友達
フォックス機は、静かに動き出した。
緊急出動という程ではない。
そのためか、駆動音は低く抑えられている。
通常であれば、起動直後にわずかな油圧の唸りが響くはずだが、それすらほとんど感じさせない。
床を踏む衝撃も、必要最小限。
巨体が動けば、それだけで空気は震える。
だが今は違う。
まるで巨大な機体が、
音を立てない歩き方を、
思い出そうとしているかのようだった。
戦闘ではない。
武器の使用もない。
敵影もない。
だが、それで気を抜けるわけでもない。
元々、WFという機体の原点は、作業機械だ。
持ち上げる。
運ぶ。
支える。
人間の代わりに、重いものを扱うための機械。
兵器としての姿は、後付けだ。
本質は、補助だ。
そう考えれば、今日の出動は、
むしろWFの原点に立ち返るようなものだった。
まずやる事は、一つだけ。
――サヤ機を、見守ること。
単純なようで、これが一番神経を使う。
異常が起きてから考えるのでは遅い。
必要なのは、考える前に体が動く距離。
フォックス機は、常にその位置を保つ。
半歩間隔を開ける。
真正面ではない。
わずかに斜め。
手を伸ばせば、すぐに割り込める距離。
だが、視界は邪魔しない。
守るとは、覆い隠すことではない。
いつでも入れる場所にいることだ。
「教官……お手数をおかけして、すいません」
サヤの声が、オープン回線に流れた。
雑音の少ない、少し硬い声。
緊張はある。だが、怯えではない。
「謝罪する余裕があるなら、大丈夫だな」
フォックスは即答した。
間を置かない。
間を置けば、不安が育つ。
「よし。直立を三十秒、保て」
「……わかりました」
短い返事。
だが、震えはない。
「ミナミさんだっけ?
カウント頼む」
「はい。では――」
ミナミはタブレットを操作する。
画面を二つに分け、タイマーと姿勢ログを同時に表示させた。
ジャイロ軸補正値。
重心座標の推移。
足底圧力分布。
すべてが、リアルタイムで流れる。
「タイマー開始。
十秒経過ごとに、報告します」
白いWFは、微妙な揺れを残したまま立っている。
完全な静止ではない。
むしろ、
止まろうとして、止まりきれない動き。
わずかな前後振動。
左膝に、ほんの少し重心が乗る。
だが、崩れる気配もない。
「残り二十」
サヤは呼吸を整える。
コックピット内は静かだ。
機体内部の冷却ファンの音だけが、一定のリズムを刻んでいる。
深く吸い、ゆっくり吐く。
「……よし、なんとなく分かってきた。
ここを、こうだ。
ペダルは……足首で、軽く微調整」
彼女の操作は荒くない。
無理に押さえつけない。
揺れを止めるのではなく、
揺れに合わせる。
白いWFの揺れが、わずかに変質する。
荒さが減り、周期が整う。
振動波形が、ギザギザから、なだらかな波へと変わっていく。
「残り十」
カウントは進んでいく
「こんな……感じで優しく……」
「飲み込みが早いな。
いい感じだ」
フォックスの声は、淡々としている。
だが、その裏で視線は一瞬たりとも機体を離さない。
脚部シリンダーの動き。
肩関節の微振動。
すべてを見ている。
「三、二、一……」
ゼロ。
だがフォックスは終わらせない。
「よし、ミナミさん。
自動制御、全部切ってくれ」
「えっ……!
そんな事したら……」
「いいから」
短い沈黙。
ミナミの指が、タブレットの上で止まる。
「……信じますよ。
そうするしか、ないんだから」
操作。
サヤ機の表示が切り替わる。
制御系、オールイエロー。
完全マニュアル。
白いWFが、はっきりと“素”の揺れを見せた。
今まで自動補正が隠していた誤差が、露出する。
膝が一瞬沈む。
「さっきの延長だ。
十秒、耐えろ」
「……は、はい!」
フォックスは声を荒げない。
だが、言葉は途切れない。
「サヤ。
このWFを飼い馴らそうなんて、思うなよ」
一瞬、サヤの呼吸が止まる。
「信頼がなくなったらな、
もう二度と、
言う事なんて聞いてくれなくなる」
白いWFが、わずかに姿勢を変える。
言葉に反応したかのように。
「もっとも――
その機体は、
そんな気はさらさら無いみたいだがな」
「……どうすれば、いいんですか?」
問いは、まっすぐだった。
「良いお友達になるんだな」
「……友達、ですか」
「そうだ。
そうすりゃ、多少の無理は聞いてくれる」
揺れが、ほんのわずかに収まる。
完全ではない。
だが、確実に変わった。
サヤは、押さえつけるのをやめた。
機体の揺れに、自分の重心を重ねる。
合わせる。
共鳴させる。
「……もう三十秒、経ちますが」
ミナミの報告。
「よし。
サヤ、走らせちゃダメだが――
外周、回ってこい」
「……はい!」
白いWFが、静かに一歩を踏み出す。
足裏が床に触れる瞬間、
圧力が均等に広がる。
ドン、ではない。
コツ、という軽い衝撃。
床に伝わる振動が、均一になる。
「えっ、ミナミさん!
……あれ、いいんですか?」
整備員の一人が、思わず声を上げる。
「……あたしに聞かないで」
ミナミは即答した。
「あの人は、なんとかするわよ」
そして、手を叩く。
「フォックス機の交換部品、発注。
サヤ機、整備準備。
今のデータ、最大限に活かすよ」
一瞬だけ間を置き、付け加える。
「あ、飲み物の準備はやらなくていい。
フォックス殿に、任せるとしよう」
フォックス機は、サヤ機の側について回る。
前に出ない。
遅れない。
常に、半歩横。
白いWFは走らない。
だが、止まりもしない。
外周を回り、
ゆっくりとハンガー入口へ向かう。
「……いいぞ。
そのまま、呼吸を崩すな」
床の材質が変わる部分。
グリップが、わずかに変わる。
その――最後の最後。
白いWFが、わずかに前につんのめった。
「……っ」
ミナミが身を乗り出す。
だが次の瞬間。
フォックス機は、すでに前に出ていた。
計算ではない。
反射。
白いWFの正面へ滑り込み、
両肩で、ちょうど支える。
倒れない。
ぶつからない。
支えただけ。
それだけ。
ミナミは、思わず口角を上げる。
「……やるわね、フォックス殿」
「ミッションコンプリートだな。
よくやったな、サヤ」
「……ありがとうございます」
「ミナミさん、自動制御、戻してくれ」
「ほんと、注文の多い人ね」
制御が戻る。
白いWFは、完全に安定する。
「ジャイロ整合性、問題なし」
整備員の声。
「……なんだったの、ジャイロのあれは」
ミナミは頭を抱える。
「言ったろ?
サヤ機は、じゃじゃ馬だ。
ほんと、誰かとそっくりだよ」
「……言いたい事は、分かります」
ミナミの脳裏に、本部のあの人が浮かぶ。
大人しく二機のWFが、同時に膝をつく。
降車モード。
ハッチが開く。
サヤが降りる。
足が、震えている。
大きくよろけた、その瞬間。
フォックスが自然に前へ出る。
抱き止めた。
「……教官、
ご迷惑を、おかけしました……」
「よくやったな」
「えへへ……
褒めてくれるんですか?
初めてです」
「そうか?」
「そうですよ……」
「……そうか」
「いっぱい、汗かいちゃいました」
「そうか。
シャワーでも浴びて、ゆっくり休め」
整備員たちの視線が集まる。
誰も口を挟まない。
ミナミも一瞬、見惚れ――
すぐに我に返る。
「はいはい!
見てないで動く!」
「さっきの原因調査優先!
ジャイロ系統、全て洗い直せ!」
ハンガーに、再び仕事の音が満ちる。
金属音。
入力音。
低い会話。
その中で、サヤはフォックスに支えられながら歩き出した。
その姿は、
二人三脚というには、
ちょっと不恰好過ぎた。
だが。
その不恰好さが、
今は、いちばん正しかった。




