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episode5


学園の回廊は、昼下がりの光に満ちていた。

授業と授業の合間。人の往来が一瞬途切れた、その時だった。


建物の陰――

人気のない柱のそばに、誰かが立っているのが見えた。


(……あ)


思わず足を止める。

グレーの髪。

整った横顔。

見間違えるはずもない制服姿。


(リュシアン…?)


けれど。


(……違う)


以前、温室で向けられた、あの穏やかな微笑はなかった。

伏せられた視線。

感情の動きが一切読み取れない表情。

まるで、すべての感情が抜け落ちてしまったかのような――

人形めいた、空白の顔。

喜びも、戸惑いも、警戒もない。

ただ“そこに在る”だけの存在。

生きているはずなのに、生気が感じられない。

学園の喧騒から切り離された、別の世界にいるような静けさ。


(……?)


名を呼びかけようとして――


「セレちゃん!」


背後から聞こえたクロエの声に、はっと我に返る。


「どうしたの?そんなところで立ち止まって」

「……え?」


慌てて視線を戻す。

けれど、さっきまで確かにそこにいたはずの姿は、もうどこにもなかった。

柱の影も、回廊の先も、静まり返っている。


(……見間違い?)


そう思おうとしても、胸の奥に残る違和感が消えない。

同じ学園にいるはずなのに。

すぐそこにいたはずなのに。


――まるで、最初から存在していなかったかのように。

私は無意識に、ぎゅっと指先を握りしめていた。



******



クロエは午後から騎士科の実技があるという。

それに付き合う形で、私は騎士科の訓練場の方へ向かうことにした。

広い敷地の奥、木々に囲まれた訓練場の近くで――

重そうな音が響いた。


「おっと……」


木刀や訓練用の盾を山のように抱えた用務員の男性が、足を取られて荷を落としてしまったのだ。


「大丈夫ですか?」


慌てて駆け寄り、私は手をかざす。

散らばった木刀や盾が、私の魔力に応じてふわりと浮かび上がり、元の位置へと整えられていく。


「おお……助かります」

「いえ、これくらい」


そう答えると、用務員はほっとしたように笑った。


「最近はねぇ、こうして手伝ってくれる生徒がいまして」

「そうなんですか?」

「えぇ…。グレーの髪の、静かな子でね。名前は……ええと、なんだったかな」


何気ない言葉に、胸がわずかに跳ねる。


「その生徒は、よくここを手伝っているんですか?」

「ええ。昼もどこからともなく現れて手伝ってくれるんですが、夜になるともっとですね」


用務員は少し声を落とした。


「生徒たちが寮へ戻った後、訓練場を隅から隅まで掃除して……それで、余った時間に一人で鍛錬しているようで」

「……どうして、そこまで?」


私の問いに、用務員は一瞬、言葉を選ぶように視線を逸らした。


「さぁ……理由までは、わかりません。ただ、真面目な子ですよ」


その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


(やっぱり……)


私が知っている彼。

さっき見た“感情のない彼”。

そして用務員さんが知る彼。


(一体どれが本物なのか…)


「おそらくその生徒……私の知り合いなんです」


そう告げると、用務員は驚いたように目を見開き、すぐに柔らかく笑った。


「それはそれは。どうか、彼にお礼を伝えておいてください」

「ええ。わかりました」


用務員さんと訓練場を後にしながら、私は空を見上げた。

夕暮れが近づき、空の色が少しずつ深くなっていく。


(……今夜、行ってみようか)


誰もいなくなった訓練場へ。

もっと彼のれとを、知りたくなってしまったから。



*******



月明かりが、訓練場を淡く照らしていた。

昼間とは違い、人の気配はなく、風が木々を揺らす音だけが静かに響いている。

私は足音を殺しながら、訓練場の奥へと向かっていた。


(用務員さんの話が本当なら……)


彼は、ここで人知れず剣の鍛錬をしている。

そういえば――と、ふと昼間の記憶がよみがえる。

初めて会った温室で、彼の腰に下げられていた剣。


(貴族令息が持つには、あまりにも質素だったわね)


華美な装飾もなく、宝石もなく、まるでこの訓練場に置かれている木剣や練習用の安価な剣と変わらないように見えた。

それなのに。

色とりどりの花々に囲まれた温室で、最低限の装いしかしていなかった彼が、

あの空間で一番――ひどく眩しく見えた。


(……不思議な人)


剣ね、と心の中で呟く。

お父様が「我が家に迎えたい」とまで言うのだから、

彼の剣の腕が確かなものであることは疑いようがない。


ならば――


(一体、どんな剣を振るうんでしょう)


そんなことを考えながら進んでいくと、

訓練場の片隅、月光が作る濃い影の中に――

人影があった。


(……いた)


私は咄嗟に、自分に認識齟齬の魔法をかける。

意識しなければ気づかれない程度に自分の存在を希薄にする魔法だ。


建物の影に身を寄せ、そっと近づく。

そこにいたのは――

間違いなく、リュシアンだった。


学園で支給される簡素な訓練服。

無駄のない立ち姿。

そして――

ひたすらに剣を振るう、その姿。

一切の迷いも、飾りもない。

振り下ろし、踏み込み、返し、受け流し。

月光を受けて、剣の軌道が淡く光る。


(……綺麗)


思わず、そう思った。

洗練されていて、無駄がない。

それでいて、鋭い。

見せるための剣ではない。

生きるために、積み重ねられてきた剣。

きっと何年も、ただ黙々と、基礎を叩き上げてきたのだと、

その剣筋が語っていた。


そして。

彼の表情は――

昼間、回廊で見かけたあの顔だった。


微笑の仮面を外し、すべての感情が抜け落ちたような、まるで人形のような無表情。


初めて会った時の、穏やかで、礼儀正しくて、少し困ったように微笑む彼。


今、目の前で剣を振るう、感情を閉ざした彼。


(……どちらが、本当のあなたなの?)


問いかけても、答えは返ってこない。

それでも。

彼の剣捌きは、彼の無表情な横顔は、否応なく私の心を掴んで離さなかった。


(あぁ……)


感動を通り越して、もはや感嘆に近い。


(あなたは、その剣技でさえ――私を魅了するのね)


私は息を潜めたまま、彼が剣を納め、訓練場を丁寧に掃除し、最後に一礼して立ち去るまで、ただ、影の中で見守っていた。

月だけが、彼の背中を静かに照らしていた。


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