ちゃんとしていたい私が、山道で転んだ~魔物の声を聴く魔術師は恥ずかしさの奥に隠された自分の声と出会う
レンとセナは、グレートアルカナ峠と呼ばれる高い峰に続く狭い山道を登っていた。
そこは、旅人が「自分の中に眠る響きと出会う」と言われる場所だった。
いつもはレンが先頭だが、この時はセナが前を歩いていた。
張り出した木の根が足元に絡みつき、歩きにくい道を、二人は慎重に登っていた
「あっ!!」
セナは木の根に足をとられ、派手に転んだ。
「いたた……。」
すぐに立ち上がり、服についた土を払い、何事もなかったように歩き出す。
「大丈夫か?」
レンが後ろから声をかける。
「大丈夫。」
「痛いか?」
「痛くない。」
「そうか。・・・少し休むか?」
「大丈夫!」
「そうか。少し休もう。」
レンはセナを無視して近くの木の根の脇に座り、水を飲んだ。
セナも立ち止まり、近くの岩の上に座った。
セナの顔は真っ赤だった。
「……見た?」
「見た。」
「忘れて。」
レンは少し考えた。
「転んだことを?」
「全部!」
「そうか。」
レンは音叉を取り出した。
「えっ・・。ここで鳴らすの?」
キィン――。
セナの胸から、いくつもの小さな響きが聞こえた。
『かっこ悪い。』
『笑われたくない。』
『ちゃんとしていると思われたい。』
その奥から、さらに小さな声がした。
『恥ずかしい・・・』
セナは膝の中に顔をうずめた。
レンは音叉を下ろした。
「恥ずかしさは、何を言っている?」
セナは顔をうずめたまま答えた。
「今日は私が前を歩いていた。頑張っていた。それなのに、かっこ悪いところを見られた。」
「まあ、あまりかっこ良くはなかったな。」
「弱いと思われた。ちゃんとしていないと思われた。足元も見ない、軽率なやつと思われた。」
レンは軽くつぶやいて音叉を鳴らした。
「真響・・・。」
それは、感情の奥に隠された本当の響きを聴く詠唱。
キィン――。
「それ、誰が言っている。」
「・・・・・私。」
「そうか。」
「先生に弱いと思われたくない。軽率なやつと思われたくない。ちゃんとしていると思われたい。」
「・・・恥ずかしさは、転んだお前がそれ以上傷つかないように守っているんだな。」
「先生、私のこと、軽率なやつだと思ったでしょ。」
「失敗したな、とは思った。でも、失敗した事実と軽率とは同じではないと思う。」
セナは少し黙ったあと、顔を上げて言った。
「……じゃあ、転んでもいいの?」
「転ぶなとは言わない。転ばないように気をつけてほしいな、とは思う。」
風が、山道を吹き抜けていった。
「ああ!!」
再び、セナは顔を膝にうずめた。
「今度はどうした。」
「こんなことで、『忘れて』なんて言った自分が恥ずかしい。」
「それで?」
「鳴らして・・・」
レンはクスッと笑いながら音叉を鳴らした。
キィィイン――。
「・・・自分の声も聴けない自分は響律師としてまだまだだ。ダメな自分を隠したい。守りたい。」
「そうか。」
レンはさらに音叉を鳴らす。
キィィイン――。
「でも、先生は一言も私のことをダメなやつとは言っていない。」
「転んだことも軽率だとは言わなかった。」
「私は今日、頑張りたくて前を歩いていた。」
しばらくして、セナはむっくりと顔を上げた。
「どうしようかな。」
「何を?」
「この後も先生の前を歩くか、後ろを歩くか考えている。」
「なるほど。」
セナはゆっくりと水を飲んだ。
鳥の声が聞こえる。
風が吹いて、木の葉がさらさらと音を立てる。
「やっぱり、しばらくおしりを見られたくないから、この後は後ろを歩く。」
「了解。」
二人は立ち上がり、再び歩き始めた。
グレートアルカナ峠の峰は、もうすぐそこだった。
この話は続編があります。続編は『響律の魔術師レンとセナの旅ー魔物を倒さない魔術師が、白い霧に包まれた峠でタロットカードの《愚者》と《隠者》に出会った』でどうぞ。




