episode9
王立学園の門が見えたとき、私は小さく息を吐いた。
休日は終わり、また日常が始まる。
それは、これまでと何ら変わらないはずの光景だ。
馬車を降りると、学園の敷地に流れる空気が肌に触れた。
(……戻ってきたわね)
そのまま与えられた寮へと入る。
私はすでに寮の部屋にしては大きすぎる一人部屋を与えられていて、
侯爵家の令嬢である私にとって、それは特別なことではない。
これまで通り、静かな廊下を歩き、自室へ向かう。
外には、変わらない学園の風景。 笑い声、足音、ざわめき。
(――日常に、戻ってきた)
さて、ここからどう動いていくか。私は、静かに目を閉じた。
******
学園の日常は変わらない。
授業。
食堂。
リアンとクロエとの他愛ない会話。
ふと一人の時に現れるリュシアン………………
(あれ?)
すべて、以前と変わらない――はずだった。
ただ一つだけ、確実に変わってしまったことがある。
(……リュシアンが、来ない)
休暇明けから数週間、私は一度も彼の姿を見ていなかった。
昼の学園内でも。人気のない廊下でも。
そして――夜の訓練場でも。
「……」
何度か足を運んだ。
あの、月明かりに照らされた訓練場。
けれど、そこにはもう、人形のような無表情で剣を振るう彼の姿はなかった。
(私のサファイアの妖精は……一体どこに隠れちゃったのかしら)
思わず、心の中でそう呟いてしまう。
それでも不思議なことに、
学園生活は相変わらず、妙に快適だった。
食堂では、なぜか好みの料理が増え。
授業の準備は滞りなく整い。
些細な不便が、いつの間にか消えている。
(……やっぱり、”いる”わよね)
確信に近いものはあった。
けれど、本人が姿を見せない以上、確かめようがない。
(なんだか頑張って隠れているようだし、私が無理やり見つけてしまうのもなぁ)
だから私は、焦って動くことはせず――
ひとまず、いつも通りの日々を過ごすことにしていた。
「今日も疲れたぁぁ……」
私の部屋のソファに、だらしなく身体を投げ出したリアンが、盛大にため息をつく。
「わかる……政治学、ほんとにつまらない……」
向かいでは、クロエがテーブルに突っ伏したまま、ぶつぶつと文句を言っていた。
「理論ばっかりで、剣一本も振らせてくれないなんて、拷問よ」
「クロエ、それは騎士として、次期当主としてどうなんだ……」
「いいの!私は体を動かしたいの!」
そのやり取りに、思わずくすりと笑ってしまう。
(相変わらずね、この二人は)
部屋の中には、穏やかな紅茶の香りが漂っていた。
リアンが、ふと気づいたように言った。
「そういえば、まだ正式に会わせてもらってないな。セレの婚約者殿」
「確かにね?」
クロエも顔を上げて、きょとんとする。
「……今は、少し事情があって」
言いながら、心の中で苦笑する。
(私でさえ、避けられている状態だもの)
今の状況で、王子であるリアンと引き合わせたら
――きっと彼は、余計に身を固くするだろう。
「もう少ししたら、ちゃんと挨拶させるわ」
そう言って、私は微笑んだ。
「その時は、二人ともよろしくね」
「もちろんだ」
「楽しみにしてるね!」
私は、紅茶のカップをそっと持ち上げながら、
窓の外へと視線を向けた。
見慣れた学園の風景。
変わらない日常。
その中に――
たった一人、欠けている存在。
(ねぇ、リュシアン)
(あなたは、今どこにいるの?)
胸の奥で、静かに問いかけながら、
私は紅茶を一口、飲み干した。
******
それからしばらくしても、リュシアンは私の元に現れることはなかった。
1日のスケジュールが終わって私が一息ついたところで、コンコンとノックが入る。
「どうぞ」
その言葉で扉が開き、2人の生徒が入ってきた。
「「失礼致します」」
「いらっしゃい二人とも」
「リーナ。帰ってきたばかりで色々と頼んでしまってごめんなさいね」
「とんでもございません」
リーナ・ミルシェ。
中立派子爵家の5女であり、私の専属侍女として育てられた存在。
私が実家に帰るときは一緒についてきて私の世話をし、学園では騎士科1年に在籍して、
生徒として過ごしながら必要な時だけ私の傍に立つ。
「カイエルも、ありがとう」
「はい、姫様」
リーナの後ろに続いたのは、背の高い少年。
端正だが主張しすぎない顔立ちで、落ち着いた瞳がこちらを見据えている。
カイエル・ロシュフォール。
中立派伯爵家の四男。書類、契約、裏の取引
――私が表に出ない部分を一手に引き受ける、実務の要だ。
彼はこの学園の3年生で、魔法科に席を置いている。
彼らは公爵家ではなく私に忠誠を誓う、私の“家臣”だ。
表に名を連ねることはないが、公爵家と深い縁を持つ中立派の家の者たち。
「……報告を」
「姫様、それでは私から」
そう言ってカイエルが報告してくれる。
「学園内の動きについて、ご報告です」
「ここ数日、騎士科・魔法科双方で、小規模な衝突や言い争いが増えています。
表向きは偶発的なものですが、発生場所と時間帯に偏りが見られました」
「派閥ごと、ということね」
私がそう言うと、リーナが小さく頷いた。
「はい。特に中立派の生徒が関わる場面で、貴族派の生徒が多く確認されています。
ただし、決定的な証拠は残さないよう、かなり慎重に動いている印象です」
「表立ってではなく、分からないように、ね」
「はい。事故や偶然を装ったものが多く、証拠は残りにくい手口です」
私は小さく息を吐いた。
(アルノー殿下ったら何をやってるのかしら…)
「その中で、気になる情報が一つ」
リーナは一拍置いてから続ける。
「中立派の生徒が、数日前、被害に遭いかけたとのことです」
「……かけた、ということは?」
「庇った人物がいたようです。そのため該当の生徒は軽傷で済みました」
カイエルが続ける。
「ただし、周囲の生徒の証言は一致していません。
顔をはっきり見た者はいない。
――共通しているのは、騎士科の生徒だったらしい、という点と」
「青い瞳だった、ということだけ」
私は目を伏せ、指先を組んだ。
「ずいぶん曖昧ね」
「ええ。意図的に痕跡を消された可能性も考えましたが、現時点では断定できません」
「庇った生徒が“いたらしい”という段階です」
リーナの言葉は慎重だった。
「調査はここまで。それ以上追えば、別派閥の者たちに警戒される恐れがあります」
「わかったわ」
私は小さく息を吐き、二人を見上げる。
「引き続き、派閥ごとの動きだけを追って。深入りはしないでいいわ」
「承知しました」
「何か動きがあれば、すぐに」
二人はそう言って一礼し、静かに部屋を後にした。
扉が閉まったあと、私は一人になった室内で、ふと考える。
――騎士科。
――青い瞳。
――名乗らず、庇い、姿を消す。
「……本当に、困った人ね」
小さく呟いたその声は、誰にも届かなかった。
******
二人から報告を受けた後、私は一人、学園内を彷徨いていた。
目的は、魔法の痕跡を探すためだ。
認識齟齬の魔法は私もリュシアンを覗き見していた時に使用していたが、あれは中級魔法。
リュシアンがよく使っている魔法は、それ以上の上級魔法だ。
おそらく並の魔法使いでは、見つけることすらできない。
けれど――
(私には通用しないわよ、リュシアン)
魔力を“辿る”ことは通常難しいことなのだが、私はそういった繊細な技術が得意だ。
意識を集中させ、歪みを探す。
学園の端。
人の意識が、無意識に避ける場所。
うっすらと見知った魔力の痕跡が残る場所を探していってたどり着いたのは、
ひっそりと佇む、古びた倉庫だった。
取っ手に手をかける。
――ギギ、と嫌な音。
埃の匂いが、鼻を刺す。
中へ足を踏み入れる。
一見、誰もいない。
けれど。
私は、迷いなく語りかけた。
「……リュシアン」
一歩、奥へ。
声を、柔らかく落とす。
「私のサファイアの妖精さん」
先ほどから私が見つめている場所で、魔力の歪みが、微かに揺れた。
私は、微笑む。
「――かくれんぼは、終わりにしましょう?」
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