アルヴィドさんの話に、前島くんはますます戸惑いを隠せない。
「トオル。人のようにあたしたちの戦いは、人数や武器の数や性能だけで決まらない。
それは個々の能力の高さが、戦いを左右するの。
普段の戦いの中では、あたしたちは本来の能力の半分も発揮していない。
だけど本来の役目を果たすときが来るならば、あたしたちは本当の力と姿を取り戻す。
トオルに見せているこの姿は、あたしたちの「仮の姿」なの」
「……それは……」
ミストさんの口から語られる――初めて聞く話に、前島くんの瞳が限界まで見開かれた。
この場にいたら、僕も驚くよ――きっと。
「私たちの……「オーディン」より与えられた本来の役目。
それは君たちのような、「エインヘリヤル」を護ることなのだよ。
若き「エインヘリヤル」よ」
僕らが知っているアルヴィドさんの口調ではない、「神の目線」からの言葉のような話に、前島くんは声を失っていた。
「「虹の橋 (ビヴロスト)」は護らねばならぬものだが、私たちはそれ以上に君たちが大事なのだ。
普段は「ビヴロスト」を護ることが私たちの役目としているが、「エインヘリヤル」が現れれば、私たちの本来行うべき使命を優先させる。
今まで「ビヴロスト」を護る戦いをしてきたことは、君たちの修行の意味もあるのさ。
「ノルン」がこの「ヘイムダル」から選ばれるのも、そういう使命があるからだ。
ヴェルダンディも、以前はこの「ヘイムダル」に席を置いた「ヴァルキュリア」の一人だ。
カーラがこの「ヴァルハラ」にいることが許されたのも、何に置いても、君たち「エインヘリヤル」の望みであること、我ら「ヘイムダル」以上の戦士が「アルフヘイム」にいないからこそ、カーラはここにいることが出来る。
「ヘイムダル」で解決出来ないことが、「アルフヘイム」にいる「ヴァルキュリア」たちに解決出来るとは思えない。
わずか九人の「ヘイムダル」だが、その力は「アルフヘイム」の「ヴァルキュリア」が束になってかかっても、我らには敵わないのだ。
それが我ら「ヘイムダル」の実力であり、「アルフヘイム」にとっては、まさに「最後の砦」の意味をなす。
だがそれを敵に悟られないために、普段は己の力を封印しているに過ぎないし、必要最低限の人数しかこの「ヴァルハラ」には置かない。
ここにいる「見習い」連中も、本人たちには自覚はないが、「ヴァルキュリア」では突出した能力の持ち主たちが集められている。
いずれはこの「ヘイムダル」に来るだろう連中だ。
そんなミストと契を結んだ君ならば、「オーディン」に与えられた絶大な能力が、いつ開花してもおかしくはない。
あとはコハルが問題だな。あれの純情な態度には感心するが、そうも言っていられる状況でもなくなりそうだ」
話を聞き終えた前島くんは――ふぅとため息をついた。
「なんでそれほど……「オーディン」に選ばれたとは言え、俺たちがそんなに大事にされるんです?
この世界を救う存在だからですか?」
「簡単に言うと「そうだ」。
「エインヘリヤル」が現れる時代には、必ずと言っていいほど大きな戦いや災害が起こってる。
特にこの「ヴァルハラ」が関わるときは、「ユグドラシル」の存在が危うくなるほど大きなことだ。
実際、百三十年前の先々代の「エインヘリヤル」が現れた時は、ニーズヘッグが爆発的に増加した時だ。
それは「ウートガルズ」が意図的にニーズヘッグを増やしたことが原因だったのだが、それからニーズヘッグ退治専門の「ヴェルキュリア」の部隊を組織したりもした。
すべて見ておられる「オーディン」が、「エインヘリヤル」をこの世界に遣わされる。
君たちは「オーディン」の化身である存在だ。
だからこそ君たちのことを、「偉大なる勇者の魂を持つ者」と言うんだよ。
それは「ミズガルズ」に住まう人間の中から選ばれる。
強靭な肉体と、我らと同じ知的な者たち。そして何より……我ら以上の生きる力を宿した聖なる存在……それが「人」であり、神々が作り出した「神の写し身」。
それが「人間」。「エインヘリヤル」としての資格を持つべき者たちだ。
君たちは私たちの想像を、はるかに越える意外性と力を持つ。
羨ましいし、研究するべき対象としては最高の素材だよ」
だからアルヴィドさん――言い方が怖いですよ。というのは置いておいて。
さすがの前島くんでも、言い返す言葉が見つからないほど、呆気にとられていた
「驚いた、トオル?」
苦笑いのミストさん。前島くんはそんなミストさんを睨みつける。
「当たり前だ……全部話せと言っていたのに、大事なことを隠しやがって。
まったく……みなさん人が悪いですよ」
「そう言うな。最初から君たちに、こんな話をしても混乱させるだけだからな。
だが君に打ち明けたのは、コハルよりも覚醒が早いせいだ。
コハルの場合、繊細な分……少し時間がかかる。
が、あれほど周りを惹きつける魅力を持ちながら、本人が全くの無自覚……というのも困ったものだ。
近くにいるエイルが暴走気味になってきた。
あれはコハルを独占したくて、衝動が抑えきれなくなってきている証拠だな。
実に興味深い現象だ」
アルヴィドさん――完全に僕らを研究対象としか見ていないんだろうな。困ったものだ。
「……アルヴィドさん。この「ヘイムダル」の能力を持ってしても……戦争回避は難しいですか?」
「回避は……難しいだろう。「ウートガルズ」の低俗なやつらは、そこまでの頭を持つまい。
そしてウルズは、六十年前と同じように……「エインヘリヤル」の殲滅に躍起になっている。先日姿を見せたのもその理由と考えていいはずだ。
となれば、そう遠くはない未来にやつらはこの「ヴァルハラ」に攻め入ってくる。
トオルが言った通り。この「ヴァルハラ」の立地から、多くの数は無理だろうが……我々もその準備は怠らない方が良いだろうな」
「そう……ですか」
前島くんは残念そうな――吐息を漏らす。
本当は――カーラの齎した情報に一縷の希望を見出していた。
それは、前島くんが想像していたような効果はなかった――ということなのだから。
わかってはいたことだが。いざそれが現実味を帯びると、落胆の色は隠せない。
「気を落とすな……と言っても無理だろうが。
どうせならやつらに、二度と攻め入ることが出来ないようなほどの被害と、精神的なトラウマを与えてやろうじゃないか。
それは出来るかもしれないからな」
「アルヴィドさん……俺は逆のことを考えているんですよ。
だからこうしてアルヴィドさんに、この世界のことを教えてもらっているんです」
「出来てるなら……数千年も数万年も、我らがこんな戦いを繰り返していると思うか?
では聞くが。人の歴史の中で……戦争とやらがなくなった時代はあったのか?」
前島くんはそれを聞いて口を閉ざしてしまう。
「アルヴィド。それは意地悪な質問よ。
今までが出来ないからと言って、これからも出来ないと同じにしては困るわ。
トオルやコハルはそれをしたいと考えているのよ」
「ミスト。トオルを溺愛しているのはわかるが、淡い期待ほど残酷なものはないのだよ。
それが出来ない――不可能と知ったときの落胆は、今のトオルの比ではない。
まぁ、それも人を成長させる材料にはなるのだが。
トオルはまだいい。コハルはそれが逆効果になりかねんデリケートさがあるからな。
先に教えておいた方が、後が楽というものだ」
「それでも……俺は違う道はあると……信じたい」
ミストさんとアルヴィドさんの会話に、前島くんは割り込み――同じ主張を繰り返した。
諦めたくない。その思いから。
「……そういう強さも若い者の特権か。
それも悪くはない。まだ少しは時間があるだろう。
色々な道を模索するのも……悪くはないさ」
「まだ……少しは時間がある……ですか」
「そうだな。だが、期待はしないでくれ。
私が想像している以上に、短い時間で敵が攻めてくる可能性も大きいのだから」
「わかりました」
前島くんは――アルヴィドさんの話に、これ以上の質問はすることはなかった。
◆◆◆
そんな前島くんの苦悩を知ることなく――僕はエイルさんとカーラが部屋の掃除を始めたので、仕方なくゲキとフレキのいる竜舎へと足を向けた。
僕が現れたことで、ゲキが喜んだけど――本当にゲキはどうして僕に懐いたんだろう?
「あ、コハルさんっ!!」
ロタさんが竜舎の掃除をしていた。
「今日はロタさんが当番でしたっけ?」
「はい。もう少しで終わりますけど」
「そうですか。邪魔してすみません」
「いいんです。それよりコハルさん……」
「なんですか?」
ロタさんが――何か言いにくそうにしている。
僕はロタさんの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「え……はい。コハルさん……お昼まだですか?」
そう言えば。お昼までに掃除を済ませちゃうからって、エイルさんが掃除を始めたんだっけ。
「そうですね……まだ」
「じゃぁ、このあと、お昼ご一緒しませんか?
私お弁当作ったんです」
「へぇ。それは楽しみだな」
「……本当ですかっ!?じゃ、是非」
「いいですよ」
喜ぶロタさん。
僕もいいことをしたと、少し――状況を甘く考えていた。
僕は自分の立場を――ちゃんと考えるべき時に来ていることを、少しも考えていなかったんだろうな。
この後の僕が――それを考える事態に陥ることになることを、まるで意識していなかった。