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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
15/27

「変化の兆し-6」

 医局に戻る廊下を歩いていると、前方に思いがけない人物を発見しドキリとした。

 茶髪頭の少年が医局の入口から中を覗いている。黒いパーカーの衿元から華奢な首筋がのぞいている。長めのヘアスタイルと相まって、後姿がまるで女の子のように見える。

「歩くん……?」

 普通に声を掛けただけなのに、歩は「ぎゃっ!」と叫んで飛び上がった。茶色がかった大きな瞳をこぼれそうなほどに見開き、こちらを見て口を開けている。

(オレは化け物じゃねぇぞ)

 苦笑しつつも妙に気分がウキウキしてきた。何故歩がここに居るのか不思議だったが、彼の方からアプローチをして来るなんて、出会って初めての事だ。

 先程の彼の叫びを聞きつけて、医局内にいた数人の看護師たちがこちらに注目し始めた。

「あの子可愛い」というナースのセリフが耳に飛び込んでくる。

 それにしても、歩はどうやってここを調べたのだろう。彼の前で自分の職業をしゃべった記憶は無い。そう考えて、生前父から聞いていたのかもしれないと思い当たった。S大病院に尋ねれば、ここに移ったことを教えてもらえるはずだ。それにしても、いったい何の用だろうか。

 無遠慮な視線を向けてくるナースたちから、歩の姿を隠すようにして声をかける。

「よくここがわかったね。少しあっちで話そうか」

 歩はコクンと頷き、勇介を見上げてはにかんだような笑みを見せた。

 医局の中から興味津々でこちらを見ている看護師たちに向かって、治療に関することを手短に指示し、廊下で待たせておいた歩に向かって言った。

「ボクは昼食がまだなんだけど、歩くんは?」

「あ……俺もまだ」

 彼がモゴモゴとつぶやくのを聞き、勇介は再びニッコリと極上の笑顔を見せた。

「ここの食堂、けっこう美味いんだよ」

 勇介は歩を引き連れて食堂に向かった。


 昼時をだいぶ過ぎ、ひと気も疎らな食堂で、二人は窓際のテーブルに向かい合わせで座った。

「同じ物で良かったの?」

 歩は黙って頷き、勇介が注文したのと同じカツカレーを突っつき始めた。歩が何か言い出すだろうと思い、黙って彼の様子を伺っていたが、歩は食事に夢中なのか、まったくしゃべろうとはしない。二人してしばらく無言のままにカツカレーをほおばった。

 沈黙に耐えられなくなって、勇介は当たり障りの無い言葉をかけた。

「歩くん、元気そうで何よりだ。渚も元気?」

 印象良く見えるように笑顔で問いかけると、歩は硬い表情で言った。

「渚は、保育園です。事故以来初めてで、すっげぇ泣いてた。……仕方ないよ、俺、今日から学校だし……」

 別に責めてるわけじゃないのに、歩はつらそうな顔になる。話題を変えようと思い、学校の事を尋ねた。

「学校って、入学式か?」

「うん、式は退屈で、ずっと寝てた」

 俯いた歩の表情は見えなかったが、またいけないことを訊いてしまったような気がする。本来ならば、入学式には保護者である杏子が出席していたのかもしれない。

「クラス分けを見に行ったようなモンだから」そう言って歩は顔を上げると、躊躇いがちに言った。

「お礼を言ってなかったから、マンションの事……。あ、ここの事は名刺で知ったんです」

 怪訝そうな顔の勇介に、歩は一枚の名刺を差し出した。

「姉のマンションでもめたとき、不動産屋さんに渡していたでしょう? それで俺、不動産屋のオヤジからこれもらって、電話したら北詰さんその病院辞めてて、それで……」

「お礼を言うために、わざわざ調べて訪ねて来てくれたの?」

 歩をじっと見つめ、なんて律義なのかとちょっと感動してしまう。足を運ばなくても、電話で済ませることだって出来たはずだ。そう考えて、携帯のバッテリーがとっくに切れていたことを思い出した。

「そっか、携帯、つながらなかったんだね」

 歩はうなずいてから、

「あの……」と、いいにくそうに口をひらく。

「それで、今日はお礼だけのつもりだったんですが、やっぱり俺たちあのマンションを出たほうがいいのかなあ、って……」

 いきなりのセリフに何の事かわからず、勇介はカレーをスプーンにすくったまま、ポカンとしていた。歩は水を一口飲むと一気にしゃべり出した。

「さっき医局で北詰さんの話題が出てました。ずっと病院の仮眠室で寝泊りしてるって。電車ですぐの所にあんな良いマンションがあるのに、病院に住み込んでるなんて……。それって、俺たちがあなたの住まいを取っちゃったからでしょう?」

「いや、そんなことは……」

 話題が妙な方向に逸れ始めたのを感じ、勇介はスプーンを置いた。歩は心配そうな顔つきでこちらを見て言う。

「だって、男の看護師さんが言ってたよ。北詰先生が体をこわさないかと心配だって」

 どうやらこのネタ元は男性看護師の宮下らしい。勇介はため息をついた。

(宮下!)

 アイツは今度きつくお仕置きしなければなるまい。

「あの、俺たちが出ればあなたはあのマンションに住めるでしょう? だから……」

 俯く歩の表情を見ようと、勇介は首を傾けた。感情を素直に伝えてくる歩の瞳をじっと覗き込む。

 せっかく住まいが定まったというのに、本気で言っているのだろうか。

 歩の瞳がゆらぐ。不安が30%、諦めが60%といったところだろう。あとの10%が何なのかわからないが、どうやら本気で言っているように思えた。勇介は残りの10%に探りを入れる。

「ボクのために出て行くというけれど、それじゃあ話があのときに逆戻りだよ」

「でも、それは、その……」

 歩はあせったように言葉を探す。勇介はいちばん気になることをたずねてみた。

「もしかして、歩くんはボクの事、嫌い……とか?」

 歩の茶色がかった瞳は、すぐに反応を示す。彼はこぼれそうなほどに大きく目を見開いた。

 不安30%、諦めが30%に減少。そして残りの40%が動揺に変わったのが見て取れた。

(歩くん……。本当にキミは面白い)

「き・ら・い・で・す・か?」

 一語ずつ区切って再び繰り返すと、動揺と共に疑問のパーセンテージが跳ね上がった。

 彼は「嫌いじゃない」と、小さな声で言って、その理由を懸命に挙げ始めた。勇介が親切だからとか、渚に優しくしてくれたからとか。でも、勇介は少しも聞いちゃいなかった。ただじっとホンネを伝えてくる彼の瞳だけを見つめる。

 不安30%は相変らずだが、「嫌いじゃない」という言葉にウソはないようだった。こちらが黙っていると、歩は話題を元に戻した。

「あなたを好きとか嫌いとか、そうじゃなくて俺だって人並みの常識は持ち合わせているつもりです。あなたが住むべき所に俺たちが住んで、持ち主のあなたが仕事場の仮眠室で暮らしてるって、どう考えてもおかしいでしょう?」

 そういえば歩はマンションの入居に当たって自分なりに条件をつけていたことを思い出した。

『北詰さんがこのマンションを必要になったらすぐに出て行く』彼は確かこんな事を言っていたっけ。

すっかり困り果てた様子で黙り込む歩に、苦笑しながら問いかける。

「あのさ、キミの入居の条件を、少し変更してもらえるとありがたいんだけど」

「え……?」

「そもそも、キミの頭の中には、あのマンションにキミたちが住むか、ボクが住むかという二つの選択肢しか無いのが淋しいね」

「どういう意味ですか?」

 困惑した表情の歩に、思い切って告げた。

「一緒に暮らさないか?」

 自分で言ったセリフに、勇介は何だかどぎまぎした。もっと他に言いようがあっただろうに。

 チラリと目を合わせると、歩は真っ赤になって固まっている。これをどう受け止めたらいいのかわからない。戸惑っているのはわかるが、真っ赤な顔の真意が見えなくて、なんだか不安になってきた。ひょっとして怒らせてしまったのだろうか? 手を差し延べる事で、子ども扱いしたと思っているのかもしれないと気付き、慌てて付け足した。

「さっき、嫌いじゃないって言ってくれたよね。どうかな、いい考えだと思うんだけど」

 歩は黙ったまま冷たくなり始めたカレーを皿の中でぐるぐるとかき回している。勇介は肩をすくめるともう一押ししてみようと口をひらいた。

「深く考えることなんてないさ。ボクは……」

「北詰さんは、わかってないよ」

「え?」

 どういう意味かとたずねると、歩はふいに泣きそうな顔になった。

「渚がいるんだ。ルームシェアとは違うんだよ。俺たちきっと、あなたに迷惑をかける」

 ああ、やっぱり歩は自分たちより相手のことを考えてしまうのだなと、彼の苦悩がようやく腑に落ちた。

 どう言ったら気持ちが伝わるのかわからないが、勇介は諦め半分で正直に言ってみた。

「歩くんは信じてくれないと思うけど、ボクはそういうの、わかってるつもりだよ」

 歩がじっとこちらの口元を見ている。勇介は言った。

「全部わかった上で一緒に暮らそうといったんだ。迷惑なんて、ボクはぜんぜんかまわない。ただ、キミが……キミたちがボクの事を受け入れてくれるなら、という条件はつくけどね」

 自分で言っておきながら再び恥ずかしさが込み上げてきた。自分は何をやっているんだろう。年下の少年相手に頭をさげて懇願するみたいなマネなんて、どうかしている。きっと歩はヘンに思うに違いない。もしもこれで断られたら、二人に関わるのは、もうこれっきりにしよう。そう思ったとき、

「嫌じゃないです。てゆうか、あのマンションは北詰さんの物だし。出て行くアテがない以上、もしあなたがそう望むなら、今の俺たちはそうするしかない」

 そう言った歩の言葉に、勇介は少々がっかりした。

(そうか……。立場が対等ではないって事か)

 家主と店子。保護者と被保護者。勇介が彼らに接するとき、そんな事は考えてもいなかったが、歩にしてみればそういう認識なのかもしれない。


 何だか淋しかった。


 沈黙が二人の間に落ちてくる。それはさきほどの沈黙より重い。勇介は思わずため息と共につぶやく。

「そういうんじゃなくてさ、なんか、普通に、家族みたいにくらすのも悪くないかな、なんて思ったんだけど……」

 ふと顔を上げると、歩が驚いたように目を見開いていた。聞かなかったことにしてくれという意味を込めて、勇介は「ごめん」と言った。

さっさと食べて終わりにしようと、カレーを口に運んでいると、いきなり歩が立ち上がった。

「家族みたいに?」

「え?」

 聞き返し、彼がさっきの自分のつぶやきに対して問い返したのだと気づく。

「ああ、そういうつもりだったんだけど」

 歩は心配そうな顔つきでこちらを見て言った。

「ほんとうに、いいの? 俺たちがいても、いいの?」

「あ、ああ、もちろん」

 歩の勢いに、勇介は少々たじろぐ。

「一緒にご飯食べたりとか、してもいいの?」

「そうだよ」

「渚、あなたの部屋に入ったり、持ち物をいたずらしたりするかもしれないよ」

 勇介はふっと笑みを漏らす。

「そんなの、望むところさ」

 歩は破願した。

「俺、あなたと暮らしたい。それで、あなたの事もっと知りたいし、俺や渚の事ももっと知ってもらって、それで家族みたいに暮らしたい」

「決まりだな」

 勇介が言うと、歩はほっとしたように、再び椅子に座り込んだ。

 勇介の頭の中に、さっきの仔猫のヴィジョンが浮かぶ。そして木村師長の言葉が聞こえてきた。

 ――最後まで責任が持てないなら、最初から放っておく事……。


(最初から最後まで、責任を持てばいいんだろう?)


 ――家族みたいに。

 その言葉が、歩の声を伴って、勇介の胸の中に温かく残った。


 今日からマンションで一緒に暮らす事を約束して、歩と共に食堂を出た。

「遅くなるようだったら連絡するから、あーちゃんの携帯番号教えてくれないかな」

「あーちゃん」と呼ぶと、歩は困ったような顔になった。家族なのだからそういうところから入るべきだと思い、勇介は歩をそう呼ぶ事にしたのだ。渚が「あーちゃん」と呼んでいたので、勇介側としては、特に違和感は無い。歩は勇介のことを「勇さん」と呼ぶ事にしたらしいが、まあまあってとこかな。十二歳も年上だし、おじさんと言われるよりマシだろう。

 歩は俯くと茶髪頭をしきりに撫で付けながら言った。

「あの、俺、携帯は持ってないんだ。……金かかるから。電話もひいてないです。す、すみません……」

 そういえばマンションには電話が無かった。携帯があれば不自由しないからだ。でも定住するならば他にも色々なものが必要になるのだろう。

 救命の入口まで歩を送りに出る。なんとなく、彼の茶髪頭をポンポンと軽く叩くと、彼は勇介を見上げて眩しいまでの笑顔を向けた。笑うと歩の小さな顔がいっそう中性的になり、なんだかドキリとさせられる。亡くなった杏子に瓜二つだからだろうか。

 歩は手を振ると、ちょっと照れたように言った。

「勇さん、早く帰ってきてね! 俺、ごちそう作って待ってるから!」

 散り始めた桜の下を駆けて行く歩の後姿を見送って、勇介は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

(家族……か)

 多分、これからの生活はがらりと変わるに違いない。いや、生活だけでなく、今後の人生も。そんな予感がした。

「今日こそ、帰るぞ!」

 勇介は気合を入れて仕事場に戻って行った。


ようやく「家族ごっこ」のスタートです。

次回から第2章が始まります。よろしく!

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