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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
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「出逢い-3」

 警察での調べも済み、父の亡骸を連れて帰宅すると、自宅前では父の会社であるSK製薬の幹部たちが三人ほど待ち構えていた。SK製薬は日本国内でも三指に入る大手製薬メーカーだ。父はそこの重役だった。家のリビングに通されるなり、彼らは口をそろえて言った。

「北詰営業部長は出張中に事故に遭われたのだから、全ての事は我々SK製薬が対応いたします」

 つまりは余計な事は言うな、という意味である。父が亡くなったのは完全にプライベートだ。事故車も父のものだし、同乗者は秘書であり愛人の鳴沢杏子とその息子なのだ。彼ら三人は温泉旅行に行った帰りに事故に遭ったと聞いているし、それが真実だ。不審な思いが顔に出てしまっていたらしく、父の部下だった営業部の副部長という肩書きのハゲが言った。

「ですから、全て我々にお任せいただければいいんです」

「どういう意味ですか?」

 勇介は目の前のソファに座るハゲを睨み付けた。彼は何故か顔を赤らめながら口ごもる。

 ハゲの隣に座った大柄な男――総務部長という肩書きだそうだ――が、硬い口調で言った。

「北詰営業部長の業務中の不慮の事故死に対して、社長の方から社葬をするように命じられています」

 勇介は驚いて固まった。業務中の事故とはどういう事なのだろうか。

「……社葬?」

 問い返す勇介の顔を見ないようにしつつ、総務部長はもう一度言った。

「はい、社葬にするようにとの、社長の意向です」

 父の葬儀くらい息子である自分が行うのが当然と思っていたので、勇介は言葉がすぐに出てこなかった。

 業務中の事故……か

 勇介の脳裏に暗い思いが兆す。赤ん坊の存在をどうごまかすのかは知らないが、業務中であれば秘書が同乗していてもおかしくはない。

 でも……

 そんなに父の「不倫旅行中の事故」というフレーズを、無かった事にしたいのだろうか。

 ハゲが、黙っている勇介から目線を外し、隣に座っている母に向けた。探るように、総務部長と同じ事を申し出るハゲに、母はなんと二つ返事で社葬を了解してしまった。

「ちょっと待てよ、母さん。社葬なんてしなくても父さんの葬儀くらいボクらの手で……」

「勇介さん、お黙りなさい!」

 母は貫禄たっぷりに、ピシャリと言った。勇介は年甲斐も無くビクついて肩を震わせると口をつぐんだ。完全に気圧された、と思ったときには遅く、母は「全てお任せします」とだけ言うと、会社の幹部どもを早々に追い払ってしまった。


 彼らを一刻も早く追い返すために、社葬の申し出を承諾したのだろうと考えたが、母の口から出た言葉に勇介は自分の耳を疑った。

「お葬式なんて面倒くさいと思ってたから、社葬にしてくれて助かったわ。勇介さんも職場の方たちの誤解を招かないように、今から行ってキチンと父さんの事、説明してきなさい」

「え……」

「不倫旅行で事故死、なんてウワサが流れる前に、自分で何とかしなさい。頭がいいくせに、そういうところは回らないのね」

 そして母は勇介と父の亡骸を残して家を出て行ってしまった。おおかた年下の愛人の元へこのビッグニュースを報告しに行ったに違いない。勇介は改めて北詰家の広い屋敷を見渡した。見栄っ張りな母親が有名建築家に依頼して造らせた洋風の家は、高級デザイナーズ住宅というらしい。

「建物がいくら立派だって、誰も住んでなきゃ、ただの箱だ」

彼は誰に言うとも無くつぶやいた。高い天井に自分の声が反響して消える。こんな家にはもう居たくないと、心の底から思った。


 翌日になると親戚が大勢押しかけてきた。母はついに昨夜帰ってこなかったので、父方の親戚は、母はいったいどこへ行ってしまったのかとしつこく勇介に訊ねた。うんざりした彼は後の事を親戚と父の社葬担当者に任せて逃げるように家を出た。

 実際家に居ても、勇介の出来る事など何も無いのだ。かといって、じっとしていると精神衛生上良くない気がする。冷たくなった父の仰臥する姿を見ているだけの状態は、なんとなく落ち着かない。下を向いているだけなのに、今までほとんど面識などなかったような叔母が、妙にいたわるように声をかけてくるのもいらだたしく思えた。

「気の毒ねぇ、マキ子さん。具合が悪くなってしまったのですって?」

「ええ。突然のことでしたから、母もショックだったようで。静かなところで一人になりたいと……」

 不在の母親に対してさぐりを入れてくるので、適当に返事をするのだが、叔母はしつこい。

「まあ、勇介さんは、どう? 大丈夫?」

 あからさまに顔を見つめられて、ハッとする。

(ひょっとして、顔にでていたか?)

 不自然な表情をしていたのだろうか。きっとそうなのだろう。いつも冷静でいられる自信があったのに。やはり、自分も少なからず動揺しているのだ。でも、今はそれを認めたくなかった。自分は大人だし、それなりに社会的地位もある。まあ、そんな言い訳じみた事は置いておき……

 どうせやることがないなら、この時間を利用して、実際に自分がやるべき事をやってみようという気になってきた。普段仕事以外で人の為に何かをしよう、などとは決して思わないのだが……

 昨夜なにげなく父の書斎に入った。

 主のいなくなった部屋は冷え冷えとしているのだろうと想像したが、デスクの上にあるものを見て、勇介は固まった。

 白と黒を基調とする硬質なデザインの室内に見つけたものは、かなり異質だった。だが、それをじっと見ているうちに、勇介はある種の使命感のようなものを感じ始めた。父の言葉のせいもあるが、もう一度あの少年に会わなければと強く思った。


 勇介は車を飛ばして少年の住むアパートに向かった。自宅から随分と離れているが、場所は以前父から聞いていたし、偶然にもその地域の土地勘があったので、ほとんど迷う事無くたどり着いた。

 SK製薬の借り上げ社宅になっているアパートの二階が鳴沢姉弟の家だった。もっとも、姉の杏子は一ヶ月ほど前に、隣町の賃貸マンションで父と赤ん坊と同居を始めたと聞いていたので、このアパートは十五歳の歩がたった一人で暮らしていることになっている。

 ドアをノックするが、返事は無かった。気配も無いので留守なのだろう。

 勇介は次に歩が行きそうな所へ向かった。

 ――市立総合病院。

 杏子の子供である渚は市立総合病院の小児科に入院している。事故に遭ったから、精密検査を受けているに違いない。特に異常が無ければ、通常今日にも退院できるだろうと予想がついた。

 昨日と同じように桜の木に囲まれた駐車場に車を停めた。勇介は車を降りると、トランクから出した大きな荷物を手に、病院の白い建物を見上げた。小児科は救命のある別館ではなく、本館にある。正面玄関から入り、エレベータで三階に上がった。

 小児科の病棟は、ピンクを基調とする明るい雰囲気の内装だ。今の時間は検温等も終わり、歩ける子供たちは廊下や談話コーナーをうろうろしていた。

「鳴沢渚」と書き込まれた病室は相部屋で、幼い子供数人と中学生くらいの女の子が一人入院していた。小児科はどこの病院でも一番賑やかだ。入院中の子供たちはいつだって退屈していて、来客があると人懐こい笑顔を見せてくれる。勇介が入ってゆくと、すぐに五歳くらいの女の子が足元に寄って来た。

「ねえ、おじちゃん、誰のお見舞い? その大きなアンパンマンすっごくかわいいね」

 勇介の持っている手荷物の中から顔を出している人形を目ざとく見つけたようだった。

「人形はあげられないけど、お菓子はどう?」

 そう言って、勇介は季節外れのサンタクロースのようにコンビニの袋からお菓子の詰め合わせを取り出すと、子供たちにばら撒いた。


 渚はベビーベッドの中で立ち上がって、柵越しにじっとこちらを見ていた。こちらというより、腕に抱えているアンパンマンの大きなぬいぐるみを瞬きもせずに見つめているのだと気付いた。このぬいぐるみが父の書斎に有った。間違いなく渚へのプレゼントだろうと思い、持ってきたのだ。アンパンマンが近付いていくと、渚の口からたらっとヨダレが垂れた。赤ん坊はマシュマロのような頬を真っ赤にしている。

 ……可愛い。

 子供は好きではない。というより、嫌いだった。いつも泣いているところしか見たことがなかったからだ。《子供はうるさくて厄介な生き物》それが勇介の子供に対する認識だった。だが、何故か目の前の渚は違って見えた。

 ――そうだ! コイツはオレの弟……!

 そうなのだ、この赤ん坊は自分と半分血のつながった弟なのだという事実に、勇介は何だか妙に神秘的なものを感じた。生命の不思議? いや、そんなスピリチュアルな感覚でもない。なんともいえない感慨深い思いを抱きながら、抱えていたアンパンマンをそっと渚のベッドの柵に入れてやった。

「アンパン……」

 渚はじっとぬいぐるみを見ていたかと思うと、ギュッとアンパンマンに抱きついた。同じ大きさ同士のものがもつれ合って、ベッドの中でコテッと倒れた。勇介は思わず吹き出してしまった。ぬいぐるみにのしかかられて目を白黒させている渚にそっと手を伸ばしてベッドから抱き上げる。

 なんて軽くてやわらかいんだろう……

 渚は泣きもせず、腕に抱かれたまま、ベッドに転がったアンパンマンを見ている。

「渚、はじめまして……」

 片手で渚を抱き、もう片方の手のひらで赤ん坊特有の柔らかい髪を撫でた。少しクセのある栗色の髪の感触と人肌の温もりが心地良い。

 渚はようやくこちらを振り返り、じっと顔を覗き込んだ。黒目がちの大きな瞳に吸い込まれそうだ。

「パーパ?」

 勇介はドキリとした。渚は可愛らしい仕草で小首をかしげて、つぶやくように誰かを呼んだ。

「あーちゃん……」

 あーちゃんって、誰だろう? 少し考えて歩のことに違いないと思い当たった。渚をベッドに戻すと、勇介は歩を探して再び一階の受付へ降りて行った。

 病院ではとうとう歩とは会うことが出来なかった。見当違いだったかと肩を落とし、それでもココまで来たことを無駄足にしたくはなかったので、渚の担当医を訪ねた。

 渚との関係を説明するのが面倒臭かったので、担当の女医に親戚だと言ったが、彼女は余計に怪訝そうな顔になった。

「さっき歩くんに聞いたら、親戚なんか一人も居ないって……」

 どうやら歩とは病院内で行き違ってしまったらしい。渚の病状を聞き、退院の日程を訊ねると女医は言った。

「今日の午後もう一度診察して退院です。歩くんはマンションに行って、渚ちゃんの荷物を取ってくるとかって言ってましたから、後で会えるでしょう」


 車に戻ると父と杏子が住んでいた賃貸マンションに向かった。

 運転しながら、勇介は歩の事を考えていた。彼に関しては、どうもちぐはぐな印象ばかりが目に付く。十五歳の中学生だが、それにしてはよく気がつく性質らしい。フットワークも軽そうだ。一人暮らしをしているということだから、茶髪に片耳ピアスの外見と違って、意外にもしっかり者なのかもしれない。

 住所しか聞いていなかったため、杏子と父の住んでいた賃貸マンションはなかなか見つからなかった。ただでさえごちゃごちゃした住宅街に、似たようなマンションが何棟も立ち並んでいるからだ。勇介は仕方なく不動産屋に電話を掛けた。すると大変なことになっていた。

「あの部屋は、今ごろ片付け業者が入って作業中ですよ」

 すぐにピンと来た。母の差し金だ。父のスキャンダルを表に出さないように、二人が暮らした痕跡など一切を抹消するつもりなのだ。

 勇介の脳裏に歩と渚、幼い二人の顔がちらついた。杏子の忘れ形見である渚の存在は、母にとって決して愉快なものではない。渚はまさに父と杏子の愛の結晶。それだけにあの子に対して母がどういう行動に出るのかを考えると、我知らず背筋が粟立った。

(とにかく急がないと)

 勇介は無意識にアクセルを踏み込んだ。


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