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ファンタジー小説だった気がします

死んでも蘇る魔女を火刑にしたら、聖女だと証明してしまいました

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/07/24

 

「今日の火刑、少し長引くそうよ」


 鏡の前で髪を梳かれながら、エルマは言った。


 背後に立つ侍女のノアは、櫛を止めなかった。


「では、夕食は遅めにいたします」


「帰るのは明日の朝になるわ」


「朝食にスープでも構いません」


「玉葱を多めにして」


「かしこまりました」


 窓の外では、処刑場を組み立てる槌の音が響いている。


 今日の正午、エルマは火刑に処される。


 罪状は、聖女詐称および邪法による民衆扇動。


 本人は一度も聖女を名乗っていない。


 死んでも蘇るから魔女だと、何度説明しても信じてもらえなかっただけだ。


「着替えは棺の近くに置いておいてね」


「近づければ」


「伯爵が許さないでしょうね」


「おそらく」


 ノアはエルマの髪をまとめ、黒い紐を結んだ。


 いつもと同じ、簡素な仕上がりだった。


 ただ、櫛を置いた指が白くなっている。強く握りすぎていたらしい。


 エルマはそれを見たが、何も言わなかった。


 代わりに、机の上の鞄を覗く。


 肌着。生成りのドレス。靴。櫛。濡らした布。水筒。焼き菓子。


「ずいぶん多いわね」


「復活後は空腹になりますので」


「前回は川から上がっただけで、パンを三つ食べたものね」


「四つです」


「そんなに?」


「最後の一つは、わたくしの分でした」


「あら。悪いことをしたわ」


「戻っていらしたので、構いません」


 ノアの声は平坦だった。


 その言葉だけが、妙に重かった。


 エルマが死ぬのは、今日で三度目になる。


 最初は毒だった。


 宴席で倒れ、神殿へ運ばれた翌朝、遺体安置室で目を覚ました。


 二度目は斬首だった。


 胴体は牢獄、首は神殿へ運ばれたが、翌朝には胴体のほうから五体満足で現れた。その際、服まで戻らないことが分かった。


 そして三度目が、今日の火刑である。


 これまでの復活はすべて偽装だと、ハーゲン伯爵は主張していた。


 毒殺後の遺体は神殿が管理した。斬首後も、首と胴が別々に保管された。それなら擁立派が替え玉を用意することもできるという理屈だ。


 だから今回は、誰にも細工できないようにする。


 民衆の前で焼き、灰を伯爵自身が集め、透明な聖晶棺へ入れる。七つの錠を掛け、伯爵家の封蝋を施し、兵士と司祭と市民の代表が夜通し監視する。


 偽装ならば、絶対に蘇れない。


 よく考えられた方法だった。


「伯爵は、私が本当に死んだらどうするつもりなのかしら」


「謝罪なさるのでは」


「誰に?」


「墓石に」


 エルマは鏡越しにノアを見た。


 冗談を言った顔ではなかった。


「宰相から連絡は?」


「ございません」


「助命の王命が出たという噂は?」


「ございます」


「では、間に合わないのね」


「間に合わせないのでしょう」


 エルマは小さく息を吐いた。


 ハーゲン伯爵は、復活が偽装だと証明するために彼女を殺したい。


 宰相レオルは、復活が本物だと証明するために彼女が殺されるのを待っている。


「伯爵は私を殺したい。宰相は私が殺されるところを見せたい。見事に利害が一致しているわね」


「どちらにせよ、エルマ様が死ぬことには変わりません」


「そうね」


 ノアだけが、聖女も魔女も国家も見ていなかった。


 エルマが死ぬことだけを見ている。


 迎えの兵士が扉を叩いた。


 エルマは椅子から立ち、黒いドレスの裾を払った。


「行ってくるわ」


「はい」


「玉葱、多めよ」


「必ずお帰りください」


 それは返事になっていなかった。


 エルマは少し考えてから、笑った。


「努力するわ」


 処刑場となった中央広場には、数え切れないほどの人が集まっていた。


 建物の窓にも、屋根にも人がいる。


 中央には太い杭が立ち、その周囲へ薪が積み上げられていた。


 ずいぶん多い。


 長引くという話は、どうやら間違いだったらしい。あれだけあれば、よく燃える。


 壇上では、ハーゲン伯爵が罪状を読み上げていた。


 痩せた長身に灰色の礼服をまとい、胸には教会から授けられた勲章を着けている。民衆の迷信から国を守る、理性的で敬虔な人物として知られていた。


 エルマも、彼を愚かだとは思っていない。


 むしろ困るほど頭がよかった。


 だから、こちらの言葉を信じない。


「罪人エルマ」


 伯爵は羊皮紙を閉じた。


「今ならば、まだ魂を救う道は残されている。自ら聖女ではないと認め、これまでの復活が偽りであったと告白せよ」


「私は聖女ではないわ」


 群衆がざわめいた。


 伯爵は満足そうに顎を引いた。


「では、奇跡を偽ったと認めるのだな」


「いいえ。死んでも戻るのは本当よ」


「なおも民を惑わせるか!」


「正直に話しているのに……」


 広場のあちこちから声が上がった。


 聖女様。


 おいたわしい。


 信仰を捨てさせるため、無理に言わされているのだ。


 なぜそうなるのか、エルマには分からない。


「私は魔女よ」


 今度は、すすり泣く声が聞こえた。


 死を前にしても自らを卑下し、民を守ろうとなさっている。


 どうやら説明するほど悪化するらしい。


 伯爵が手を振った。


 兵士がエルマの腕をつかみ、杭の前へ連れていく。


 ノアは群衆の最後列にいた。


 エルマは兵士の手を緩めさせ、少しだけそちらへ寄った。


「明日の朝、棺の近くにいて」


「はい」


「前回みたいに遅れないでね。裸で歩くのは寒いから」


「あれは、エルマ様が予定より二時間早く蘇られたからです」


「今回は何時になるかしら」


「日の出から半刻以内と見込んでおります」


「遅れたら?」


「お待ちください」


「裸で?」


「灰の中で」


 兵士が咳払いをした。


 ノアは鞄を抱き締めた。


「必ず、お帰りください」


「玉葱のスープを用意しておいて」


「はい」


 それ以上は言わなかった。


 杭へ縛られる。


 縄は手首と肘、胸、腰、膝に巻かれた。逃げるつもりはなかったが、ずいぶん念入りだった。


 伯爵が自ら松明を受け取る。


「神よ。この者の魂が偽りの鎖から解き放たれんことを」


「生き返ったら、あなたの祈りが通じなかったことになるのかしら」


 伯爵の眉が動いた。


「火を」


 松明が落とされた。


 火は、まず薪を焼いた。


 油を染み込ませてあったのだろう。青い炎が一瞬走り、すぐに黄色く変わった。


 最初に来たのは熱ではなく煙だった。


 風向きが変わり、黒い煙がエルマを包む。目が痛み、反射的に息を吸ってしまった。


 咳が出る。


 もう一度吸い、また咳をした。


 三度目は、うまく咳にならなかった。


 足元から熱が上がってきた。


 すぐに全身が炎へ包まれるわけではない。まず靴の表面が変色し、縫い糸が縮れた。次にドレスの裾が焦げ、黒く丸まる。


 布へ火が移った。


 膝から下が急に熱くなった。


 エルマは手首を動かした。縄はまだ固い。


 群衆の誰かが叫んだ。


「魔女を焼け!」


 もう焼けているのだけれど。


 そう答えるつもりだった。


 口を開くと熱い空気が入り、声の代わりに咳が漏れた。


 炎が脚を包んだ。


 痛みはひとつではなかった。


 皮膚の表面を焼く痛み。その下を細い刃で削られるような痛み。もっと奥から遅れて押し寄せる、形のない痛み。


 身体が勝手に逃げようとした。


 縄が胸に食い込む。


 杭が揺れるほど暴れたところで、どこへも行けない。


 知っていた。


 火刑がどういうものか、聞いていた。苦しむ時間を短くするには煙を吸ったほうがいいとも教えられた。


 知っていることと、耐えられることは違った。


 エルマは声を上げまいと歯を食いしばった。


 喉から低い音が出た。


 それが自分の声だと分からなかった。


 髪が焼けた。


 焦げた臭いが鼻の奥へ貼りつく。


 炎が腹まで上がる。


 もう痛みの場所を分けて考えられなかった。身体のどこに手があり、どこから脚が始まるのかも曖昧になる。


 それでも意識だけは残った。


 群衆が何かを叫んでいる。


 祈りの言葉。


 罵声。


 泣き声。


 全部が混ざっていた。


 エルマはノアを探した。


 煙で視界が白く濁る。


 何度か目を閉じ、無理に開く。


 群衆の後ろに、黒い服が見えた。


 ノアは祈っていなかった。


 泣いてもいなかった。


 ただ、こちらを見ていた。


 目を逸らさずに。


 胸に巻かれた縄が焼け切れた。


 身体が前へ崩れる。


 まだ腰と膝が杭につながれている。逃げることはできなかった。


 仮に逃げられたとしても、逃げるつもりはなかった。


 ここで生き延びれば、ノアが協力者として捕らえられる。宰相派の人間も、替え玉を用意したと疑われる。


 だから、今日は死ぬしかない。


 分かっていた。


 分かっていたのに、身体は必死に息を求めた。


 熱い空気が喉へ入り、内側まで焼いた。


 今度こそ悲鳴が出た。


 群衆が沸いた。


 邪悪な魔女の断末魔だと、誰かが叫んだ。


 違う。


 ただ痛いだけだ。


 そう言いたかったが、舌が動かなかった。


 帰ったら、スープを飲もう。


 玉葱を多めにして。


 ノアはきっと、パンも焼いている。


 そこで意識が途切れた。


 あ、死んだ。


 ◇


 火が消えたのは、日が傾いてからだった。


 ハーゲン伯爵は誰にも作業を任せなかった。


 鉄の火掻き棒で灰を崩し、残った骨片を一つずつ拾う。処刑台の下へ落ちたものまで兵士に探させ、白布の上へ並べた。


 灰と骨は、その場で透明な聖晶棺へ収められた。


 蓋を閉じ、七つの錠を掛ける。


 継ぎ目には伯爵家の紋章を刻んだ赤い封蝋が施された。


「これで、偽りは終わる」


 伯爵は集まった者たちに宣言した。


 棺は大聖堂の中央へ運ばれた。


 兵士が八名。教会の司祭が三名。市民の代表が十二名。


 彼らが交代で棺を見張る。


 ノアも大聖堂へ入ろうとしたが、入口で止められた。


「偽装の協力者を近づけるわけにはいかん」


 伯爵が言った。


「では、朝になりましたらお迎えに参ります」


「迎える者などおらん」


「そうでございますか」


 ノアは頭を下げた。


 反論せず、屋敷へ帰った。


 エルマの部屋には、朝のまま椅子が置かれていた。


 ノアは椅子の背へ生成りのドレスを掛けた。寝台の上へ肌着を並べ、枕元へ靴を置く。


 厨房へ行き、玉葱を刻んだ。


 鍋へ油を引き、弱い火にかける。


 火が上がった瞬間、ノアの手が止まった。


 広場で聞いた声が、耳の奥へ蘇った。


 握っていた木匙が震え、鍋の縁へ当たる。


 ノアは火を消した。


 しばらくしてから、もう一度つけた。


 玉葱を炒め、芋と豆を加え、水を注ぐ。


 二人分の食器を食卓へ並べた。


 時計を見る。


 まだ夜半にもなっていない。


 ノアは椅子に座り、夜明けを待った。


 一睡もしなかった。


 翌朝、大聖堂には再び民衆が集められた。


 祭壇の中央には、昨夜封じられた聖晶棺が置かれている。


 中身は灰のままだった。


 封蝋に傷はない。錠もすべて閉じている。


 ハーゲン伯爵は棺の前へ立った。


「見よ」


 よく通る声が堂内へ響いた。


「死者は蘇らぬ。それこそが神の定めである。我らは長らく、偽りの奇跡によって惑わされていた」


 居並ぶ聖職者たちが頷いた。


「本日より、この地は迷信ではなく、正しき信仰と法によって治められる。偽聖女を討ったこの私が――」


 こつ。


 小さな音がした。


 伯爵が口を閉じた。


 誰かが咳をしたのだろうと、周囲を睨む。


 こつ、こつ。


 今度は全員が聞いた。


 音は棺の中からしていた。


 透明な蓋の下で、灰が動いた。


 白い指が現れる。


 灰を押し退けるように、手が蓋へ触れた。


 悲鳴が上がった。


 棺の中に、いつの間にか人間がいた。


 骨や肉が組み上がったのではない。


 一瞬前まで灰しかなかった場所に、裸のエルマが横たわっている。


 エルマは目を開けた。


 二度瞬きをしてから、上半身を起こす。


 額が蓋にぶつかった。


 こつ。


「あの」


 声は棺の外へほとんど届かなかった。


 エルマはもう一度、蓋を叩いた。


「あの。復活したところ悪いのだけれど」


 誰も動かない。


「ここ、空気が少ないわ」


 伯爵が後ずさった。


「あり得ない」


 エルマは蓋の錠を指で示した。


「鍵を持っているなら、早く開けてくださる?」


「偽装だ!」


「どのあたりが?」


「替え玉を入れたのだ!」


 伯爵の隣にいた司祭が、震える声で言った。


「閣下。棺は一晩中、我々が見張っておりました」


「ならば棺ごとすり替えた!」


「封蝋は閣下ご自身のものです」


「魔女の邪法だ! 神の奇跡などではない!」


 大聖堂が静まり返った。


 死者の復活は、教会が神の御業として教える最も神聖な奇跡である。


 それを民衆の前で邪法と断じることは、神の奇跡を否定することに等しい。


 エルマは灰の中で膝を抱えた。


「だから私は、最初から魔女だと言っているでしょう」


 その一言を合図にしたように、人々が跪いた。


「聖女様……」


 誰かが呟いた。


「死より蘇りし聖女様!」


 祈りの声が広がっていく。


 エルマは棺の中で顔を覆った。


 また話が悪化した。


「ハーゲン伯爵」


 祭壇の脇から、宰相レオルが現れた。


 昨日の広場にもいたはずだ。群衆の中には姿を見せなかったが、どこか安全な場所から見ていたのだろう。


 宰相は巻物を広げた。


「昨日の正午より前に発せられた、処刑中止の王命です」


 伯爵の顔から血の気が引いた。


「私は、そのようなものを受け取っていない」


「使者は、あなたの屋敷の門前で三時間待たされたと証言しています」


「それは……」


「王命を意図的に留め、独断で火刑を強行した疑いについて、お話を伺いましょう」


 兵士たちが伯爵を取り囲む。


「違う!」


 連行されながら、伯爵は棺を指さした。


「それは聖女ではない! あれは人の理を外れた化け物だ!」


「そこだけは、だいたい合っているわ」


 エルマは言ったが、誰も聞いていなかった。


 七つの錠が開けられた。


 蓋を持ち上げると、冷たい空気が入ってくる。


 エルマは大きく息を吸った。


 灰まで一緒に吸い込み、咳き込んだ。


「皆の者!」


 宰相レオルが民衆へ向き直る。


「今こそ、我らが待ち望んだ聖女エルマ様の奇跡を――」


 棺から出たエルマは、宰相の頬を叩いた。


 乾いた音が、大聖堂に響いた。


「次に私が殺されると知っていて黙っていたら、もう片方も叩くわ」


 宰相は赤くなった頬へ触れた。


「国家の安寧のためでした」


「私の安寧も、たまには国家へ含めなさい」


 民衆から感嘆の声が上がった。


 権力者を恐れず諫める、清廉な聖女。


 どうやら、そう解釈されたらしい。


「もう嫌」


 エルマが呟いたところへ、人垣をかき分けてノアが現れた。


 腕には生成りのドレスを抱えている。


「お迎えに上がりました」


「今日は間に合ったわね」


「予定より十三分遅いご帰還です」


「棺が開かなかったのよ」


「その可能性は考慮しておりませんでした」


 ノアは外套を広げ、裸のエルマを包んだ。


 いつもと同じ無表情だった。


 けれど留め金を掛ける指が、一度で穴へ入らなかった。


 屋敷へ戻ると、浴室には湯が用意されていた。


 エルマは外套を脱ぎ、浴槽の前へ立った。


 身体には傷一つない。


 髪も、皮膚も、爪も元どおりだった。


 湯気が立っている。


 それを吸い込んだ瞬間、喉が閉じた。


 熱い空気。


 煙。


 自分の髪が焦げる臭い。


 息の仕方が分からなくなった。


 エルマは浴槽の縁をつかんだ。膝から力が抜け、その場へしゃがみ込む。


「エルマ様」


「平気よ」


 声が震えた。


「少し、熱いだけ」


 ノアは何も言わなかった。


 慰めもせず、抱き締めもせず、浴槽の栓を抜いた。


 湯が音を立てて流れていく。


 水で濡らした布を絞り、エルマの肩を拭いた。


「今回は、痛かったですか?」


「そうね」


 エルマは床に座ったまま答えた。


「途中までは、前回よりましだと思っていたのだけれど」


「はい」


「死ぬところは、毎回初めてみたいに痛いわ」


「はい」


 それだけだった。


 着替えを済ませ、食堂へ行く。


 卓上には二人分のスープが置かれていた。


 玉葱がたくさん入っている。


 エルマは匙ですくい、口へ運んだ。


 温かかった。


 湯気が鼻先へ触れたが、今度は息を止めずに済んだ。


「おいしいわ」


「ありがとうございます」


 もう一口飲む。


 匙を持つ手が震え、器の縁に当たった。


 小さな音がした。


 ノアは見ないふりをして、自分のスープを飲んだ。


 しばらくしてから、顔を上げる。


「おかえりなさいませ、エルマ様」


 エルマは匙を置いた。


「ただいま、ノア」


 扉が叩かれたのは、その直後だった。


 王宮からの使者が、一通の書状を持ってきた。


 北部の司教から届いた、聖女認定に対する異議申し立てである。


 エルマは封を切り、読み上げた。


「不死者が真に神の祝福を受けた者か確かめるため、聖別した銀槍で心臓を貫くべし……ですって」


「いつでしょう」


「明後日」


「火刑よりは早く済みそうですね」


 エルマはスープを一口飲んだ。


「そういう問題かしら」


 私が聖女になったのは、三度目に殺された翌朝だった。


 四度目に殺される予定が決まったのは、その日の昼前だった。


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