外周歩行
白いWFは、まだハンガーの中央に立っていた。
立った。
歩いた。
それだけで十分すぎる成果だ。
成功はした。
だが――
それで終わらせる空気では、なかった。
天井クレーンの影が、白い装甲を斜めに横切る。
ハンガーは広い。だが静まり返った今は、どこか狭く感じる。
「……なぁ」
フォックスが、
いつもの調子で口を開く。
わざと力を抜いた声音。
場を固めすぎないための、癖のようなものだ。
「外周でも回ってみたらどうなんだ?」
整備班の視線が、一斉にこちらを向いた。
空気が、ほんの一瞬だけ重くなる。
「無理して壊す前にさ」
肩をすくめる。
「軽い負荷を与えて、様子を見るってのは?」
あくまで提案。
命令じゃない。
フォックス自身、
それが分かる言い方をしていた。
強制しない。
だが逃げ道も残さない。
ミナミは、すぐには答えなかった。
タブレットを操作し、
ログを一通り確認する。
起動時の電圧波形。
初動歩行のトルク分布。
足裏圧センサーの偏差。
「……うーん」
小さく唸る。
「開発段階で、
基本的な部分の評価は終わっています」
「だろうな」
「外周程度の移動であれば、
構造的な問題は出ないはずです」
理屈上は安全。
だが実機は理屈だけでは動かない。
そこで、
ミナミは視線を上げた。
「いかがですか、本部長」
モニター越しに、
クイーンへ話を振る。
一瞬、沈黙。
ハンガーの天井照明がわずかに唸る音だけが聞こえる。
クイーンは、
一度だけ目を閉じた。
そして、
わずかに息を吐く。
その仕草に、
フォックスは気づいていた。
――考えてる。
データだけじゃない。
サヤの呼吸。
整備班の緊張。
フォックス自身の意図。
全部を含めて、判断している。
『……良いでしょう』
穏やかな声だった。
『サヤさん』
名を呼ばれ、
サヤの背筋が、自然と伸びる。
コックピット内で、無意識に姿勢が正される。
『行けるわよね』
問いかけは、静かだった。
だが、
威圧感は一切ない。
試すための質問でもない。
確認だ。
あなたは、自分で決められるか。
「はい!」
サヤの返事は、即答だった。
「いけます!」
そしてさらに熱意を加える。
「いかせてください!」
その声には、
迷いも、恐れもない。
ただ――
前に進みたいという意志だけがあった。
整備班の誰かが、
小さく息を呑む。
フォックスは、
思わず口元を緩めた。
「……熱、あるな」
ミナミが頷く。
「ありますね」
クイーンは、
その様子を黙って見てから言った。
『では』
モニターから感じるクイーンの眼差しは、
決定の強い意思を感じさせた。
『外周、許可します』
空気が、変わった。
ハンガーの床に、
新しい進路が引かれる。
直線ではない。
円だ。
戦うためじゃない。
付き合うための動き。
フォックスは、
白いWFの背を見ながら思う。
――いい判断だ。
壊す前に、
付き合い方を知る。
それができるなら、
この先も――やれる。
「サヤ」
短く声をかける。
「焦るな」
「はい、教官」
「外周だ。
急ぐ理由は一つもない」
「……分かっています」
白いWFが、
ゆっくりと向きを変える。
サーボがわずかに唸る。
関節部の油圧が、低く押し出される。
次は一歩じゃない。
続く動きだ。
それが意味するものを、
この場にいる全員が理解していた。
白いWFは、まだハンガーの中央に立っていた。
外周を回る許可は出ている。
歩行も確認済み。
だが、次の動作に移る前に、
誰もが一度、間を取っていた。
拙速は禁物だ。
フォックスは、腕を組んだまま、
白い機体の姿勢を眺めている。
重心。
膝角度。
足裏の沈み込み。
視線は、数値を見ていない。
機体全体を“絵”で捉えている。
「……なあ」
軽い調子だった。
緊張を煽るでもなく、
指示を飛ばすでもない。
「ジャイロ制御の電圧、どうだ?」
整備班の一人が、
タブレットを確認して答える。
「今のところ……
さして異常は認められませんが」
「オッケー」
フォックスは短く頷いた。
「今は、いいみたいだな」
それから、
思い出話でもするように続ける。
「昔さ」
視線は、脚部の関節に向けられたまま。
「戦場で、
ちょっと応急処置的に部品を交換したことがあってな」
整備班の動きが、
ほんの一瞬だけ止まる。
「それが不良品だった」
乾いた笑い。
「DI――デジタル入力が、
何もかもオフになっちまってさ」
サヤは、操縦桿に手を添えたまま、
黙って聞いている。
フォックスの話は、ただの雑談ではない。
伏線だ。
「いやー……
あの時はまずい事になった」
「そういう事が……」
ミナミは、静かに頷いた。
フォックスは、
白いWFを顎で示す。
「バランスが取れなくてな、
左側だけ、
制御が軒並み遅れて。
参ったよなー」
フォックスは白い機体を指さして。
「……そうそう」
声が、わずかに低くなる。
「ああいう感じ」
ミナミは、反射的に振り返った。
白い機体の姿勢。
ほんのわずか――
言われなければ見逃す程度の、
傾き。
だがある。
「ああー……」
ミナミの声が、掠れる。
「あんな感じですねー」
次の瞬間。
「整備班長!!」
別の整備員の声が、
鋭くハンガーに響いた。
「えっ、あー!?」
ミナミがタブレットに目を落とす。
「な、なんですかこれはー!!」
白いWFが、
外周に向かう途中で、
わずかに傾いている。
数値は正常。
ログも異常なし。
だが、
姿勢だけが合っていない。
床の目地が、わずかに斜めに見える。
サヤが、即座に報告する。
「……えっと」
声は落ち着いていた。
「計器は、オールグリーンです」
フォックスとミナミの表情が固まる。
「それでも……この傾き」
操縦席の中で、
サヤの視線が計器から感覚へ切り替わる。
「数値、指針すべて異常なし。
姿勢制御は水平になっています。」
ミナミは冷静に事態をつたえる。
「ジャイロが、
傾きを誤感知しています」
フォックスもそれに続ける。
「姿勢を戻そうとして、
逆に機体に負荷をかけている」
ミナミは発言に続けて付け加える。
「だから……
色んな部位に無理が出ています」
整備班の一人が、声を張り上げた。
「緊急停止しますか!?」
フォックスが、即座に遮る。
「まずい」
低く、強い声。
「下手すると、前のめりに倒れる。
サヤにダメージが残る。」
ミナミも、苦い表情で続ける。
「……それは、機体にも、
影響が大きい」
そして、
タブレットを見ながら、
最悪を想像しているのだろう。
「出来れば、避けたい事態です」
その言葉に、
フォックスの視線が鋭くなる。
「この状況で……機体の心配してるのか?」
一瞬、空気が張り詰める。
「こんな異常事態で?」
フォックスの言葉が少し荒れる。
「これだから整備屋は……!」
ミナミは、思わず下を向いた。
――まずい事を言った。
だが、
今は謝罪より先にやる事がある。
白いWFは、
この瞬間も、
誤った修正を続けている。
膝関節が、微細に震える。
油圧式アクチュエータがわずかに唸る。
じわじわと、負荷が溜まっていく。
「……止める手段、か」
フォックスは、小さく息を吐いた。
考える事を、
半分やめる。
残った半分は――
もう、
行動に使っている。
頭で組み立てる前に、
身体が前に出そうになる。
「サヤ」
短く、鋭く呼びかける。
「聞け」
次に出る言葉は、
教官のものじゃない。
戦場を生き残ってきた人間の声だ。
「今から言う通りにしろ」
白いWFは、
まだ倒れていない。
だが――
猶予は、
もう多くはなかった。




