episode4
貴族派の第二王子が、中立派の第三王子へ声をかけた。
その瞬間、食堂の空気が目に見えて張りつめる。
ざわめきが、すっと引いていく。
誰もが息を潜め、この場の行方を見守っていた。
「そういえば、まだ言っていなかったな」
生徒会の先頭に立つ男――アルノー・フルールヴェールが、鷹揚に口を開く。
「入学おめでとう、エミリアン。クロエ、それに……セレーヌ」
最後に私の名を呼ぶ声音だけ、わずかに重みがあった。
「ありがとうございます、兄上」
リアンが一歩前に出て、形式通りに応じる。
私とクロエも、それに倣って静かに一礼した。
顔を上げた瞬間だった。
――視線を感じる。
上から下へ、値踏みするように。
アルノーの瞳が、じっと私をなぞっていた。
(……相変わらず、気分のいい視線じゃないわね)
そう思った矢先、彼はふっと笑った。
「何だ。こうして見ると、相変わらずだな」
意味のわからない言葉を落としてから、軽く肩をすくめる。
「せっかく同じ学園にいるんだ。何かあったら――この俺を頼るといい」
親切の形をしてはいるけれど、その裏にあるのが「善意」ではないことは明白だった。
私は答えない。ここで言葉を返すのは、得策ではない。
「ありがとうございます、兄上。もしそのような機会がありましたら、ぜひ」
リアンが淡々と応じる。
“機会があれば”――つまり、今は必要ないという意思表示だ。
アルノーはそれをどう受け取ったのか、気にも留めない様子で頷くと、再び私へ視線を戻した。
そして、わざとらしく声を張る。
「――そういえば、セレーヌ。お前、婚約したそうじゃないか」
その一言で、食堂全体がざわめいた。
「ええ、その通りですわ」
私は微笑みを崩さず、即座に返す。
「それが何か?」
「いやなに」
アルノーは心底楽しそうに笑った。
「まさか、陛下の覚えめでたいリザンドル公爵家の末娘が、――あの私生児を選ぶとは思わなくてな」
空気が、凍る。
クロエが息を呑む気配がした。
リアンの視線が、鋭くなる。
だがアルノーは止まらない。
「なあ、バスティアン」
そう言って、背後に控えていた生徒会の一人を呼ぶ。
「未来の“義兄”だ。挨拶くらいしてやれ」
促されて一歩前に出てきたのは、――バスティアン・ヴィオランドル。
社交界では、品行方正な貴公子として知られる男。
周囲から、ひそひそと黄色い声が上がる。
「ご機嫌よう、セレーヌ公女様」
彼は、非の打ち所のない微笑を浮かべ、優雅に頭を下げた。
「こうして正式にお目にかかるのは初めてですね。よろしくお願いいたします」
「ええ、ご機嫌よう。お初にお目にかかります、ヴィオランドル令息」
形式通りに返すと、アルノーが愉快そうに口を挟む。
「おいおい。もうすぐ家族になるんだろ?そんな他人行儀じゃ、寂しいじゃないか」
「そうですね、殿下」
バスティアンは困ったように微笑んだまま、私を見る。
「それでは……セレーヌ嬢とお呼びしても、よろしいでしょうか?」
「あら、ええ。よろしくてよ」
私は穏やかに頷く。
「でしたら、私も“バスティアンお兄様”とお呼びしようかしら?」
「もちろんです」
一瞬だけ、彼の瞳が細くなる。
そして、ほんの少しだけ声を落とした。
「ただ……セレーヌ嬢。この度の婚約には、我が家としても正直、驚いておりまして」
空気が、静かに張り詰める。
「弟ながら――少々、出来の悪い者でして。ご迷惑をおかけしないかと、兄として心配しているのです」
(へぇ、そうくるのね)
私は、にこりと微笑んだまま、一歩も引かずに答える。
「“出来が悪い”という評価は」
言葉を選ぶことなく、はっきりと。
「少なくとも、私の見解とは異なりますわ」
バスティアンの表情が、一瞬だけ固まった。
「私が実際にお会いしたリュシアン様は、礼儀正しく、誠実で、努力を惜しまない方でした」
視線を逸らさず、続ける。
「ですからご心配には及びません。――私の父が選び、私が認めた婚約者ですもの」
その言葉に、食堂が水を打ったように静まり返る。
アルノーが、面白そうに口角を吊り上げた。
「……なるほど」
低く、楽しげに。
「噂と違う、というわけか」
私は、優雅な微笑のまま答えた。
「ええ。噂というものは、往々にして――当てにならないものですから」
その視線の先で、バスティアンは相変わらず“完璧な貴公子の笑み”を崩さなかった。
けれど私は見逃さなかった。
その奥に、一瞬だけ走った――冷たい光を。
数秒の沈黙のあと、その空気を破ったのは、アルノーの愉快そうな笑い声だった。
「ははっ、面白いな」
彼は楽しげに肩を揺らしながら、バスティアンの方へと視線を向ける。
「お前の弟、なかなかやるじゃないか」
突然の言葉に、バスティアンはわずかに目を瞬かせた。
「なんせ――」
アルノーは、あえて食堂全体に響くような声で続ける。
「この女が、これまで“認めた”男といえば、
我らが王太子殿下と、身内のご立派な兄君たちくらいだったからな。
そこに“あの弟”が並ぶとは……大した快挙じゃないか?」
一斉に、ざわりと空気が揺れた。
(……わざとだわ)
心の中で、私は思わず毒づく。
この王子、余計なことを言う才能だけは一流だ。
周囲の視線が、私へ、そして“その弟”へと向かうのを感じながらも、私は表情を崩さなかった。
(まぁ、事実だものね。リュシアンは素晴らしいもの)
(そういえば、リュシアンの兄というからどんな人かと思ったら、そんなにときめかないわね)
(この方が貴公子と呼ばれて、なぜリュシアンが何も言われないのか疑問しかないんだけれど)
私がそんなことを思いながら様子を伺っていると、
バスティアンは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの完璧な微笑へと戻る。
「それは……兄としても、家としても光栄なことですね」
そう答える声は穏やかで、非の打ちどころがない。
ただ――
「弟」という言葉を口にした、その瞬間だけ。
彼の視線が、ほんの一瞬、冷たく沈んだように見えた。
(……気のせい、かしら)
そう思おうとして、思えなかった。
アルノー殿下は興味を失ったように肩をすくめると、
「じゃあな。昼食の邪魔をした」
そう言い残し、踵を返した。
生徒会の面々がそれに続いて去っていく。
最後にバスティアンがこちらを振り返り、にこやかな笑みを浮かべたまま一礼した。
「またお目にかかれる日を楽しみにしております。セレーヌ嬢」
その言葉は、丁寧で、礼儀正しく――
そして、どこか作られたもののように聞こえた。
(こういう顔は兄弟でも少し似ているかもね…)
生徒会の姿が食堂の奥に設置された個室に完全に見えなくなるまで、周囲のざわめきはしばらく収まらなかった。
やがて、まるで何事もなかったかのように、私たちは食事を再開する。
ざわめきの残滓が消えるまで、少し時間がかかったけれど、それでも“何事もなかったふり”をするのは、私たちにとっては慣れたことだった。
食事を終え、私たちはリアンに与えられている学園内の部屋へと向かう。
扉を閉め、遮断結界を展開した瞬間――
「つっかれたぁぁ……!」
「ほんとそれ!!」
リアンとクロエが、示し合わせたかのようにソファーへダイブした。
「まさか、あんなに人の多い食堂で話しかけてくるとはね……」
「兄上も、何を考えているのやら」
リアンは天井を見上げたまま、深いため息をつく。
「相変わらず、セレちゃんにだけ当たり強いよねぇ。ちょっかいかけてるというか……」
クロエの言葉に、私は苦笑した。
「ええ。嫌われているのか、気に入られているのか……どちらにせよ、厄介なことには変わりないわね」
「生徒会、完全に貴族派で固められてる感じだったな」
「そのようね」
リアンの言葉に頷きながら、
私は無意識に、先ほどの“義兄”の顔を思い出していた。
外面は、非の打ちどころのない好青年。
礼儀正しく、穏やかで、誰もが好意を抱くだろう佇まい。
――それが本当に、
弟にあれほど歪んだ常識を植え付ける人物の一人なのか。
あの微笑だけを見ていては、到底信じられない。
それでも。
(……何か、あるんでしょうね。ヴィオランドル侯爵家には)
理由はない。確証もない。
けれど、あの一瞬の視線が、どうしても引っかかっていた。
「さぁ」
私は思考を振り切るように立ち上がり、二人へと微笑む。
「お茶にしましょう。今日は、少し疲れたわ」
「賛成〜!」
「助かる……」
湯気の立つカップを用意しながら、私は静かに考える。
(リュシアンのことといい、彼の兄といい、どうなるのかしら)
面倒なことにならないといいけれど。
そう思ってならないが、なんだか面倒になりそうな予感がするのだった。
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