表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/62

二日という約束

 司令室は、緊張に包まれていた。


 警報音は止んでいる。

 だが、それは安全を意味しない。


 ただ――

 次の判断を待つ時間が始まっただけだ。


 壁一面のモニターには、

 欠けた情報と遅延したデータが並んでいる。

 誰もが、それを直視していた。


 回線が開く。


『……無理だ』


 前線からの声は、掠れていた。


『あんたが来てみろよ』


 一瞬で、司令室の空気が凍りつく。


「えっ――!」


 オペレーターが思わず声を荒げた。


「それが本部長に対する言葉ですか!」


「いいの」


 クイーンの声が、鋭く割り込む。


 低く、短く。

 怒りはない。


 それだけで、場は静まった。

 クイーンは、モニターから視線を外さない。


「……何が必要?」


 前線は、即答した。


『戦力に決まってるだろ!』


 荒い息。


『馬鹿か、あんたは!』


 別のオペレーターが歯を食いしばる。


「あなた、懲罰房に入りたいんですか?」


 通信の向こうで、短い笑い声。


『生きて帰ったらな』


 そこにあるのは、現場の真実から絞り出された声だけ……。


『どこでも入ってやるさ』


 そして、声が落ちる。


『だから……生きて帰らせてくれよ』

『早く、よこせ!』


 クイーンは、目を伏せた。


 迷いではない。

 受け止めただけだ。


「状況は、把握しているわ」


 淡々と、事実を置く。


「意外と……そうでもないのよ」


『……嘘だろ』


「嘘じゃない」


 クイーンは、指先でモニターを切り替えた。


 西方戦線。

 制空域。

 まだ消えていない部隊表示。


「今、西の部隊が善戦している」


 司令室が、わずかにざわつく。


「持ちこたえているわ」


 モニターを凝視した後。


「あと二日」


『……二日?』

『正気かよ』


 クイーンは、変わらない。


「西の制空権が取れれば」


 淡々と続ける。


「補給は、空から行ける」

「速度を重視する為に地上は使わない」


 通信の向こうで、沈黙。

 数秒。

 だが、永遠のように長い。


『……わかった』


 前線の声が、少しだけ落ち着いた。


『二日だな』


「ええ」


『……早くしてくれよ』


 それは命令ではない。

 願いだった。


 通信が切れる。

 司令室に、重たい静寂が戻る。

 誰かが、絞り出すように言った。


「……この二日の約束、重いですね」


 クイーンは、モニターから目を離さずに答えた。


「ええ」


 立ち上がり背筋を伸ばして。


「私が出ます」


 空気が、凍りつく。


「――それは待ってください!」


 オペレーターが声を上げる。


「本部長が前線に出るなんて……!」


 クイーンは、首を振らない。


「ここは、私が行かないと」


 責任を引き受ける声だった。

 だが――


「……いえ」


 別のオペレーターが、慎重に口を挟む。


「それは、最善ではありません」


「どういう意味?」


「あの方に行ってもらっては」


 一瞬の沈黙。


「……もしかして」


「はい」


「フォックスのことです」


 司令室がざわつく。


「大事な時なのに……」


「あそこが落ちれば」


 戦線図を指す。


「陣地を、かなりえぐられます」


 クイーンは、目を閉じた。


 ほんの一瞬。


 そして、目を開く。


「……良い決断ね」


 誰かの正しさではない。

 状況が、人を選ばせている。


「フォックスに、回線を」


 司令室が、即座に動き出す。


***


 通信は、唐突に入った。

 フォックスは工具を置き、回線を開く。


「……クイーンか」


『ええ』


 余計な言葉がない。

 それだけで、察しはついた。


『困りごとがあってね』

『お願いするしかない状況なの』


「判断したのか?」


『ええ。私の決断です。』

『ある地域の制空権を二日で掌握します』

『これは約束なのでね』


「なかなか、骨の要る約束だな」

「……本当は、お前が行きたいんだろう」


 一瞬の沈黙。


『それは、そう』


「そうか」


 フォックスは、苦笑する。


「俺に、お前の代わりは出来ないけどな」


『ええ』

『それは、分かってる』


「どうなっても、知らねぇぞ」


『分かってるわ』

『サヤは、どうする?』


「……遠隔で指導してくれ」


『わかったわ、私が見る』


「そうか。しっかり見てやってくれ」


「機体は、こいつしかない」


『分かってる』


「カメラで全部見せる」

「ミナミとも相談する」

「戦えるところまで持って行きたいが――」


 フォックスは振り返り、後ろの状況を確認する。


「それは、現地でだな」


『……わかった』

『手配するわ』


「ありがとう」


 フォックスは、肩を回す。


「いい休暇だった」

「……そろそろ、職場に戻るよ」


 通信が切れる。


 ハンガーの音が、戻ってくる。

 フォックスは、白い機体を見上げた。


 二日という約束。


 それを守るために、

 誰かが前に出る。


 それが、自分の番だっただけだ。

 彼は、静かに歩き出した。


 戦場は、もう――

 遠くなかった。



***



 ハンガーの奥が、にわかに騒がしくなっていた。


 普段より早い足音。

 短い指示。

 返事の数が、明らかに多い。


 その中心に、フォックスがいる。

 そして――


「教官?」


 サヤが異常に気付き、小走りで近づいてきた。


「どうしたんですか?」


 だが、その問いに答える前に、

 ミナミがすでに動いていた。


 タブレットを抱え、

 ほとんど駆け足だ。


「フォックスに、聞いて」


 それだけ言い残して、

 整備区画の奥へ消える。


「……え?」


 サヤが戸惑う。


 フォックスは、サヤの方を一瞬だけ見た。


 だが、すぐに視線を整備班へ戻す。


「ミナミ!」


 声が、ハンガーに響く。


「動けるやつは全員、集めろ!」


 整備班が、一斉に動く。


「六時間で仕上げる」


 一瞬、空気が止まった。


 六時間。

 それは“急ぐ”ではない。

 無茶の部類だ。


 フォックスは、続ける。


「第二種戦闘装備――」


 そこで、わずかに間を置く。


「ギリギリまで仕上げる」


 整備班の誰かが、息を呑む。


「残りは、現地だ」


 即断。


「以上!」


 ミナミが、短く頷く。


「了解」


 反論はない。

 確認もない。

 それが、

 この場の“答え”だった。


「……え?」


 サヤの声が、かすれる。


「な、何が……」


 誰も、すぐには答えなかった。


 工具の音が、

 一斉に立ち上がる。


 準備の音。

 出撃前の音。

 その中で、

 サヤは立ち尽くしていた。


 今までは、

 訓練だった。

 標的は撃ち返さなかった。

 失敗しても、やり直せた。


 でも――


 今の言葉は、

 どれも違う。


「第二種戦闘装備」

「現地仕上げ」

「六時間」


 それが何を意味するのか。

 正確には、まだ分からない。


 それでも。


 胸の奥が、

 はっきりとざわついた。

 これは、

 いつもの延長じゃない。


 サヤは、この瞬間――

 初めて、不安を覚えた。


 それは恐怖ではない。


 知らない場所へ、

 誰かが行こうとしているという、

 遅れてきた実感だった。


 フォックスは、

 もう一度だけ振り返る。


 サヤと、目が合う。


 何かを言いかけて、

 だが、言わない。


 代わりに、

 短く言った。


「……大丈夫だ」


 それが、

 どこまで本当なのかは分からない。


 だがサヤは、

 小さく頷くしかなかった。


 ハンガーは、

 完全に“出撃前”の顔になっていた。


 二日という約束。

 もう動き始めている。


 そして、

 その中心に――


 サヤの知らない戦場が、

 確かに近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ