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帰ってくる機体

 敵主力の影が、空の向こうに現れ始めていた。


 ドローンではない。

 低空侵入でもない。


 次に来るのは――


 高度戦。


 そのための準備が、静かに進められていた。


 整備灯の白い光が、ハンガーの奥を照らしている。


 その中心に立つのは――

 一機のWF。


 フォックス機。


 第二種戦闘装備へと換装された機体だった。


 両肩には対空センサー補助ポッド。

 背部には増設レーダー。

 105ミリ主砲は対空信管対応。


 機体全体は新しい迷彩で塗装されている。

 国防色を基調にした対空迷彩。

 夜空に溶ける色。


 整備班が総出で仕上げた塗装だった。


 整備灯の光が、装甲の面を静かに滑っていく。

 外装は確かに綺麗だった。

 塗装は滑らかで、油染みもない。

 徹底したオーバーホールを受けた機体。


 だが――


 新品ではない。


 装甲の端には古い擦過傷が残っている。

 溶接跡も、完全には消されていない。

 過去の戦闘で歪んだ装甲は矯正されているが、

 その線はわずかに残されていた。


 削り落として、作り直すことも出来たはずだ。

 だが、そうはしていない。


 これは新造機ではない。

 オーバーホールされた機体だ。


 関節は整えられ、

 駆動系は新品同様に調整されている。


 しかし機体そのものは――

 変えていない。


 戦ってきた形のまま、

 整えられている。


 そのおかげかもしれない。


 機体の立ち姿には、奇妙な落ち着きがあった。

 整備された機械の軽さではない。


 戦場を生き残ってきた者だけが持つ、

 静かな重さ。


 憂い。


 それは、機体から消えていなかった。


 何度も撃たれ、

 何度も帰ってきた機体の空気。


 整備班はそれを消さなかった。


 消せなかったのかもしれない。


 そして――


 その塗装の下にあるものを、

 フォックスも、サヤも知らない。


 白い下地の装甲。


 その上に残された、たくさんの言葉。


 勝利。

 平和。

 帰還。

 “頑張れ”。


 雑な字。

 綺麗な字。

 ふざけた落書き。


 そして――


 小さく書かれた願い。


 それらすべてが、迷彩の下に閉じ込められていた。


 整備班だけが知る秘密だった。


***


 サヤは、フォックス機の前に立っていた。


 整備灯の白い光が、装甲を照らしている。

 フォックス機。

 年季の入った機体だ。


 迷彩の下には古い装甲。


 補修跡。

 溶接跡。

 戦場の痕跡。


 だが、その立ち姿は静かだった。


 戦場を知っている機体の静けさ。


 サヤは、ゆっくりと装甲を見上げた。


 闘技場。


 あの実験場のような場所で、この機体の内部を掃除した時のことを思い出す。


 床に残る細かな擦れ。

 パネルの端に残る古い工具跡。

 操縦席の金属の匂い。


 そこにあったのは、戦いの残り香だった。


 今、こうして外殻を改めて見ると――

 何かが浮かび上がってくる。


 この機体は、きっと。

 死線を、幾度となく越えてきた。

 そして、そのすべてを覚えている。


 クイーン機と並び、戦場を駆けた時間。

 あの圧倒的な機体の隣で、

 このフォックス機がどれほど心強かったのか。


 想像するだけで分かる。


 感傷に浸る時間がないことは、重々承知している。

 ここは戦場だ。

 次の戦闘は、すぐに来る。


 それでも――


 この機体は、あまりにも多くを語りすぎている。


 サヤは、ゆっくりと息を吐いた。

 そして。

 頬を、一筋の雫が伝った。


その時。


 後ろから靴音が聞こえてくる。

 硬い床を踏む、ゆっくりとした足音。


 サヤは振り向かない。

 分かっている。

 誰なのか。


 フォックスだ。


 彼はサヤの隣まで来て、機体を見上げる。

 少しの沈黙。

 そして、軽く言った。


「どうだ」


 沈黙が辺りを包む。


「カッコいいか?」


 もう一歩近づく。

 口元に、わずかな笑み。


「それとも――」


 一瞬だけ肩をすくめる。


「無様か?」


 サヤは、涙を拭かないまま答えた。


「……いいえ」


 涙は、足元へと落ちる。


「とても、強そうです」


 フォックスは鼻で笑った。


「そうか」


 短く、それだけ言う。

 だがその声は、少しだけ柔らかかった。


 フォックスは、しばらく機体を見上げていた。


 サヤの答えを聞いたあとも、特に何か言う様子はない。


 ただ、国防色の迷彩を静かに眺めている。


 傷も。

 補修跡も。

 そのままだ。


 フォックスは、軽く顎をさすった。


「強そう、か」


 少しだけ笑う。


「それなら整備班の勝ちだな」


 サヤが小さく首を傾げる。

 フォックスは肩をすくめた。


「俺はな」


 装甲を軽く叩く。

 コン、と乾いた音。


「この機体が強いとは思ったことはない」


 手のひらを装甲につくと。


「ただ――」


 もう一度、機体を見上げる。


「よく帰ってくる奴だとは思ってる」


 サヤは黙って聞いている。

 フォックスは続ける。


「戦場じゃな、強い奴が生き残るわけじゃない」


 視線を空へ向ける。


「帰ってくる奴が、生き残る」


 それだけだ、と言うように手を下ろす。


「だから俺は、こいつを信じてる」


 軽く笑う。


「腕でも、勘でもない」


 機体を顎で指す。


「こいつが帰る方向を覚えてる」


 サヤは、その言葉をゆっくり受け止めていた。


 フォックスは急に表情を変える。

 さっきまでの空気を、あっさり切り替えるように。


「まぁ」


 腕を組む。


「無様って言った理由もある」


 サヤが見る。


「なんですか?」


 フォックスは、機体の装甲を指でなぞる。


 迷彩の境目。

 塗装の段差。


「これな、見栄えはいいが……」


 鼻で笑う。


「だいぶ整備班に甘やかされてる」


 サヤが思わず笑う。

 フォックスは続ける。


「昔はもっとボロかった。所々、油も垂れてたし、警告灯なんか年中光ってた……」


手のひらで2回装甲を叩くと。


「今は綺麗すぎる」


 肩をすくめる。


「そのうち整備班に怒られるかもしれんな」


 サヤは機体を見る。

 確かに綺麗だ。

 だが、歴戦の跡は消えていない。


 フォックスは歩き出す。

 サヤの横を通り過ぎる。

 そして最後に一言だけ残す。


「まぁ安心しろ」


 振り向かないまま言う。


「こいつはな」


 少しだけ笑う。


「俺より、よっぽど信用できる」


フォックスとサヤの背中が、整備区画の奥へ消えていく。


 それを、ハンガーの端から見ている者がいた。


 ミナミだった。


 腕を組んだまま、フォックス機を見上げている。

 整備灯の光が、迷彩の装甲に柔らかく当たっている。


「……どう思う?」


 横から声がする。

 現地整備員の男だった。

 ミナミは少しだけ笑う。


「似合ってると思う」


 男は頷く。


「ですよね」


 そして、機体を見上げる。


 新しく塗られた国防色迷彩。

 綺麗な塗装だ。


 だが――

 その下を知っているのは、整備班だけだった。


 白い下地の装甲。

 その上に残された、たくさんの言葉。


 勝利。

 平和。

 帰還。

 “頑張れ”。

 雑な字。

 綺麗な字。

 ふざけた落書き。


 そして――


 小さく書かれた願い。

 それらは全部、迷彩の下に閉じ込められている。


 男が小さく言う。


「言わなくていいんですかね」


 ミナミは首を横に振る。


「言わない」


 即答だった。


「なんでです?」


 ミナミは、フォックス機を見上げたまま答える。


「知ったら」


 少しだけ笑う。


「たぶん、怒る」


 男も笑う。


「確かに」


 フォックスはそういう男だ。

 飾られることを嫌う。

 英雄扱いされることも嫌う。


 だから――

 言わない。

 これは整備班の勝手だ。


 ミナミは小さく息を吐く。


「でもね」


 少しだけ声を落とす。


「機体は知ってる」


 男が首を傾げる。


「機体が?」


 ミナミは頷く。


「そう」


 装甲を見る。

 その奥を見ているように。


「機械ってね」


「ちゃんと覚えてるのよ」


 男は少し笑う。


「なんですかそれ」


「気持ちの問題?」


 ミナミは肩をすくめた。


「整備屋の迷信」


 そして、フォックス機を見上げる。


「でも」


 目が輝きを増す。


「私は信じてる」


 静かな声。


「この機体は」


 遠くの空を見る。

 次の戦場がある方向。


「ちゃんと帰ってくる」


 整備灯の光が、迷彩の装甲を照らす。

 その下には。

 基地の全員の言葉が眠っている。


 誰にも知られないまま。

 ただ一つだけの願いを抱えて。


 ――帰ってこい。

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