表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/62

「始動」

 ≪READY≫


 その文字が消えても、

 誰もすぐには動かなかった。


 静かすぎるハンガー。

 静かすぎる白い機体。


 フォックスは、腕を組んだまま呟く。


「……で」


 誰にともなく。


「ここまで来たら、あとはどこまで行けるんだ?」


 整備主任のミナミが、一拍置いて答えた。


「武装系は、当然ロック中です」


「だろうな」


「推進系も、最大出力の三割制限」


「それも、妥当だ」


 フォックスは、白い機体を見上げる。


「じゃあ――」


 一歩、踏み出す。


「歩くくらいは、許されるのか?」


 ミナミは、タブレットを操作した。


 表示が切り替わる。

 ログ。

 制限値。

 安全域。


「……可能です」


 その一言に、

 空気が変わった。


「条件付きですが」


「条件?」


「低速。

 短距離。

 完全監視下」


「要するに」


 フォックスは、口元だけで笑う。


「“最初の一歩”だな」


 ミナミは頷いた。


「はい」


 通信が、割り込む。


『当然でしょう』


 クイーンの声だった。


『いきなり走らせるほど、

 雑な指示はしてないわ』


「知ってるよ」


 フォックスは即座に返す。


「……でもな」


 一瞬だけ、視線をサヤに向ける。


「本人の意思は、どうだ?」


 サヤは、即答しなかった。


 操縦桿に添えた手。

 ペダルに置いた足。


 一度だけ、

 深く息を吸う。


「……やりたいです」


 静かだが、

 迷いはない。


「歩けるなら」


 少しだけ、声に熱がこもる。


「歩きたいです」


 フォックスは、短く頷いた。


「だそうだ」


「では」


 ミナミが、整備班に指示を出す。


「歩行モード、解放」


「速度リミッター、設定」


「ジャイロ補正、強化」


 ログが流れる。


 白いWFの内部で、

 何かが切り替わる感覚があった。


「サヤさん」


 ミナミの声。


「最初は、考えなくていい」


 サヤは、息を整える。


「はい」


「倒れないことだけ、意識してください」


「……分かりました」


 フォックスは、思わず口を挟んだ。


「無理に動かすな」


「はい、教官」


「“動かそう”とするな。

 動こうとするな」


 一拍。


「立たせろ」


 サヤは、その意味を理解した。


 操縦桿を引かない。

 ペダルを踏み込まない。


 ただ――

 重心を、前へ。


 白い機体の脚部が、

 わずかに軋む。


 ジャイロが反応する。


 針が、ほんの少しだけ動いた。


「……っ」


 サヤの喉が鳴る。


「いい」


 フォックスの声が、低く響く。


「そのまま」


 白いWFが、立った。


 爆音はない。

 振動も、最小限。


 ただ、

 巨大な質量が、

 自分の意思で重心を持っただけ。


「……立ちました」


 整備班の誰かが、

 息を呑んだまま呟く。


「歩行、継続可能」


 ミナミが告げる。


「一歩まで、許可します」


 フォックスは、

 サヤの背中を見る。


「……行け」


 短く。


「一歩だけだ」


 サヤは、頷いた。


 ペダルに、

 ほんのわずかに力を込める。


 白い機体の脚が、

 ゆっくりと前に出る。


 ドン――


 ではない。


 トン。


 信じられないほど、静かな一歩。


 ハンガーの床に、

 確かに“足跡”が刻まれた。


 誰も、拍手しなかった。


 歓声もない。


 ただ、フォックスは、心の中で呟く。


 ――戦闘は、まだだ。


 だが。


 始動は、もう終わっている。


 ここから先は、

 戻れない。




「サヤ」


 フォックスの声が、落ち着いて響く。


「計器類の機嫌は、どうだ?」


 一拍も置かず、サヤが答える。


「第一から第四まで――」


 視線は前。

 だが、意識は確実に計器をなぞっている。


「油圧、三六九・二五」


 サヤの声は、静かだった。


「偏り、なし。

 遅れも、感じません」


 フォックスは、わずかに口角を上げた。


 白いWFは、静かに立っていた。


 油圧の唸りは最小限。

 ジャイロは穏やかに追従し、

 針は、必要以上に動かない。


 整備班が、半ば感心したような、半ば戸惑ったような視線を向けてくる。


「……いや」


 フォックスは、軽く首を振った。


「具体的な数字は聞いてない」


 一拍。


「機嫌を聞いたんだ」


 その言葉に、

 整備班の一人が思わず声を上げる。


「き、機嫌……ですか?」


「そんな曖昧な――」


 言い切る前に、

ミナミが静かに割り込んだ。


「いいのよ」


 タブレットから目を離さず、続ける。


「パイロットにはね、

 こういう感覚で状態を語る人が多いの」


「感覚……?」


「ええ。

 “どこが悪いか”じゃなくて、

 “どこまで我慢してくれているか”を聞く」


 ミナミは、そこで一瞬だけ顔を上げた。


「それに――」


 少し間を置いて。


「クイーン様も、まったく同じ聞き方をする」


「えっ……?」


 整備班の声音が、

 さっきとははっきり違う。


「そ、そうなんですか?」


「意外と、感覚派なんですね……」


「いえ」


 ミナミは首を振る。


「感覚を入口にして、

 最後は必ず数字に落とす人です」


 そのやり取りを聞きながら、

フォックスは分かりやすく不貞腐れた。


「……はいはい」


 ポケットに手を突っ込む。


「クイーンは許されて、

俺は“適当な奴”って扱いだよな」


「違うわ」


 即答だった。


「あなたは、数字を出す前に

“壊れないか”を聞いているだけ」


 フォックスは、一瞬だけ言葉を失う。


 その間に、サヤの声が入った。


「……機嫌は」


 静かだが、確信を帯びた声。


「いいです」


 整備班が息を呑む。


「無理をさせていない。

 遅れているところもない」


「少しだけ、

前に出たがっていますけど」


 フォックスは、小さく笑った。


「だそうだ」


 ミナミがタブレットを確認し、頷く。


「ログと一致しています」


「“機嫌がいい”が、一番近い表現ですね」


 白いWFは、

静かに次の重心移動に入っていた。


 その様子を見ながら――

フォックスは、心の中で呟く。


 ――さしたる意味を、

加えた覚えはない。


 ただ、聞いただけだ。

 調子はどうか。

 無理をしていないか。


 それだけだった。


 だが。


 フォックスは、ポケットに手を突っ込んだまま、

ふと、思い返す。


 こうやって――

 人は、神に祭り上げられたのかもしれないな。


 本人の知らないところで。

本人の意図とは関係なく。


 拍手や歓声や、勝手な意味付けの中で。


 この闘技場で。

 きっと、同じようにな。


 英雄。

 象徴。

 偶像。


 どれも、

 本人の足元とは無関係だ。


「……やれやれ」


 小さく息を吐く。


 神になる気はない。

 導く気もない。


 だが。


 今この場で、

 誰かが一歩を踏み出すなら。


 せめて。


 壊れない場所に、立たせてやる。


 フォックスは、

 白いWFを見上げた。


 機体は、何も語らない。

 ただ、そこに立っている。


 それで、十分だった。


 サヤは、前を見ている。


 次の一歩を、

 自分の意思で選ぼうとしている。


 戦闘は、まだ先だ。


 だが――

 始動は、もう終わっている。


 この闘技場で、

 新しい意味が生まれようとしていることだけは、

 誰の目にも明らかだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ