「鼓動-9」
翌日、晴れ渡った青空の下、勇介は世の中の「お父さん」というものを甘く見ていた事を後悔した。
国道沿いにある巨大ホームセンターで目的のダイニングテーブルを購入し終えると、歩は待ってました!というように、勇介に渚を押し付けた。
「あのさ、ちょっと学校の参考書とか生活雑貨とか見たいからさ、勇さん渚と遊んでてよ」
「え、ええ?」
渚は早くも人混みに怯えて半泣きモードだった。確かにこれ以上渚を連れまわすのは得策ではない。
だがしかし!
「遊んでるって……どこで?」
泣き喚き、じたばたする渚を押さえつけ、人々の行き交う店内を見渡す。歩はエスカレーター脇の看板を指さした。
『青空遊園地・ちびっこランド開設中』とある。
「じゃ、あとで!」
そう言って、彼はあっという間に人混みに紛れてしまった。
「ちょっと!」
勇介はぐずる渚を抱えて看板に寄って行った。ちびっこランドは、屋上に特設されている遊具施設らしい。ミニSLや人気キャラクターの乗り物などがあって、幼児が遊ぶのにぴったりだと書いてある。
渚の泣き声がぴたりとやんだ。勇介は傍若無人なチビスケにお伺いをたててみる。
「渚、ココに行って遊ぶ?」
聞くまでもなく、すでに渚は人気キャラクターの写真に釘付けだ。勇介はため息を吐くとエスカレーターに乗って屋上に向かったのだった。
(最初はよかったんだよ)
吐き気を堪えて彼は目の前の渚の体を支えた。
ポッポー
汽笛がなるたびに、ミニSLの白い煙が勇介を襲う。ホームセンターの屋上に設置された遊園地は、恐ろしい場所だった。狭いスペースに無理矢理敷かれたSLの線路は、やたらとカーブしており一度乗っただけで酔ってしまいそうだった。おまけに煙突から出る白くて臭い排気ガスがちょうど顔の辺りに流れてくるのだ。大人が乗れるといっても、SL自体それほど大きくないので長身の勇介は体を縮めて乗らなければならず、体勢的にも非常につらい。
三周まわってようやく解放されると思いきや、渚はこの乗り物がものすごく気に入ったらしく、また勝手に乗り場へと走って行ってしまった。
「三歳以下のお子さんは、保護者同伴ですよ」
そう係りの人に言われて、勇介はもう四回もこの汽車に連続で乗車しているのだった。
(ああ、眩暈がする……)
料金だってバカにならない。大人子供関係なく一人一回五百円。二人ですでに四千円も投資しているが、まだ三十分も経過していなかった。
「あーちゃん早く帰ってきてくれ~」
思わず呟いて周りを見ると、同じように疲れた顔をしたお父さんと幼い子供だらけだった。
(そうか。奥さんは一人でゆっくり買い物をして、旦那と子供はここで待っているわけか)
ソフトクリームを手にした父子の姿を横目で見ながら、ひとり納得する。
(いつかはオレも自分の本当の子供を連れて、またこんな風に休日を過ごすんだろうな)
そう考えると、子育ては体力のある若いうちが絶対にいい、などと普段考えないことを真剣に考えてしまう。
(でも……オレが誰かと結婚したら、歩や渚は何ていうかな……?)
幾ら考えても想像がつかなかった。第一、自分と相手の女性と歩と渚、その四人で家族として暮らすというヴィジョンが全く思い浮かばない。
(もしも相手の女性が杏子さんだったら、あーちゃんにとっても渚にとっても理想の家庭だよな)
一瞬そう考えて、「バカだな」と呟いた。杏子はすでに亡くなっているじゃないか。それに、杏子は渚の母親であると同時に父の愛人なのだ。その杏子が自分と結婚などするはずもない。そもそも鳴沢杏子が健在であれば、今頃自分はこうして青空の下になど居ないだろう。歩とは出会ってすらいないはずだ。
勇介は目の前に座って奇声を発する渚のつむじをぼんやりと見ていた。
(でも、もしも彼女が生きていたら、あーちゃんも渚も幸せで、オレはS大病院に勤めていて、お互い何の接点も無いままに別々の人生を歩いていたのだろうな……)
今のこの状態がいいのか悪いのか。そんな、考えても仕方のない事で、なんとなくセンチメンタルな気分に浸っているうちに、ようやくSLが止まった。
「もう乗らないぞ」という気持ちをこめて、勇介はがしっと渚の首根っこを捕まえた。
「そりゃ、やりたい放題にやらせといたら、こういった施設はいくらお金があったって足りないよ!」
一時間ほどして戻ってきた歩は泡を吹かんばかりに驚愕していた。気がついたら一万円が消えていた、という話をうっかりしてしまった為だった。
「お昼は家に帰って食べる!」と言い張る歩を何とか説き伏せて、勇介はよく行く寿司屋に二人を連れて行くことにした。
車を走らせてもう少しで目的の店に着くというときに、後部座席から大声が上がった。
「勇さん、ここにしよう! ここ!」
バックミラー越しに彼が指さしているのは、一皿百円が売りの回転寿司だった。
「ええ! こんなところでいいの?」
渋る勇介に歩は満面の笑みで頷いて言った。
「ここがいい。絶対にここ!」
仕方なくウィンカーを出して駐車場に乗り入れた。
正直言って勇介は生まれてこのかた回転寿司の店に入ったことが無かった。歩に案内されるままに店内に足を踏み入れる。
「すごい混んでる」
食事をするのに何十分も待たなければならないような経験も初めてだったので、勇介は興味津々で店内を眺めた。休日ということで、これまた家族連ればかりだ。
歩は慣れた様子で待合所の機械に順番待ちの人数を入力した。
勇介は、店内に張り巡らされた小型のベルトコンベアーにパフェや唐揚げが流れているのを目にして、少々カルチャーショックに陥る。
「なんで……寿司屋でパフェ?」
勇介のセリフに歩が振り返った。彼は茶色い目を大きく見開いている。回転寿司初心者だという事を正直に告げると、歩はますます驚いた顔になった。
「ひょっとして、ボクのこと世間知らずだとか、思ってない?」
先手を打って自分から言うと、歩は驚くような事を言った。
「俺を初めてこの店に連れてきてくれたのって、北詰さん……勇さんのお父さんなんだけどなぁ」
「え……?」
勇介は言葉を無くした。父が(失礼だが)こんな安い庶民的な店に出入りしていた事が信じられなかった。家族で最後に外食したのはいったいいつの事だったか忘れてしまったが、たいていナイフとフォークを使うような店だったと記憶している。
「北詰さんさ、ここのエビマヨロールが大好きだったんだよ」
――知らなかった。
一皿百円の回転寿司でエビマヨロールをほおばる父を勇介は知らない。
順番が来てボックス席に案内された。歩は渚のために玉子の寿司と乳酸菌飲料の乗った皿を取った。飲み物まで回っているのかと、勇介の目は再びベルトコンベアーに釘付けになる。
「勇さん、お腹すいてないの?」
歩に顔を覗き込まれて、彼はとっさに口に出していた。
「エビマヨロールって、どれかな?」
歩はニッコリ笑って座席に付いているタッチパネルで注文してくれた。
それから歩はポツポツと父の話をしてくれた。渚が生まれる前の、杏子と歩と父の交流。
「そうそう、北詰さんが水着で入る温泉テーマパークに連れてってくれたこともあったんだよ」
「ええ!」
そこでも勇介の知らない父の姿があった。確かに家族で温泉くらいは行ったことがあったが、いつも老舗の旅館や格調高いホテルだった。そういったところは子供が楽しく遊べるような施設が無かったから、子供のころはあまり旅行が好きではなかった。
本当の息子の自分ではなく、鳴沢姉弟と父がそんなふうに付き合っていた事に、勇介は心底驚いていた。
(オレは父の何を見ていたのだろう)
高級ホテルも、フルコースのディナーも、ずっと父の嗜好なのだと思い込んでいたのに……。
杏子と渚と歩と父。自分と母ではなく彼らを選んだ父は、本気でもう一度人生をやり直したかったのだろうな、と感じた。見栄っ張りな母と可愛げの無い息子、そして会話の無い食卓に嫌気が差していたに違いない。
杏子とはほとんど言葉を交わした事は無かったが、きっと勇介が歩の中に安らぐものを見つけたように、父は彼女の中に北詰の家には無い温かなものを感じていたのだろう。
歩と出会っていなかったら、後にきっと心のどこかで「父に捨てられた」などと思ったりしたかもしれない。自分と母を捨てて別の人を選んだ父を、ただ単純に恨んだかもしれない。でも、今は違う。今なら、父の気持ちをとても良く理解できる。父が「家族」に対して求めていたものが何だったのか、勇介も母も全くわかっちゃいなかったのだ。
目の前の二人を見てぼんやりしていると、歩は巻き寿司の皿を差し出した。
「勇さん、エビマヨきたよ」
「ああ」
かいがいしく渚の世話を焼く歩を眺めながら、初めて父の好物だという巻き寿司を口に入れた。
微妙な味にちょっとお茶が欲しくなった。




