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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
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「出逢い-6」

 勇介、歩のアパートを訪問中・・・

 父の社葬の準備は着々と進んでいた。そして、SK製薬の幹部たちが心配していた事も、水面下で波紋を呼んでいた。天下のSK製薬営業部長の不倫疑惑。人の口に戸は立てられないとは良く言ったものだ。


 関東でも指折りの規模と設備を誇る、S大学附属病院。それが北詰勇介の職場だ。職場に顔を出すと、彼は上司からすぐに別室へ呼び出された。

 一通りのお悔やみを言った後、上司は勇介に十日間の忌引き休暇を言い渡した。

「通常、両親でも五日間では? それに、やりかけの研究や報告書は……? 私が担当している特別室の……」

 途中で口をつぐむ。人の良い上司の額が汗で光っているのを発見して、ようやく理解した。

(ああ……そういうことか……)

 しばらく顔を出すな、ということなのだ。そういえば自宅の周りには、昨日から怪しげな車が駐車しているという連絡が母から入っていた。何の事かさっぱりわからなかったが、それは多分マスコミ関係者なのかもしれない。

 黙りこむ勇介に、上司・香川教授はすまなそうな口調で言った。

「真実はどうあれ、面倒はちょっと……ね。研究の報告書は、誰かにやらせておくようにするし、その他の事もこちらで何とかするから。気にしなくていいよ」

 ちらりと見れば、香川教授は歪んだような笑みを貼り付けている。教授が気を使ってくれているのが良くわかる。香川教授は、心臓外科の第一人者で勇介の所属する第一外科の部長を務めている。温厚な人柄で、偉ぶったところが全く無い香川は誠実そのものの好人物だった。その彼を煩わせていると思うと、勇介は心苦しさで目をあわせられなかった。

 当時助教授だった香川は、まだ新米医師の勇介に、特に目を掛けてくれた。香川の信頼を得たくて、勇介は夜も昼も仕事と勉強に明け暮れた。大学病院が休みの日は、香川の知り合いの開業医を手伝いに行って、外科以外の事も積極的に学んだ。それから数年、気がつけば勇介には「香川教授の右腕」などと、大層な通り名が付くぐらいになっていた。同僚からは相当妬まれもしたが、その度に香川は彼を庇った。人一倍オペを経験させてもらえたのも、香川の後ろ盾があっての事だった。

勇介は香川教授にお礼の言葉を言うと職場を出た。


 S大病院をあとにして、昼間の空いた道路をあてども無く自動車で流した。葬儀の仕度も無いから、この時点で勇介には完全にやる事が無くなった。いつも仕事仕事で忙しくしていたので、何もする事が無いとかえって落ち着かない。なんだかむしゃくしゃしていた。家に帰ればマスコミが居るかもしれない。居なかったとしても、親戚や母親と顔を合わせるのが嫌だった。葬儀が終われば、とりあえず親戚は皆引き揚げるから、それまでは自宅に帰るのはやめようと思った。欲求不満ではないけれど、こんなことなら親しい女性でも作っておけば良かったと、今さらながらに情けなく思う。酒を飲む程度のガールフレンドには事欠かなかったが、今まで深い仲になってもどうしてか心まで許せる女性には恵まれなかった。たぶん、自分から心を開かなかった事が原因なのだろうと、今なら良くわかる。仕事に付いてからはそちらの方が忙しく、ここ数年、女性とはマトモに付き合っていなかった。

「ふう……」

 知らず知らずのうちにため息が漏れた。

(たいして親しくなくてもいいや。誰でもいいから誘ってヒマをつぶそう)

 そう考えた時、何故だか歩の顔が浮かんできた。

 そういえば、彼はどうしているだろう? 杏子の葬儀など、一人でいったいどうするつもりなのだろうか。父のように、杏子もSK製薬が社葬扱いにしてくれているのだろうか。

 市立総合病院の女医から聞いた話では、彼は本当に天涯孤独のようだった。三年前に両親を列車事故で亡くした姉弟は、姉の杏子の働き口を求めて、父を頼りこちらにやってきたと聞いている。当時短大卒業間近だった杏子が、小学生の弟を抱えて、面識さえもない父を頼らざるを得なかったのは、元々頼れるような親戚がいないのだろう。

 勇介はふと思いついて次の信号で左折した。十分ほど走って、行き付けの中華料理店に立ち寄ると、テイクアウトを頼んだ後に、歩の住むアパートに向かった。


 アパートのドアをノックすると、歩が顔を出した。学ラン姿だったので、どうしたのかと尋ねた。今の時期、学生は春休みだから、学校へ行く事は無いはずだ。

「火葬場、行ったから……」

 歩は勇介の目からも見えるように、玄関から一歩下がって奥の部屋を目で示した。

 白い繻子を被った立方体の箱が目に飛び込んで来た。

「え……!」

 勇介は思わず声を上げてしまった。同じ会社に勤めており、同じ状況で事故にあったというのに一方は社葬で、もう一方は……?

「あれ……お姉さんの……?」

 歩は頷く。

「今朝、返されてきたから、そのまま火葬場に運んでもらって焼いた」

「お葬式は?」

 火葬場でお経をあげてもらったから、それでいいのだと、歩はあっさり言って茶髪頭を掻いた。

「なんか、姉ちゃんの会社の人が電話してきてごちゃごちゃ言ってたけど、俺、よくわかんねぇし。それに、父さんたちが死んだ時、姉ちゃんと二人で話し合ったんだ。どっちが先に死んでも、お互いにもう二度と葬式はしないって」

 なんと言ってよいかわからず、勇介が黙り込む。彼らの両親が亡くなったのは三年前だ。わずか十二歳の歩と、当事十九歳の杏子との間で、すでに自分たちの葬儀の話がされていたなんて、何ともいえない寂しい気持ちになる。

「北詰さんの……お父さんの葬儀は?」

 逆に問われて勇介はどきりとした。父の葬儀は明日、社葬という形で盛大に行われる事になっていたが、歩の前ではさすがに言い辛い。

「父は明日……」

 言いかけてその先が続かない。言葉を探していると、奥の部屋から渚の声がした。

「あーちゃーん! ちゅるちゅる、あーちゃーん!」

「あ、いっけねぇ」

 歩は一旦奥の部屋に引っ込んだ。渚の喚き声が聞こえる。だし汁の香りがするから、食事中だったのかもしれない。

 歩は再び玄関に現れるとぶっきらぼうに言った。

「……んで、今日は何ですか?」

 彼の態度は予測済みだったので、勇介はシミュレーションどおりに言った。

「キミたちの事が気になってね。中華のお店からテイクアウトしてきたんだ。一緒に食おう」

 中華料理の入った紙袋を歩に押し付けると、勇介はずかずかと勝手に上がりこんだ。彼と渚以外に誰も居ない事は、靴を見ればわかる。歩はあっけにとられたように闖入者と紙袋を交互に見ていた。


 渚にうどんを食べさせる歩の横顔を、勇介はじっと観察する。

(顔色が悪い……)

「今朝、何食べたの?」

 勇介の問いかけに、歩はキョトンとした顔をして、次いで首をかしげた。やはり思ったとおりだった。歩は食事もろくに摂っていないようだった。

「渚くんの面倒だけ看ていてもダメだよ。自分の食事もキチンと摂らないと。昨日も顔色が悪かったから、心配してたんだけど。思ったとおりだ」

 とにかく何でもいいから食べなさいと、勇介は歩の手に割り箸を押し付け、代わりに彼から渚のうどんを奪い取った。実は、さっきからやってみたくてうずうずしていたのだ。

 渚はじっとうどんの入った茶碗を目で追っている。勇介は立ち上がると渚の正面に胡坐を掻いた。歩がやっていたように、一本箸でつまんでふうふうと息をふきかける。渚が待ちきれないように小さな口を開けた。

(なんか……ヒナみたいだ)

 渚の口にうどんの先っぽを突っ込むと、ちゅるちゅると音をたてて、白いうどんが小さな口の中に消える。

(うっ……からくり人形に似てる)

 思わず笑みがこぼれて、ハッとした。顔の筋肉が弛んでいたのが自分でよくわかった。だらしの無い表情を歩に見られたかもしれないと思い、彼のほうを横目で見ると、歩は中華料理を堪能中だった。すごい勢いで料理を貪っている歩を見て、勇介はホッと胸を撫で下ろした。

 職業柄、食事の介助は経験があるが、赤ん坊は初めてだった。「もっとくれ」と催促するように口を開ける渚が可愛くて堪らない。

(なんでだろう? オレは子供が嫌いなはずなのに)

 歩と渚、二人と過ごす時間は、物凄くゆったりと流れて、いらいらしていた心がいつの間にか穏やかになってゆく。

首をめぐらせるとコタツに並べた中華の容器はほぼ全部が空になっていた。歩は名残惜しげに箸に付いたマーボ豆腐のあんかけを舐めている。

 まどろみの中で見る夢のように、ふわりと心地良い空気が部屋全体をいつの間にか覆っていた。

(この感じ……)

 昨日も感じたおだやかな気配が満ちている。それは勇介にとってはまるで魔法みたいだった。言葉も笑顔も必要ない。だけど、欲しいものがすべて、ここにはある。

 ――団欒。人はこの満ち足りた時間をそう呼ぶのだろう。でも、勇介の中では、この言葉も死語だった。

 杏子が居ない今、この温かさがこれ以上失われないように、二人の暮らしを守ってやりたいと心から思った。


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