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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
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「出逢い―4」

 たどり着いたマンションの前には業者のトラックが横付けされていた。トラックの荷台を覗き込み、ホッと胸を撫で下ろす。まだ、荷台は空っぽだった。

 目的の階までエレベータで一気に上がると、開放廊下に少年の怒鳴り声が響き渡っていた。

「それにしても、急すぎるじゃねえか! 亡くなったばかりなのに、もう片付けるのかよ。遺品の整理をする時間も無いのかよ!」

 悲痛な歩の声は、心なしか泣き声のように聞こえて、何だか胸が締め付けられた。

 不動産屋とおぼしきオヤジのだみ声が、歩を無視するように言った。

「家具や家電は運んでリサイクルだ。寝室の衣類なんかは処分してくれ」

 玄関前にたむろしていた引越し業者の男性二人が、不動産屋のオヤジの指示で中に入ってゆくのが見えた。

 勇介は開け放した部屋の玄関から中をのぞきこんだ。頭の薄くなった不動産屋のオヤジの背中に声を掛ける。

「あの、すみません。一旦作業を中止していただけないでしょうか」

 怪訝そうに振り返ったオヤジに、勇介は愛想がよく見えそうな笑みを浮かべた。

「あんた、だれだ?」

「北詰と申します。とにかく作業をやめてください」

 オヤジは勇介を上から下までなめるように見て顔をしかめた。

「やめろだって? わたしらは、そっちから依頼されてやってるんだよ」

 作業を中止したものの、オヤジは散々渋った。どうやらキャンセル費用の事などを心配しているらしいと気付き、勇介は自分の名刺を手渡して代金は後できちんと支払う事を告げた。すると、オヤジは手のひらを返したように愛想が良くなり、早々に引き揚げて行った。

 ホッと胸を撫で下ろすと、背後で鼻をすする音がした。振り向くと、リビングに立ち尽くした歩が、トレーナーの袖でグイと目元を拭うのが見えた。彼は勇介の視線を避けるように、奥の部屋に引っ込んでしまった。勇介は部屋に上がりこむと、コートを着たままリビングのソファにぐったりと座った。

 汚い大人のやり方で、歩からたった一人の姉の遺品までも奪おうとする母に腹が立った。一方で、その業者を大人のやり方で追い払った自分も同類のような気がしてならない。

(世の中全て金と地位……か)

 自分の名刺に目を落とす。こんなやり方で自分の名刺を利用した事は一度も無かった。でも、これからますます必要になるかもしれない、とも思う。

 未成年だからというだけで、大人たちにいいようにあしらわれてしまう歩が不憫に思えた。たとえ児童福祉施設に入ったとしても、キチンとした大人の後ろ盾が無ければ、彼のこれからの人生の選択肢は、何かあるごとにきっと減ってゆく事だろう。渚にしても、同じ事だ。

 ――歩と渚を頼む

 父の言いたかった事は、こういうことも含めての事だったのだろうか……? 今となってはわかるすべは無いけれど。


 ぼんやりしていると、奥の部屋から歩が戻ってきた。

「やあ、歩くん」

 声を掛けると、歩は小さい声でお礼の言葉を口にした。

「あ、ありがと……ございました」

 お礼など言われる筋合いは無いと思った。むしろこちらが謝らなければならない。母の勝手な行動が、どれだけこの少年の心を傷つけた事か。そう思うと勇介は自然に深々と頭を下げていた。

「本当に申し訳なかった。この部屋の事、キミに何の相談もなく勝手にしてしまって。母は……ちょっとショックを受けて、気が動転してしまっていてね。昨日もキミを傷つけるような事を言ってしまったし、今日も……」

 深く下げた勇介の頭上に、歩のよく通る声が降って来る。

「あの……昨日の事は俺も、なんか夢ん中の事みたいっていうか。それに、たぶん……謝らなきゃいけないのは、本当は姉ちゃんの方かもしれないと思う。もう、本人は謝る事、出来ねぇけど……」

 顔を上げて、勇介は目の前の歩をじっと観察した。少年らしいほっそりとした体。茶色くブリーチした髪と片耳だけに付けたシルバーのピアスが、十五歳という年齢をほんのちょっぴりだけ大人に見せている。先程の不動産屋のオヤジとのやりとりで興奮したせいか、頬はまだ上気していて、瞳は涙で潤んでいた。勇介の中で、歩に対して抱いていた、ちぐはぐな印象が薄れ、新たな形をとりはじめる。

 勝手なことを言って罵詈雑言の類を浴びせた母に対して、この少年は謝らなければならないのは自分の方だという。

(まだほんの子供なのに……)

 今、目の前にいるのは、母の言うような憎き愛人の縁者ではなく、身内を亡くした悲しみに必死に耐えているいたいけな少年だった。

「キミたちの事は、生前父から聞いていたよ」

 真正面から向き合うと、歩は落ち着かない様子でスポーツバッグを胸に抱えなおした。彼の方からの会話を期待して待っていると、沈黙に耐え兼ねたのか、歩が小さく頭を下げて出て行こうとした。

(おいおい、もう行っちゃうのか?)

 勇介は慌てて彼の行く手をさえぎった。

「歩くん。キミは……これからどうするの? 渚くんはどうするの?」

 こちらの問いかけに対して、歩は形の良い眉をちょっとひそめてから、予想に反してぶっきらぼうに言った。

「どうって……どうもしないっす。これから渚、退院なんで。迎えに行って……今までどおりに、やってくだけですけど」

(子供と赤ん坊、二人で暮らすつもりなのか? マジかよ……)

 一刻も早く立ち去りたい、という表情を隠しもしない歩に、逆に興味を惹かれ、勇介は少々強引な仕草で、彼の抱えたスポーツバッグをひったくるように取り上げた。

「ちょ、ちょっと!」

 歩が慌てたように手を出すのを制して、病院まで車で送っていく事を申し出た。歩は断ろうとしていたようだったが、勇介はわざと気付かぬふりをして、さっさとマンションを出た。 

 渋々ついてくる歩をチラリと横目で確認し、彼のバッグを車のトランクに放り込んで助手席に乗るように促した。

 今度は歩が勇介を無視するように、後部シートに滑り込んだ。勇介はバックミラー越しにプイとそっぽを向く歩を見て苦笑した。子供や女性に拒まれる……こんな事は初めてだった。誰もが勇介の外見に興味を持つ。自慢ではないが、特に若い女性には、あらゆる場面で断られた経験は一度も無い。身長百八十五、スーツが似合うモデル体型などと、色々な人から良く言われた。母は若い頃ミス・東京に選ばれた事を自慢にしており、勇介はそんな母に(不本意ながら)かなり良く似ていると評判だった。

 だからだろうか。拒まれると、余計に気になる。ハンドルを握りながら、ふくれっ面の歩に、バックミラー越しに何度か声を掛けてみる。一人暮らしで不便は無いのか。進学先の高校の事。渚の事。しかし彼からはマトモな返事は一つも返ってこなかった。

(そういえば、オレ、男からは毛嫌いされてたもんな。そう考えると、歩くんはすでに子供ではなく立派な男性の部類に入れてやらないといけないか)

 まとまった会話もないままに、市立総合病院に着くと、歩は荷物をつかんで逃げるようにいなくなってしまった。仕方がないので渚の病室で待つことにして、院内の様子を見学しながら小児科病棟へ向かってぶらぶら廊下を歩いて行った。

 暖かな春の日差しが廊下いっぱいに降り注いでいる。窓の外には病院をぐるりと囲むようにして植えられている桜が、白い花を咲かせて美しさを競っていた。三月半ばの季節、桜は五分から七分咲きといったところか。昨日父親をなくしたというのに、桜の花を綺麗だと思う自分は、やはり普通の人より血液の温度が低いのかもしれない。

 ちょうど昼食が終わった後らしく、子供たちが自分の食事トレイを廊下の配膳台に片付けていた。小さな女の子が配膳台の上段にトレイを乗せようと、悪戦苦闘している姿が目に入った。勇介は精一杯背伸びをする少女の手から食事トレイを取って、配膳台に片付けてやった。

「ありがと」

 少女は頬を染めながらニコッと笑った。

「どういたしまして」

 営業用のスマイルを浮かべると、少女の小さな頭を撫でてやった。ふと背後に気配を感じて振り返る。後ろに子供の行列が出来ていた。

「これも乗せて」

 先程の少女より小さい男の子が無邪気な笑顔でトレイを差し出す。その後ろの子も、さらにその後ろの子も……。

(なんでオレが配膳係をやらなきゃいけないんだ!)


 ようやく片付いた頃に声を掛けられた。

「北詰さん?」

 歩が立っていた。彼は不信感たっぷりの眼差しで見ている。

「用事は済んだのか」と訊ねられて、勇介は曖昧に受け答えをした。「キミを待っていたんだよ」と、素直に言ってもよかったが、何だか鳴沢歩という少年は思いがけず頑固で意地っ張りな所がありそうな気がした。ゆえに、「待っていたのだ」と言っても、「そんな事は頼んでいない」と返されそうな気がした。

 彼はそれ以上何も言わずに病室へ入って行って、渚のベッドの周りを手早く片付け始めた。背後で眺めている勇介を、一度だけ振り返った。

「コレ……あなたが?」

 彼は眉根を寄せて、アンパンマンのぬいぐるみを指さしている。勇介はゆっくりと肯いた。ひょっとしたらつき返されるかもしれないと思ったが、歩は小さく「ありがと」と言っただけだった。

 そんな彼の様子は、どこか先程の、精一杯背伸びをしていた少女に似ていると思った。


 片付けを終えた歩の荷物は杏子のマンションから持ってきたスポーツバッグと大きな紙袋が二つになっていた。そのうち一つはアンパンマンのせいだった。歩は相変らず勇介を無視し続けるつもりらしい。スポーツバッグを背中に背負い、大きな紙袋を二つまとめて左手に持った。彼の足元では渚が両腕をいっぱいに広げて抱っこをせがんでいる。どうするのかと黙って見ていると、彼は細い右手一本で渚を懸命に抱き上げた。

「もう見ちゃいられないよ」

 苦笑混じりに言って、勇介は歩の左手から強引に紙袋二つを取り上げた。

「何すんだよっ! 一人で持てるよ、このくらい!」

 真っ赤になって怒っている歩に、有無を言わせぬ口調で言ってやった。

「車で送るよ。渚くんもいるし、荷物も持って帰るんだろ? 断る理由、無いよね?」

 歩は渚を両腕で抱えるとぐっと唇を噛んだ。勇介はその様子を「承諾」と受け取る事にした。

 病室を出て廊下を歩きだす。歩は大人しくついてきた。時折振り返ると、目の端に映る彼は、険しい顔で何か考えている様子だった。


 歩に異変が起こったのは、病院の駐車場で、車に乗り込もうとする直前だった。



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