episode24
パーティーの喧騒がようやく遠ざかり、王宮の回廊に静けさが戻ったころ――
私とリュシアンは、国王が言った通り、そのまま王宮に泊まることになった。
案内された客室の前で、使用人が一礼する。
「セレーヌ公女様、明日、王妃殿下ならびに王太子殿下、王女殿下より、
お茶会へのご招待がございます」
「……私だけかしら?」
「はい、公女様のみと伺っております」
(なるほど)
「承りました。喜んで出席するとお伝えください」
「かしこまりました」
使用人はさらに続けた。
「また、ヴィオランドル令息にはエミリアン殿下よりお呼びがかかっております」
私は思わず小さく笑う。
(……リアンらしい配慮ね)
隣でリュシアンが少しだけ驚いたようにこちらを見た。
「僕に、ですか?」
「ええ。きっと、私が呼ばれている間、あなたが王宮で一人にならないようにでしょうね」
「……ありがたいです」
使用人が去ったあと、私は自室に入り、世話係に勧められるまま入浴を済ませ、
部屋着のワンピースへと着替えた。
柔らかなソファに腰を下ろした瞬間、ようやく息が抜ける。
「……はぁ。さすがに今日は長い一日だったわ」
ふと思い出し、耳元の通信魔道具に指を触れる。
「リュシアン、聞こえる?」
すぐに、穏やかな声が返ってきた。
『はい。今ちょうど、落ち着いたところです』
「よかった。少しだけ、そちらへ行ってもいい?」
一瞬の沈黙のあと、
『……もちろんです』
私は立ち上がり、足元に小さな転移魔法陣を展開させた。
次の瞬間、景色が切り替わる。
現れた部屋の中央で、リュシアンが少し驚いたように立っていた。
すでに部屋着に着替えており、まだ乾ききっていない髪がしっとりと光を含んでいる。
「セ、セレーヌ様……?」
「こんばんは。少しだけ、お邪魔するわね」
「はい……どうぞ」
私はリュシアンのすぐそばまで向かい、彼の髪をさらりと触った。
「リュシアン、まだ濡れてるじゃない」
「そう、ですね」
「こっちに座って」
彼を椅子に座らせ、私は自然な動作でタオルを手に取る。
「ほら、じっとして」
「い、いえ、自分で――」
「今日はあなたもたくさん働いたんだから、じっとしてったら」
そう言うと、リュシアンは少しだけ困ったように笑い、
「……では、お願いします」
大人しく座り直した。
濡れた髪をそっと包み、優しく水気を拭き取る。
最初は少しだけ肩に力が入っていた彼も、次第にその力が抜けていくのが分かった。
「……気持ちいい?」
「……はい」
小さな声でそう答えたあと、少しだけ目を細める。
私は軽く微笑み、指先に魔力を集める。
「もう少しで乾くわ」
柔らかな風の魔法が、彼の髪を静かに揺らした。
「……今日は、さすがに疲れたわね」
「そうですね……」
背を向けている彼の表情は見えない。
けれど、声だけで分かる。少しだけ、気が緩んでいる。
「でも、あなたと一緒だったから、思ったより楽しかったわ」
一瞬、彼の肩がぴくりと動いた。
「……本当ですか?」
「ええ。とても誇らしかったわよ、リュシアン」
「今日一番輝いたのはあなただったわ!絶対に」
しばらく沈黙が落ちる。
やがて、彼が小さく呟いた。
「……僕は、少し怖かったです」
「何が?」
「……あの場で、失敗したらどうしよう、とか
……セレーヌ様の隣に立つ資格がないと思われたらどうしよう、とか……」
私は、乾いた髪をそっと撫でる。
「でも、大丈夫だったでしょう?」
「……はい」
「それに、もし何か起きても――」
私は少しだけ身を乗り出し、彼の肩越しに微笑む。
「そのときは、私が全部どうにかするから大丈夫よ」
彼は一瞬言葉を失い、それから小さく笑った。
「……ふふ、そうですね。あの魔道具の機能には驚きました」
「でしょう?」
「はい」
「これで懲りたらちょっかい出してこないといいけれどあの令息たちも」
「そう、ですね」
魔法の風が止み、彼の髪がふわりと整う。
「はい、終わり」
「……ありがとうございます」
彼はゆっくり立ち上がり、こちらを振り向いた。
サファイアの瞳はどこか柔らかく、少しだけ眠たげに揺れている。
「リュシアン、眠いの?」
「……いえ、大丈夫です」
「でも、ずいぶん目が眠そうよ?」
軽く笑ってそう言うと、彼は少しだけ困ったように視線を伏せた。
「……少しだけ、疲れたのかもしれません」
「今日は本当にいろいろあったもの。私ももう休むわ。
だから、あなたもおやすみなさい」
そう言って近づき、目にかかっていた前髪をそっと払ってあげる。
その瞬間、リュシアンの手が、私の手首をそっと掴んだ。
「……もう少し、もう少しだけ、一緒にいてくれませんか?」
どこか心細そうな声音に、思わず小さく息をつく。
「……いいわよ。そんな顔をされたら断れないじゃない」
掴まれた手をそのまま引き、ベッドの方へ歩く。
「ほら、横になって」
「でも――」
「いいから」
半ば強引に背中を押してベッドに座らせ、
そのまま布団をめくると、彼は観念したように横になった。
私はベッドの縁に腰掛け、彼の手を握る。
しばらくすると、うとうととまどろみ始めた彼が、小さな声で呟いた。
「……今日は……セレーヌ様が用意してくださった大事な衣装が、
侯爵夫人に取られてしまって……とても、悲しかったんです」
「ええ」
「でも……セレーヌ様が来てくださって……とても、嬉しくて……」
眠気に引きずられるように、言葉が少しずつたどたどしくなる。
「そのあとも……緊張しましたけど……僕、頑張りました……」
「ええ、よく頑張ったわ」
手を優しく包み込みながら、穏やかに相槌を打つ。
「本当に、誇らしかったわ。私のリュシアン」
その言葉を聞いた瞬間、彼の指からふっと力が抜けた。
規則正しい寝息が、静かな部屋に小さく響き始める。
「……もう眠ったわね」
握られていた手をそっと外し、彼の額に指先を添える。
淡い光を帯びた魔法陣が一瞬だけ浮かび、静かに溶けた。
睡眠を深く安定させる魔法。
そこに、悪夢を遠ざける小さな術式を重ねる。
「今日は、もう何も考えなくていいわ」
私は身をかがめ、彼の額に軽く口づけた。
「おやすみ、リュシアン。いい夢を」
そう小さく囁いてから、足元に転移魔法を展開する。
柔らかな光が広がり、次の瞬間――私は静かに部屋を後にした。
******
翌朝、目を覚ました私は、王宮が用意してくれていたドレスではなく、
自分で持参していたドレスの一つを取り出して身にまとった。
私が扱う上級空間収納魔法――異空間に物品を保管し、
必要な時に即座に取り出すことができる高位魔法だ。
学園に入る以前、各地を行き来することの多かった私は、
ドレスを含めた生活用品のほとんどをこの魔法に収納して持ち歩くようにしていた。
リュシアンと婚約してからは、その中に彼の衣装も何着か加えている。
もちろん、私のドレスとどことなく意匠を合わせたものばかりだ。
(……なんだか、お揃いが好きみたいなのよね)
魔道具のリボンを作った時も、昨日のパーティーの衣装の時も、
同じものを身につけているとわかった瞬間、彼の笑顔は明らかに一段階柔らかくなる。
あの変化を見るのが、私はとても好きだった。
昨日、彼の部屋を訪れた時にも、今日用の衣装をあらかじめ置いてきてある。
今日の私のドレスは、淡い紫を基調にした柔らかな色合い。
リュシアンの衣装も、同じ色調で揃えてある。
身支度を整えた私は、耳元のピアス型魔道具にそっと触れ、魔力を流した。
「おはよう、リュシアン。もう準備できたかしら?」
少し間をおいて、柔らかな声が返ってくる。
『……はい、ちょうど終わったところです』
王家とのお茶会は昼頃の予定。
朝食は私の部屋で二人一緒にとると、あらかじめ王宮の使用人には伝えてあった。
ほどなくして扉がノックされ、リュシアンが部屋へ入ってくる。
ちょうど同じ頃、朝食も運ばれてきた。
給仕は大丈夫よと丁寧に断ると、部屋には私たち二人きりの静かな時間が戻る。
席についた彼を見て、私は微笑んだ。
「服は問題なく着られたかしら?」
「はい。……昨日の衣装も、今日の服も、本当にありがとうございます」
「それから…昨日はあのまま眠ってしまって、すみません」
そう言って少し恥ずかしげにするから、
「ふふ、よく眠れた?」
「はい、とても」
「それはよかったわ」
そんな会話の後、彼は私を見つめ、ふっと微笑む。
「セレーヌ様は、今日もとてもお綺麗ですね」
「ありがとう」
何気なく返したその直後、彼は何かに気づいたように自分の袖口を見下ろし、
そして少しだけ躊躇いがちに尋ねてきた。
「もしかして……この服も、お揃い、ですか?」
「そうよ?」
私は当然のように頷く。
「好きでしょう? お揃い」
その瞬間、彼の表情がぱっと綻んだ。
「……はい。とても、嬉しいです」
控えめな言葉とは裏腹に、隠しきれないほど柔らかな笑顔。
(――ああもう、可愛い……)
(ちょっと待って、この笑顔は反則)
(朝から破壊力が高すぎるわ、本当に)
(お揃い、いいわ。一生お揃いにし続けましょう)
(……尊い。これを見るために私は生きてると言っていいわ)
内心で盛大に悶えながら、私は何事もなかったかのように紅茶のカップを持ち上げた。
朝の光の中、淡い紫の衣装を揃えた私たちは、穏やかな朝食の時間を静かに過ごしていった。
朝食を終えても、王家のお茶会まではまだ少し時間があった。
私たちはそのまま席を立たず、自然と昨日の出来事を振り返る流れになる。
話題の中心は、やはり――リュシアンの家のことだった。
「昨日、侯爵邸に転移した時……あなたがいた部屋。
あそこが、あなたの部屋なの?」
そう問いかけると、リュシアンはわずかに視線を落とし、小さく頷いた。
「……はい」
その短い返事だけで、十分すぎるほど状況は伝わってくる。
ヴィオランドル侯爵は数年単位で邸を空けることが多い。
その間、邸を実質的に支配するのは侯爵夫人だ。
昨日のあの部屋――何もない、必要最低限どころかそれ以下の空間を思い出し、
私は思わず眉を寄せた。
(あれでは、使用人の部屋の方がよほどまともだわ)
胸の奥にじわりと怒りが滲む。
そんな私の様子に気づいたのだろう、リュシアンが少し困ったように微笑んだ。
「……すみません。あんな姿を、お見せするつもりはなかったんですが」
その言葉に、私は思わず身を乗り出し、テーブル越しに彼の手を取る。
突然の行動に、リュシアンがはっと顔を上げた。
「あなたのせいじゃないわ。そんなふうに申し訳なさそうな顔をしないで。
……それに、どんなリュシアンでも、私は好きよ。大丈夫」
微笑んでそう言うと、彼の指先からこわばりが少しだけ抜けた。
「……ありがとうございます」
その様子を見届けてから、私は小さく息を吐く。
(粗末な服だろうがリュシアンは光り輝いていたもの)
(バスティアンもまぁ造形は美しいけれど、リュシアンには劣るわ)
(それもまた侯爵夫人の神経を逆撫でしている原因かしらね)
「それにしても……あんな扱いを受けているなら、
なるべく実家には帰らせたくないわ」
婚約はしているとはいえ、正式に婚姻するまでは彼はまだヴィオランドル侯爵家の人間だ。
婚姻が可能になるのは高等部卒業後――今から五年先。
(少し、対策を考えないといけないわね)
(今回だって衣装を盗まれたわけだし)
そう思案していると、リュシアンがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……セレーヌ様は、転移魔法を使われるんですね」
「ええ、使うわ」
転移魔法は上級魔法の中でも特に難度が高い。驚かれるのも無理はない。
私は彼の手を取ったまま、小さく笑って魔力を巡らせる。
次の瞬間、景色がふっと切り替わった。
足元に広がるのは、先ほどまでいた部屋の外――テラス。
朝の光が白い石床に柔らかく差し込んでいる。
「……すごい」
驚き混じりに呟くリュシアンに、私は肩をすくめた。
(そもそも上級魔法は学園高等部でも習わないものね)
(でも…)
「多分、あなたもできるわよ?魔法の才能は十分あるもの。
今度、やり方を教えてあげる」
「……本当ですか」
「ええ、約束」
再び部屋へ戻り、席に着くと、リュシアンは静かな声で自分の過去を語り始めた。
「侯爵邸では、あの部屋に押し込められていました。
まともな教育もほとんど受けられないまま、学園に入学しました」
淡々とした語り口だが、その言葉の一つ一つがどれほど重いか、想像するまでもない。
「剣は、侯爵が一度だけ先生をつけてくださって
……基礎を習得したところで、また領地へ行かれてしまって。
先生もそのままいなくなりました」
「魔法は?」
「ほとんど独学です。本で読んだり、
兄上が魔法の授業を受けていらっしゃるのを盗み見たりして覚えたので
……得意なものと不得意なものが、かなり分かれます」
独学であの認識齟齬の魔法をあれほどの精度で扱えるのだ。
やはり彼は、間違いなく才能の塊だ。
「回復魔法は少し苦手でしたが……セレーヌ様に教えていただいて、だいぶ安定しました」
「それならよかった。今度は転移魔法ね」
そう約束した、ちょうどその時だった。
コンコン、と静かなノックの音が、部屋の扉に響いた。
「セレーヌ公女様、ヴィオランドル令息、お時間です」
「わかりました」
そう言って私たちは立ち上がった。
******
リアンのもとへ案内されていくリュシアンと別れ、
私は一人、王宮の使用人に導かれて王太子宮へ向かっていた。
(ここも久しぶりね)
幼い頃から何度も訪れている場所だが、
王宮独特の静かな気配は、何度来ても背筋が自然と伸びる。
案内された扉が静かに開かれ、部屋へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
「セレだ!」
軽やかな声と同時に、小さな人影が勢いよくこちらへ飛び込んでくる。
「エリザベス殿下、ごきげんよう」
私はすぐにしゃがみ込み、目線を合わせた。
王妃によく似た顔立ちの少女は、ぱっと花が咲いたように笑う。
「セレ、きた!」
そのまま腕を伸ばしてくる王女を抱き上げ、私は部屋の奥へ歩みを進めた。
「すまないね、セレ」
椅子を引きながらそう言ったのは、王太子クリストフだ。
相変わらず隙のない所作に、小さく微笑み返す。
「ありがとうございます、殿下」
そのまま席に着き、抱き上げていた王女を膝の上に座らせると、
彼女は嬉しそうに私へ抱きついてきた。
「ふふ……」
頬をすり寄せてくるその様子に、思わず笑みがこぼれる。
それを見て、向かいに座る王妃が柔らかく笑った。
「エリーは、本当にセレが好きなのね」
「光栄ですわ」
軽く頭を下げてから、私は姿勢を正した。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
すると王妃は、少しだけ申し訳なさそうに首を振る。
「いいえ。急に王宮へ引き留めてしまって、ごめんなさいね」
その隣で、クリストフ殿下もにこやかに微笑んでいるが――
その目の奥には、どこか含みのある色が浮かんでいた。
(なるほど)
どうやら、昨夜国王陛下が「王宮に泊まるように」と指示したのは、
目の前の二人が陛下に進言した結果らしい。
ただのお茶会、というわけではなさそうだ。
そう思ったところで、王妃が軽く手を打つ。
「それでは――お茶会を始めましょうか」
用意された茶器から、静かに湯気が立ちのぼる。
柔らかな香りが広がる中、私は膝の上の王女をそっと抱き直し、二人の表情を改めて見つめた。
――こうして、穏やかな空気に包まれたまま、秘密の会談が始まった。
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