episode13
「「「お願い?」」」
その一言に、
リアン、クロエ、そしてエリクの声が、見事に重なった。
「……ふふ」
思わず吹き出しかけて、私は口元を押さえる。
「いくつか、ね。
でもそれはおいおい、ということで」
三人を見回してから、私はエリクに視線を向けた。
「まずは久しぶりの学園でしょう?
慣れることに集中なさい。無茶はしないこと」
「おっ、姫さんの仰せとあらば」
エリクは胸に手を当て、やけに大仰な仕草で頭を下げる。
「このエリク・アイリスガルド、粉骨砕身――」
「お兄」
クロエの声は低かった。
じっとりとした視線が突き刺さる。
「……はいはい、やめます」
「最初からそうして」
呆れたように言い放つクロエに、リアンが小さく笑った。
――いつも通りのやり取り。
幼い頃から何度も見てきた、変わらない空気。
私はその輪の中に、今はリュシアンがいることが、ただ嬉しかった。
彼は静かに私の隣に座り、皆のやり取りを見つめている。
そのサファイアの瞳は穏やかで、表情も落ち着いている。
――けれど。
その視線が、ふと私に向けられた瞬間。
ほんの一瞬だけ、
底の見えない仄暗い影が、そこに差したことを。
私は、まだ知らなかった。
******
窓を開けると、夜の冷たい風がカーテンの端をさらりと揺らした。
寮の廊下の喧騒はすでに遠く、部屋の中には火の落ちかけた暖炉の匂いと、
私の呼吸だけが残っている。
「……エリク、入っていいわよ」
私は窓枠に手を置いたまま、外へ向けて静かに呼びかけた。
返事はない。けれど、その沈黙こそが合図だった。
次の瞬間――
シュタッ、と軽い音。
風を裂くような鋭い気配が、窓から滑り込む。
影は床を蹴り、ほとんど羽のように着地してみせた。
その動きがあまりに自然で、私は思わず笑ってしまう。
「相変わらず俊敏ね」
「だろ?」
侵入者――エリクは、手をひらひらと振って軽口を叩くと、
私の前でわざとらしく膝をつき、臣下の礼を取った。
ふざけているようで、礼節は崩さない。
彼のそういうところは、妙に信用できる。
「俺たちの姫さん、お呼びですか?」
「はいはい、いいからそこに座って」
私は彼の頭上で手をひらりと振り、向かいの椅子を指した。
エリクは「へいへい」と肩をすくめて立ち上がり、
指定された椅子に腰を落とす。
私はその向かいに座った。
「で? 俺を呼び戻したのには、なんかあるわけ?」
エリクの声は軽い。
けれど目だけは、こちらの温度を探るように真剣だった。
だから私は、余計な前置きを省いた。
「学園内で呪詛が使われたわ」
その言葉を落とした瞬間、エリクの表情が一拍遅れて固まる。
冗談を受け止める顔ではない。
「は……マジかよ」
息を吐くように言って、彼は眉を寄せた。
軽口の皮が剥がれ、下にある“本来の顔”が覗く。
「誰が使用したかは?」
「そこまでは不明ね。残ったのは…呪詛が“確かに使われた”という結果だけ」
エリクは顎に指を当て、短く目を伏せた。
考えている。何を、どこまで、今ここで言うべきか。
そして彼は、ふっと笑った。
いつもの軽さを取り戻したように――いや、取り戻した“ふり”をした。
「なるほどね。で、俺は何をすれば?」
その笑いが妙に上手いから、私はつられて笑ってしまう。
けれど、笑いは答えじゃない。
「あなたにお願いしたいのはね…」
******
「了解〜。じゃあ俺、戻るわ」
「簡単に了承するわね」
「そりゃもちろん姫さんのためですから? 」
ふわりと口角を上げる。
それだけ言うと彼は椅子を蹴り、窓枠に片手をかけた。
外の夜気に身を溶かすような動き。躊躇はない――はずだった。
ほんの一瞬。
彼の視線が、こちらへ戻りかけた。
何か言いかけて、飲み込むように喉が動く。
けれど次の瞬間、エリクは何事もなかったように笑って、
「んじゃ。頼まれた仕事、やっとく」
そう言い残して、窓の外へ消えた。
私はその背中を見送り、ふっと息をつく。
「さて……どうしましょうか」
呟きながら、私は窓に背を向けた。
私は机に置いた資料へ視線を落とし、頭の中で段取りを組み立て始めた。
――呪詛。
リュシアンの手の異常は、単なる怪我が原因ではなかった。
あれは呪詛だ。
この国で「呪詛」という言葉を正確に理解している者は、ほんの一握りしかいない。
王家と、高位の貴族たちの一部、そして特例に認められた者たちのみ。
一般には、原因不明の魔力異常や体調不良として処理されることがほとんどで、
その存在そのものが半ば秘匿されている。
呪詛とは、単なる毒でも、魔法攻撃でもない。
外部から植え付けられた異質な魔力が、本人の魔力と衝突し、
流れを歪めることで心身に異常を引き起こす現象――それが最も近い定義だ。
症状は様々。
魔力が使えなくなる者、身体の一部が動かなくなる者、強い倦怠感に襲われる者。
だが共通しているのは、「原因が特定しづらいこと」と「時間と共に悪化する可能性があること」。
そして何より厄介なのは、
呪詛の痕跡は極めて微細で、正確に認識できる者がほとんどいないという点だった。
リュシアンに起きたあの異常――腕の力が突然抜けた現象。
あれは間違いなく、呪詛によるものだった。
(……けれど、なぜ学園で?)
呪詛は、本来そう簡単に扱えるものではなく、
元々はこの王国内で自然発生的に生じるものだとされてきた。
だからこそ、もし意図的に使用されたのだとすれば――
「これは、少し面倒なことになりそうね」
私はそう小さく呟き、次に取るべき手を静かに考え始めた。
だから気づかなかった。
背を向けた窓の外――寮の庭、木々の影が、わずかに揺れたのを。
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