第15話 僕たちとカーラさん
「ヴァルハラ」に戻る。
捕まえた少女の尋問が始まろうとしていることを察してか、少女は僕と前島くんの同席を求めた。
僕もやけに笑顔で見つめてくる、この子のことが気になっていたし。
この少女の尋問に、同席することを了承した。
「私はカーラだ」
集会室。ここにブリュンヒルドさん、スクルドさん、アルヴィドさん。
僕にエイルさん、前島くんにミストさん。
本当なら、こういう役目は別の人たちが受け持つらしいんだけど――。
少女はそう名乗った。
体は「捕縛の術」を施され、首から下は身動きが取れない状態になってる。
少し可哀想だけど、仕方がない。
それとは不釣り合いに、顔をずっと僕に向けられ――笑顔のまま。
「君の名前は?」
少女――カーラは僕を見ている。
「僕は、小春悠だよ」
隠しても仕方ない。僕は正直に答えた。
「オハル……ユウ?」
「悠……でいいよ」
「ユウかっ!!」
カーラはニッコリと笑う。
「ユウは「エインヘリヤル」なんだろう?」
「うん……まぁ」
カーラの質問が僕に向けられる。
これじゃ、どっちが尋問されているかわからないな。
「僕からも質問していい?」
「もちろんっ」
なんだろう。カーラのこのフレンドリーさは。
「どうしてここへ来たのに、僕らを攻撃しなかったの?目的は何?」
僕にはそれが一番――気になっていた。
あれだけのニーズヘッグを操りながら、僕らをまるで攻撃してこなかったのだから。
「ユウに会いに来たんだ。聖地で会ってからすごく気になっていた」
「……僕に?」
「そう。君に私をあげようと思っていた」
――おい。今なんて言った?
集会室が不可思議な沈黙に包まれる。
なんだろう?エイルさんの気配が妙に――その。怖いのは。
「意味が……わからないけど?」
僕は再度カーラに訊いた。
「だから。君に私をあげるんだ。好きにしていいぞ」
「……どうしてそうなる?」
「ユウは「エインヘリヤル」だ。それに面白い術を使う。何よりすごく気に入った。
ユウなら出来ると思ったからだ」
出来る?
僕は無意識に前島くんや――エイルさん、ブリュンヒルドさんたちを見てしまう。
カーラには、何か深い事情があるようだ。
ブリュンヒルドさんが小さく僕に頷いてみせた。
僕からその理由を尋ねていいという、同意の意思で。
「カーラ。それはどういう意味なの?」
「ユウにお願いがある。
ユウに私をあげる。その代わり、母様を助けて欲しいっ」
集会室の空気が一気に張り詰めた――。
◆◆◆
「世界樹ユグドラシル」の根元に広がる――氷に閉ざされた世界。
届く光も少なく、凍える寒さが支配する極寒の世界が広がっている。
神代の時代――この世界を作り出した創世の神「ユミル」が治める「ヨトゥン(巨人)族」は、全知全能の神「オーディン」を中心とした神々との戦いに敗れ、この世界に閉じ込めらた――そんな世界が、この「ウートガルズ」であった。
エルフ族を裏切ったとされるウルズは、この「ウートガルズ」に身を寄せている。
ヨトゥン族を治める王家「ロキ家」に気に入られ、予言者として、また魔術師として――軍事参謀として。彼の地位はけして小さくはない。
そんなウルズが治め、住まう場所――「スリュムヘイム」にある「デロック城」は、「ウートガルズ」の現王ウートガルザより送られた、高い城壁に護られた城塞だった。
一介の魔術師が住むにはいささか厳つい建物だが、争いが絶えないこの「世界」で、どれほど王からの信任が厚く、その存在が守られているかの証でもある。
ウルズはそんな城内――「西の塔」と呼ばれる城の西側に位置する塔にいる、妻の顔を見ようと帰る早々、その塔に足を向けていた。
◆◆◆
ウルズが塔の中に入り、妻のいる部屋へと向かう。
そして観音開きの扉を開け「今、帰った」と声をかける。
「……お帰りなさい」
笑顔もなく――ウルズを睨みつけるように迎える妻。
その肌の色はウルズ同様、透き通るように白く、「エルフ族」の特徴を現している。
「兄様。カーラがいないのですが、どうなさいました?」
ウルズの対応とは温度差を感じる――妻からの冷たい眼差し。
「ヴェルダンディ……カーラはもう子供ではないのだ。
どうしようと、あの子の勝手ではないのか?」
ヴェルダンディ。ウルズの妹であり、六十年前に行方不明になったスクルドの姉でもある、「ヴァルキュリア」だった人物。
彼女はウルズの妻として、現在この「デロック城」の住人となっていた。
「私はこの塔から一歩も外に出られないのです。カーラがどうなったなどとわからないのですよ。
兄様がカーラを連れ出したということは、わかっているのです。
どこへ連れて出したのですか?」
ウルズへ矢継ぎばやに質問をぶつけるヴェルダンディに、ウルズを労わる気持ちなど微塵も含まれてはいない。
あるのは、兄への不信感を顕にした心無い言葉だった。
「あの子にも今の世界を知ってもらおうと、「ウートガルズ」の外へ連れ出したのだ。
今はエーギルについて、剣術の稽古をしている最中だよ」
「どこへ連れて行ったのですか?」
ヴェルダンディは、ウルズの答えを聞いていないかのように、再度――同じ質問を、語尾を強めて繰り返す。
「……アルフヘイムだ」
「何のために?」
「言っただろう……この世界の現状を教えるためだ。
あの子は兄たちより、魔術の才能に優れている。いずれは私のあとを継がせたい。
立派な魔術師となることだろう……」
「何があったのです?」
ヴェルダンディは妹スクルドと共に、「ヴァルキュリア」の隊長クラスを務めた、優れた戦士であった。
閉じ込められているとはいえ、ウルズの行動の些細な変化を読み取り、何かあったと夫でもあるウルズを問い詰めているのである。
「何度も言わせるなっ」
こうなってしまうと、ウルズはこれ以上何も語らない。
洞察力の鋭い妻を疎み、詮索されることを嫌って、こうなるとまったく口を開かなくなる。
ヴェルダンディはそんなウルズの態度を知ると、それ以上は聞くこともせず――会話のない状態となり――夫婦の会話はその後途絶えてしまった。
ウルズは小さくため息をつく。
今のこのような状態を作り出す悲劇は――存在した。だがそれは六十年以上経過している。
それでもヴェルダンディは私を愛しているはずなのに――。その証拠に私の愛を受け入れ、すでに三人の子供ももうけている。それなのに、今だに私を「仇」として憎み、けして心を許さないと――睨み返してくるのだ。
お前のその態度が今だ外へ出してやれない理由だと、幾度も話してるはずなのに。
女とはわからぬ生き物だ――と。
大扉が忙しなくノックされる。
「なんだっ!!」
この塔に来られる人物はそう――多くない。
だがウルズの苛立ちは、口調になって現れた。
「ドーマルディです」
礼儀正しい受け答え。礼儀を知らない長男のサクソとは違う――ドーマルディの態度。
サクソはウルズの長男ということで、王の勧めでヨトゥン族の乳母に養育を任せたところ、粗暴な性格になってしまった。
ドーマルディはウルズが大事に育てた。
同じ双子でありながら、この二人にこれほどの性格の差が生じた背景には、そんな理由が存在する。
ウルズはサクソより、このドーマルディを重んじていることが、ウルズの態度にもなって現れていた。
「入れ」
これがサクソなら、嫌悪を顕に追い返しただろう。
そしてこの二人とは歳が離れた末娘のカーラだけは、寂しいだろうと、ヴェルダンディの手元に残した。そのためかヴェルダンディはカーラを溺愛するようになってしまっている。
こうして次男のドーマルディが来ているというのに、一瞥もくれず、ずっと窓から外をの眺めているだけだ。
ヴェルダンディ曰く、ドーマルディはもう一人のウルズのようで、見ているだけで気分が悪くなるという。
「お久しゅうございます、母様」
部屋に入ってきたドーマルディの挨拶にも、ヴェルダンディは視線を向けることはない。
「……どうした」
ウルズはそんな妻の態度を無視し、ドーマルディにここへ来た理由を尋ねた。
「カーラの姿がないんだよ父さん。エーギルが少し目を離した隙にいなくなったらしい。
飼育していたニーズヘッグが竜舎から全部姿を消している。
昨日……やけに「ヴェルキュリア」との戦闘に興味を示していたから、もしかしたら……」
ドーマルディは声を潜めて、ヴェルダンディに聞こえないよう、父、ウルズにそう報告した。
一瞬――ウルズの顔から表情が消えた。
だが。次の瞬間には、何事もなかったかのように、冷静な態度でドーマルディに接した。
「心配はあるまい。
昨日初めて「外」の世界に出たのだ。道もわかるまい。
じきに戻るだろう……」
「……父さんがそう言うなら……」
ドーマルディの心配は、ウルズにもよくわかる。
聖地に再度赴き、「ヘイムダル」の「ヴァルキュリア」たちに自分の実力を試すために、戦いを挑んではいないだろうか――と。
「しばらく様子を見よう」
「わかりました」
ウルズにそう言われ、ドーマルディは素直に従った。
ヴァルダンディはじっと外を見たまま――夫と息子の会話が聞こえていない――振りをした。
彼女はウルズにも話していない能力が、いくつか存在している。
こうして離れている場所でも、意識を向けた相手の会話を聞き取れる能力など。
ヴェルダンディには、娘カーラが向かった場所、理由に思い当たることがあった。
そしてこうも思うのだ。
(……可愛がってもらえるといいのだけど……カーラをお願い、スクルド)と。
それは今更ながらに身勝手で――だが切実な願いでもあった。
◆◆◆
「君のお母さんって?」
僕は先ほどの笑顔から、一転して僕を縋るように見つめるカーラに驚きを隠せない。
「母様は父さんに捕まっている。もうずっとお城に閉じ込められていて可哀想なんだ」
「どういう意味なんだ?君のお父さんとお母さんの名前は?」
カーラの的を得ない言葉に、前島くんがもう少し突っ込んだ質問をした。
「父さんの名前はウルズ。母様の名前はヴェルダンディ」
カーラの口から飛び出たその名前に――僕らは――スクルドさんは硬直していた。
「……君のお母さんはヴェルダンディさんと言うんだな」
「うん。で、君の名前は?」
カーラは前島くんの顔を見て、急に名前を尋ねる。ま――そうなんだけど。
急に部屋の凍てついた空気が、解凍された感じがした。
「悠の友達で前島透という。「トオル」と呼んでくれ。
俺も「エインヘリヤル」だ」
「そうか。じゃ、トオルにも頼みたい」
カーラは前島くんにもそう言って――って前島くん。僕のこと、悠って言えるんじゃん。
「母様から「エインヘリヤル」はすごいと聞いた。父さんを倒せるすごい力を持っているって。母様を助けてほしい。トオルには無理だけど、代わりにユウに私をあげるから」
おい、おい、おい。
誤解を招くような台詞を吐かないように――。
だけど返す言葉をなくしている僕らの代わりに――スクルドさんが椅子に座っているカーラへ身を屈め、笑顔で見つめた。
「私の名前はスクルド。そうか、君の母様は「ヴェルダンディ」というんだな」
「……そう」
カーラは笑顔のスクルドさんに、少し警戒しているのか――緊張をしているみたいだ。
それに――カーラの話が本当なら、スクルドさんを「叔母さん」だと知っているのだろうか?
「急には約束は出来ないが、君は私たちの敵ではないと……考えていいのだな?
私たちは君の父さんたちと戦っているのだぞ。君には他に兄弟とかはいないのか?」
「いる。サクソ兄様とドーマルディ兄様が。でも二人とも父さんの味方で少しも、母様を助けてあげようと考えていない。
父さんたちと戦っても、私は母様を自由にしてあげたい」
「……そうか」
スクルドさんは僕と前島くんの顔を見た。
僕と前島くんはお互いの顔を見たあと――僕らの答えは決まっているんだけど。
スクルドさんに頷いてみせた。
「ありがとう。ユウ、トオル」
そしてスクルドさんはブリュンヒルドさんの顔を見つめた。
「すぐに信じるわけにはいかないが……それでもいいか?」
「構いません」
ブリュンヒルドさんはアルヴィドさんに何か指示を出して。
直後にアルヴィドさんは、カーラにかけていた「捕縛」の術を解いた。
「……あの。まだすぐに自由にはしてあがられないと思うんですけど、カーラは僕たちが預かります。なので……その」
僕がブリュンヒルドさんに申し出た。
「それなら私とユウが、カーラのこの土地での後見となりましょう。
そうなれば、カーラは私とユウの養女という扱いになりますから」
エイルさんが僕の申し出の補足――というか――火に油を注ぐというか。
そんなことをブリュンヒルドさんに言った。
「そうか。そういうことなら、条件付きで行動を許可しよう。
ただし、しばらくは監禁させてもらうぞ」
ブリュンヒルドさんの言葉はごもっとも。
でもエイルさん――僕に笑っているのはいいんだけど――なんか、すごいこと言ってなかった?
「そうか。カーラはコハルとエイルさんの娘になるのだな」
笑い出す寸前の前島くん――うるさい。
「わかった。私もそれでいい」
一応、納得した様子のカーラ。
「頑張らないとね。ユウ」
「……エイルさん……」
素敵な微笑みを僕に向けてくれるエイルさん。
どうすればいいんだ――僕?