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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
22/27

「鼓動-7」

 熱傷の幼児が運び込まれてから三日、勇介はずっと病院に泊り込んだ。どんなに気をつけてもやはり体力の落ちた患者には思わぬトラブルがある。ようやく泣き声が出るようになったと思えば、鼻水を詰まらせて呼吸困難になるといった具合で目が離せない。微熱もずっと続いていた。

「北詰ちゃん、医局に荷物が届いてるよ」

 ぼんやりしていたところに、当直明けの浅川が言った。彼は紙袋を差し出した。マジックで大きく『北詰様』と書いてある。

「医局の入口に置いてあったぜ。誰からだ?」

 勇介は首をかしげながら中を覗いた。下着やYシャツと共に、ラップにくるんだサンドイッチが入っていた。

「何が入ってた?」

 訊ねる浅川を押し退けて、処置室を飛び出した。


 救命の出入り口から外に出ると、新緑の桜並木の下を自転車で走り抜けて行く歩の後姿が見えた。後ろの荷台に取り付けたチャイルドシートに渚を乗せている。

(あーちゃん、登校前なのにわざわざ届けてくれたのか)

 歩のさりげない気づかいにホッと温かい気持ちになる。これが家族に対する心遣いというものなのだろうか。春の風になびく茶髪を見送って、勇介はそのまま病院の駐車場にぶらぶらと歩いて行った。

駐車場の桜は緑の葉を広げ、朝の日差しをいっぱいに浴びている。勇介は木の下にあるベンチに腰掛けて、桜の梢を見上げた。爽やかな微風が少し伸びすぎた前髪をふわりと揺らした。久しぶりに太陽を浴びた気がする。手に持ったままの紙袋からサンドイッチを取り出すと、早速いただく事にした。

「ん、うまい」

 歩の手作りのたまごサンドは、とても懐かしい味がする。

(家族か……)

 何だか急に肩の力が抜けてゆくように感じた。早く家に帰りたくなってくる。

 ほっこりとした気分に浸っていると、建物左手から走って来る宮下が見えた。大きな声で名前を呼んでいる。

「やれやれ……」

 ベンチから立ち上がると、宮下は大きな声で言った。

「先生、ちょっとお願いします。愛ちゃんのお母さんが……」


 救命に戻ると赤ん坊の母親が処置室の前に座り込んでいた。彼女の傍らにご主人の姿もある。

「いったい、どうなさったのですか?」

 訊ねると、宮下看護師がそっと耳打ちした。

「何だかノイローゼみたいなんです、愛ちゃんのお母さん」

 良く見れば、母親は顔色が真っ青でげっそりとやつれていた。彼女は処置室のドアにすがって、泣きながら子供の名前を呼んでいる。

「愛ちゃん、お母さんよ。愛ちゃん!」

「博子、先生が来たよ。お話を聞いたら帰るだろう?」

 とりあえず挨拶すると、ご主人が深々と頭を下げて言った。

「すみません、愛が運び込まれてから、妻がどうしても家に帰らないので……」

「え……?」

 勇介はチラリと傍らの宮下看護師を見た。彼はビクッとして言った。

「あの……ボクも散々帰ってくださいって言ったんですけど、お母さん聞いてくれなくて。あれからずっと病院のソファとかで寝起きしてらして……」

 勇介はため息を吐いた。もう一つのため息がそれに重なる。彼女のご主人だった。彼もかなり疲労している様子だ。

 娘が重体で妻がノイローゼでは堪らないだろう。

 ご主人は時計を気にしている。キチンと背広を着込んでいる所を見ると、これから出勤らしい。

「奥さんは安定剤を投与して今日は入院してもらいましょう。ずいぶんと疲れているみたいですし、落ち着いてからボクがお話します」

 ご主人はホッとしたような顔になったが、聞いていた奥さんが再び泣き出した。

「いやよ! この先生怖いんですもの。あなた、助けて!」

(なんだと!)

 彼女の言葉に、勇介の目が一瞬吊り上がる。

(このオレが……こ、怖い?)

 通りかかった浅川や女性看護師たちがクスクス笑った。勇介は不愉快な気持ちを懸命に押さえて、無表情を取り繕うと言った。

「宮下くん、お母さんを内科に連れて行ってください。内科の先生には連絡しておきますから」

 いやよ~と叫んでいる母親を宮下とご主人が引きずるようにして、本館へ連れて行った。


 まるで嵐が去ったように廊下が静けさに包まれた。


 処置室に入ると赤ん坊のベッドを覗いた。薬が利いている様子で、赤ん坊はうつ伏せのままスヤスヤと眠っている。

 丸椅子に腰掛けて、赤ん坊を渚に見立てて考えた。

 母親の言葉はムカつくが、気持ちはわかる。でも、だからといって、彼女が病院に居れば子供の病気が治るというわけでもないのだ。

(医者のオレだって、見守るのが精一杯なのにな……)

 処置室に当直日誌を抱えた浅川が入ってきた。座り込んで考え事をしていると、彼は軽い調子で言った。

「しょーがねぇママだなぁ。ま、良くある事さ。オレたちは患者を診るので精一杯なんだからさ、気にすんなって」

 あんまりにも軽く言われたのが何だか腹立たしかった。

「別に気にしてなんかいませんよ。ばかばかしい」

 言ってはみたものの、本当にそれでいいんだろうか、という思いは消えなかった。


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