「俺もWFで出る」
「俺もWFで出る」
それだけだった。
声は低く、抑えられている。
だが曖昧さは一切ない。
決定事項を告げる声だった。
ハンガーの空気が、わずかに張り詰める。
天井クレーンのモーター音。
遠くで回るコンプレッサーの低い唸り。
工具が接触する金属音。
それらが一瞬だけ、遠のいたように感じられた。
誰も声を上げない。
止める言葉も、確認の問いもない。
フォックスは、そのまま自分の機体へ向かって歩き出した。
コンクリート床に響く足音は一定だ。
急がない。
迷わない。
白い機体とは対照的な、年季の入った国防色の装甲。
深いオリーブグリーン。
塗装の剥げた箇所は、下地の金属が鈍く光る。
弾痕の補修跡。
溶接の継ぎ目。
継ぎ足された配線。
“現役”というより、“生き残っている”という表現の方が近い。
使い込まれた金属が、黙ってそこに立っている。
ミナミは一瞬だけフォックスの背中を見送り、すぐに顔を上げた。
「……フォックス機のデータ、送って!」
整備スタッフが一斉に動く。
無線リンク接続。
機体認証。
ログ吸い上げ開始。
タブレットに情報が流れ込む。
バーが進む。
同期完了。
そして――
ミナミは、思わず息を呑んだ。
「……何これ」
画面いっぱいに並ぶ、警告表示。
赤。
赤。
赤。
交換期限超過。
使用時間限界。
推奨整備未実施。
部品疲労率90%超過。
推奨停止。
――赤いアラートだらけ。
「……よく、これで……」
ミナミは言葉を探した。
「この前の戦闘を……
これで、こなしていたの?」
スタッフ達が数値を確認し、小さく首を振る。
「今回の一連の戦闘で急にすり減ったってレベルじゃありません」
「前から、ですね……」
「累積です」
ミナミの指先が、無意識に画面を拡大する。
関節駆動系。
トルク出力履歴。
負荷曲線。
通常なら“整備待ち”で停止判断が出るレベル。
「……信じられない」
フォックスは、歩みを止めずに答えた。
「一気に色々変えりゃな、
その癖に慣れるまで時間がかかる」
振り返らない。
「でも、騙し騙しじゃない。
ご機嫌を取ってるだけだ」
「……ご機嫌を?」
ミナミが、思わず聞き返す。
フォックスは肩をすくめた。
「目の前で起きてることはな、
信じるしかないんだよ」
タラップの前で足を止める。
鋼鉄製のステップに手をかける。
「受け入れて、どうするか考える。
文句言ってるだけじゃ、
何も解決しない」
それだけ言って、コックピットへ向かう。
ハッチが開く。
油圧シリンダーが低く鳴る。
ミナミは、再び画面を見た。
悲鳴を上げていてもおかしくない機関。
限界に近い駆動系。
それなのに――
エンジン始動。
低い振動がハンガーに伝わる。
国防色の機体が、ゆっくりと立ち上がる。
関節の駆動は滑らか。
余計な揺れがない。
“壊れかけ”の動きではない。
「……こんな事が可能なの?」
ミナミは無意識に呟いていた。
「悲鳴をあげている機関もあるはずなのに……、
微調整という名のコントロールだけで、
この動きができるの?」
視線が、機体の挙動を追う。
足裏接地圧、分散。
トルクの掛け方が緩やかだ。
最大出力を使っていない。
必要最小限の負荷。
「……ご機嫌を取るっていうのは、
こういう事?」
その時だった。
本部との通信が開く。
モニター右上にウィンドウが浮かぶ。
「クイーンも、聞こえてるだろ?」
フォックスの声は、いつも通りだった。
「すまないが、ここだけ目を瞑ってくれ。
今が一番大事なんだよ」
少し間が空いて。
「サヤにとって……、
未来にとって……」
通信ウィンドウに、文字が浮かぶ。
≪……入力中≫
ハンガーが、短い沈黙に包まれる。
誰も、息をする音すら立てなかった。
そして、現れる文字列。
≪承認≫
ミナミの肩から力が抜ける。
フォックスは、短く笑った。
「さすが、わかってるな!」
「フォックス機、出ます!」
ミナミの声がハンガーに響く。
ゲート開放警告灯が点灯。
大型シャッターがゆっくり上昇する。
外気が流れ込む。
わずかな砂塵が舞う。
フォックス機が、滑るように前へ出る。
その動きに、ミナミは言葉を失った。
――異常だ。
限界を越えた機体の挙動ではない。
無理を押し付けた動きでもない。
全体のバランスで、
すべてを黙らせている。
出力を抑え、
慣性を殺し、
駆動系の“弱い箇所”に負荷を集中させない。
データ上は赤。
だが動きは静かだ。
「……なんて、人なの」
だがその視線の先で――
フォックスはもう自分の機体を気にしていない。
彼の意識はただ一つ。
サヤの機体へ向いていた。
白いWF。
まだ調整中の機体。
足元に整備員の一人が近づいた。
白いWFは静かに立っている。
だが完全な静止ではない。
ごくわずかに――
人が息をするような揺れ。
整備員が確認しようと一歩踏み込む。
――その瞬間。
「近づくな!」
フォックスの声が、
ハンガー全体に叩きつけられた。
鋭い。
反射的に整備員の足が止まる。
誰かが落とした工具が床を転がる。
金属音がやけに大きく響いた。
フォックスは続ける。
「こいつはな、
綺麗ななりをしてるが……
手負いの熊と同じだ。
いつ、何が起こるか、わからない」
白いWFが、わずかに姿勢を変える。
ほんの数ミリ。
だがその重量が伝わるには、十分だった。
整備員たちは、無意識に距離を取る。
フォックスの声が、少しだけ変わる。
「……すまんな、整備の人」
鋭さが消える。
「これが終わったら、
コーヒーの一杯も、奢るよ」
一瞬、誰も動かなかった。
だがフォックスは続ける。
「なんなら、
俺の昔話も、一緒にどうだい?」
「……それ、長くなります?」
誰かが半ば冗談めかして言う。
「保証はできない。
下手すりゃ夜が明ける」
すかさず続ける。
「大丈夫だ、コーヒーが助けてくれる」
小さな笑いが零れた。
張り詰めていた空気が、
“仕事が続けられる温度”まで下がる。
サヤの声が入る。
「それズルい!
私も混ぜてくださいよ!」
「わかったから、サヤも頑張れ!」
フォックスが叫ぶ。
ミナミは短く指示を出す。
「監視、続行。
距離は保ったまま。
ログは全部残す」
整備員たちが頷く。
触らない。
だが見続ける。
白いWFは、危ういまま立っている。
ジャイロ補正値がわずかに振れる。
油圧ライン圧力は安定域内。
「触るな、見るだけだ」
「記録、更新」
タブレットを叩く音。
低い報告。
誰も真下には入らない。
だが誰も目を離さない。
サヤはコックピットの中で、
さっきのやり取りを反芻していた。
怒鳴り声。
そして、少し弾んだ声。
その落差に、胸が静かに落ち着く。
――この人は怒鳴る。
――でも怒鳴りっぱなしにはしない。
それだけで十分だった。
フォックスは、もう言葉を足さない。
自機のトルク配分をわずかに修正する。
白いWFとの距離を一定に保つ。
完全な護衛位置。
自分の機体の赤い警告は無視しているわけではない。
だが今は優先順位が違う。
白いWFが、ほんの少し揺れる。
フォックス機が即座に重心を前へ移す。
介入できる距離。
だが触れない。
支える覚悟はある。
だが奪わない。
ミナミはその配置を見て理解する。
あれは“守る”位置ではない。
“奪わない守り”の距離だ。
白いWFは、揺れながらも立ち続ける。
サヤの呼吸が落ち着く。
フォックスは、ただ一度だけ呟く。
「……まだ立ってるな」
その言葉に、サヤの背筋が伸びる。
ハンガーは、再び機械音に満ちる。
だが空気はもう違う。
張り詰めた緊張ではない。
“前へ進むための緊張”。
フォックスの意識は、
完全にサヤの未来に向いている。
自分の機体の寿命でもない。
評価でもない。
サヤが、明日も立っていること。
それだけを見据えて。




