第6話:願う少女
「あなたは魔法使い?」
あまりに突然の質問だ。少女はカウンターの丸椅子に腰掛けてステップに届かない足をぶらぶらとさせる。
小動物のようなまん丸の大きな瞳は真っ直ぐにカウンターの内側で小さなお客の為にミルクパンを火にかける店主に注がれている。
「そう、思いますか?」
店主は質問に質問で返すのは失礼かとも思ったが、何分幼い子供の反応は奇抜で面白い。
つい、という感覚で尋ね返していた。
ふわふわと左右に散った愛らしい癖っ毛まで一緒に思案中のようだ。そして、うーんと唸った後恐々頷いた。
「この間此処でフォーチュンクッキーをいただきました」
歳の割りに丁寧な物言いだ。
店主はその答えに優がキッチンで小さな紙をせっせと作っていたのを思い出して、あれかな?などと納得する。
「あの占い凄く良く当たるんです」
だとすれば、魔法使いは製作者である優だろう。店主は少女の話に頷きながら十分に温まったミルクをカフェオレボウルの中に、点てたばかりの珈琲と同時に注ぎいれた。珈琲の苦味のある香りがミルクと混ざり合い丸い香りに変わってふわりと立ち昇る。
「最初は”嬉しい便りがある”って書いてありました。そうしたら、わたしお受験の合格通知が届きました」
それはおめでとうございます。当然の祝辞を添えて少女の前にカフェオレをそっと置いた。少女はありがとうと小さく礼を告げたがそれはカフェオレに対してか店主が口にした言葉へのものかは図りかねた。
「その次は”赤がラッキーカラー”だと書かれていました」
―― ……内容に統一性はないのだろうか?
細かな作業を好んでやる割には大雑把なところがあるものだ。
「そうしたらパパが赤いかばんを買って帰ってくれました」
角砂糖を4つ落として、くるくるとスプーンをカップの中で躍らせながら少女は嬉しそうに頬を桃色に染めた。その後もいくつか当たったらしいが最後の2つのうち1つ…と言ったところでそれまで軽快に話を進めていたトーンが下がった。
「何と書いてあったんですか?」
「”ハズレ”です。そう、書いてありました」
店主はネタが尽きたのだろうと心内で苦笑したが、少女の沈み具合に表情には出せなかった。少女は深い、深い溜息を落とし逡巡した後ゆっくりと慎重に口を開いた。
「その日、みんながばらばらに暮らすことが決まりました」
大抵のことでは動じない店主もこれには少し息を呑み「ばらばら?」と問い返していた。少女は甘めに仕上げたカフェオレを両手で包み込むように持ち上げてこくんっと一口喉の奥へ流しいれる。
「わたしは遠くの学園に入りますし、全寮制ですから。パパは、お仕事の都合で外国へ行くのだと言いました。みんな好きなことが出来るのだから幸せなのだと、ママが言ったから、本当はハズレじゃないんです」
そう教えられたのだろうが、まだ幼い子供にはその現実はまさに”ハズレ”でしかないのだろう。
「ママは本当はパパと一緒に居たいのに、わたしがいけないから我慢してるんです。ママはどこへも行かずにパパと私の帰りを待っているのが幸せだからって言ったけど…でも…」
私が居なければママはパパとずっと一緒なのに……そう消えそうな声で締めくくって、はぁ……と嘆息した少女は「あ、そうでした」突然何か思い出したように声をあげた。
「これ」
肩から斜めに掛けていたポシェットの中から小さな包みを取り出しカウンターに乗せると丁寧に包んでいた包みをそっと開いた。
ころん…と雫のような形をしたクッキーが気遣わしげに顔を覗かせていた。
「最後の一つ。また、ハズレだったらどうしよう」
少女の長い睫毛は今にも瞳から零れ落ちそうな涙で濡れていた。そして、少女は小さな両手で大切そうにクッキーを掬い上げるとそのまま店主へと差し出した。
「だから魔法を掛けてください」
真摯な瞳は本気で店主を魔法使いだと思っているのだろう。今の彼女にそれが本当に出来る出来ないはあまり問題ではない。店主は困ったように微笑んだ後、幼い手のひらに乗ったクッキーを摘み上げた。
そして、やや思案した後、ころんと手のひらの上で転げたクッキーを見つめてぽつり
「私に譲ってもらえませんか?」
「え?」
店主の台詞に虚を付かれた少女は浮かんだ涙も引っ込めてきょとんとしている。
「で、でも、よく当たるんです。それに、良いことばかりじゃないんです」
「構いませんよ。私は魔法使いですから、今ここでこれを割ってよいことなら貴方に分けてあげましょう。悪い結果でも私なら平気です。怖くありませんよ」
幼いながら他人の心配まで出来る少女はよほど暖かい家庭で慈しまれ育ったのだろう。
「幸せならおじさまのものです」
「違いますよ。幸せは分け合うものです」
申し訳なさそうな少女に店主はにっこりと微笑んでそういうと、躊躇なくパキンっとクッキーを二つに割った。中央からころんっと丸められた紙が転がって出てくる。対峙した少女の小さな喉がごくんっと鳴った。
「カフェオレと一緒にどうぞ」
店主は中身だけを抜いて、少女のソーサーの上に割ったクッキーの半分を乗せて、もう半分は自分の口内へと納めた。
少女は店主の手の中の紙が気になっていたようだが言われたとおりにクッキーを頬張りカフェオレで流し込んだ。
「美味しい……です」
「それは良かった」
少女の感想ににっこりと笑みを作った店主は「それでは…」と、手の中に残っていた小さな紙を開きに掛かった。
―― …カランカラン…
形の良い爪が紙の端に掛かったのとほぼ同時に入り口のウェルカムベルが忙しない音を立てて扉が開いた。
店主とその手元に釘付けになっていた少女も音のしたほうへと顔を向ける。
「いらっしゃいませ」
お決まりの文句で裏から出てきた優の前をすっと通り過ぎたのはまだ若い女性だった。女性はカツカツとヒールの音を響かせてカウンターへ真っ直ぐに歩み寄ってくる。
その瞳は一箇所しか見ていなかった。
「ママ」
「麻衣ちゃん。お稽古から戻らないから心配したわ。寄り道は駄目よ」
物腰の非常に穏やかな女性の為か叱っているのだろうけれど厳しさには掛けているように見える。しかし、麻衣と呼ばれた少女は素直に「ごめんなさい」と謝罪した。そんな我が子に「いいのよ」と添えて頭を撫でた後話しを続ける。
「ママね。麻衣ちゃんにお話したいことがあるの…あ、すみません」
立ったまま話をしていた母親はその様子を見ていた店主に軽く頭を下げた後麻衣の隣に腰掛けて「珈琲を」を添える。
店主はそのままになった紙片をカウンターの上に置き頷いてサイフォンの準備をする。
「ママ。お話って何?」
「―― ……ママね。麻衣ちゃんに謝らなくちゃいけないの」
カウンターの椅子を回して娘の座った椅子も自分の方へと向けて支えた彼女は、不思議そうな娘の瞳を真っ直ぐに見つめて話を続ける。
「麻衣ちゃんがとっても頑張ったのママ良く分かってるわ。一緒に頑張ったものね」
「うん」
「ママね、本当に嬉しかったの。でも、でもね。ごめんね麻衣ちゃん」
「なーに?ママ、ごめんなさいするのは悪いことした時だけだよ。どうして麻衣にごめんなさいするの?ママ悪いことしたの?」
幼い子供の問いかけに、母親は眉を寄せて頬を染め頷いた。なーに?と繰り返した麻衣に彼女は意を決したようにもう一度頷いて大きく息をついた。
「やめたのよ。麻衣」
「え?」
「麻衣をあの学校へ通わせるのを」
客の話に耳を欹てるつもりはないが目の前で成されれば嫌でも耳に届く。店主は二人の様子を見守りつつカップを琥珀色の液体で満たした。
「これは、ママの我侭なのは分かってるわ。でも、でもね」
頑張った娘の成果を取り上げることへの罪悪感が拭えない。苦悶に満ちたその表情に息が詰まる…。
「ママ…ママ!じゃぁ!じゃあ!一緒なの?ねぇ、一緒?」
「え?」
予想外に子供の喜色の声に母親は目を丸くした。
まどろっこしい母の謝罪をさえぎって堰きつくように瞳を輝かせて問い返す。
「ママと一緒?パパと一緒?」
「え、ええ、一緒よ。ママやっぱり一緒にいたいの……麻衣とも……もちろんパパとも」
申し訳なさそうに口にする母とは対照的に舞いは喜色満面で両手を挙げた。
「帰ろう!ママ」
歓喜に満ちた声色でそう告げた麻衣は身軽に椅子から飛び降りると母親の腕を引っ張った。
「構いませんよ」
その腕に従うように腰を上げたが思い出したように店主を見た彼女に店主は苦笑して頷いた。彼女はもともと腰の低い性分なのだろう。深々と頭を下げて急かされる様に娘に続いた。
「魔法使いのおじさま、ありがとうう!」
しまりかけた扉の向こうから明るい声が響いた。
ベルの音が鳴り止むまで見送って、店主は一息つく。
「マスター……魔法使いだったんですか?」
「さあ、どうでしょうね」
飲む相手の居なくなった珈琲を口元に運びながら、カウンターの上で丸まった紙を押し開く。
”願いは叶う”