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episode8


今まで彼がしてきたことを、改めて一つずつ聞いてみると、それは「命じられてやっていた」だけではなかったらしい。

――最初は、てっきり。

侯爵家から婚約者に取り入れとか命じられて、そうせざるを得なかったのだと思っていた。

だからこそ、あれほど完璧に立ち回れるのだと。


「……昔、そうするように言われていたことが、ありました」


私は何も言わず、先を促す。


「姿を見せずに、でも、必要なことは全部整えておく……

そういう動き方です」


淡々とした声。

感情を挟まないようにしているのが、かえって伝わる。


「見えるところにいると、余計なことになるから……」


そこで、ほんの一瞬、言葉が詰まった。


「……だから、そうしていた方が、楽でした」


“楽”。

それはきっと、痛くならないという意味だ。


「学年が上がって、その必要はもうないって言われて……」


私は眉をひそめる。


「言われて?」


リュシアンは、はっとして少しだけ視線を逸らした。


「……ええと……周囲の状況が変わった、というか……」


うまく濁したつもりの言い方。

でも、彼なりの精一杯なのだろう。


「その後に、セレーヌ様との婚約が決まって……」


そこで、ようやくこちらを見る。


「僕は、また同じようにすればいいんだと思いました」

「同じように?」

「はい」


小さく頷く。


「使ってもらえる人間でいることが、一番、確実だと思ったので」


まっすぐな瞳。

媚びでも計算でもない、信じ切っている目。


「役に立てば、そばにいてもいいんじゃないかって……」


そこまで言って、彼は少しだけ不安そうに付け加えた。


「……違いましたか?」


胸が、きゅっとなる。


「リュシアン」


私は名前を呼んでから、ゆっくり言った。


「私はね、“使えるかどうか”で人をそばに置いたりしないわ」


彼は目を瞬かせた。


「あなたが何かを整えてくれたからじゃなくて」


私は一歩、近づく。


「あなたがそこにいること自体が、もう十分なの」


リュシアンは、すぐには理解できなかった。

それが顔に出ている。


「……でも」


迷うような声。


「それだと、僕は、何をすれば……」


まだ、“存在だけでいい”という概念を知らない。

私は小さく微笑んだ。


「今は、姿を見せてくれるだけでいいわ」


彼の目が、少し揺れる。


「困ったら、呼んで。私もあなたを呼ぶわ。その時は、隠れなくていい」


しばらく沈黙。

そして、リュシアンはとても小さな声で言った。


「……努力、してみます」



******



それから、もう私にそんなことしなくていいと言った時、彼の表情が目に見えて曇ってしまって、


「……ご迷惑、でしたでしょうか」


と声が、ほんの少しだけ小さくなった。

その姿は、まるで叱られた子犬のようで。

胸の奥が、きゅっと痛んでしまい、


「ち、違うわ」


と私はすぐに首を振って、二つ条件を出して、彼の好きにさせることにした。

元々こういった陰から”支える?”みたいなことをするのは好きらしい。


(あんなにしゅんとした顔をされたら、断れるわけないわ)

(やはり、なんて恐ろしい子なのかしら)


私が彼に提示した条件を伝えた時のことを思い出す。




「そうね、ではこうしましょう」


彼が、はっと顔を上げる。


「条件を、二つ」

「……条件、ですか」

「ええ」


私は指を一本立てた。


「一つ目。私が一人の時でいいから、ちゃんと顔を見せること。

隠れてやる必要は、もうありません」


彼の瞳が、わずかに揺れる。

そして、二本目。


「二つ目。自分の健康を、おろそかにしないこと」

「……健康、ですか」

「ええ。あなたが倒れたら、元も子もないでしょう?

それに、前にも言ったじゃない?騎士は己の健康も管理しなきゃね?」


しばらくの沈黙のあと、彼はゆっくりと頷いた。


「……承知しました」


それから始まった日々の中で、リュシアンは少し変わった。

彼なりに私の言ったことを考えて行動しているようだった。

リアンやクロエ、そのほか生徒が私の周りにいる時は姿を見せないが、

私しかいないところでは姿を見せるようになり始めていた。


そして私は一つ、意識していることがあった。

それは――

彼が何かをしてくれた時、必ずお礼を言うこと。


「ありがとう、助かったわ」

「気づいてくれて嬉しいわ」


些細なことばかりだったけれど。

そのたびに、彼は分かりやすく嬉しそうにするのだ。

目が少し柔らかくなって、

口元が、ほんのわずかに緩む。


――本当に。


(これではご主人様に喜んでもらいたい子犬みたい)


思わず、くすっと笑ってしまう。



そんなある日の別れ際。

リュシアンと別れた私は、そろそろ学校の休日が近づいてきたことに気づく。


「……そろそろ、実家に戻らなくちゃね」


ぽつりと呟いたその言葉を、私は誰に聞かせるつもりもなかった。

けれど。

その少し離れた場所で、

リュシアンが立ち止まっていたことに、私は気づいていない。


「……実家」


その言葉を、彼は静かに反芻する。

私は何も知らないまま、そのまま実家へと向かう準備を始めた。


――それが、

彼の中で静かに芽吹いた不安の種だったとも知らずに。




******




私を乗せた馬車は、見慣れた道を進み、やがて大きな屋敷の前で止まった。

扉が開かれ、地面に足を下ろすと――

視界いっぱいに、ずらりと並ぶ使用人たちの姿。

そしてその先頭で、朗らかな笑みを浮かべていたのは、母だった。


「お帰りなさい、セレーヌ」


その一言と、差し出された手の温もりに、胸の奥がふっと緩む。


「ただいま戻りました、お母様」


王立学園の休みを使い、私は数ヶ月ぶりに実家へ戻ってきていた。

事前に申請さえすれば、授業のない日に学外へ出ることは許されている。

けれど――

今回、私が帰ってきた理由は、ただの里帰りではない。

屋敷に入ると制服から楽なドレスへ着替え、一息つく間もなく、侍女のリーナが静かに告げた。


「お嬢様、旦那様とロラン様がご帰宅なさいました」


私はソファから立ち上がる。


――そう。

今日ここへ戻ってきた理由は、父と兄に、婚約者のことを直接聞くためだった。

向かった先は、屋敷の奥にある練習場。

剣と魔法がぶつかり合う、凄まじい音が近づくにつれはっきりしてくる。


「……お父様とロラン兄様ったら。家に帰ってきても、模擬戦なのね」


呆れたように呟くと、後ろのリーナが苦笑する。


「旦那様もロラン様も、強さを追い求める武人でいらっしゃいますから」


練習場では、二人の騎士が魔法と剣を織り交ぜ、激しく打ち合っていた。

剣に乗る魔力がぶつかるたび、空気が震える。

誰も、その間合いに踏み込めない。


けれど。


私は慣れた足取りで一歩進み、

声に魔力を乗せて、はっきりと手を叩いた。


――パンパン!


「はい、そこまでです!」


その瞬間、二人は即座に距離を取り、剣を下げた。


「セレ! 帰ってきてたのか!」


父――アルベールが、子どものような笑顔で歩み寄ってくる。


「いつも言っているだろう。危ないから近づくな」


そう言いながらも、兄ロランの目はどこか嬉しそうだ。


「帰ってきたなら、少しは休んでくださいな」


そう言って抱擁を交わすと、二人とも素直に頷いた。

その夜の食卓は、いつも通り賑やかだった。

――そして、食事が終盤に差しかかった頃。

私は、静かに切り出す。


「……そういえば。婚約者のリュシアンに、会いましたわ」


父の目が、ぱっと輝いた。


「どうだ! 良い佇まいだっただろう?」

「ええ。とても」


私は頷く。


「剣の太刀筋も見させてもらいましたが、とても美しく、努力と鍛錬の積み重ねがはっきり見えました。

お父様が気に入るのも、納得ですわ」

「そうだろう!」


満足そうな父に、ロランが肩をすくめる。


「父上はすぐ若者を拾ってくるから……」

「だがな、ロラン」


父は笑って言った。


「今回ばかりは最初に彼の話を持ってきたのは、お前だろう?」


私は思わず兄を見る。


「……まぁ、そうですね」


ロランは少し言葉を選びながら続けた。


「あまり良くない噂は聞いていたんだが…剣を見てわかった。覚えも早いようだし、

 ――あれは、埋もれさせていい才能じゃない」


そして静かに言う。


「生家では、かなり肩身が狭いらしい」


私は、その言葉を胸に刻む。


「正直、驚いたよ。でも父上が“セレは気に入る”と断言してね」

「……どうだった?」

「もちろん」


私は微笑む。


「お父様の直感は、すごいですわ。私は――リュシアンを気に入りました」


母が、静かに問いかける。


「それで、今日帰ってきた理由は?」


私は家族を見渡し、答えた。


「私、彼が好きになりました。きっとこれからもっと好きになると思います」

「彼には、幸せになってほしいし、私が幸せにしてあげたい」


自然と、そう思えた。


「……それで」


少し首を傾げて、笑う。


「どこまで、好き勝手してもよろしいでしょうか?」


一瞬の沈黙。

そして――

家族は顔を見合わせ、揃って笑った。

その笑顔が、何よりの答えだった。

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