白の上の印
昨日は、正直言って面食らった。
真っ白の機体、だ。
フォックスは、ハンガーへ向かう通路を歩きながら、
昨日の光景を思い出していた。
汚れがなくて、
傷もなくて、
どこか“触ってはいけない物”のように見えた自機。
「……まったく」
小さく息を吐く。
「驚かせてくれる」
そう思いながら、
今日も同じ場所へ向かう。
朝のハンガーは、いつも少し冷たい。
夜の間に溜まった空気が、
金属と床に沈んでいる。
フォックスは、首元を軽く鳴らしながら歩いていた。
――まだ、誰も来ていないだろ。
そう思って、
ハンガーの入り口をくぐった、その瞬間。
足が、止まった。
白い機体の前に、
すでに人影があった。
サヤだ。
機体を見上げたまま、
腕を組み、
どこか考え込んだような顔をしている。
声をかける前に、
フォックスは一瞬だけ様子をうかがった。
……複雑な顔だな。
嬉しいとも、怖いとも、
どちらとも言えない。
「おはよう」
いつも通りの声で、
フォックスは言った。
サヤは、少し遅れて振り返る。
「あ……」
そして、慌てて姿勢を正した。
「おはようございます、教官」
「早いな」
「ええ……」
言葉を濁しながら、
サヤはもう一度、機体の方を見た。
それから――
指を伸ばす。
「教官」
「ん?」
「……お揃いだと思っていたら」
そのまま、
フォックスのWFを指さした。
そして――
フォックスは立ち止まった。
「……なんだ、これ」
思わず声が出る。
白い機体は、もう“真っ白”ではなかった。
装甲のあちこちに、
円形、十字、格子状のマーク。
色もサイズもまちまちで、
まるで――
「衝突試験の、ターゲットみたいだな」
口をついて出た言葉に、
すぐ答えが返る。
「その通りです」
ミナミだった。
タブレットを片手に、
すでに機体の周囲を回っている。
「解析用です」
「……解析?」
「応力集中」
「装甲歪み」
「衝撃伝播」
淡々と続ける。
「実際に動かした時、
どこに“癖”が出るかを見るための目印です」
フォックスは、しばらく黙って機体を見た。
昨日感じた、あの一瞬の喪失感。
白すぎて、落ち着かなかった感覚。
だが今は――
「……汚れたな」
ぼそっと言う。
ミナミは、一瞬だけ手を止めた。
「そうですね」
だが、すぐに作業に戻る。
「でも、必要な汚れです」
「消耗でも、劣化でもない」
「“読むための印”です」
フォックスは、鼻で笑った。
「なるほど」
「生き残る前に、
読まれるわけか」
「ええ」
ミナミは、さらりと肯定する。
「生き残った後に読むと、
遅いこともありますから」
フォックスは、機体に近づき、
貼られたマークの一つに指を伸ばす。
まだ、剥がせる。
だが、剥がす気は起きなかった。
「……なぁ」
ふと思い出したように聞く。
「サヤの機体は?」
ミナミは、視線を上げずに答えた。
「あちらは、不要です」
「は?」
「内蔵センサーだけで、
事足ります」
フォックスは、少しだけ眉を上げた。
「ずいぶん信用してるな」
「信用というより」
「設計段階から、
“読まれる前提”で作ってあります」
「姿勢」
「荷重」
「反応遅れ」
「全部、内部で完結します」
フォックスは、ふっと息を吐いた。
「……そうか」
つまり。
自分の機体は、
“後から知る”世代。
サヤの機体は、
“最初から知っている”世代。
優劣の話じゃない。
時代の話だ。
「白ってのも」
ぽつりと呟く。
「長くは持たねぇな」
ミナミは、少しだけ笑った。
「ええ」
「動けば、剥がれます」
「撃たれれば、焦げます」
「触れれば、跡が残ります」
タブレットを閉じる。
「でも」
一言、付け足す。
「最初の一歩としては、
悪くない色です」
フォックスは、白い機体――
いや、“印のついた白い機体”を見上げた。
もう、無垢じゃない。
だが、まだ戦場でもない。
その中間。
読まれ、測られ、
それでも前に出るための段階。
「……行こうぜ」
誰に言うでもなく、そう呟く。
白の上に、印がついた。
フォックスは、白地に貼られたマークを眺めながら、
ふっと肩の力を抜いた。
「……そういや」
独り言みたいに言う。
「機体も、俺もな」
少し間を置いて。
「最初は、真っ白だったのさ」
サヤが、首を傾げる。
「真っ白……?」
「ああ」
フォックスは、機体から視線を外さず続けた。
「何も分からなくて」
「何が正解かも分からなくて」
「どこに行けばいいかも、知らなかった」
指で、空中に線を引く。
「場所に合わせて」
「立場に合わせて」
小さく笑う。
「色を変えられるように、
なっていくんだよな、やっぱり」
サヤは、その横顔を見つめてから、
にこっと笑った。
「……私も、似てますか?」
フォックスは、即答だった。
「ああ」
振り返って、はっきり言う。
「そっくりだ」
そのまま、少し大げさに膝を震わせてみせる。
「ほら」
「よちよち歩きなところがな!」
一瞬の間。
「あーっ!」
サヤの声が、ハンガーに響いた。
「それ、今言います!?」
ほっぺが、ぷっと膨らむ。
「ちゃんと歩けてます!」
「いやぁ?」
フォックスは、わざとらしく首を振る。
「まだだな」
「最初の一歩は踏み出したが」
「安定してるとは言い難い」
「教官!」
「評価は厳しいぞ」
サヤは、むっとしたまま言い返す。
「じゃあ、教官はどうだったんですか!」
「俺か?」
フォックスは、少し考えてから言った。
「……よく転んだ」
あっさり。
「膝も、肘も」
「顔からいったこともある」
そして、機体を見る。
「だから、今がある」
サヤは、少しだけ表情を緩めた。
「……じゃあ」
「転んでも、いいんですね」
サヤが、少しだけ不安と期待を混ぜた声で聞いた。
「ああ」
フォックスは、ためらいなく頷く。
「立ち上がれる場所ならな」
その瞬間。
「それは、ダメです」
横から、きっぱりした声が入った。
「また入ってくる!」
サヤが振り返って言う。
そこに居たのはもちろんミナミ。
「今は教官と話してるんですよ!」
ミナミは、歩みを止めない。
タブレットを抱えたまま、二人の横に並ぶ。
「それは分かってるわ」
キッとサヤを見る。
「でも、今の言葉は聞き捨てならない」
サヤは、思わず言い返す。
「転んでもいい、って……
戦場の話じゃないんですよ」
ミナミは、静かに言った。
「訓練の話でしょ」
フォックスが、片眉を上げる。
「ふーん、違いは?」
「大違いです」
即答だった。
「転ばせないのが、整備と管理の仕事。
転んで立ち上がるのは、最後の手段」
サヤは、二人を見比べる。
その目には困惑の様子が伺える。
「……じゃあ、私は、どうすれば?」
ミナミは、少しだけ視線を和らげた。
「転びそうになったら、その前で止める。
止められなかったら、
壊れないように受け止める。
どんな手段を使っても。」
フォックスは、鼻で笑った。
「相変わらず、厳しいな」
「当然です」
ミナミは即座に返す。
「あなたは“転んだ後”を知っている。
私は、“転ばせない方法”を考える」
一瞬、空気が張る。
だが、敵意はない。
役割の違いだけだ。
サヤは、少し考えてから、深く頷いた。
「……じゃあ、
転ばないように、歩きます」
「それでいい」
ミナミは言った。
「よちよち歩きでも、いいからね」
フォックスが、にやりと笑う。
「ほらな!よちよちだ」
また膝を大袈裟に震わせる。
「あー!」
サヤのほっぺが、また膨らむ。
「それ、ミナミさんまで言わないでください!」
ミナミは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「大丈夫よ」
WFを見上げながら答える。
「ちゃんと見てるから」
白い機体の前で、
三人はそれぞれ違う方向を向いている。
だが、
同じ“転ばせない未来”を見ていた。




