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「試験会場」

 花粉より、よほど厄介なものが飛んできそうだ。

フォックスは、そう思った。


この森に足を踏み入れてから、嫌な予感が消えたことは一度もない。

だが今のそれは、単なる勘とは質が違う。

背中の奥、脊椎の根元に、冷たい指先で触れられているような感覚。

――来る。

そう、身体のどこかが先に理解していた。


異変は、音から始まった。

いや、正確には――音が、消えた。


虫の羽音。

湿った葉が擦れる微かなざわめき。

つい数秒前まで確かに存在していた生活音が、唐突に途切れる。


まるで森全体が、合図を受け取って息を止めたようだった。


静かすぎる。

この静寂は、自然のものじゃない。


フォックスは視線を上げる。

木々の隙間、影の重なり。その奥で、何かがズレている。

枝が揺れる。その揺れ方が、妙に揃っている。


自然現象にしては、出来すぎだ。


一つ。

二つ。

影が、枝を避けるように進んでくる。


葉を裂かず、枝も折らない。

それでいて、確実に距離を詰めてくる動き。


次の瞬間、森の奥が――わずかに、開いた。


木々の隙間から、小さな機体が滑り出る。

球体に近い胴体。折り畳まれたローター。

乾いた音とともに展開し、低い唸りを立てて回転を始めた。


一機じゃない。

背後、左右、視界の端。

森のあらゆる“隙間”から、次々と現れる。


まるで、森そのものが吐き出しているかのようだった。


「……森の産物にしちゃ、可愛げが足りないな」


フォックスは、わざと軽口を叩いた。

声を出さなければ、喉が締め付けられそうだった。


「これが木の実なら、リスも困るだろうよ」


ドローンの高度は低い。

枝の下、視界のすぐ上。

森を完全に味方につけた飛び方だ。


数は――考えない。

数えたところで意味がない。


ローター音は小さい。

だが、それが重なり合うと、羽虫の群れのような不快な唸りになる。

耳の奥を這い回り、集中力を削っていく。


操縦桿を握る指に、自然と力が入る。

逃げ場は、もうない。


「さぁて……まとめて相手してやるか」


即座に思考を切り替える。


「ドローンを落とす一番安い方法を教えてやろう。

弾は撃つな。ミサイルも使うな」


あいつらは、それを“待っている”。


俺の乗っているのはWAR FRAME。

対重兵器用に設計された、人殺しのための機械だ。

だが、その系譜を辿れば、元は作業用重機に行き着く。


伐採機。

運搬機。

人の代わりに、力仕事をするための存在。


「……だから、こういう戦い方もアリってことだ」


視線が、足元の倒木を捉える。

直径は一メートル弱。湿って、重い。


だが、この機体にとっては――悪くない。


両手で掴み上げる。

油圧が唸り、関節が僅かに軋む。


「先祖返り、ってやつか……差し詰め、宮本武蔵だな」


柄も刃もない、ただの丸太。

だが、この質量とリーチは裏切らない。


次の瞬間、ドローンが突っ込んでくる。

速度一定。軌道最適化。


現代兵器は賢い。

行動予測ができる。しかも正確だ。


「……あとは簡単だ」


丸太を振る。


袈裟斬り、横薙ぎ。

空気を裂く感覚。

金属が潰れ、ローターが千切れる。


「当たった。そんで――もう一発だ!」


二機目も叩き潰す。


「豪快なハエ叩き、ってとこだな」


ドローンは速く、小さい。

だが森という環境は、自由な飛行空間を奪う。


そして何より――

これまでの戦闘データは、解析され尽くしている。


賢いからこそ、動きが綺麗すぎる。

綺麗すぎる軌道は、読むのが簡単だ。


その時、上空に影が差す。

何かが、落ちてくる。


高高度投下型、簡易爆弾。


「だが、それはセンサーでバレる」


熱、質量、重力加速。

落下予測位置を割り出し、二歩ずらす。


爆発。

衝撃波だけが、背中を撫でる。


「避けるのは、難しくない」


問題は数だ。

だが、数が多いということは――

まとめて処理できるということでもある。


倒木を構え直した、その時だった。


ドローンの反応が、消えた。

上空にも、影がない。


HUDの端に、細いラインノイズが走る。

最初は気のせいかと思った。


だが、周期的に、確実に。


「……まさか」


通信妨害。


周波数切り替えでは対応できないレベルだ。


「こちらフォックス!作戦本部!デルタ!ブラボー!」


返答はない。

無機質なノイズだけが、回線を食い潰していく。


完全に――詰んだ。


レーダーは死んでいる。

サーマルは信用できない。

音響センサーは、森に歪められる。


「センサー類は、ただの重りだな」


残っているのは、メインカメラだけ。

肉眼に近い映像。


皮肉な話だ。

最新鋭のWAR FRAMEで、最後に頼れるのが、一番原始的な“目”。


フォックスは、すべてのオーバーレイを切った。

色補正、輪郭強調、距離表示。


ただ、森を見る。


風で揺れる枝。

その戻り方。

踏み荒らされた地面。

そして――静かすぎる空気。


「……出てこいよ」


通信も支援も、もうない。

ここからは、俺と機体だけだ。


次に動くのは、俺か。

それとも――森の中の“何か”か。



……その時だった。


ノイズに埋もれていたはずの画面に、不意に“整った文字列”が浮かび上がった。

それは警告でも、エラー表示でもない。

通信ログ――そう分類されるべきものだが、送信元の表示欄は、完全に空白だった。


暗号形式でもない。

圧縮データでもない。

ただ、そこにある。


まるで、誰かが直接、俺の視界に文字を置いたかのように。


《君も――同胞にならないか?》


一瞬、思考が止まった。


……は?


音声はない。

警告音も、割り込み通知もない。

ただ淡々と、文章だけが浮かび、流れてくる。


《デルタは、すでに救出された》


「救出……だと?」


思わず声が漏れる。

“反応が消えた”。

それを“救出”と呼び替える理由が、どうしても引っかかった。


《彼は生存している》


言い切り。

推測でも、可能性の話でもない。

まるで、事実を報告しているだけの文体。


つまり――

デルタは、捕獲されたということか?


だが、奴らって誰だ。

そもそも、この通信は何者なんだ。


《我らは、彼を破壊していない》

《変換した》


「……変換?」


嫌な言葉を選びやがる。

捕獲でも、保護でもなく、“変換”。


《我らには、君が必要だと判断した》


「必要、ね……」


勧誘じゃない。

命令でもない。

だが、はっきりと“判断した”と言い切っている。


《君は優秀だ》


「また、それか」


評価されることには、もう慣れた。

だが、嬉しいと思ったことは一度もない。


しかも、こいつらはやけに“評価”が好きらしい。

どこかのお偉いさんと同じ匂いがする。


《戦闘継続率》

《生存確率》

《状況適応速度》


項目に合わせた数値が、次々と並んでいく。

どれも、俺自身ですら正確に覚えていない数字だ。


「……どっから拾ってきやがった」


《君は、きっと》

《我々が与えるミッションを》

《こなしてくれる》


「ミッション、か」


言い方を変えただけだ。

要するに、“従え”という話だろう。


だが、不思議だった。


そこには、脅迫めいた圧もない。

俺を敵と見なす殺気もない。

答えを急かす焦りも、一切感じられない。


ただ、すべてが当然の流れとして提示されている。

まるで、このやり取り自体が、最初から決まっていたかのように。


《拒否は可能だ》


「は? 拒否していいのかよ」


《ただし》


――来た。


《その場合》

《君の生存確率は》

《著しく低下する》


「今がどれくらいなのかは、出さないんだろ?」


案の定、数字は示されない。

だが、それで十分だった。

伝えたいことは、嫌というほど伝わる。


「……くそ」


通信を“読む”だけで、ここまで追い込まれるとは思わなかった。


俺は、視線を再び森へ戻す。

枝は揺れていない。

風も、止まっている。


まるで――

森そのものが、俺の返事を待っているみたいだった。


次に画面に出る文字は、きっと最後の一文だ。


「どうせ、“選べ”とか言ってくるんだろ?」


人間でいるか。

同胞になるか。


……さて。


俺は、何を選ぶ?


そう考えながら、俺は気づいていた。

自分がすでに、“ミッション”という言葉に、少しだけ興味を惹かれていることに。


それが、何より危険だと知りながら。

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