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リアルファミリー  作者: 冴木 昴
11/27

「変化の兆し-2」

勇介、左遷!!

その行き先は……?

 桜の巨木に囲まれた市立総合病院。またココへくることになるとは思いもよらなかった。

 見慣れた駐車場に車を停めると、フロントガラスから桜の木の梢を見上げた。歩とココで話をした。あれから一週間、桜はいまや満開だ。天気が良いので、桜の下を散歩する患者と、その家族の姿が何組も目に付いた。

 勇介はため息をつくと正面玄関から病院の建物に入って行った。午後三時を回り、何処の科の外来も終了している為、正面ロビーはひと気がまばらだった。総合受付で院長へのアポイントをとろうとすると、

「院長室はこの建物の裏手、救急センターの二階です」

 受付嬢……というにはいささかとうのたった女性があっさりと言って、建物の見取り図を取り出した。

「勝手に……行ってもいいんですか?」

「はい、どうぞ」

 勇介は頭を下げると救命のある建物に向かった。院長に会うのに「ご自由に」とは……。S大病院ではまず考えられない事だった。

(なんか……いやだな……)

 実はとんでもない所へきてしまったのではないかと、胸に一抹の不安がよぎった。


 院長室を探し当て、ノックをしたが応答は無かった。しばらくウロウロしていると、通りかかった男性看護師が声を掛けてくれた。

「桂院長は救命です。オペ室に入ってしまったので、今はちょっと……」

 勇介は耳を疑った。院長自ら救命でオペをしているなど、聞いた事が無い。彼は男性看護師の名札を見た。

《宮下雅史》

 みやしたまさし……あるいは、まさふみ? まあ、どちらでもいい。まだ若い宮下は、気の毒なほどのニキビ面だった。

「今日から着任する予定の北詰です。院長のところへ案内してください」

「うひゃ!」

 宮下看護師は奇妙な声をあげたかと思うと真っ赤になった。目が左右にせわしなく泳ぐ。

(コイツ、大丈夫なのか?)

 かなり心配になってきたころ、彼はようやく正気に戻ったように目を瞬き、

「あ、う、こ……こちらへどうぞ」

 妙なアクセントで言って歩き出す。何故だかわからないが、彼は右手と右足が一緒になった歩き方をしている。

(ヘンなやつだ)

 勇介は笑いを堪えながら、ひょこひょこ歩く宮下について、救命救急センターに足を踏み入れた。


「ここが医局です」

 そう言うと、宮下は勇介一人を残して出てゆこうとする。医局はがらんとしていて誰もいなかったので、慌てて彼を呼び止めた。

「おい、ここ救命だろ? コールが来たら誰が受けるんだ?」

「うっ……あーえーっと……」

 その時いきなりコールが鳴った。

「ひょえー!」

 宮下が奇声を発して飛び上がった。彼は逃げるようにして医局を出てゆこうとする。

「おい! なんで逃げるんだよ!」

 怒鳴り声に彼はビクンと肩を震わせると、渋々鳴り響く受話器を取りに戻ってきた。

(いったい、どうなってるんだ?)

 心配になった勇介は宮下を目で追った。しかし、勇介が見ているのを承知で、彼はとんでもない受け答えをした。

「はいはい……交通事故。バイクで……はい。意識があるんでしたら大丈夫っす。今、いっぱいなんで、別の所へ行ってもらえます?」

 勇介は、ビックリして思わず受話器をひったくると言った。

「今のは間違いです。すぐ、すぐに運んでください!」

 大きく息を吐き出し受話器を置く勇介に、宮下がどういうわけか咎めるように言う。

「北詰先生……でしたっけ? オペ室も処置室も塞がってるのに。先生方も先輩たちも居なくて、どうするつもりですか?」

「ばっかやろう! オレとお前が居るだろうが!」

 思わず怒鳴りつけると、宮下は目を白黒させて息を飲んだ。彼の反応を見て、今度は勇介のほうがハッとする。

 いきなり現れて、初対面の人間を怒鳴りつけるなど、どうかしている。

 ……でも。

 交通事故と聞いて黙ってはいられなかったのだ。父は結局助からなかったが、それでも医師たちはやれる事はすべてやってくれて、その事にとても感謝していた。あの時の、彼らの一生懸命が伝わってきたからだ。

(あれ? オレ今、事故に遭った身内の立場で考えてる……?)

 医師としてではなく、患者側の立場で考えてしまう自分に、勇介自身が驚いていた。今まで何人もの治療に当たってきたが、こんな事を考えるのは初めてだった。


 救急車のサイレンが近付いてきた。勇介の中でスイッチが入り、医師のモードに切り替わる。

「宮下くん、救急の入口はどっちだ?」

 こちらです! と案内しようとする彼を制して勇介は怒鳴った。

「キミはさっさと生食準備して救急パックでも揃えておけっ!」

「ふぁいいいっ!」

 妙な声と共に軍隊の敬礼ポーズをすると、宮下看護師は準備室に消えた。勇介はジャケットを放り出すとネクタイをはずし、スラックスのポケットに押し込みながら救急入口へ向かった。


 幸い患者は軽傷だった。バイクでこけて右大腿部挫傷。骨折なし。

 処置室がいっぱいであることを告げて、救命の廊下にあるソファに患者を座らせた。そのまますぐに治療を始めると、若い男性患者は文句を言った。

「おいおい、ここ廊下じゃねぇの?」

 勇介は男の言葉を無視して消毒した傷口に滅菌ガーゼを乗せた。

「なんでこんなところでパンツ姿にならなきゃいけねぇのかな。ちゃんとした場所でやれよ」

 喚く男性患者に、何だか腹が立ってきた。医者としての使命感と患者の立場に立った医療を新たな職場で! などと一瞬でも考えたというのに、バカらしくなってきた。勇介は怒りに任せてぐるぐるとすごい速さで包帯を巻いた。

「あの、一応衝立で仕切ってますから、大丈夫ですよ。見えませんから」

 懸命に自制心を保とうとしている勇介の代わりに宮下が答える。

「……ったくボロいな。それにセンセ、何でYシャツ? 白衣着てねーじゃん。もしかして、もぐりの医者?」

 もう一箇所の傷口に叩き込むように消毒薬を塗る。

「痛ぇな!」

 患者はさらに文句を言う。

「だいたいなんでナースが男なんだよ! オレは白衣の天使に会えるかと思って期待したんだぜ」

 チラリと横目で宮下を見ると、彼のこめかみに青筋が浮いていた。なおも何か言おうとする患者に向き直り、一括する。

「打ち所が悪かったら、本物の天使を見ることになってたかもしれないのに、よく言うな」

 険しい顔の宮下の代わりに、今度は勇介が答えてやった。

 患者はようやく二人の表情に気付いたらしくそれっきり大人しくなった。


 治療を終えた頃、オペ室のドアが開いてストレッチャーに乗った患者が運び出された。

 患者の後から血色の良い初老の医師が現れた。中肉中背、メガネの奥の目は優しそうで、どことなく恩師の香川教授に雰囲気が似ている。彼の青い手術着は汗まみれだった。きっと大変なオペだったに違いない。

「桂院長、北詰先生です。S大病院の」

 宮下が紹介してくれた。頭を下げると、桂院長は人の良さそうな笑みを浮かべて握手の手を差し出した。

「いやあ、疲れた。なんせ人手不足でね。本当に、待ってましたよ、あなたを」

 そう言ってキャップを取った頭に目が釘付けになる。桂院長は見事につるっぱげだった。

 桂院長は医局に入っていくと奥のコーナーにあるソファにぐったりと座った。勇介も座るようにと指示されたので、向かいの椅子に腰を下ろすと、院長がいきなり、

「タバコ、持ってない?」と手を出した。

「はあ?」

 一瞬何を言われたのかわからなかった。院長は出した右手を「ピース」の形にすると、自分の口元に持ってゆくゼスチュアをした。

「ここって、禁煙では?」

 いぶかりつつもタバコを差し出し、ライターで火をつけてやると、桂院長は一服しながら気さくな様子で言った。

「おれさまは特別なの!」

(おれさま……って)

 勇介が眉間にしわを寄せていると、携帯灰皿に灰を落としながら桂が身を乗り出した。

「そうそう、キミのこと、香川から全部聞いてるよ。アイツとは大学時代からのつきあいでさ。キミの事情を知っているのは私と医局長の佐竹先生だけだから」

 桂院長が目線を勇介の背後に向けた。振り返ると胡麻塩頭に大汗を掻いた中年の医師が医局のドアを開けて入ってきた。

「あの方が……」

 佐竹医局長は、父を担当してくれた医師だった。

「あの事故は本当に気の毒だった。特に私が診た女性はね。若かったし綺麗な子だったからねえ……」

 鳴沢杏子のことだとすぐにわかった。杏子は即死だったと聞いているが、本人確認は歩がしたのだろうか。

「その女性……鳴沢杏子さんの状態はどうだったのですか?」

 勇介は思わずたずねた。おそらく、鳴沢杏子の遺体はひどい損傷だったに違いない。それを歩は確認しなければならなかったのだと思うと、胸が痛む。

「頭部粉砕骨折。……見る?」

「え?」

 桂院長は立ち上がると、背後のキャビネットをあさり始めた。

 振り向いて手渡されたのは、鳴沢杏子のカルテ一式だった。

 添付された数枚の写真を見て、勇介は思わずうめく。搬送直後の損傷状態は激しいものの、それがもう一枚の写真では驚くほどきれいになっている。

「院長、これは……」

 写真を差し出すと、桂は白い煙を天井に向かってフウとふき出し、メガネの奥の目を細めた。

「香川は循環器系だったけど、私の専門は形成外科だからさ」

「じゃあ、杏子さんのつぶれた頭部をきれいにしたのは……」

「そ、おれさま」

 桂はにまっと笑った。

 この病院も捨てたもんじゃないのかもしれない。そう思ったときの自分は、まだ救命の恐ろしさを知らないタダの世間知らずな若造だった、とあとから思い知ることになる。


 引き続き、父と杏子のカルテを見せてもらっていると、着替えを済ませて戻ってきた桂院長が言った。

「北詰くん、悪いんだけどさ、今日から……いいかな?」

「は?」

 首をかしげる勇介に、桂は申し訳無さそうに拝みながら言った。

「当直、いいかな。院長としての仕事、溜まってんだよね」

 こちらの返事も待たず、桂院長は分厚い当直の手引きを差し出した。

「ちょっと、なんですか、コレ?」

 受け取るのを拒むように身をよじる勇介の腕に、ぐいぐい押し付けることさえする。

「そもそもいくら人が居ないからってさ、院長が当直なんて前代未聞でしょ? ホント、かわいそうだよねえ、おれさま……」

 そんな強引な行動とはうらはらに、泣き言のようなセリフをいうのはどんなもんだろう?

「ねえ北詰センセ。こういうのってさあ、S大病院じゃ有り得ないでしょう? ねっ、ねっ!」

 着任早々の当直だって有り得ない! 

 心の中で叫びつつ、勇介は渋々分厚い手引きを受け取った。

「今日のペアの看護師は宮下くんだから、わからない事は彼に聞いてください。もうじき三年になるから、頼りになると思いますよ」

 院長は自分のハゲ頭を撫で回しながらニッと笑った。

(ウソをつけっ! あのニキビ面、ちっとも頼りになんかなるものか!)

 勇介は桂院長の目を見ないようにして、心の中で悪態をついた。さっきの宮下看護師の態度はとても三年のキャリアがあるとは思えない。救命の看護師のクセに、コールは無視するし、患者を断ろうとするなんて。それこそS大病院では有り得ない。

(所詮、市民病院だからな……)

 考えてみれば、こんな所に飛ばされた自分だって、ロクなもんじゃないのかも知れない。働き口があっただけ、ありがたいというものだろう。

 鬱々と考えているうちに、桂院長はサッと席を立って姿を消してしまった。どいつもこいつも逃げ足だけは速いな、と思っていると早速コールが鳴り響いた。勇介は手渡された当直の手引きと白衣を持って、ロッカー室に走って行った。


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