死んでも蘇る魔女を火刑にしたら、聖女だと証明してしまいました
「今日の火刑、少し長引くそうよ」
鏡の前で髪を梳かれながら、エルマは言った。
背後に立つ侍女のノアは、櫛を止めなかった。
「では、夕食は遅めにいたします」
「帰るのは明日の朝になるわ」
「朝食にスープでも構いません」
「玉葱を多めにして」
「かしこまりました」
窓の外では、処刑場を組み立てる槌の音が響いている。
今日の正午、エルマは火刑に処される。
罪状は、聖女詐称および邪法による民衆扇動。
本人は一度も聖女を名乗っていない。
死んでも蘇るから魔女だと、何度説明しても信じてもらえなかっただけだ。
「着替えは棺の近くに置いておいてね」
「近づければ」
「伯爵が許さないでしょうね」
「おそらく」
ノアはエルマの髪をまとめ、黒い紐を結んだ。
いつもと同じ、簡素な仕上がりだった。
ただ、櫛を置いた指が白くなっている。強く握りすぎていたらしい。
エルマはそれを見たが、何も言わなかった。
代わりに、机の上の鞄を覗く。
肌着。生成りのドレス。靴。櫛。濡らした布。水筒。焼き菓子。
「ずいぶん多いわね」
「復活後は空腹になりますので」
「前回は川から上がっただけで、パンを三つ食べたものね」
「四つです」
「そんなに?」
「最後の一つは、わたくしの分でした」
「あら。悪いことをしたわ」
「戻っていらしたので、構いません」
ノアの声は平坦だった。
その言葉だけが、妙に重かった。
エルマが死ぬのは、今日で三度目になる。
最初は毒だった。
宴席で倒れ、神殿へ運ばれた翌朝、遺体安置室で目を覚ました。
二度目は斬首だった。
胴体は牢獄、首は神殿へ運ばれたが、翌朝には胴体のほうから五体満足で現れた。その際、服まで戻らないことが分かった。
そして三度目が、今日の火刑である。
これまでの復活はすべて偽装だと、ハーゲン伯爵は主張していた。
毒殺後の遺体は神殿が管理した。斬首後も、首と胴が別々に保管された。それなら擁立派が替え玉を用意することもできるという理屈だ。
だから今回は、誰にも細工できないようにする。
民衆の前で焼き、灰を伯爵自身が集め、透明な聖晶棺へ入れる。七つの錠を掛け、伯爵家の封蝋を施し、兵士と司祭と市民の代表が夜通し監視する。
偽装ならば、絶対に蘇れない。
よく考えられた方法だった。
「伯爵は、私が本当に死んだらどうするつもりなのかしら」
「謝罪なさるのでは」
「誰に?」
「墓石に」
エルマは鏡越しにノアを見た。
冗談を言った顔ではなかった。
「宰相から連絡は?」
「ございません」
「助命の王命が出たという噂は?」
「ございます」
「では、間に合わないのね」
「間に合わせないのでしょう」
エルマは小さく息を吐いた。
ハーゲン伯爵は、復活が偽装だと証明するために彼女を殺したい。
宰相レオルは、復活が本物だと証明するために彼女が殺されるのを待っている。
「伯爵は私を殺したい。宰相は私が殺されるところを見せたい。見事に利害が一致しているわね」
「どちらにせよ、エルマ様が死ぬことには変わりません」
「そうね」
ノアだけが、聖女も魔女も国家も見ていなかった。
エルマが死ぬことだけを見ている。
迎えの兵士が扉を叩いた。
エルマは椅子から立ち、黒いドレスの裾を払った。
「行ってくるわ」
「はい」
「玉葱、多めよ」
「必ずお帰りください」
それは返事になっていなかった。
エルマは少し考えてから、笑った。
「努力するわ」
処刑場となった中央広場には、数え切れないほどの人が集まっていた。
建物の窓にも、屋根にも人がいる。
中央には太い杭が立ち、その周囲へ薪が積み上げられていた。
ずいぶん多い。
長引くという話は、どうやら間違いだったらしい。あれだけあれば、よく燃える。
壇上では、ハーゲン伯爵が罪状を読み上げていた。
痩せた長身に灰色の礼服をまとい、胸には教会から授けられた勲章を着けている。民衆の迷信から国を守る、理性的で敬虔な人物として知られていた。
エルマも、彼を愚かだとは思っていない。
むしろ困るほど頭がよかった。
だから、こちらの言葉を信じない。
「罪人エルマ」
伯爵は羊皮紙を閉じた。
「今ならば、まだ魂を救う道は残されている。自ら聖女ではないと認め、これまでの復活が偽りであったと告白せよ」
「私は聖女ではないわ」
群衆がざわめいた。
伯爵は満足そうに顎を引いた。
「では、奇跡を偽ったと認めるのだな」
「いいえ。死んでも戻るのは本当よ」
「なおも民を惑わせるか!」
「正直に話しているのに……」
広場のあちこちから声が上がった。
聖女様。
おいたわしい。
信仰を捨てさせるため、無理に言わされているのだ。
なぜそうなるのか、エルマには分からない。
「私は魔女よ」
今度は、すすり泣く声が聞こえた。
死を前にしても自らを卑下し、民を守ろうとなさっている。
どうやら説明するほど悪化するらしい。
伯爵が手を振った。
兵士がエルマの腕をつかみ、杭の前へ連れていく。
ノアは群衆の最後列にいた。
エルマは兵士の手を緩めさせ、少しだけそちらへ寄った。
「明日の朝、棺の近くにいて」
「はい」
「前回みたいに遅れないでね。裸で歩くのは寒いから」
「あれは、エルマ様が予定より二時間早く蘇られたからです」
「今回は何時になるかしら」
「日の出から半刻以内と見込んでおります」
「遅れたら?」
「お待ちください」
「裸で?」
「灰の中で」
兵士が咳払いをした。
ノアは鞄を抱き締めた。
「必ず、お帰りください」
「玉葱のスープを用意しておいて」
「はい」
それ以上は言わなかった。
杭へ縛られる。
縄は手首と肘、胸、腰、膝に巻かれた。逃げるつもりはなかったが、ずいぶん念入りだった。
伯爵が自ら松明を受け取る。
「神よ。この者の魂が偽りの鎖から解き放たれんことを」
「生き返ったら、あなたの祈りが通じなかったことになるのかしら」
伯爵の眉が動いた。
「火を」
松明が落とされた。
火は、まず薪を焼いた。
油を染み込ませてあったのだろう。青い炎が一瞬走り、すぐに黄色く変わった。
最初に来たのは熱ではなく煙だった。
風向きが変わり、黒い煙がエルマを包む。目が痛み、反射的に息を吸ってしまった。
咳が出る。
もう一度吸い、また咳をした。
三度目は、うまく咳にならなかった。
足元から熱が上がってきた。
すぐに全身が炎へ包まれるわけではない。まず靴の表面が変色し、縫い糸が縮れた。次にドレスの裾が焦げ、黒く丸まる。
布へ火が移った。
膝から下が急に熱くなった。
エルマは手首を動かした。縄はまだ固い。
群衆の誰かが叫んだ。
「魔女を焼け!」
もう焼けているのだけれど。
そう答えるつもりだった。
口を開くと熱い空気が入り、声の代わりに咳が漏れた。
炎が脚を包んだ。
痛みはひとつではなかった。
皮膚の表面を焼く痛み。その下を細い刃で削られるような痛み。もっと奥から遅れて押し寄せる、形のない痛み。
身体が勝手に逃げようとした。
縄が胸に食い込む。
杭が揺れるほど暴れたところで、どこへも行けない。
知っていた。
火刑がどういうものか、聞いていた。苦しむ時間を短くするには煙を吸ったほうがいいとも教えられた。
知っていることと、耐えられることは違った。
エルマは声を上げまいと歯を食いしばった。
喉から低い音が出た。
それが自分の声だと分からなかった。
髪が焼けた。
焦げた臭いが鼻の奥へ貼りつく。
炎が腹まで上がる。
もう痛みの場所を分けて考えられなかった。身体のどこに手があり、どこから脚が始まるのかも曖昧になる。
それでも意識だけは残った。
群衆が何かを叫んでいる。
祈りの言葉。
罵声。
泣き声。
全部が混ざっていた。
エルマはノアを探した。
煙で視界が白く濁る。
何度か目を閉じ、無理に開く。
群衆の後ろに、黒い服が見えた。
ノアは祈っていなかった。
泣いてもいなかった。
ただ、こちらを見ていた。
目を逸らさずに。
胸に巻かれた縄が焼け切れた。
身体が前へ崩れる。
まだ腰と膝が杭につながれている。逃げることはできなかった。
仮に逃げられたとしても、逃げるつもりはなかった。
ここで生き延びれば、ノアが協力者として捕らえられる。宰相派の人間も、替え玉を用意したと疑われる。
だから、今日は死ぬしかない。
分かっていた。
分かっていたのに、身体は必死に息を求めた。
熱い空気が喉へ入り、内側まで焼いた。
今度こそ悲鳴が出た。
群衆が沸いた。
邪悪な魔女の断末魔だと、誰かが叫んだ。
違う。
ただ痛いだけだ。
そう言いたかったが、舌が動かなかった。
帰ったら、スープを飲もう。
玉葱を多めにして。
ノアはきっと、パンも焼いている。
そこで意識が途切れた。
あ、死んだ。
◇
火が消えたのは、日が傾いてからだった。
ハーゲン伯爵は誰にも作業を任せなかった。
鉄の火掻き棒で灰を崩し、残った骨片を一つずつ拾う。処刑台の下へ落ちたものまで兵士に探させ、白布の上へ並べた。
灰と骨は、その場で透明な聖晶棺へ収められた。
蓋を閉じ、七つの錠を掛ける。
継ぎ目には伯爵家の紋章を刻んだ赤い封蝋が施された。
「これで、偽りは終わる」
伯爵は集まった者たちに宣言した。
棺は大聖堂の中央へ運ばれた。
兵士が八名。教会の司祭が三名。市民の代表が十二名。
彼らが交代で棺を見張る。
ノアも大聖堂へ入ろうとしたが、入口で止められた。
「偽装の協力者を近づけるわけにはいかん」
伯爵が言った。
「では、朝になりましたらお迎えに参ります」
「迎える者などおらん」
「そうでございますか」
ノアは頭を下げた。
反論せず、屋敷へ帰った。
エルマの部屋には、朝のまま椅子が置かれていた。
ノアは椅子の背へ生成りのドレスを掛けた。寝台の上へ肌着を並べ、枕元へ靴を置く。
厨房へ行き、玉葱を刻んだ。
鍋へ油を引き、弱い火にかける。
火が上がった瞬間、ノアの手が止まった。
広場で聞いた声が、耳の奥へ蘇った。
握っていた木匙が震え、鍋の縁へ当たる。
ノアは火を消した。
しばらくしてから、もう一度つけた。
玉葱を炒め、芋と豆を加え、水を注ぐ。
二人分の食器を食卓へ並べた。
時計を見る。
まだ夜半にもなっていない。
ノアは椅子に座り、夜明けを待った。
一睡もしなかった。
翌朝、大聖堂には再び民衆が集められた。
祭壇の中央には、昨夜封じられた聖晶棺が置かれている。
中身は灰のままだった。
封蝋に傷はない。錠もすべて閉じている。
ハーゲン伯爵は棺の前へ立った。
「見よ」
よく通る声が堂内へ響いた。
「死者は蘇らぬ。それこそが神の定めである。我らは長らく、偽りの奇跡によって惑わされていた」
居並ぶ聖職者たちが頷いた。
「本日より、この地は迷信ではなく、正しき信仰と法によって治められる。偽聖女を討ったこの私が――」
こつ。
小さな音がした。
伯爵が口を閉じた。
誰かが咳をしたのだろうと、周囲を睨む。
こつ、こつ。
今度は全員が聞いた。
音は棺の中からしていた。
透明な蓋の下で、灰が動いた。
白い指が現れる。
灰を押し退けるように、手が蓋へ触れた。
悲鳴が上がった。
棺の中に、いつの間にか人間がいた。
骨や肉が組み上がったのではない。
一瞬前まで灰しかなかった場所に、裸のエルマが横たわっている。
エルマは目を開けた。
二度瞬きをしてから、上半身を起こす。
額が蓋にぶつかった。
こつ。
「あの」
声は棺の外へほとんど届かなかった。
エルマはもう一度、蓋を叩いた。
「あの。復活したところ悪いのだけれど」
誰も動かない。
「ここ、空気が少ないわ」
伯爵が後ずさった。
「あり得ない」
エルマは蓋の錠を指で示した。
「鍵を持っているなら、早く開けてくださる?」
「偽装だ!」
「どのあたりが?」
「替え玉を入れたのだ!」
伯爵の隣にいた司祭が、震える声で言った。
「閣下。棺は一晩中、我々が見張っておりました」
「ならば棺ごとすり替えた!」
「封蝋は閣下ご自身のものです」
「魔女の邪法だ! 神の奇跡などではない!」
大聖堂が静まり返った。
死者の復活は、教会が神の御業として教える最も神聖な奇跡である。
それを民衆の前で邪法と断じることは、神の奇跡を否定することに等しい。
エルマは灰の中で膝を抱えた。
「だから私は、最初から魔女だと言っているでしょう」
その一言を合図にしたように、人々が跪いた。
「聖女様……」
誰かが呟いた。
「死より蘇りし聖女様!」
祈りの声が広がっていく。
エルマは棺の中で顔を覆った。
また話が悪化した。
「ハーゲン伯爵」
祭壇の脇から、宰相レオルが現れた。
昨日の広場にもいたはずだ。群衆の中には姿を見せなかったが、どこか安全な場所から見ていたのだろう。
宰相は巻物を広げた。
「昨日の正午より前に発せられた、処刑中止の王命です」
伯爵の顔から血の気が引いた。
「私は、そのようなものを受け取っていない」
「使者は、あなたの屋敷の門前で三時間待たされたと証言しています」
「それは……」
「王命を意図的に留め、独断で火刑を強行した疑いについて、お話を伺いましょう」
兵士たちが伯爵を取り囲む。
「違う!」
連行されながら、伯爵は棺を指さした。
「それは聖女ではない! あれは人の理を外れた化け物だ!」
「そこだけは、だいたい合っているわ」
エルマは言ったが、誰も聞いていなかった。
七つの錠が開けられた。
蓋を持ち上げると、冷たい空気が入ってくる。
エルマは大きく息を吸った。
灰まで一緒に吸い込み、咳き込んだ。
「皆の者!」
宰相レオルが民衆へ向き直る。
「今こそ、我らが待ち望んだ聖女エルマ様の奇跡を――」
棺から出たエルマは、宰相の頬を叩いた。
乾いた音が、大聖堂に響いた。
「次に私が殺されると知っていて黙っていたら、もう片方も叩くわ」
宰相は赤くなった頬へ触れた。
「国家の安寧のためでした」
「私の安寧も、たまには国家へ含めなさい」
民衆から感嘆の声が上がった。
権力者を恐れず諫める、清廉な聖女。
どうやら、そう解釈されたらしい。
「もう嫌」
エルマが呟いたところへ、人垣をかき分けてノアが現れた。
腕には生成りのドレスを抱えている。
「お迎えに上がりました」
「今日は間に合ったわね」
「予定より十三分遅いご帰還です」
「棺が開かなかったのよ」
「その可能性は考慮しておりませんでした」
ノアは外套を広げ、裸のエルマを包んだ。
いつもと同じ無表情だった。
けれど留め金を掛ける指が、一度で穴へ入らなかった。
屋敷へ戻ると、浴室には湯が用意されていた。
エルマは外套を脱ぎ、浴槽の前へ立った。
身体には傷一つない。
髪も、皮膚も、爪も元どおりだった。
湯気が立っている。
それを吸い込んだ瞬間、喉が閉じた。
熱い空気。
煙。
自分の髪が焦げる臭い。
息の仕方が分からなくなった。
エルマは浴槽の縁をつかんだ。膝から力が抜け、その場へしゃがみ込む。
「エルマ様」
「平気よ」
声が震えた。
「少し、熱いだけ」
ノアは何も言わなかった。
慰めもせず、抱き締めもせず、浴槽の栓を抜いた。
湯が音を立てて流れていく。
水で濡らした布を絞り、エルマの肩を拭いた。
「今回は、痛かったですか?」
「そうね」
エルマは床に座ったまま答えた。
「途中までは、前回よりましだと思っていたのだけれど」
「はい」
「死ぬところは、毎回初めてみたいに痛いわ」
「はい」
それだけだった。
着替えを済ませ、食堂へ行く。
卓上には二人分のスープが置かれていた。
玉葱がたくさん入っている。
エルマは匙ですくい、口へ運んだ。
温かかった。
湯気が鼻先へ触れたが、今度は息を止めずに済んだ。
「おいしいわ」
「ありがとうございます」
もう一口飲む。
匙を持つ手が震え、器の縁に当たった。
小さな音がした。
ノアは見ないふりをして、自分のスープを飲んだ。
しばらくしてから、顔を上げる。
「おかえりなさいませ、エルマ様」
エルマは匙を置いた。
「ただいま、ノア」
扉が叩かれたのは、その直後だった。
王宮からの使者が、一通の書状を持ってきた。
北部の司教から届いた、聖女認定に対する異議申し立てである。
エルマは封を切り、読み上げた。
「不死者が真に神の祝福を受けた者か確かめるため、聖別した銀槍で心臓を貫くべし……ですって」
「いつでしょう」
「明後日」
「火刑よりは早く済みそうですね」
エルマはスープを一口飲んだ。
「そういう問題かしら」
私が聖女になったのは、三度目に殺された翌朝だった。
四度目に殺される予定が決まったのは、その日の昼前だった。
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