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22/26

episode20

「……衣装が……」


抱きしめた腕の中で、リュシアンの声がかすかに震える。


「せっかく、セレーヌ様が用意してくださった衣装なのに……

侯爵夫人に取り上げられてしまって……」


揺れるサファイアの瞳。

そこに宿るのは恐怖と、深く染みついた自己否定。


「……やっぱり、僕みたいなのが……

セレーヌ様の隣に立つなんて、烏滸がましかったんです」


胸の奥が、ぎゅっと痛む。


「侯爵夫人にも言われました……

“お前には相応しくない”って……」


言葉の最後は、ほとんど声になっていなかった。

そのまま耐えきれなくなったように、肩を震わせて泣き出す。

私はさらに強く抱き寄せ、彼の背をゆっくり撫でた。


「侯爵夫人が、どこかに隠したってことね」

「……はい」


内心、こんなことが起きる可能性は考えていた。

けれど――


(侯爵夫人……やってくれるわね)


あの衣装は私が作ってリュシアンに贈ったもの。

衣装に直接手を出せば問題になる。

だから彼から取り上げるだけ取り上げ、何事もなかったように自分だけ会場へ向かったのだろう。


「ヴィオランドル侯爵はこれをご存じなの?」

「いえ……侯爵は領地から直接会場へ向かったはずなので……」


(なるほど、好き放題できたわけね)


胸の奥に、静かな怒りが灯る。

けれど今優先すべきは別だ。

私は彼の涙を指先で拭い、視線を合わせた。


「ねえ、リュシアン」

「……はい」

「私のドレスの胸元についているもの、何かわかる?」


抱きしめていた身体を少し離すと、彼は戸惑いながら視線を落とした。


「……魔鉱石の、ペンダントですか?」

「そう」


その瞬間、彼がはっと息を呑む。


「――あっ……」


思い出した、というように目を見開く。


「あなたの衣装にも、同じものがあったはずよ?」


私はゆっくりと微笑んだ。


「つまり、あれはただの衣装じゃないわ。

私が“あなたのために選んだもの”なの」


そのまま彼の手を取る。


「さあ、取り戻しに行きましょう」


一瞬、戸惑いの影がよぎった彼の瞳に、少しずつ光が戻っていく。


「リュシアン。あなたの力も必要よ」


そう告げると、彼は小さく、けれど確かに頷いた。




******




「この魔道具は、リュシアンと私の通信用のものと同じようにリンクさせてあるの。

だからどこにあるかは、私の胸元の魔道具でわかるはず。ただ……」


私は言葉を切る。


「そこに行くまでに、どうするか……ということですね」

「そう。侯爵邸には使用人たちがたくさんいる。

誰にも気づかれず、衣装が隠された場所まで行かなくちゃいけないわ」

「それで、僕の力が必要だと」

「その通り。あなたの認識齟齬の魔法なら、確実に誰にも気づかれずに行けるはず」


私自身もその魔法は使える。けれど、精度も持続時間も彼には及ばない。

ここは彼の力に頼る方が安全だった。


「わかりました」


短く、けれどはっきりとした声。

先ほどまで震えていた彼の瞳に、わずかに決意の光が宿る。


「じゃあ、行きましょう」


胸元のペンダントに魔力を流し込むと、淡い光が灯り、

細い光の糸がすっと空中に伸びて扉の方へと滑っていく。


「私が指示を出すから、リュシアンは魔法を私とあなたに」

「はい!」


彼の指先が小さく動いた瞬間、柔らかな闇色の魔力が私たちを包み込んだ。

気配が、ふっと薄れる。


「行きましょう」


二人で静かに廊下へ出る。

すれ違う使用人たちは、こちらを一瞥することもない。

魔法は完璧だった。

やがて光の糸が止まったのは、豪奢な装飾の施された扉の前。


「……侯爵夫人の部屋ですね」


(自室に隠すなんて、本当に隠す気があるのかしら)


そもそも、リュシアンがここへ入るとは微塵も思っていないのだろう。

私は静かに扉へ手をかけ、わずかな音も立てずに中へ滑り込んだ。

眩いほどの装飾品、過剰なまでの家具、香水の強い香り。


(……趣味が悪いわね)


胸元の光の糸は、迷うことなく部屋の奥のクローゼットへ吸い込まれていく。

扉を開けると、ぎらびやかなドレスが所狭しと並び、その片隅に見覚えのある箱が置かれていた。


「あったわ」


箱を引き寄せて蓋を開ける。

中には、丁寧に畳まれたままの衣装。


「あった……」


背後から、安堵の混じった声。

振り返ると、リュシアンがその箱を大事そうに抱きしめていた。

壊れ物を扱うような、慎重な手つきで。

その姿に、胸の奥が静かに温かくなる。

私は彼の腕にそっと触れた。


「じゃあ、行くわよ」


返事を待つ間もなく、床に転移魔法陣を展開する。


「え!? セ、セレーヌ様――」


驚いた声が途切れるのと同時に、視界が光に包まれた。

次の瞬間、立っていたのは王宮の一室。


「……え?」

「……セレちゃん!?」


部屋にいたリアンとクロエが、同時に目を見開く。

私はそのまま、迷いなく二人に向かって言った。


「リアン、協力して!」




******




突然現れた私たちに、リアンとクロエは目を丸くしていた。

だが、リュシアンの格好を一目見たリアンはすぐに事情を察したように小さく頷く。


「リュシアン、こっちだ。隣の部屋を使おう」


落ち着いた声でそう言うと、そのまま彼を案内していった。

クロエはすぐに私の方へ駆け寄ってくる。


「セレちゃん、どうしたの?」

「ちょっと色々あってね」


そう答えながら、私は乱れた髪やドレスを整えた。

心臓はまだ少し速く打っているけれど、不思議と気持ちは落ち着いていた。

しばらくして、リアンが戻ってくる。


「着替え、終わったよ」

「ありがとう」


私はそのまま隣室へ向かった。

扉を開けると、着替え終えたリュシアンが静かに立っていた。

衣装は、やはり傷一つない。


(当然ね、簡単に傷つけられないようにしてあるもの)


私は彼の前に歩み寄り、袖口や裾、細かな装飾を丁寧に確かめる。

最後に、胸元の空色の魔鉱石のブローチへそっと触れ、魔力の流れを確認した。


(うん、問題ないわ)


顔を上げると、リュシアンがじっとこちらを見つめていた。


「大丈夫そうね」


そう言った瞬間、彼は少し視線を落とし、小さく口を開く。


「……ご迷惑を、おかけしてしまって」


俯きかけた彼の顔を、私は両手でそっと持ち上げた。


「迷惑じゃないわ。こんなの、迷惑にも入らないわよ、リュシアン」

「ですが……セレーヌ様のお時間を取らせてしまって

……パーティーにも遅れてしまいました。僕のせいで――」


言葉が暗い方へ落ちていく前に、私は軽く首を振る。


「主役は遅れてくるものよ」


それから、改めて彼をまっすぐ見つめた。


「とっても似合ってるわ、リュシアン。素敵よ」


その言葉に、彼の瞳が揺れた。

今にも涙が零れそうな表情のまま、彼は一歩近づき、そっと私を抱きしめる。

私は驚かず、その背に手を回して、優しく頭を撫でた。


「……大丈夫、落ち着いて」


彼の呼吸がゆっくり整っていくのを感じながら、静かに続ける。

「今日はたくさんの貴族が、私を――そして、隣に立つあなたを見るでしょう。

でも大丈夫」


私は少し身体を離し、彼の目を見て微笑んだ。


「私のリュシアンは完璧よ。あなたがあなたに自信を持てないなら、

私が信じているあなたに自信を持って」


そして、手を差し出す。


「今日は、なるべく私もそばを離れないから。……さぁ、行きましょう」


リュシアンは一瞬だけ躊躇した。

けれどすぐに決心したように頷き、その手を大切そうに取る。

そっと持ち上げられた私の手の甲に、柔らかな口づけが落ちた。


「――エスコートさせていただきます」


顔を上げた彼の微笑みには、もう迷いはなかった。

私はその手を握り返す。


(もう二度と、リュシアンを傷つけさせない)


胸の奥でそう誓いながら、私は彼と共に部屋を後にした。




******




部屋を出ると、リアンとクロエが静かに待っていた。


「リュシアンくん、大丈夫?」


クロエが優しく声をかける。

リュシアンは一瞬だけこちらを見てから、静かに頷いた。


「はい、大丈夫です」


私はリアンの方へ向き直る。


「リアン、ごめんなさいね。ありがとう」

「いいよ。気にしないで」


軽く笑い合うと、リアンが肩をすくめた。


「詳しい話はあとで聞くよ。――さ、会場に向かおうか」


私たちはそのまま歩き出した。

すでに会場からは、音楽と人々のざわめきが波のように漏れ聞こえてくる。

華やかな夜の熱気が、扉越しにもはっきりと伝わってきた。

リアンとクロエを先頭に、私たち四人は大扉の前で足を止める。


私はそっと隣を見上げた。

リュシアンは背筋を伸ばし、完璧な姿勢を保っている。

けれど、腕を通して伝わってくるわずかな緊張――肩に入った力は、隠しきれていなかった。

私は、彼にエスコートされている腕にそっと力を込める。

その感触に気づいたのだろう。

リュシアンが、はっとしたようにこちらを向いた。


「大丈夫よ、リュシアン」


小さく、けれど確かな声で告げる。


「あなたの所作は完璧。

それは私だけじゃないわ――王子であるリアンが太鼓判を押すほどなんだから」

「そうそう、大丈夫だよ」


リアンが軽く笑い、クロエも柔らかく微笑む。

彼の瞳が、わずかに見開かれた。


「あなたは今日、この会場で――

私の隣にいてくれればいいの」


そっと微笑み、続ける。


「私だけを見ていて。

……私の、リュシアン?」


その言葉に、彼の肩からすっと力が抜けた。


「……そうですね」


小さく息を吐き、深く呼吸を整える。

そして静かに微笑んだ。


「僕は、貴方だけを見つめています」


その瞬間――

重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。

眩いシャンデリアの光。

宝石のようにきらめくドレスの波。

音楽と会話が溶け合う、華やかな空間。

その中心へ、私たちは足を踏み入れる。


入った瞬間――

視線が、痛いほどに突き刺さった。

ざわり、と空気が揺れる。


「……あれは、セレーヌ公女……」

「噂以上ね……あの立ち姿……」

「歩き方ひとつで、格が違うと分かるわ……」


感嘆と、羨望。


「エミリアン殿下とクロエ嬢、あのお二方と一緒とは」

「学園ではいつも一緒に行動していらっしゃると聞くが、本当だったのか」


そして――囁きは、次第に私だけでなく、隣へと流れていく。


「隣の方……あの方が婚約者?」

「……ヴィオランドル侯爵家の次男だったかしら」

「思っていたより……ずっと、美しい……」

「妾の子と聞いていたけれど……所作が、驚くほど綺麗ね」

「ええ……あのエスコート、自然だわ」

「……でも、所詮は妾腹でしょう? 実力があるかどうかは、また別の話では?」


値踏みする視線。

測るような囁き。


「それにしても……衣装……」

「完全にお揃いね」

「セレーヌ公女、ずいぶんお気に入りのようだわ」


羨望と打算が、露骨に混じる。

その瞬間、組んでいる腕が――ほんのわずかに震えた。

私は何も言わず、彼の腕に添えた手へ、もう一度しっかりと力を込める。


(大丈夫)


そう伝えるように。

リュシアンの腕が、ほんの少しだけ強く私の手を支え返した。

無数の視線の中、私たちは歩みを止めない。


ゆっくりと、堂々と――

まるで最初からこの場の中心に立つことが決まっていたかのように、

私は彼と共に、煌めく会場の奥へと進んでいった。



会場内でリアンとクロエと別れた私たちは、ひとまず私の家族の元へ向かうことにした。

どうやら父たちは宰相家と共にいるらしい。

会場の奥、一際目立つ一団が目に入る。


私は少しだけリュシアンの方へ体を寄せ、小声で囁いた。


「家族があちらにいるみたい。そちらへ向かいましょう」


彼は静かに頷き、歩調を合わせて歩き出す。

エスコートの手は、相変わらず完璧な角度と距離を保っていた。


家族の元へ辿り着くまでの間、幾つもの視線が私たちに突き刺さる。

好奇、羨望、値踏み、計算――さまざまな感情が入り混じった視線。

その中で、ひときわ強いものがあった。


私は、自然な仕草を装いながら、そちらへ視線を向ける。


それは私ではなく――

明確に、リュシアンへ向けられた視線だった。

憎悪に近い、鋭く冷たい感情。

視線の先にいたのは、ヴィオランドル侯爵夫妻。

侯爵は誰かと会話を交わしているが、侯爵夫人は違った。

隠そうともしない冷ややかな目で、こちらを見据えている。

距離があるため表情ははっきりとは見えない。

けれど、その唇がわずかに動いた。


――なぜここにお前がいるの。


そう言ったように見えた。


(後で、きちんとご挨拶しなくてはね)


内心でそう思いながら、もう一方へと視線を移す。


侯爵夫妻から少し距離を置いた場所。

貴族派の令息たちに囲まれ、談笑している人物。

リュシアンの兄――バスティアン。


その瞬間、彼と目が合った気がした。

彼はふっと微笑み、形式的に軽く一礼する。

そして何事もなかったかのように、再び会話へと戻っていった。

侯爵夫人とは違い、何を考えているのか読めない。

それが、かえって不気味だった。


そう思った、その時。


「セレ! こっちだ!」


聞き慣れた、父の声。

視線を向けると、そこには私の家族と、宰相家の面々が並んで立っていた。

私は背筋を伸ばし、隣のリュシアンと歩調を合わせる。


(さあ――ここからよ)


この夜、私は彼を――

“妾の子”ではなく、「セレーヌの婚約者」として、

王国中の貴族たちの前に、堂々と示すつもりなのだから。


面白いと思ってくださった方!ぜひ高評価、ブックマーク、リアクションよろしくお願い致します!

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