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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
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「鼓動-10」

 ちょうど食事を終えて車に戻ったとき、携帯が鳴った。嫌な予感がする。気付かないフリで切れるまで無視していると、歩が言った。

「勇さん、携帯鳴ってたね」

 着信名義を見てため息をつく。病院からだった。待機医の勇介に病院からの電話といえば、呼び出ししかない。病院に掛け直すと、看護師長の木村が出た。

『ああ、北詰先生! 愛ちゃんが、あの熱傷の患者さんに敗血症の症状が!』

 落ち着いていたからすっかり安心していたが、大変な事になったと思った。携帯を切って運転席に乗り込みながら後部座席の歩に謝った。

「ゴメンあーちゃん、患者さんの具合が悪くなっちゃって。病院に行かないと」

 歩はちょっと俯いたが、大きく頷いてニコッと笑った。


 ちびっこランドで遊び、お腹いっぱい昼食を摂った渚は、歩の腹の辺りに抱き付いてぐっすり眠ってしまった。チャイルドシートを買い忘れたなと思い、バックミラーでちらちらと後部シートを見ていると、ミラー越しに目を合わせた歩は、適当なところで下ろしてくれと言った。

「俺たち電車で帰るから、患者さんのところにすぐに行ってあげなよ」

 心配そうにしている歩に、

「キミたちを送るぐらいは大丈夫だよ」

 通り道だし心配しないで、と言ったが、歩は険しい顔で眉をひそめた。


 午後の幹線道路を走りぬけ、見慣れた街並みに戻ってくると、車窓に目を向けたまま歩が唐突に言った。

「その赤ちゃんのお母さんの気持ち、オレ良くわかるよ」

 さきほど、容態の急変した患者の事を尋ねられたので、赤ん坊の事やその母親の事を、差し支えない程度に彼に話したのだ。

 歩は切なげな目をして、胸元で眠る渚の髪を撫でる。

 勇介はバックミラー越しに歩をみやりながら言った。

「でも、お母さんも病気になってたんじゃ、どうしようもないだろう?」

「うん、そうなんだけどさ……」

 口ごもったあと、歩は続けた。

「きっと、家に帰っても辛いだけなんだと思うよ。キッチンに立てば子供のやけどの事思い出すし、オモチャやベビー用品見ただけでも悲しくて自分を責めちゃうんじゃないのかな」

 勇介は歩の言うことに納得すると共に、あらためて感動のようなものを覚えていた。どうして歩はそんなにリアルに人の気持ちを感じ取れるのだろう。勇介には、そんなふうに相手の思考を想像することすら思いつかなかった。

 勇介は試しに彼に訊いてみたくなった。

「ねえ、あーちゃん。そのお母さんに対して、ボクらはどうしてあげればいいのかな?」

 歩はミラー越しに勇介の顔をじっと見て言った。

「当たり前だけど、赤ちゃんを治療して助けてあげる事。それから……」

「それから?」

 世間話のフリをしながらも、ひと言も聞き漏らすまいと、勇介は彼の口元に注目する。

「それから……、何でもいいからお手伝いさせてあげたらいいんじゃないかな」

「え」

 期待していただけに、ちょっと拍子抜けした。やはり素人の彼に頼ってみようなんて、どうかしていたのかもしれない。

「それはどうかな……」と口をつぐむと、歩は言った。

「何でもいいんだよ。汗をふくとか、熱をはかるとか、なんか、よくわかんないけど。とにかく何でもいいんじゃないの? そばで子どもに触れられるなら」


 マンションで歩と渚とダイニングテーブルを下ろすと、勇介はそのまま病院へ急いだ。

 今日は浅川も医局長の佐竹も出ているはずなのに呼び出しとは、きっとよほどの事があったに違いないと思った。

 白衣に着替えるのももどかしく、慌てて処置室に入ってギョッとした。心停止の患者に使う電気除細動器(AED)が用意されている。勇介は赤ん坊の居るベッドに近付いた。治療に当たっていた浅川医師が振り向いて言った。

「ああ、北詰ちゃん。悪かったな呼び出して」

「これはいったい……?」

 勇介は患者のカルテと容態を見た。丁度点滴を開始した所で、浅川は疲れた顔で言った。

「今朝から発熱してしまって。それよりココ、いいかな? 近くの工事現場で事故があったみたいで、これから受け入れなんだ」

 頷くと浅川は勇介の肩をポンと叩いて出て行った。労るような彼の叩き方に、何だか嫌な予感がした。


 抗生物質を投与するなどして、一連の処置を済ませた頃、看護師長が入ってきた。

「先生、廊下にお母さんが居るんですけど、お話しますか?」

 勇介はぐったりした小さな体を見やった。この状態で敗血症を発症してしまった今となっては、家族に対して病状説明をしておかなければならないだろう。

(そして、最悪のケースについても……)

 脳裏に歩の顔が浮かんだ。


 ――何でもいいからお手伝いさせてあげたらいいんじゃないかな。


 たとえ我が子の最期を看取る事になったとしても、これから生きてゆくものにとって悔いが残らないようにしてやるのも、医師の仕事の範疇ではないのか、という思いが湧き上がってきた。

(あーちゃんの人間性と子育てする者の気持ちを尊重してみるか)

 勇介は看護師長を呼んで言った。

「師長、お願いがあるんですが。この子のお母さんに、ガーゼの替え方を教えてやってくれませんか?」

「え……?」

「医者がこんな事言うのもなんだけど、親子の愛情の奇跡にすがってみようと思う」

 木村師長は驚いたような顔になったが、何も言わずに一礼して母親を呼びに退室した。

 勇介は患者のバイタルを示す画面に目をやった。小さな患者の脈は弱々しく、その生命を維持する鼓動は今にも止まりそうだった。

(ここまで頑張ったんだから、何とかしてやりたい)

 看護師長に連れられて、真っ青な顔の母親が入ってきた。抗菌素材のキャップとエプロンを身に着け、マスクに手袋をはめている。急に入室を許された母親は、こちらに不安げな顔を向けた。

 勇介はなるべく淡々と病状説明をし、最後に言った。

「決して諦めたわけではありませんから。むしろ可能性を1%でも上げたいので、お母さんも一緒に頑張りましょう」

「一緒に、頑張る……?」

 眉根を寄せる母親をみると、やはり不安になってくる。この見るからに弱々しい母親は、我が子の傷ついた体を正視する事ができるのだろうか。消えてしまいそうな鼓動を聞き続けることが出来るのだろうか。

(ひょっとしてオレは今、とても残酷な事をしようとしているんじゃないのか?)

 不安を押し隠して無表情をつくり、そばに付いている木村師長に目配せする。

木村が母親に向けて言った。

「ガーゼを替えたりするのをお手伝いしてください」

「え……?」

 母親の目が大きく見開かれた。彼女はこちらを見て、次いで我が子の寝かされているベッドに目をやった。

「愛ちゃん……」

 わが子の名前を呟いてぼんやりしている母親を、勇介は導く。

「手袋……とっていいですよ。お子さんの手を握って、時々呼びかけてやってくださいね」

 そう言って、抗菌素材のカーテンをそっとめくった。


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