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episode11


私がリュシアンを迎えに行った、あの日のことは――

思った以上に、学園中で話題になっていた。


廊下を歩けば、ひそひそと声が漏れる。振り返れば、露骨な視線が刺さる。


(……やっぱり、まだ騒がれているのね)


小さく息をつきながら歩く私の隣には、その“原因”がいた。


リュシアン・ヴィオランドル。


あの日以来、彼はもう姿を隠さなくなった。

認識齟齬の魔法で存在を薄めることもせず、私の隣を歩いている。


それだけで、周囲の空気は一変する。


侯爵家の次男。

騎士科に在籍している――それだけは、皆が知っていた。


けれど。

どんな人物だったかと問われれば、誰もが曖昧に言葉を濁す。

出来が悪い。

使えない。

妾の子。

そんな噂ばかりが先に立ち、

その顔立ちや声、仕草をはっきり思い出せる者はいなかった。


そこに“いた”はずなのに、

気づけば視界から抜け落ちている存在。

――それが、リュシアン・ヴィオランドル、だった。


だからこそ。

今こうして、彼がはっきりと私の隣に立っているだけで、学園は静かなざわめきに包まれている。


「……視線が、面倒ですね」


淡々とした声でそう言いながら、

リュシアンは自然に一歩前に出て、私を庇うように歩調を合わせた。

その所作は完璧だ。

騎士科の生徒として、貴族の令息として、非の打ちどころがない。


けれど――

彼の表情は、ひどく静かだった。

夜の訓練場で見た、あの無表情。

感情がすべて抜け落ちたような、氷の仮面。

それが、彼の“素”なのだと、私は知っている。


――それでも。

私がじっと顔を見上げていることに気づいた瞬間、彼はふっと、柔らかく微笑んだ。


「……どうされましたか、セレーヌ様?」


その微笑みに、周囲の空気が一気に揺れる。


「今……笑った?」

「セレーヌ様に……?」

「あの噂の私生児があんな美しい人だったなんて」


小さく息を呑む音。

ざわり、と色めき立つ令嬢たち。


無表情でいることの多い彼が、誰かに向けて微笑むこと自体、珍しいらしい。


けれどそれは――

全て私にだけ向けられる表情だ。


(ちょっと待って、今の微笑み……なに?致死量?)

(外ではあんなに無表情なのに、どうして私の前だけそんな顔をするのよ……心臓がもたないわ)

(なんて危険な人なの。毎日、心の中の私を沈めるのがこんなに大変だなんて想定外よ)

(落ち着きなさいセレーヌ、公女としての威厳を保ちなさい。今ここで尊いとか言ったら終わりよ)

(……でも、あんな顔で微笑まれたら仕方ないじゃない。世界が少しくらい滅びても許されるわよね?)

 

心の中で変わらず叫びつつ、私は令嬢らしい表情を崩さない。


(無表情のリュシアンも国宝級で好きなのよね…)


感情の抜け落ちたような無表情。

それすらも、私を惹きつけてやまないのだから、始末が悪い。


「セレーヌ様、本日はこの後、どうなさいますか?」


静かに問いかけられ、私は顔を上げて微笑んだ。


「今日はね、あなたに紹介したい人がいるの」

「……紹介、ですか?」


珍しく、きょとんとした表情を浮かべるリュシアン。


「ええ」


私ははっきりと頷き、歩みを進める。


「いきましょう。きっとあなたとも長い付き合いになるはずよ」


彼は一瞬だけ立ち止まり、それから覚悟を決めたように、私の隣へ戻ってきた。

その指先が、そっと私の手に触れる。


――逃げない。

――隠れない。


そう決めた人の温度だった。

私はその手を、迷いなく握り返した。




******




午後の柔らかな光が、部屋の中に差し込んでいた。

カーテン越しの陽射しは眩しすぎず、心地よい。

テーブルの上には、淹れたての紅茶。

ほんのりと甘い香りが立ち上っている。


「……ねぇ、リュシアン」


カップに口をつけながら、何気なく問いかけた。


「あなたって、どうしてそんなになんでもできるの?」


すると彼は、きょとんとしたように瞬きをした。


「……どういう意味でしょうか」

「どういう意味って……」


私はカップを置き、指で一つずつ数える。


「エスコートも自然だし、

剣も魔法も素晴らしいし、

紅茶だって——ほら」


もう一口含む。


「温度も、香りも、味も。

全部、私の好みそのままだわ」


そう言うと、リュシアンは一瞬だけ目を見開き、

それから、少しだけ——ほんの少しだけ、口元を緩めた。


「……よかったです」


その声音は、どこかほっとしたようで。

褒められること自体が、嬉しいというより——

褒めたのが私だったことが、嬉しいように見えた。


「家では……」


彼は、少し考えるように視線を落とす。


「基本的に、放置されていましたので」


淡々とした声。

けれど、その言葉の重さは、決して軽くなかった。


「父に許されたのは、剣の指導だけでした。

それ以外は特に……誰かに教わることもなく」

「じゃあ、今のそれは?」

「本を読んで学びました。

あとは……」


少しだけ、言いづらそうに間を置いてから。


「認識齟齬の魔法を覚えてからは、

隠れて、いろいろな方の動きや技術を見て。

……覚えました」

「それって……」


私は思わず息を呑む。


「すごいことじゃない」

そう言うと、彼は再び目を丸くした。

「……そう、なのですか?」

本気でそう思っていない顔だった。


“できて当たり前”とでも言うような。

胸の奥が、きゅっと締め付けられる。


「おいで、リュシアン」


私はソファに座ったまま、手を差し出した。

すると彼は、ほんの一瞬だけ戸惑ったあと、

素直に——まるで呼ばれた子犬のように、近づいてくる。

その頬に、そっと手を伸ばして、

すり、と撫でた。


「あなたはね、とっても頑張ってきたのよ」


もう一度、優しく。


「偉いわ」


ぴたり、と彼の動きが止まる。

次の瞬間——

耳まで真っ赤になった。


「……っ」


言葉にならない声を漏らしながら、

彼は私の足元に膝をつき、

縋るように手に額を寄せてくる。

すり、と。

確かめるように。


その様子があまりにも無防備で、

私は思わず、くすりと笑ってしまった。


(……本当に、子犬たい)


最近、気づけば——

リアンやクロエといる時間以外、

ほとんどリュシアンと一緒にいる。

不思議なことに、彼は私が誰かと一緒にいる時には近づいてこない。

けれど、私が一人になると、なぜか必ず、隣にいる。

授業でも、廊下でも、庭園でも。


(婚約者って……こんなものかしら)


そう思って、

でも、嫌ではないから——


(……まあ、いいわよね)


私は彼の髪を、もう一度撫でながら、ふと思った。

そろそろ、リアンとクロエにも紹介した方がいいかもしれない。

それに——

あの人にも、戻ってくるように言ったことだし。


(そろそろ学園に到着する頃ね…)


「ね、リュシアン」


そう声をかけると、

彼はすぐに顔を上げ、私だけを見る。


「そろそろ……みんなにあなたを紹介してもいいかしら?」




******




そうしてリュシアンを、王子であるリアンとクロエに紹介することを決めた私は、

彼のエスコートを受けながら、リアンの部屋へと向かっていた。


廊下を歩く間、

繋がれた手が、ほんのわずかに強張っているのを感じる。


(……緊張してる、わね)


ちらりと横を見ると、

リュシアンはいつも通り無表情を装っているものの、

サファイアの瞳だけが落ち着きなく揺れていた。


数日前のことを、思い出す。

『あなたを、紹介してもいいかしら?』

そう聞いた瞬間、

彼は目を見開き、信じられないものを見るような顔をした。

『……僕が、ですか?

王族の方や、辺境伯家の令嬢と……会話など……』

何度も、何度も、「自分なんかが」と繰り返していた。

リアンは気さくで優しいこと。

クロエも、人を家柄で見るような人ではないこと。

そして何より——

私が、あなたに来てほしいと思っていること。

それを伝えて、

ようやく彼は、小さく頷いたのだった。


(そもそも、リュシアンも侯爵家の人間なんだけどね……)


心の中でそう思いつつ、

それでも彼の中に染みついた“自分を下に見る癖”は、

そう簡単には消えないのだろう。


リアンの部屋の前に立つ。

先ほどから、繋いでいる手が、明らかに固い。


「……リュシアン」


声をかけると、彼は少しだけ肩を震わせて、こちらを見た。


「大丈夫よ」


私は、穏やかに微笑む。


「あなたの所作は完璧だし、今日は私的な会なの。

そんなに緊張する必要はないわ」


不安げなサファイアの瞳が、じっと私を見つめる。


「……はい」

「さぁ、深呼吸して」


彼の呼吸が整うのを待ってから、私は扉をノックした。


「どうぞ」


聞き慣れたリアンの声。

扉を開け、中へ入ると同時に、さりげなく遮断結界を張る。

全員が美しく繊細に展開される結界が完璧に展開されるのを確認して、視線が交わった。


部屋の中にいたのは——

王子であるリアン。

その婚約者、クロエ。

そして。


「よ!」


ぱっと空気が弾けるような、明るい声。


「姫さん、久しぶり〜!

 ……で、そいつが姫さんの男?」


快活にそう話しかけてきた、ピンク色の髪をした少年。


その瞬間、

部屋の空気が、わずかに揺れた。


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