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冷蔵庫(連作)

冷蔵庫 4.概(2)

作者: 文絵

「京都に行こうか」


 旅行雑誌をぱらぱらめくりながら、天気の話みたいに秋樹が言った。


「徒歩で?」


「電車ぐらいは使いたいな」


 いや、おまえが言い出しかねないから訊いたんだよ。


「神社仏閣、一つ残らず回る時間も僕らならあるし」


「修学旅行とかじゃ時間制限あるもんね」


「飽きるわ」


 文句をつけつつ、反対はしない。実際、京都に徒歩で向かっても困らないぐらい、俺たちには暇がある。


 差し出された雑誌を、女子組がやってきて覗き込んだ。夏のだか去年のだか、古い雑誌だから参考程度にと秋樹は言い添える。一ヶ月や一年で、寺や神社がそうそう変わることもないだろうよ。


 しばらくはただ眺めていたが、これが気になるのこれが楽しそうのと、やがてページを指さして喋り始める。行こうか、というのは相談か打診の言葉だったろうに、いつの間にか決定事項になっているらしい。


 それは同時に、今回もここを出ていくという決定でもあった。どこか他の場所に行こうという言い方を、秋樹はいつも選ぶのだけれど。


 どこかに行くということは、ここからはいなくなるということだ。




 俺たち四人は施設育ちで、育った施設で酷い目に遭って、耐えかねて揃って逃げ出してきた。以来基本的に四人で過ごしているのだが、中学生と小学生の集団だから色々不自由はあって、居場所の問題は根本的な一つだった。要するにアパートも何も借りられないってことだ。毎晩毎晩寝る場所に困るのは勿論だし、学校にいるはずの時間や遅い時間にやたらな場所をうろうろして通報されてもまずい。といっても一年もそうしてりゃ、しばらく泊めてよ、と厄介になる当ても幾つか手に入っている。


 河野のおねーサマと知り合ったのは、施設を飛び出して間もない頃だ。今は大学生で、学生の一人暮らしには勿体ない広さの部屋を借りている。実家がなかなかの金持ちなんだとか。家出してすぐに出会って、協力したげると意外なことを言って、実際助けてくれて今に至る。単純に生活費をくれたり、頼めば泊めてくれたりする。いや、顔を見に来たイコール泊まってく、になってるから最近は頼んでもないな。


 ここ数日もおねーサマのマンションで過ごしていたわけだが、今日おねーサマが帰ってきたら断って、明日の朝に出発しようということになった。好きなときに寝っ転がれる環境ってのは貴重で、離れるのはちょっと惜しかったりもするけども、とにかくそうと決まったからには、今日は最後の一日だ。


「あれ、秋樹は?」


 雑誌を立ち読みして帰ってきたら、最年少が一人で留守番をしていた。出かけるときには二人いたんだが。


「買い物行くって……」


 マジかよ。


 いや、珍しかないんだけど。こいつと二人っきりかよおい。


 げ、と思ったのはまあお互い様だ。喉元で拳を握っておたおたし始めた秋樹の妹をリビングに残して、俺はさっさと奥の部屋に引っ込む。通り過ぎざまに目に入ったのは、テーブルに広げた市販の算数ドリルと、その横の閉じた漢字ドリル。……これも珍しかないけども。


 勉強が嫌で逃げてきたわけじゃないんだから、できるときに勉強しておくべきだ、というのは秋樹の言である。確かに野宿のときじゃあやりにくいが、律儀にやる辺りが流石兄妹というか。


 感心するよりも呆れながら、本棚から適当に漫画を引き抜いて、箪笥に背を預けつつ開いた。見習う気はさらさらない。秋樹の妹はしばらくびくついていたようだったが、やがて再び集中し始めたようで、鉛筆が紙を擦る音やページをめくる音が淡々と聞こえるだけになった。


 同じ施設で生活していて長年の付き合いになる割に、秋樹の妹とは碌に喋ったこともない。向こうが怖がるんだから仕方ない、基本的に人付き合いが苦手なのだ。そういうやつにわざわざ絡んでいくほど、俺は根気よくはない。というか、正直鬱陶しくて遠慮したいタイプだ。一緒にいるような仲でも相性でもないのに、家出なんていうハードルの高いことに揃って踏み切ったのは、偏にその主宰が秋樹だったからである。


 漫画を半分読んだところで、その秋樹が帰ってきた。スーパーのビニール袋を片手に、所帯じみて見えるかと思いきやそうでもない。雰囲気に呑まれない、って言うと大袈裟だけども。


「お帰りなさい。算数、終わった」


「見ておくよ。ちょっと待って」


 妹が細く、けれども自分から声をかける。じゃあ今は漢字ドリルに入ってるのか、と思うともなく思っているうちに、鞄を置きに来たついでか秋樹が覗き込んできた。


「最後の一日を有意義に使わないのかい?」


「使ってるんだよ。いつでも読めるわけじゃないからねえ」


 読みかけを掲げてウィンクする。これだってここにいるときぐらいしかお目にかかれない。まあ図書館とか児童館とか、金はかかるが漫喫にはあるかもしれないが。


 一理あるね、と友人は笑った。


「じゃ、夕飯の仕込みはよろしく」


「どう繋がるのか教えてもらえますでしょうか秋樹さん」


 二ページまとめてめくったぐらいの飛躍があったぞ今。


 ていうか、なんでわざわざ仕込みが必要なメニューを選んであるんだ、ここで。


「僕は春花の採点があるからさ」


 爽やかな微笑み。


 丸つけぐらい自分でできるだろうよ、とつっこむ間もなく戻っていく。妹は口許に手をやって気にしている様子だったが、兄に促されて再びドリルに目を落とした。こりゃ頭から俺にやらせるつもりだったな。……心当たりないぞ、おい。


 秋樹がこうやって強引に事を勧めるときは、普通それなりの理由がある。ついこの間食事当番を押しつけられたのは、財政事情を顧みずにゲーセンで遊んだ揚句、財布をなくしたと報告したときだった。そのときは俺自身まずったなあと思っていたから、ペナルティとして大人しく受け入れたのだが。


 ……ま、今回も理由はあるんだろう。我らがリーダーは横暴でも短絡でもない。例えばいつかの担任のように、気分次第相手次第で基準を変えるわけでもないし、施設の職員の誰かのように、思い込みで罰を加えるわけでもない。


 それに、俺が無視すれば流れる話ではある。丸つけをさっさと終わらせて、秋樹が自分でやるだろう。最初からそのつもりでいたかのように。


 ちらとリビングに目をやると、漫画を閉じてそっちへ行った。秋樹は妹の向かいに座って、赤鉛筆をさらさらとドリルに走らせている。見えた感じ、正答率は高いようだ。


「で? 何の材料買ってきたわけ?」


 両腰に手を当てて問えば、秋樹は首を半分ひねって、唇の端をにっと均等に上げた。やり込めたような感じじゃあなく、アイコンタクトが通じた後のような調子だった。




 夕飯を作るか、作らないか。というより、言うことを聞くか、聞かないか。というより、秋樹に応えるか、応えないか。言ってみれば、そういう二択だった。応えることに決めたから、言うことを聞くことになり、仕込みを引き受けることになった。


 世の中は複雑なようでいて、つきつめれば幾らでも単純になる。そうか、違うか。やるか、やらないか。イエスかノーか。半分当たり、ってのは要するに外れだ。後のことは連動して決まっていく。


 施設を出るか、出ないか。出ないなら、施設に居続けることになる。


 京都に行くか、行かないか。行くなら、おねーサマの許からはいなくなる。


 おねーサマに頼るか、頼らないか。頼らないなら、収入も宿泊もこれっきりになる。


 秋樹についていくか、いかないか。ついていくなら、鬱陶しい妹と抱き合わせになる。


 ま、おねーサマから離れるか離れないか、あの妹から離れるか離れないか、っていう切り口もありうるんであって。そういう選択肢で捉えた時点で、答えは半分出てるようなものだ。




「じゃね、おねーサマ」


「お世話になりました」


「またいつでもおいで」


 ひらひら手を振るおねーサマに見送られて、俺たちはマンションを後にした。ここから在来線を乗り継いで京都へ向かうのだ。急ぐ意味も特にないし、寧ろ早く着いちゃ次にどうするかを考えないといけなくなるから、新幹線は使わない。


 女子組が並んで前を歩いて、俺と秋樹が並んでその後ろを歩く。いつでもこうってわけじゃないが、よくある隊列である。同性で年も近いせいか、秋樹の妹もこことはそこそこ打ち解けている。


「そうだ、概。渡す物があるんだよ」


「え、このタイミングで何のプレゼント?」


「内緒にしたいのかもしれないと思ってさ」


 ほら、と秋樹が目の前に何かを突き出した。目の前すぎて仰け反って、顔をしかめながら手に取る。馴染みあるシルエットのような気は、した。


 俺の財布だった。


 ……て。


 おい。


「おまえ、これ、どこで」


「君がなくした場所じゃないかな」


 ……俺がこれをなくしたのは、ゲーセンで高校生ぐらいのやつらに絡まれたとき、なんだが。


「……いつ?」


「君がなくした後」


「そりゃそうだろうよ」


 反射的に突っ込んだが、直後ってことだろう。


 絡まれて取られた、と言うのも何だかあれで。といって持っていないことはいずれバレるだろうから、うっかりなくしたと繕って。三人に呆れられて。……秋樹がどこかへ行って。どこに行っていたのかは、特に訊かなかったが。


 いつまでもはぐらかして遊ぶつもりでもなかったようだ。


「急げば間に合うと思ってね。行ってみたら案の定、まだ遊んでた」


 さらりと告げた言葉には大分省略があったが、補完するのは難しくなかった。落としたか置き忘れたとかじゃなく、取られたんだろうということを、察して。そのゲーセンに行ってみて、こいつらだなと見抜いて。


「取り返したわけ」


「ん」


「……どうやって?」


 秋樹は無言でにっこりとした。……聞かない方がいい気がする。


 じゃ、何か。俺が財布をあっさり渡して逃げてきたこともバレてるのか、もしや。まあそこまで追及したとは限らないが、事実がそうである以上、バレるとしたらその事実なわけで。


 なぁんだよ、と大袈裟に天を仰ぐ。


「人の情けないとこ暴かなくたってよくない?」


「君の深謀遠慮がわからない僕じゃないさ。騒ぎになったら面倒だからね」


 あっは、そこもお見通しか。


 下手に逆らって騒ぎになって、身元を追及されるようなことになるとまずい。荒立てずにさくっと流すには、それが一番楽だったのだ。身を躱してさくっと逃げるのは、ちょっとハードルが高そうだった。


「理解しないと思ったのかい?」


「あ、何、俺が話さないから拗ねてたワケ?」


「取り返す手間がかかった分ね」


 食事当番はだからかと納得しつつ、からかおうとして反撃に遭った。骨を折らされたからには事情ぐらい知りたいものだ、と来られちゃ分が悪い。そもそも秋樹相手で分がいいことなんてあるのかっていうとあれだが。


 空いている片手だけで万歳をする。


「あーはい、次からちゃんと白状シマスよ。おまえに隠してもいいことないわ」


「買い被りだよ」


 半ば謙遜のような半ばたしなめるような言い方だったが、自分独りで抱えるよりもその方が賢いだろうってのは、まあ正直、経験上とっくにわかってることでもある。というより、こいつが本気になってもどうにもならなかったんなら、それはどうしようもないことなのだ。


 秋樹を信用するか、しないか。この二択は間違いなく前者だ。事がうまく運ばなかった場合も含めて。


「それにね、概」


「ん?」


「次はない方が嬉しいな」


 しっかりつっこまれて、俺は肩を竦めた。

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